玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アドルフォ・ビオイ=カサーレス『脱獄計画』(5)

2015年09月30日 | ゴシック論

 やっと『脱獄計画』にたどり着いた。この小説の舞台は前にも書いたように、南米フランス領ギアナ、カイエンヌ沖のサルヴァシオン群島で、サン・ジョゼ島、レアル島、悪魔島の三島で出来ている。
 悪魔島というのはフランス語でディアブル島であり、1894年にフランスで起きたドレフュス事件(表記は『脱獄計画』と違うが通例にならう)の主人公、ユダヤ人のアルフレッド・ドレフュス大尉が冤罪で1895年から1899年まで収監されていた島である。この作品にはドレフュスとよく話をしていたために、ドレフュース(こちらが本書の表記)というあだ名で呼ばれる人物さえ登場する。
 実際にフランス史上もっとも悪名高い流刑地で、三島とも監獄島として厳重に管理されていた(映画「パピヨン」の舞台にもなった)。ビオイ=カサ-レスがそうした歴史を背景にこの群島を舞台に据えたことは、脱獄不可能と言われたこの島のゴシック的性格を最大限活かそうとしたためと思われる。
『モレルの発明』の舞台は別に島でなくてもかまわないが、『脱獄計画』の舞台は閉鎖空間としての島でなければならないし、H・G・ウェルズの『モロー博士の島』へのオマージュとしても、舞台を島に設定する必要があった。
 ドレフュス大尉のように冤罪によって一時パリを離れ、サルヴァシオン群島への赴任を命ぜられたアンリ・ヌヴェール大尉は、島に到着するやいなやそこが陰鬱な空気に支配されていることに気づく。次のようなヌヴェール自身の言葉は、ゴシック小説の常套的な前触れとしての性格を持っている。
「レ島(レアル島)を発ってからすべてが不吉な様相を呈していました。しかし島影が見えた時、不意に憂鬱な気分に襲われたのです」
 悪魔島にいるカステル総督が島全体に〈迷彩(カムフラージュ)〉を施している事が大きな謎を呼び、不穏な空気を掻き立てる。そして島の囚人達の多くが狂人と化しているが、カステル総督自身も狂っているのではないか? 
「長椅子とぼろの置かれた狭くて湿っぽい独房に閉じこめられ、波の音と精神異常者たちの絶え間ない叫び声とを聞きながら、その爪で壁に名前や数字を書きつけるのにも疲れてぼうっとしている囚人たちを、ヌヴェールは見かけた」
 こうして小説は次第に陰鬱な空気を重層化させ、徐々に謎を深めていく。この辺りにもゴシック小説の伝統に従って書いていこうという作者の意図が窺える。
『脱獄計画』は『モレルの発明』のように"種明かし"を予感させない。実際には小説の最後に"種明かし"はなされるのだが、それがあまりにも途方もないものであるために、読者はその"種明かし"の内容について『モレルの発明』の場合のように予見することがほとんど出来ない。
「総督は〈悪魔島〉で謎めいた作業に没頭していた」と「3」の冒頭に示されているが、ヌヴェールにも読者にもその作業というのが何であるのか、さっぱり分からない。ヌヴェールはそれでも悪魔島への接近を試み続けていくが、そうすればそうするほど一層謎は深まっていくのである。

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アドルフォ・ビオイ=カサーレス『脱獄計画』(4)

