玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

長期入院と幻覚(16)

2016年10月31日 | 日記

 以上長々と書いてきたが、私が手術直後に見た幻覚と夢である。本当はまだまだあって、全部書いておきたいのだが、まとまりがないから読んでも面白くないだろう。少しだけ補足するならば以下のようになる。

「冷凍装置に拘禁」
 新潟県知事選のただ中である。私は6月の段階で新潟県の知事選に関心を持っていたらしい。選挙運動に参加している友人達がいる一方、私は興味はありながらも体が言うことを聞かない。仲間で新潟市に来ているのだが、私はなぜかある韓国人を候補に押している。日本国籍がなければ立候補など出来ないことを知らないのだろうか。
 何らかの結論が出たのかどうか知らないままに、会議が終わり、新潟市から柏崎市に帰ることになり、みんなで集まっていた建物の外に出るが、私は出口にあった冷凍装置に捕捉されてしまう。手足を固定されて十字架のように縦に拘禁されている。誰も私を助けようとしてくれない。

「病室の転移」
 病院内に居酒屋があって、しかもその居酒屋が病院内にありながら県外にもあるという背理に満ちた夢のことを書いたが、これもそれに近い。
 病院は越後湯沢かどこか県内の温泉地にあって、施設はまるでホテルである。私の病室は現在地から飛んでいって、そのホテルの一角に部屋ごと嵌められるのである。外を見ると雪が積もっていて、除雪車が出動している。まだ雪のシーズンには早いのにと思うのだが、ここの方が観光地で病院としても楽しいと思うのだった。
 ただし、ここも同じ病院の敷地内と意識されている。私が入院している病院は市町村の隔たりを乗り越えるくらいに大きいのだ。そのことに何の矛盾も感じないでいる。
 ロビーに行くと、近隣の施設の案内が掲示されている。ロープウエイや公園の案内の中に混じって、エロチックなショーのポスターが張り出されている。しかもそれは旅館の支配人をはじめとする男性だけのショーで、彼等は裸でポスターに写っている。「なかなか進んでいるな。さすが温泉地だな」とわたしは思うのだが、見に行く気は毛頭ないのだった。

 こんなところで、終わりにしよう。書いてしまったら、幻覚や夢の強度がいささか落ちてきたようで、私の中での再現性が薄れてきた。

 

(この項おわり)

 

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長期入院と幻覚(15)

2016年10月27日 | 日記

「両手手袋」のつづき
 両手手袋の夢をもう一つ見ている。こちらもなぜか親戚が絡んでくる。親族や親戚にすがろうという私の気持ちがよくでているように思う。
 私は合掌の状態で両手手袋をはめられ、ベッドに寝ながらあちこち救いを求めて出歩いている。親戚の女性を訪ねてその家を訪れるが、玄関先でいくら呼んでも女性は出てこない。とにかく拘禁状態で何も出来ないので、携帯電話で妻に連絡する。どうして両手が動かせないのに携帯電話をかけられたのかは不明である。どうやって移動しているのかも不明で疑問の対象とはならない。
 出てきてくれない。妻にも連絡が取れない。ここは諦めて、医院の看護師をしている女性のことを思い出したので、その医院を目指して移動する。
 医院に着くと受付で「手袋を外してくれ。何にも出来ない」と訴えるのだが、なかなか看護師の女性は出てきてくれない。ようやく奥の方から出てくると、私に向かって冷たく、「ダメです」のひと言。
 それはないだろう。こちらはベッドのまま病院を抜け出して来ているのに、手袋を外すくらい造作もないことではないか。医者も奥から出てきたので、手袋の件を訴えるが、どうも医者には権限がないらしく、私の訴えをよく理解出来ない風である。この医院の実権は医師ではなく、看護師が握っているらしい。
 待合室に入ってまた携帯電話で妻に来てくれるよう頼む。妻は「直ぐ行く」とのことで、妻には感謝しなければならない。待合室で、仰向けに寝ながら妻を待つ。だが、看護士の女性は見て見ぬふりをしている。
 この間の息苦しさといったら夢とはいえ、あるいは夢だからこそ、耐えられないほどである。私は手袋による拘禁の苦しさと、看護師のつれなさの両方に耐えていなければならない。
 とにかくここは妻が手袋を外してくれたので、私は解放される。しかし私は、私がなぜ両手手袋をはめられているのか、理解はしている。つまり、手術の傷跡を自由な手で引っかき回さないようにとの配慮からなのである。
 でも妻には感謝しなければならない。私は決して手術跡を掻きむしることなどしないからと言って、感謝の気持ちを表すのであった。

