玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

越後國柏崎弘知法印御伝記

2008年01月22日 | 日記
 一昨年十月、新道の飯塚邸で義太夫節「傾城阿波の鳴門」の弾き語りを聞かせてくれた五世鶴澤淺造さんが現在、大変壮大なプロジェクトに取り組んでいる。新潟を舞台にした人形浄瑠璃を三百年ぶりに復活上演させようというのだ。
 その浄瑠璃は「弘知法印御伝記」。貞享二年(一六八五)に出版されたが、七年後の元禄五年(一六九二)にドイツ人医師ケンペルが出島から幕府の禁を犯して持ち出した。日本には原本が残存せず、昭和三十八年(一九六三)に大英博物館で発見され、翻刻出版された。
 この浄瑠璃は旧寺泊町西生寺に、日本最古の即身仏として安置されている弘智法印の伝説をもとにした高僧の一代記で、なぜか外題の角書き(つのがき)に「越後國柏崎」と記されている。寺泊を舞台にした浄瑠璃なのに、なぜ「越後國柏崎」なのだろうか。当時柏崎が越後文化の発信地だったからではないかという説もあるが確かなことは分からない。
 鶴澤さんは、佐渡の文弥人形の遣い手・西橋健さんと「越後猿八座」をつくって準備を進めている。全六段の復曲(といっても、曲が残されているわけではなく、ほとんど作曲)はほぼ完成したが、人形づくりから人形遣いの練習や演出に、一年以上を要するということで、復活上演は来年の早い時期ということになりそうだ。
 鶴澤さんは来年、新潟市の「りゅーとぴあ」と柏崎で復活上演を実現させたいという。しかし、それは出発点にすぎず、鶴澤さんの夢は、世界各地での上演にある。海外の研究者も注目する古浄瑠璃の復活をもって、世界の演劇創造に貢献しようという夢なのだ。
 十四日に企画書を持って鶴澤さんは柏崎にお出でになった。その企画書には、推薦人として日本文学研究者のドナルド・キーン氏や「弘知法印御伝記」の出版に関わった早稲田大学演劇博物館元館長の鳥越文藏氏の名前が記されてあった。

越後タイムス1月18日「週末点描」より)


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世界一小さな美術館の館長さん

2008年01月22日 | 日記
 昨年暮れ、新年号の重荷から解放された十二月二十七日、「世界一小さい美術館」といわれる「すどう美術館」の須藤一郎館長と副館長の奥様に、柏崎にお出でいただいた。
 なぜ「世界一小さい美術館」かというと、須藤館長は会社勤務時代、菅創吉という画家の作品と出会い、どうしてもその作品を手に入れたくなり、「壺中」(一九七五)という絵を手に入れた。その後も菅創吉の作品を集め続け、自宅に美術館をオープンさせたのだった。
 それがNHKの「新日曜美術館」で紹介されると、日本中から菅創吉の絵を見に、連日大勢の人が引きも切らずに押し寄せたという。須藤館長は退職後、銀座に「すどう美術館」をオープンさせ、本格的にギャラリーとしての活動を始める。
 菅創吉展や出前美術館などの他に、若手の作家たちを育成する活動に力を入れてきた。銀座での活動は十年間続けたが、昨年夏「すどう美術館」は小田原に引っ越した。これからも須藤館長の活動は続いていく。
 菅創吉はあまり知られていない画家であるが、一昨年長野県東御市の梅野記念絵画館でその作品を見て、本気でまいってしまった。須藤館長が、菅創吉の絵によって人生を大きく変えてしまったことが、その場で納得できた。なぜこんなにすごい画家が知られていないのか、不思議で仕方がない。どうしても柏崎の人、新潟県の人に、菅創吉の作品を見てほしい。
 そんな気持ちで須藤館長に相談したところ、わざわざ柏崎にお出でくださったのだった。須藤館長の美術に対する情熱には敬服すべきものがあり、その審美眼も極めて正確で、いろんな勉強をさせてもらえそうだ。

越後タイムス1月11日「週末点描」より)


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