2015年09月29日 | ゴシック論

 いっこうに『脱獄計画』の方へと話は進んでいかないので、やはりタイトルを『モレルの発明』とすべきだったかも知れない。まだ『モレルの発明』について言いたいことが残っている。
『モレルの発明』の翻訳者は、スペイン語は専門外であるはずのフランス文学者清水徹であり、清水の翻訳を牛島信明が校閲している。清水はこの作品によほどの執着があったようで、かなり長い解説も書いている。フランス文学者らしく観念的で、図式的な内容である。
 清水は主人公のフォスティーヌに対する愛の中に、決定的な他者性を見、「語り手=私がフォスティーヌに寄せる愛は、人間関係における他者性というものをもっとも苛酷に示すかたちの愛にほかならぬ」と書き、この小説の結末部分(主人公はフォスティーヌに対する愛を貫くため、ホログラムが現出させる仮想現実の世界に参入しようとする)について「内部は完全に外部に吸収しつくされ、《外部》のみが永遠に残りつづける」と書いて問題を普遍化している。そして最後に次のような文章を書く。
「もしも《近代》を構成するパラダイムが、意識・時間・内面であるならば、そして、そのような《近代》の乗り越えが可能であるとすれば、次なる時代のパラダイムは、身体・空間・外部となるだろう。『モレルの発明』の物語は、語り手の《愛》への絶対的な献身の表明であると同時に、《近代》の乗り越えの物語でもある」
 なんと事大主義的な論旨だろう。モダンを構成するのが《内部》で、ポストモダンを構成するのが《外部》であるから、『モレルの発明』はポストモダニズムへの超克の物語だという。こんな解説を事大主義と言わずしてなんと言えばいいのだろう。フランスのポストモダニズム思想にかぶれた清水の世迷いごとと言わなければならない。
 まず、意識と身体、時間と空間、内面と外部というものが、二つの対立する項であるとする考え方自体が間違っている。身体もまた意識によって捉えられなければ身体として認識されることはないし、空間もまた時間(ベルクソン風に言えば持続)によって捉えられなければ空間として認識されることはない。そして外部もまた内面によって捉えられることがなければ外部として認識されることもあり得ないのである。
 それら二対になった概念の一方を《モダン》に位置づけ、もう一方を《ポストモダン》に位置づけるような思考の遊戯は一時も早く止めるべきだと私は考える。
 ところで、『モレルの発明』はH・G・ウェルズの『モロー博士の島』を思わせるタイトルになっている。ウェルズの作品は孤島に住むマッド・サイエンティスト=モロー博士が動物への改造手術を行って、人造人間を創り出そうとする物語であった。
 このタイトルは『脱獄計画』の方にこそ相応しい。『脱獄計画』の悪魔島を支配するカステル総督もまた、モロー博士のように動物実験を行い、囚人達の脳への手術を行うことで、獄中生活を苦痛でないものに改変しようとする。
 ビオイ=カサーレスがウェルズの『モロー博士の島』へのオマージュを作品にしようとして『モレルの発明』を書き、似たようなタイトルをつけたのは明らかであるが、作者にとっても『モレルの発明』では不十分だと思われたのだろう。だから五年後に『脱獄計画』を書く必要があった。

 

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アドルフォ・ビオイ=カサーレス『脱獄計画』(3)

2015年09月27日 | ゴシック論

『モレルの発明』はゴシック小説というよりも、SF小説としての性格を強く持っている。だから『脱獄計画』の訳者の一人である鼓直は解説で次のような事情を明らかにする。
「『モレルの発明』と、その姉妹篇とも呼ぶべき『脱獄計画』とは、それら二種類の創意に満ちた〈発明〉のおかげで、ウルグアイとアルゼンチンを含めたラプラタ地域における、最初のものではないにせよ、もっとも成功した幻想的なSF的作品たりえたのだ」
『モレルの発明』をSF小説として見るならば、そこにはいわゆるセンス・オブ・ワンダーの要素が決定的に欠けていることが指摘されるだろう。ワンダーつまり不可思議を、日常性から遠く離れたものとして、あるいは常識に徹底的に抵触するものとして、または物理法則に反するものとしてさえ描いてみせることは、そうしたものの謎の解明以前に求められるSF小説の使命であるとさえ言える。
 だから空想科学小説といえども、謎の解明にのみ集中していることは許されない。今日のSF小説ではセンス・オブ・ワンダーにのみ集中して、謎の解明をまったく行わない作品さえ存在する。読者にとってはセンス・オブ・ワンダーの方が重要な要素だからである。
『モレルの発明』がなぜに幻想小説として読み始められるかと言えば、そこには怪奇小説の持つ謎の雰囲気はあっても、より突き抜けたセンス・オブ・ワンダーがないからである。だからSF的な謎の解明が始まってしまうと興味は半減してしまう。
 さらに『モレルの発明』には推理小説的な要素も含まれている。推理小説もSF小説も元を正せば、ゴシック小説を淵源に持つわけだから、別に不思議なことではない。ポオの世界を想像してもらえればそれでよい。
 では推理小説としてどうかと言われれば、これもまた中途半端な作品だと言わざるを得ない。私は小説の中で殺人事件が起き、誰が犯人であるかを論証していくというような推理小説が好きではない。「そんなことどうでもいいじゃないか」と思ってしまうからである。
 しかし、犯人が誰かという追究ではなく、ゴシック小説がもともと持っている謎の解明――なぜこのような超常現象が起きたのかという謎の解明――に対して私は比較的に寛容であって、だからこそ推理小説よりもゴシック小説を好むのである。
 推理小説的なゴシック小説もいろいろあるが(前に取り上げたC・B・ブラウンの『ウィーランド』などもそうであった)、もっともよくできた謎の解明を果たしている作品は、ハーマン・メルヴィルの「ベニート・セレーノ」だと私は思う。
「ベニート・セレーノ」では漂流船の船長であるベニートが極めて不可解な行動をとり続けるが、そうした行動の裏に隠された謎がある時一瞬にして氷解するのである。主人公に対してと同時に読者に対しても、一挙に謎の解明の瞬間がやってくる。これほどのスリルとカタルシスに満ちた推理小説的ゴシック小説を他に知らない。
 私に言わせれば、「完璧な小説」という言葉はメルヴィルの「ベニート・セレーノ」のような作品にこそ与えられるべきものであって、ビオイ=カサーレスの『モレルの発明』に対して与えられるべきものではない。