 

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長期入院と幻覚(14)

2016年10月25日 | 日記

「両手手袋」(拘禁夢2)
 たくさんの拘禁夢を見たが、一番不快だったのは「両手手袋」の夢であった。この夢は合掌した状態で両手にひとつの丈夫な手袋をはめるもので、言ってみれば手錠と同じである。手袋をはめられると両手だけでなく全身が動かなくなるから不思議で、実に効率的な拘禁具なのであった。
 私は病院のベッドから、街の中の地下室のようなところに連れて行かれて、身柄を拘束されている。私を拘束しているのは言うまでもなく女性である。それがどんな女性なのか私には分からない。彼女の手下の女性は直接私に接しているが、私を拘束している女性は姿を現さない。
 地下室に寝ていると、「親戚の人がお墓参りに来るからその時は起こして、解放してやろう」と担当は言う。私の家の墓は柏崎の街のど真ん中にあるから、現実を反映している。だから解放ということも真に受けて、おとなしく指示に従っているのであった。
 しかし、親戚が来る時間になっても解放される気配はない。「騙したな!」と私は思うが、なぜか地下室から 出て行くことが出来ない。そのうちに、私は両手手袋の刑に処せられてしまうのだった。
 十字架にかけられたような感じで、手袋だけなのに全身が動かせなくなる。革製ではなく布製のようだが、意外と頑丈で、どんなにもがいても外れない。この不快さは決定的で、私は思いっきりあらがうことになるのだが、いくらあらがっても手袋は脱げないし、「手袋を外してくれ」という私の叫びを聴いてくれる者はいない。
 私は直立した状態で手袋をはめられて、まるでこれから処刑を待つ殉教者のような姿で拘束されている。私を助けてくれるはずの妻や親戚もお墓参りに行っていて、私のことなど忘れているのだろうか?
 助けてくれるはずの人達に見捨てられているという認識がいかにも苦しい。その苦しみは解決の道がないため、永遠に続きそうである。しかも、私が本当は病院のベッドに寝ているのだということを意識出来ないために、この苦しみを合理的に納得することも出来ないのであった。
 両手手袋の苦しさは何とも言い様のないもので、私はもう一つの夢でもこの両手手袋に苦しめられるのであった。


 

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長期入院と幻覚(13)

2016年10月23日 | 日記

「拘禁夢」
 四六時中ベッドに寝ている病人にとって、入院生活は「拘禁」そのものであって、「拘禁」状態からの脱出という願望を夢に見ないわけにはいかない。多分それが最もありふれた夢であって、私もまたそのような夢を最も多く見たのである。
 最初に見たのはベッドから這い出そうとする私を、知り合いの女性に何度も何度も押し戻される夢である。「拘禁夢」に共通しているのは、私が病院のベッドに寝かされているという認識を持っておらず、ベッドに寝ていることが何か不当な扱いであるかのように思っているということである。
 私は何かよく知らない秘密の会合に、ベッドに寝たままの状態で行ってみることにする。会合はどういう訳か深夜に開かれていて、旧知の女性が二人ばかり私に対応する。私はベッドに縛りつけられたまま、会場に行っていて、会場をよく見るためにベッドの外に出ようとする。
 最初彼女たちは私と何かの取引をするようなそぶりで、愛想良く対応するのだが、次第に態度を豹変させていく。扱いも暴力的になっていくのである。
 二人の女は「ここは病院です。貴方は入院しているんです」と言って、私をベッドに押し戻すのである。私にはあまりにも綺麗で、豪華なその部屋が病院だなどとはとても思えないので、激しく抵抗するのだが、非力にもベッドに押し戻されてしまう。
 私は彼女たちが看護師でなどないことをよく知っているのだが、彼女たちは「私らは看護師で貴方の面倒を見ているのです」と言い張る。私は嘘つきの彼女たちに抵抗しようとして、ベッドから這い出そうとするが、どんなに頑張っても出ることが出来ない。
 そうこうするうちに部屋には家具の類が何もなくなり、殺風景になって、病院らしくなってくる。廊下に目線をやってみると、そこはまさしく病院の廊下ではないか。私は嘘つきの彼女たちによってではなく、自然にそこが病院であることを納得していく。
 最後にはそこが病院であること、私はベッドでおとなしく寝ていなければならないのだということを納得することになる。しかし、この納得の過程は私が見たいくつかの「拘禁夢」によってまちまちであったように思う。最後まで納得しない場合もあったのである。


 

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長期入院と幻覚(12)

2016年10月22日 | 日記

「天井夢」
 渋澤龍彦の天井夢について読んで、私自身の天井の夢をもう一つ思い出したので、紹介しておこう。それは夢とも幻覚ともつかぬものであるが、一応短いのと視覚的であることから、幻覚であったのだろう。
 天井は私にとって意味を読み取られるべき空間である。そのことは前に言った。天井パネルは小さめの単位に分割されているから、視界に入ってくる天井パネルは複数あることになる。それら複数のパネルがそれぞれ違った意味を持ち始めたらどうなるだろうか?
 それぞれのパネルが違った情報をもたらしてくるとしたら。実際にその時の幻覚はそうしたものであって、一枚にはお酒の宣伝のようなものを、もう一枚にはレストランの宣伝のようなものを読み取ることが出来た。
 なかなか鮮明にならずに歯がゆいのだが、徐々にパネルの一枚が画像と文字を組み合わせたお酒の宣伝になっていく。最初は静止画であったものが、徐々に動画になっていく。駅などにあるデジタルサイネージというのの天井版である。これはきっといつも仰向けに寝ている人のために開発されたのに違いない。
 パネルは一枚一枚独立した画像や動画を映し出していく。なかなかたいしたシステムである。私は「これは幻覚かも知れないが実用化されてもおかしくないシステムだ」などとおかしなことを考えている。

「天井夢」追加
「ゴシック・ロックの演劇」のところにも追加を思い出したので、これも紹介する。演劇が終わって、劇中で演奏された曲目の紹介が行われる。それが天井パネルを使った誠にスマートなものになっている。
 パネルの一枚一枚が一つの曲の紹介になっていて、曲目、改題、演奏者などが細かく書いてある。私は「うまい使い方だなあ」と思っている。トラバーチン模様の黒い図形が一つ一つ、細かい文字に置き換わってしかも大変効率よく配置されているのである。

 天井の夢は以上のようなものである。渋澤の天井に地図が現れたように、天井の模様は見る者にとって、どんなに突拍子のないものであれ、意味を持たざるを得ないのである。人間は夢にも幻覚にも意味を求める動物なのだ。

 

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長期入院と幻覚(11)

2016年10月21日 | 日記

「渋澤龍彦と術後の幻覚」
ちょっと私自身の幻覚や夢とは離れるが、書いておきたいことがある。現在私は国書刊行会の「新編日本幻想文学集成」を定期購読していて、第2巻を読み始めたところである。


 渋澤龍彦はじめ4人の巻で、渋澤が巻頭。最初の作品が「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」というのである。そこに私の場合とまったく同じようなことが書かれているのを発見したのである。幻覚の質も似ているが、なぜ闘病記を書かないで、幻覚のことなどを書くのかについても、私と同じことを言っている。以下のように。