 

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アドルフォ・ビオイ=カサーレス『脱獄計画』(2)

2015年09月25日 | ゴシック論

 まず『モレルの発明』から読んでいくことにするが、なぜこの項の見出しとして『モレルの発明』というタイトルを立てないかと言えば、私にはそれよりも同作の5年後に書かれた、同工異曲の作品『脱獄計画』の方が優れた作品だと思われるからである。
『モレルの発明』の舞台は、語り手である主人公がそうだと思い込んでいる、南太平洋のエリス群島のヴィリングス島という孤島(群島の中のひとつだから正しくは孤島ではないが)である。『脱獄計画』の舞台もまた孤島(こちらも群島のひとつ)であって、孤島という閉鎖空間を舞台にしているところに、ビオイ=カサーレスのゴシックへの傾きがあるとは言えるかも知れない。
 我々はそこでハーマン・メルヴィルの「エンカンタダス」を思い出すことも出来るわけだが、孤島である必然性は『脱獄計画』の方に高く、『モレルの発明』の方に低い。『モレルの発明』の主人公は政治的逃亡者で、いつでも身を隠していなければならない立場にあるが、必ずしも孤島である必要性を感じない。
『脱獄計画』の舞台はフランス領ギアナ、カイエンヌ沖合の群島で、そこは牢獄島として管理されている。誰が見ても閉鎖空間としての特徴は『脱獄計画』の方が強いのである。
『モレルの発明』を我々は幻想小説として読み始めることになる。ヴィリングス島には博物館、礼拝堂、プール、そして海岸にはポンプと発電設備があり、主人公はその間を往還する日々を送っている。ある日突然、主人公は複数の男女に出会うが、彼らは彼の存在に気づくそぶりもない。
 主人公はやがてその中の一人フォスティーヌという女を愛するようになるのだが、彼女は彼を一顧だにしない。彼女は彼が存在していないかのように振る舞うのみで、会話を交わすことさえ出来ないのである。
 そんな中で主人公は自分が疫病に冒されて錯乱したか、透明人間になってしまったかと疑うことになるが、そこで、読む我々は徐々にあることに気づいていくのである。
モレルとはフォスティーヌが親しくしている男であり、その"モレルの発明"がタイトルとなっている以上、このあり得ない現象はモレルの何らかの発明に関わるものに違いない、ということに気づかざるを得ないのである。
だから幻想小説として『モレルの発明』は読み始められるのだが、後半では「この小説には必ず種明かしがある」と思われてしまい、SF小説あるいは推理小説として終わるだろうという予測が立ってしまう。そこがこの作品の大きな欠点であるだろう。
 なぜそれが欠点であるかと言えば、多くのSF小説や推理小説と同様、謎が解明されるときに、それまでの小説の細部がほとんど無意味なものとなってしまうからである。謎とその解明だけが表舞台に出てしまい、他のテーマがどうでもいいものとなってしまう。
 たとえば主人公のフォスティーヌに対する愛がこの作品のテーマだという者もいるが、それはゴシック小説が多く描いてきた肖像に対する愛や鏡像に対する愛とどこが違うというのだろう。
『モレルの発明』に形而上学的な探求を見る者さえいるが、意思の疎通が不可能な対象に対する愛の物語は多くのゴシック小説が描いてきたものであって、要するに『モレルの発明』の新しさは、モレルが発明したホログラム装置が現出させる幻想世界にしか、残念ながらないのである。