「昨年(昭和六十一年)の九月八日から十二月二十四日まで、ほぼ三ヶ月半にわたって私は東京都内の某大学病院に入院して、思ってもみなかった下咽頭腫瘍のための大手術を受けたものであるが、いま、自分の病気について書く気はまったくない。そもそも私は闘病記とか病床日記とかいった種類の文章が大きらいなのである。そんなものを核くらいなら死んだ方がましだとさえ思っている。」

 こう書いた後、渋澤は手術後に見た幻覚について書いていくのである。彼もまた天井に見た幻覚から書き始めている。

「天井いちめんに地図がびっしり描き込んであるように見える。よく見ると東京都の地図らしく、何々区というような文字が記入してあるのまで見える。」

病人はベッドに仰向けに寝ているから、天井の幻覚をまず最初に見るのである。渋澤の見た天井にもパネル上に何か模様があったはずである。模様に触発される形で幻覚は生じるのだし、その模様に何を読み取ろうとするかによって、幻覚の内容が変わってくるだろう。
 そして渋澤は彼の病室の回転に恐怖するだろう。私の場合は私が見ている対象の部屋が90度回転したのであるが、渋澤の場合には自分の病室が回転し、彼は垂直に宙吊りになるのである。

「むしろ私を恐怖させたのは、二日目にあらわれた次のごとき新たな種類の幻覚である。それは幾何学的幻覚とでもういったらいいだろうか、それともトポロジカルな幻覚というべきか、四角い私の個室が九十度だけ傾斜するのである。つまり、それまで水平な床であった面が、いつのまにか垂直な壁の面に変わっているのだ。ふっと気がつくと、私のベッドは垂直な壁面に宙吊りになっている。」

 同じ手術の後とはいえ、これほどに似通った夢や幻覚を見るものだろうか。薬物の影響で似たような現象が起きるのだとは思わない。私は彼と私の間に体質的な類似点があるのだと考えている。私は彼の批評眼や審美眼を必ずしも高く評価しないが、彼が次のように書くとき、私との共通点を感じないではいられないのである。

「私は怪異譚や幻想譚を大いに好む人間だが、それでいて、あきらかにタイプとしては幻覚を見にくい部類の人間に属していると自分では信じていた。生まれてから一度として、幽霊もおばけも見たことがないのである。たとえばメリメのように、鴎外のように、私は怪異譚や幻想譚を冷静な目で眺めることを好んでいたし、げんに好んでいるわけで、ネルヴァルのような譫妄性の幻覚には自分はまったく縁がないと思っていた。」

 私もまた、渋澤と同じように今回まで自分をそのような存在だと信じていた。ただし、今回のことでそうした認識が変わったわけでは必ずしもない。幻覚や夢を冷静な目で、客観的に書いてみることに興味を覚えるのは私にも渋澤にも共通したことではないか。

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長期入院と幻覚(10)

2016年10月20日 | 日記

「天井生命維持装置」
後かたづけの夢は天井ばかりを見上げて暮らす入院患者にとっては、ありがちな夢なのであろう。ただし、後かたづけの夢もこれから紹介する「天井生命維持装置」の夢も突拍子もないもので、あまりにクリアで忘れることの出来ない夢の一つである。
 まず、私は大きな建物の最上階に担ぎ込まれ、相変わらずベッドの中で天井を眺めている。今回の天井はかなり変わっている。天井一面に触肢のような、あるいは管のような、どう見ても動物に由来する器官が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。それはゆっくりではあるが確実な速度である目的を持って蠢いている。
 視界の左上隅に裸の人物が膝を抱えてうずくまっている。蠢く管は彼に繋がっているのだ。管が彼に栄養分を与えていることが分かる。私にはこの人物が、意識など無くてもかまわないから、管につながれることによって、一定期間生命を保証されることに同意したということが分かっている。
そうしなければ死んでしまうということなのだが、意識が無ければ生きていても死んでいるのと同じことで、どうしてそんなことに同意したのか、私は不思議に思っている。
 管の量は半端ではなく、その蠕動はベッドに寝た私を圧迫する。時々垂れ下がってきて私に触れようとするが、決してそこまではいかない。何かの意識をそれらの管が持っているのではないかと思わせるものがある。
 突然視界の真ん中に部屋が現れる。かなり広い部屋で、そこでは一般市民向けのイベントが行われているようだ。なぜはっきりしないのかというと「鮮度抜群の居酒屋」の夢でもそうであったように、私がその部屋を真下から見ているのであるからだ。私にはそこに集まった人々の足の裏やお尻しか見えないのだ。
 このままではよく見えないので、視界をリセットする。そうすると視界が90度回転して、普通の角度から見えるようになる。親子連れなどが大勢集まっていて、やはり何かのイベントのようだ。「鮮度抜群の居酒屋」の時と同じように、視界が回転するのではなく、部屋が90度回転するのである。
 その部屋は蠢く管の集合の真ん中に四角く出現していて、何かちょうどモニターを見ているような感じである。それでもリセットによって部屋が90度回転するという認識に変わりはない。