アドルフォ・ビオイ=カサーレス『脱獄計画』(1993、現代企画室)鼓直・三好孝訳

 

 

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アドルフォ・ビオイ=カサーレス『脱獄計画』(1)

2015年09月24日 | ゴシック論

 木村榮一はサンリオ文庫の『エバは猫の中――ラテンアメリカ文学アンソロジー』の解説で次のように書いている。
「ブエノスアイレスとモンテビデオを中心とするラプラタ河流域では、19世紀後半からゴシック小説をはじめ欧米の幻想小説や怪奇譚が数多く翻訳紹介されてちょっとしたブームを呼んでいた」
 ブエノスアイレスはアルゼンチンの首都であり、モンテビデオは隣国ウルグアイの首都である。そしてゴシックブームの中で育ち、その後幻想的な作品を発表するようになる作家として木村榮一は、アルゼンチンの作家としてはホルヘ・ルイス・ボルヘスやアドルフォ・ビオイ=カサーレス、マヌエル・ムヒカ=ライネスなどを、ウルグアイの作家としてはフェリスベルト・エルナンデスやフアン・カルロス・オネッティなどを挙げている。
 木村の記述によれば、ゴシック小説のラテンアメリカ文学への影響について考えるときには、これらラプラタ河流域幻想文学作家と呼ばれる作家達の作品を読まなければならないということになる。
 本当は私はそのことよりも、『マルドロールの歌』を書いたフランスの詩人ロートレアモン伯爵こと、イジドール・デュカスが1946年にモンテビデオで生まれていること、そしてデュカスがフランス人の父母によって生を受けたにしても、スペイン語を解しなかったはずはないから、そうしたブームの洗礼を受けていたのかどうかということを知りたいのである。
『マルドロールの歌』にマチューリンの『放浪者メルモス』の影響を受けている部分があることは以前に指摘したが、それがラプラタ河流域におけるゴシックブームと関係があるのかどうかについて関心がある。生まれながらにして異境の地へと越境することを宿命づけられたイジドール・デュカスについては石井洋二郎の『ロートレアモン 越境と創造』という刺激的な著書があるが、その部分には触れていない。
 デュカスは13歳で父母の故国であるフランスに渡ることになるが、22歳で『マルドロールの歌』を書いた超早熟のデュカスが、それ以前に木村の言うゴシック小説ブームの洗礼を受けていた可能性がないわけではない。デュカスがそれに間に合って、ウルグアイでゴシック小説を読んでいたのか、それともフランスへ渡ってからであったのかで、かなり違った意味を持つであろうからだ。
 しかしそのことに深入りすることは今は出来ない。ここではゴシック小説のラテンアメリカ文学への影響という問題の入り口として、アルゼンチンやウルグアイの作家達の作品を読む必要があるという事実に従わなければならない。
 ビオイ=カサーレスはボルヘスの年下の盟友であり、1967年には二人の共同ペンネームである、オノリオ・ブストス=ドメックの名で」共著『ブストス=ドメックのクロニクル』という本を出版している。
 この本は現実には存在しない書物や建築、ファッションについて書かれた評論集であり、衒学的虚構性というべき特徴に彩られた本で、私にはとても好きになれるしろものではなかった。
 以来、ビオイ=カサーレスは私の読書の対象からボルヘスとともにはずれてしまった。しかしボルヘスが"完璧な小説"と呼び、アラン・レネ監督の映画「去年マリエンバードで」の淵源となったという『モレルの発明』という小説だけは気になっていた。
 整理を任されたある蔵書家の本の中に『モレルの発明』があったので、何十年ぶりかでビオイ=カサーレスを読むことになった。

『エバは猫の中――ラテンアメリカ文学アンソロジー』(1987,サンリオ文庫)木村榮一他訳
石井洋二郎『ロートレアモン 越境と創造』(2008,筑摩書房)
ホルヘ・ルイス ボルヘス 、 アドルフォ ビオイ‐カサーレス『ブストス=ドメックのクロニクル』(1977,国書刊行会)斎藤博士訳
アドルフォ ビオイ‐カサーレス『モレルの発明』(1990,書肆風の薔薇)清水徹、牛島信明訳

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山尾悠子『山尾悠子作品集成』(21)

2015年09月17日 | ゴシック論

 ところで"破壊王"とは何か? 「パラス・アテネ」で最後に繭からの新生を待つ豺王のことか、あるいは「火焔圖」に登場する瑤公と芥のことか? そうではなく"破壊王"は「火焔圖」の中で老公が語る次のような存在であるのに違いない。
「――創世ノ神とともに生まれた破壊ノ王は、生まれると等しく、夢のない眠りに落ちていると聞いた。そのかたは、荒ぶる神などではない。自ら憤怒の形相をあらわして、人の世に破壊を行う神などではない。やがて人の世の末世が近づいてくると、そのかたは独り寂しいところで夢を見はじめると聞いた。独り没落と滅びの夢を寂しく夢見つづけながら、涙を流すとも聞いた」
 さらに「この世の最後の王となる。そして、この世でもっとも高貴で、もっともさみしいかたとなる」と老公は付け加えている。だから"破壊王"は「火焔圖」で都に迫り来る「虐殺の道の先頭に立つ皇帝」などではないのである。
「破壊王」は虐殺と破壊を執拗に描いた連作であるが、これはもちろん山尾悠子の崩壊や滅亡への願望から来ているのである。山尾がイメージする"破壊王"が、破壊を行う荒ぶる神などではなく、独り寂しく「没落と滅びの夢」を見る存在であるとすれば、山尾の願望もそこにこそあるだろう。
 モンス・デジデリオが独り寂しく滅びの夢を見るように、山尾もまたそのような夢を見るのではないか。そして「世界は言葉でできている」と言う山尾悠子にとって、世界の崩壊とはいったい何を意味しているのであろうか。
 わたしが本当に知りたいのはそのことである。つまりは、言語と崩壊願望との関係についてわたしは追求しなければならない。また崩壊願望を導いてくる閉鎖空間への認識と言語との関係についても、わたしは無関心ではいられない。
 このようなテーマはゴシック小説に特有のテーマであって、これまで多くのゴシック小説を取り上げてきたにも拘わらず、わたしはそのテーマを十分突き詰めてはいない。
 しかし山尾悠子は、そうしたテーマを追求する場としてもっとも相応しい作家であると思われる。だからこそ今まで最長不倒の21回にわたって書いてきたのである。山尾の作品についてよく理解できた部分もあるが、そうではない部分もある。だからこれからも山尾悠子に拘っていくことが必要となるだろう。
 私は山尾悠子が自身影響を受けたと言っている、安部公房や倉橋由美子のよい読者ではない。あるいは必ずしも影響を受けたわけではないが、想像力の同質性を持つと言われるホルヘ・ルイス・ボルヘスについてもよい読者ではない。
 しかしこれから山尾悠子を呼んでいく上で、彼らの作品を参照することは避けて通れない道であるだろう。読むべき作品はたくさんある。
 そしていつかまた、山尾悠子の世界に戻ってきたいと思っている。
(この項ようやくおわり)

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山尾悠子『山尾悠子作品集成』(20)