 

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長期入院と幻覚(9)

2016年10月19日 | 日記

「自動あとかたづけ」
「ゴシック・ロックの演劇」の夢はまだ続く。演劇が終わった後のあとかたづけの様子が大変面白いのである。私はベッドに寝た状態で、後かたづけをじっと見ている。
 何が面白いのかというと、天井からアームが出てきて、演劇で使った小道具のようなものを、極めてシステマティックに片づけていくのである。ものすごく遅いのだが、人手はまったく必要としない。私は効率は悪いが正確で確実だからいいのではないかと思っている。
 アームが天井から降りてきて、小道具を掴み、同時に上から降りてきたアクリルの箱の中にきちんと収めると、箱は自動的に天井裏に収納されていく。その様子が大変良くできているので、私の目は釘付けになるのだった。
 ピアノなどの楽器もアームで掴んで、アクリルの箱に詰められていくが、ピアノのような重いものにどうして華奢なアームや、薄いアクリルの箱が耐えられるのかという疑問は湧いてこない。ただ片づけの行程があまりにも美しくて、うっとりするくらいなのだった。
 コードの類いの片づけに難があるということを知った。絡み合ったコードに対してはアームではなく、別のコードが繰り出されてきて、繰り出されたコードの動きに同調させることで、きちんと揃えて片づけるようになっているらしいが、それがなかなかうまくいかない。
 かたづけ用のコードとかたづけの対象となるコードの動きが、必ずしも同調することなく、お互いに敵対するかのように動き回るのである。しかも空中で。びゅんびゅんと音を立てて動き回る二つのコードの体系がお互いを牽制しながら、絡まってしまわないように振る舞う様子を眺めるのも楽しいものである。
 しかし、この闘いは永久に終わらないから、根本的にシステムが間違っているのだと思われる。それでも二つのコードの体系が絡み合うことなく空中で暴れ回る姿は極めて美しい。
 このコードの闘いの夢を私は3回ほど見ている。一度きりではもったいないほど美しく、スリルがあるから、何度も見たいという気持が働いたのに違いない。

 

 

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長期入院と幻覚(8)