2015年09月16日 | ゴシック論

「繭」は次のように始まる。
「そして一生の驕りをきわめた四十九日間の籠城ののち、世界の大火を背に、一組の男女が眼と耳を覆って黒い魂の森へとのがれた」
 省略がある。本来なら「一生の驕りをきわめた四十九日間の籠城」の過程が描かれていなければならない。そうでなければ「パラス・アテネ」「火焔圖」「夜半楽」の三編に拮抗できるはずもないのだから。
 しかし「繭」が完成されなかった「饗宴」の省略版であるならば、いたしかたない。その替わりに山尾悠子はこの短い作品に文体の壮麗と典雅のすべてを賭けていく。
 画数の多い漢字が多用され、やたらとルビが多くなっていく。四十九日間の籠城と、その間に城内で催された連日連夜の饗宴は次のように要約されている。
「日を重ねても、門外には哀訴と火を噴く呪詛との声々が立ち去らなかったのだ。門の一重(ひとえ)を隔てた、餓死の呻(うめ)きから顔をそむけるためにも、酢と麝香(じゃこう)との豪奢に彼らは没入した。そして流動する夜の波間には眼を閉じて溺れた。その頭上にも、疫病(ペスト)禍は羽搏(はばた)く影の翼の交錯をもって跳梁した。夜々に荒廃し、衰弱していく運命の中で、人々は不思議に恍惚とその心に穏やかさが増すのを知った。高熱による黒焦げの貌を曝す屍(しかばね)は、金の杯を掌に握ったままその死をもって何者かを超越していったのである」(この部分だけルビを括弧書きした)
 このような硬質で壮麗な文体は、山尾の作品では特に「傳説」に見られるもので、彼女はここで「傳説」の文体を再現しようとしているのだ。「傳説」は1982年に書かれ、「繭」はおそらくこの『集成』に収めるために書かれたらしいから、出版年の2000年の直前、1999年に書かれたはずだ。
 一組の男女が落城の城を逃れて夜の闇の中を駈けていく。こうした設定も「傳説」と共通している。「傳説」と同じように命令形も使われていて、進みゆく女の想念は詩のごとき言葉を持って表されていく。
「わたしを巻き込む乾いた熱風の流れ 熱い灰を森へ 梢へ運び そのすがた黎明に溶けて 行方知らず交わり解れる わたしを聞けわたしを見てよ!
今より此処。朝毎に石に置く露ふふむ わたしと思え。
野をゆけば 突然にお前を追い越す風 その中空に呼ぶ声を振り向けば わたしと思え。」
 いつしか文章は読点も句点も、確かな文法さえ失って、祈願のような、哀願のような想念を孕んで詩となるだろう。
 男は死に、女は森へと向かう。人身大の繭のある森の中へ。物語は「パラス・アテネ」の世界へと還っていく。
「枯れ枝に火を移し、地面さえ蚕糸の漣が薄光る中を、彼女は眼の前の繭へと近づいた。その繭ひとつから、何故か縛られたように眼が離れないのだった。――指と爪で、意外な抵抗を持つ繭の腹を掻き破るうちに、粘液性の強靱な繊維は腕にも躰にも貼り付いてきた。触れた部分の皮膚にはりはりと密着し、絡みつき、次第に巻き込まれていく。口で呼吸し、一塊の橙黄の焔だけに照らされながら、やがて中に眠るひとを見た。裸かの膝を抱き、深い繭の眠りを眠る女を。娘は眼をみはった。
お あたし。あたしあたしあたしだ。」
 女は自らが安息する場所を繭の中に発見するのである。繭は眠りの場所であり、「パラス・アテネ」で示されていたように、そこから羽化し新生を遂げる場所でもあるのだ。

 

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山尾悠子『山尾悠子作品集成』(19)