2016年10月18日 | 日記

「ゴシック・ロックの演劇」つづき
研究はアメリカ80年代の同性愛文化に関するもので、直接的に肉体的な同性愛の暴力的傾向、というか自傷的傾向をテーマとしている。二人の同性愛者の自傷による傷口と傷口の接触、血と血の接触、それによってしか愛が可能にならないという残酷な同性愛のあり方が、描かれていく。
 その傷口はそれほど穏当なところにはなく、限りなくグロテスクで、残酷なのであるが、詳しく書くことが出来ない。思い出したくないからだ。彼の書いた本が床に転がっている。その本は普通の本の形をしていない。同性愛者の裸身が床に横たわって、本の替わりとなっている。
 この部分だけ夢の色彩がセピア色となっている。私の友人のそのまた友人の研究なるものが、夢の中に引用される形ともなっていて、そこだけ色が違うのは十分納得のいくところである。
 引用が終わると、場面は病室となって、私はベッドに寝ているのである。そこにゴシック・ロックのメンバーが訪ねてくる。4人組で、全員人間とは思えないような扮装をしている。彼等は私の友人の友人の研究を高く評価していて、私にまで感謝の意を表したいのであるらしい。
 だが、向こうは英語、こちらは日本語で言葉が通じない。ただ感謝の思いだけは伝わってくる。彼等は私の友人の友人のことについて、その研究が彼等に与えた大きな影響のことを言っているらしい。
 彼等はプレゼントとして私の友人に、彼の著書を置いていくつもりのようだ。ところがその本というのが馬鹿でかいもので、天地が人間の背丈ほどもある4巻本なのである。こんなものどうやって読めばいいのだと思うが、礼儀としてもらっておかなければならないだろう。彼等はその巨大な本を置くと、部屋を出て行く。
 しばらく私はこの夢を夢ではなく、実際にあったことと考えていたようだ。謎のゴシック・ロックのメンバーから本をあずかっているということを、私の友人に伝えなければならない。
 半信半疑ではあったが、このような実際にはありえない話を、現実にあったことと考えていた。まだ私のせん妄状態は続いていたのである。実際に私はこの件について私の友人に照会までしたのだから。


 

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長期入院と幻覚(7)

2016年10月17日 | 日記

「ゴシック・ロックの演劇」
次に何を紹介するか迷うところであるが、「鮮度抜群の居酒屋」に連続していた夢を取り上げるのがいいだろう。これから紹介する夢はあまりにリアルであり、忘れがたいだけではなく、一時はそれが現実であると思い込んでいたので、今回入院中の夢の中でも完全に別格であった。
 ゴシック・ロックというジャンルが存在する。70年代のパンク・ロックの精神を引き継いでいるようで、パンク・ロックよりももっとマイナーなジャンルである。しかし私はそれを聴いたことがない。どんなものかは想像がつくが、聴いたことがないから夢の中できちんと曲が演奏されることはなかった。
 例の居酒屋のとなりにいつのまにかミニシアターのようなものが出来ている。
そこでゴシック・ロックのバンドが主役をつとめる演劇(ロック・オペラのようなもの)が行われている。私はいつの間にかベッドを離れてミニシアターの入り口にあるカウンター席に座っている。
 オープニングはイギリスのゴシック建築が立ち並ぶ街の一角を映像で見せるという趣向である。ゴシックの尖塔が数多く聳えていて壮観であるが、塔はすべて病院の壁紙に見た青海波の模様で覆われていて、鱗状になっている。そこにバンドのリーダーが登場するが、彼もまた鱗状の青海波模様で頭まですっぽり覆われていて、人間ではなく蜥蜴かなにかのように見える。
 演劇はミニシアターの内部で開催されていて、それを観ることは出来ないが、時々出演者達の一部がカウンター席までやって来て歌を歌うので、それがどんなものかその一部を窺うことは出来るのだった。映像と役者による演技を組み合わせたオペラのようなものらしい。
 役者はそのほとんどが外人である。金髪が多い。役者についてはちゃんとした人間の姿をしていて、恐くはない。いつの間にかバンドのメンバーが主体になっていくが、彼等はすべて人間の姿をしていない。蜥蜴のような扮装を始めさまざまな恰好をして演奏するのである。
 出演者の一人が私にメッセージを運んでくる。私のある友人に今日の公演のことをきちんと伝えてくれというのである。この公演は私の友人のそのまた友人がアメリカ在住中に書いた、アメリカ80年代研究にすべてを負っている。その著者は若くして亡くなったが、我々はその著書をアメリカ研究の重要文献と捉え、著者に絶大な信任を与えている。この演劇も彼のおかげで成立しているので私の友人によろしく、ということであった。
 ここで、私の友人のそのまた友人のアメリカ研究が映像で紹介される。この映像が衝撃的で、私はそれを忘れることが出来ない。残酷で思い出したくない場面もあるが、ある程度は紹介しておくことにする。


 

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