2015年09月15日 | ゴシック論

 1980年に書かれた「破壊王」三部作は、本来は中編四作を連ねた連作長編として構想されたものだという。山尾悠子にしては非常に物語性の強い作品であり、その分山尾特有の想像力は影を潜めているとも言える。
『山尾悠子作品集成』に収められたのは「パラス・アテネ」「火焔圖」「夜半楽」と「繭」の四編である。もともと「繭」という作品は前三作と同じくらいのボリュームの「饗宴」という中編として書かれるはずであった。しかし山尾は自分に長編作家としての構成力がないということを自覚し、「饗宴」の完成を断念、替わりに「繭」という作品を仕上げた。
 だから、「繭」は「パラス・アテネ」「火焔圖」「夜半楽」とは文体も雰囲気もストーリーもまるで違ったものとなっている。確かに読み比べてみると、作品の密度といい、文体の華麗さといい、三作は「繭」に遠く及ばない。山尾悠子にストーリー・テラーとしての資質を求めては本当はいけないのだ。
 しかし「パラス・アテネ」だけは、彼女の特異な想像力を全開にしていて、怪しくも美しいイメージに溢れている。しかも「繭」に出てくる"人間を孕む繭"を先取りしているから、「繭」に直結する作品とみなすことも出来る。「パラス・アテネ」もまた、"繭"に収斂していく作品なのであるから。
「パラス・アテネ」は"繭"ともうひとつ"狼"の物語でもある。狼のイメージが全編を支配している。古代中国を思わせる舞台設定となっていて、領王の宮殿には狼だけが通ることの出来る門がある。
「――月と潮の満ちる夜、北の方、狼領と呼ばれる地より降りきたった豺狼の群は、月下の狼門をくぐる。"四つ足のものはこの門より入るべし"とかつて金文字を打ち込まれた真北の門、昼夜わかたず常に北方にむけてあけ放たれているこの狼門より馳せ下った狼群は都の大路を疾走し、雲間に照り翳りする月の光を波のように浴びて、声もなく四つ脚の影を石畳に踊らせたのだ」
 領地は狼に取り憑かれているのである。領地だけでなく登場人物も、あるいはこの作品自体も。そして狼のテーマに繭のそれが絡んでくる。「狼領に棲む一族が、人間でありながらその生涯に一度だけ繭籠もって変態を遂げる」という噂があり、その噂どおりのことがこの作品では起こるのである。一族の一人が繭化する場面は次のように描かれている。
「繭籠もる前の蠶の白蝋色、と二位(登場人物の一人)の言った――その潤んだ皮膚の上で、眉が溶けだしていた。睫が溶け、瞼の縁が柔らかく粘液を分泌して、見る見る両目が塞がっていく。熱を受けて煮とろけていく一本の蝋燭にも似たさまに、髪は皮膚に貼りついて平たい膜に変じた」
 このグロテスクな描写はすでに、山尾の「黒金」で我々が眼にしたものであり、「黒金」にも狼の死骸が出現していたことを思い出してもよい。そして「狼の中には繭から生まれ出るものもある」と登場人物の一人は言うのであり、ここで山尾は狼のテーマと繭のテーマを交叉させようとするのだが、あまり成功しているとは言い難い。
 二つのテーマを結着させるために山尾は、繭籠もる前の人間に現れる"赤狼斑"や"狼瘡"を持ち出すのであるが、やや強引に過ぎる。しかし、人間の繭化の場面は凄惨であると同時に美しく描かれる。
「はじめ、夥しい蜘蛛の巣かと思われたものは、すべて壁に天井にと縦横に張りめぐらされた、繭の重みを支えるための糸の束だった。破れた海藻にも似て、びっしりと仄白い微光を走らせる繊維の錯綜のそこかしこに、白い人身大の繭が数も知れず静まっている。灯もなく窓もないこの部屋にところどころ燐光が瀰漫しているのは、その繭の幾つもが新生の時を控えて発光しはじめているためだった」
この部分のイメージが短編作品となった「繭」で繰り返されることになる。

 

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巻口弘『満州柏崎村の記憶』

2015年09月10日 | 玄文社

 

 旧満州柏崎村開拓団慰霊式典実行委員会は8月29日の慰霊式典に併せて、巻口弘著『満州柏崎村の記憶――巻口弘の体験と子ども達の手紙』を刊行しました。玄文社が編集・制作を担当しました。四六判134頁。
 満州柏崎村開拓団は当時の国策に従って、1942年に柏崎市と柏崎商工会議所が中心となって送り出したもので、柏崎から200人以上の転業者とその家族が旧満州に渡り、122人が極寒の地で命を落としています。巻口弘さんはその一人で、8歳で家族とともに満州に渡り、終戦時のソ連の侵攻で悲惨な逃避行を強いられ、10年間中国残留の体験をされた方です。現在では唯一人の生き証人と言ってもよいでしょう。
 本書は巻口さんが柏崎市のコミュニティ放送「FMピッカラ」に出演して語った体験談と、市内の小中学校での講演後、児童生徒からもらった手紙とそれに対する巻口さんの返事、旧満州関係の年表を含む資料の三部構成になっています。巻口さんの履歴と満州柏崎村の年表は本書で初めてまとめられたもので、貴重な資料となっていると思います。
 非売品ですが、ご希望の方は巻口さんにお問い合わせ下さい。
〒945-1102 新潟県柏崎市向陽町3345-21 電話0257-23-1616

 

 8月29日の慰霊式典は、1988年に柏崎市赤坂山の市立博物館脇に建立された「満洲柏崎村の塔」の前で挙行されました。建立から毎年碑前祭が行われてきたのですが、10年前に休止となり、今年は戦後70年の節目ということで、柏崎市が実行委員会を組織して行われたものです。実行委員長は西川勉さん、巻口さんは副実行委員長を務めました。関係者や一般の方を含め約80人が参列して、犠牲者の霊を弔い、平和への誓いを新たにしました。

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山尾悠子『山尾悠子作品集成』(18)

2015年09月10日 | ゴシック論

「巨人」は1979年に書かれた作品で、その2年前1977年には「堕天使」という作品が書かれている。非常によく似た作品で、主人公もKという記号として登場するし、一方は堕天使、もう一方は巨人という設定の違いだけで、ストーリーにも共通性がある。
 堕天使Kにはセリという女マネージャーがついていて、Kの芸を〈社長〉に売り込むというところも「巨人」の設定と似ている。Kが〈社長〉を背中に乗せて飛び回るところも、「巨人」のKが偽の〈帝王〉を肩に乗せて巨大化する場面とよく似ている。
「堕天使」でKは、天使→堕天使→人間と落ちぶれていくが、そこが「巨人」との決定的な違いである。堕天使Kはセリが冷蔵庫に残していった大量の肉と野菜を腹に詰め込む時、その空腹感が人間に固有のものであって、天使のものではないことに気づく。Kの羽根はその時ごっそり抜け落ち、二度と飛ぶことが出来なくなるのである。
 Kは〈社長〉に対して飛行の謝礼を求めるが、社長は「わしはもう、君など必要としないのだよ」という言葉を浴びせ、セリがすでにKの替わりを調達していたことを知る。
「堕天使」で行使される山尾の想像力は、すべて人間的なスケールの範囲に収まっていて、いかに背中に羽根の生えた天使を登場させようが、その想像力の及ぶところは寓意の範囲に止まるものでしかない。
 この作品はジュニア小説として書かれたものだというから、山尾悠子にとってもどこまでも想像力を拡張させる場ではなかったのであろう。だから「堕天使」という作品は「巨人」という作品として書き直される必要があった。
「巨人」にあって山尾の想像力は人間的なスケールの範囲に止まることはない。山尾悠子の真骨頂である。人倫を超えた想像力の行使は、「巨人」を人間の物語にさえ止まらせないものがある。
 最後に「巨人」のKは「堕天使」のKと同じように空腹感を覚えるのだが、その空腹感は人間のスケールを超え出ている。
「その時、Kの体内に息を潜めていた底深い空腹感はたちまち胴の表皮に内接する一本の空洞にも似た空虚となってそこに大きな位置を占めた。人間の風景の中へと降りてきて以来人間の基準に合わせた食事でしか補充されていなかったその空虚は、今や食べ物であるか否かにかかわらず外界のすべてを吸引しつくしてしまうばかりに奥深いものと化し、それは空虚のかたちを取った巨人の寂しさとも思われた」
「堕天使」のKが冷蔵庫の中身を喰う空腹は、人間の空腹そのものでしかないが、「巨人」のKの空腹は人間の空腹を超えて、なにものかの象徴となりうるだろう。山尾の作品にあって、その人間のスケールを超えた想像力は、それが紡ぎ出す言葉に詩的な価値をさえ与えるだろう。最後に巨人Kが口にする言葉は次のようなものだ。
〈さしあたり、地上に出てから自分のなすべきことはまずその場のすべてのものを喰いつくすことだ。たとえそれが食べ物であろうと風景であろうとも〉
 巨人の内部の巨大な空虚は地上のすべてのものを喰いつくそうとするだろう。
それが彼の第一歩となるだろう。
 そして山尾の文章は単なる寓意に止まることなく、その特異な想像力によって文学のメタファーとしての価値を獲得するのである。

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