玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

派手な防災ショー

2009年10月31日 | 日記
 二十五日に比角地区で行われた柏崎市総合防災訓練に、住民の一人として参加した。朝八時三十分に「市内で震度6強の地震発生。比角地区の皆さんは避難を始めてください」との防災無線の放送に即座に対応。町内避難所の東柏崎駅前広場に向かう。
 向かうといっても、歩いて三十秒もかからない距離だから一番乗りである。しかし高齢者も多い。松葉杖をついてやっと歩いてくる人もいる。皆が“要援護者”の役をやるために、わざとやっているのだと思っていたら、コミュニティ祭りで本当に骨折したのだという。
 そんなことで、なかなかスムースな集合とはいかなかったが、九時十五分に最終避難所の第二中学校へ向かう。ここも目と鼻の先なので、訓練が始まるまで一時間近く何をするでもなく時間をやり過ごすことになる。どうにも臨場感もなければ緊張感もない。
 住民としての参加はここまで。あとは取材だ。市災害対策本部が設置され、ヘリコプターによる救出訓練など、派手なメニューのある比角小学校へ歩いて向かった。
 会田市長の挨拶に続いて、県防災航空隊によるヘリコプターでの救出訓練、消防によるエアーテントの設置、はしご車による屋上からの救出訓練、さらに自衛隊、消防による倒壊家屋からの救出救助訓練と続いた。
 よく訓練された人たちが、時間のロスなく整然と行動した。ヘリコプターから下げたロープをつたっての救助隊員の降下など見事なものだったし、エアーテントがあっという間に設置されるのにも目を見張った。
 まるで“防災ショー”を見ているようだった。確かに比角小学校では参加者のほとんどは訓練に参加することなく、“防災ショー”を見物していたのである。一方、二中では、バケツリレーや水消火器による初期消火、三階からの救助袋をつかっての避難体験など、多くの参加者が実際の訓練を体験した。煙を焚いての放水訓練は臨場感があった。
 派手な防災ショーよりも、そちらを取材すべきだったように思うし、防災訓練は“見物”に終わるべきではないように思った。

越後タイムス10月30日「週末点描」より)


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神様がやってきた

2009年10月31日 | 日記
 “その人”は突然のように柏崎にやってきた。越後タイムス社が事務局をつとめる「無心の表現者たち」展初日の会場で、“そろそろ閉めようかな”と思っていたその時、“その人”のご一家が兵庫県西宮市上甲子園から車で到着したのだった。
 二十四・二十五日あたりにお出でになると聞いていたので、びっくりしてしまった。“その人”はクリーム色のシャツにグレーの吊りズボン姿で、首には阪神タイガース応援グッズのタオルを掛けていた。「無心の表現者たち」の主要な作家の一人、舛次崇(しゅうじたかし)さんが、第一会場の游文舎にお出でになったのだった。
 ダウン症の舛次さんは、家族に付き添われて展覧会場に入ってきた。堂々たる体躯だが、動作が遅い。ゆっくり、ゆっくりと歩き、両手をひらひらさせたり、頭をかいたりしながら、自分の作品をしっかりと見て回る。終始にこにことうれしそうな表情を浮かべている。
 同展実行委員会のメンバーにとって、彼は“天才”と呼ぶにふさわしい存在である。こんなに光栄なことはない。“よくお出でくださった”という気持ちを表そうと、舛次さんに握手をしたが、何のリアクションもない。まったく会話もできないほどの重度の障害者なのであった。
 今回舛次さんの作品を二十五点、游文舎に展示したので、ほとんど個展に近い。これほどまとめて彼の作品が紹介されたことは、今までなかったという。彼の作品はスイス、ローザンヌのアール・ブリュット・コレクション館に数点収蔵されている。
 昨年ローザンヌで開かれた「日本のアール・ブリュット」展のポスターと図録の表紙には、舛次さんの作品がつかわれていて、ヨーロッパの人たちの注目を浴びた。それほどに見事な作品である。
 “巨匠”とも“神様”ともいうべき“その人”は、会場を一回りし、私どもの求めに応じて、実行委員会メンバーとの記念写真撮影に応じてくださった。“天使”のような表情で、彼はカメラにおさめられた。

越後タイムス10月23日「週末点描」より)


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バイクが象徴するもの

2009年10月31日 | 日記
 「浜のほうではなんかやってるようだども、おらみてな婆さんが行くとこではねえげだ」と、近所のお婆さんが話していた。この三連休に、みなとまち海浜公園で開かれたバイブズ・ミーティングのことを言っているのだ。
 この間、十七日からの展覧会の作品飾り付けに忙殺された。あちこち車で移動しているうちに、まちが大型バイクに席巻されていることに気付いた。ハーレー・ダビッドソンの雑誌「VIBES」が主催するお祭りに、日本中からバイク野郎が柏崎に集結しているのだった。
 大型バイクの加速音は、漫画などで表現される“ブロロォォオ”という感じそのままで、腹の底まで響いてくる。アイドリングの音も“タンタンタンタン”と低く、重い音を響かせる。この排気音に多くの男たちはしびれるのだろうと思った。
 一方、女性たちは「うるさくて嫌だわね」などと言い、「何のために集まっているのかしらね」などと厳しい。バイクに関しては、男女の興味の落差が大きいと感じたが、参加したライダーの中には、若い女性もいた。
 しかし、ほとんどが中年の男性である。ハーレー・ダビッドソンは車より高くて、一台一千万円以上もするらしい。だから所得の低い若者には、とうてい買うことができない。どうしても生活の安定した中年以上の男性ライダーが多くなる。
 そんなおじさんたちが、革ジャンを着て、ヘルメットをかぶり、サングラスを掛け、爆音を響かせて、まちを走り回るのだ。楽しくてしようがないんだろうなと思った。バイクのツーリングというものは一人孤独を噛みしめながらやるものと思っていたが、近頃ではこうして“群れたがる”傾向があるという。
 バイクといえば、映画「イージー・ライダー」を思い出す。バイクは“自由”を象徴し、二人のライダーは“自由”を忌み嫌うアメリカの保守的な住民に射殺されてしまうのだが、柏崎に集まったライダーたちは、いったい何を体現していたのだろうか。

越後タイムス10月16日「週末点描」より)


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けちけちしては駄目

2009年10月15日 | 日記
 シルバーウィーク中のある日、外出から戻ると、Tさん親子が自宅の前で右往左往している。何かと思ったら、家がどこかよく分からなかったらしい。Tさんは「山栗がたくさん採れたので食べてください」と、レジ袋に入ったたくさんの山栗を差し出すのだった。
 Tさんの娘さんはまだ小学生で、そういえば娘が小さい頃、一緒に山栗を採りに行ったこともあったななどと、感慨深く思い出すのだった。そんな家庭人らしい行動も、もう二十年近くも前のことになってしまった。
 ところで、山栗というのは生で食べてもおいしい。ただし虫が入っていることもあるから要注意。しかし、虫もタンパク質と思えば、どうということもない。山栗は栽培の栗より小さいが、甘味が強いので、生でも食べられるのだ。
 さて、この山栗でつくった栗ごはんが大変おいしいので、面倒でも剥かなければならない。大きな栗よりも剥くのが大変で、百個以上あった山栗を剥くのに二人で二時間もかかってしまう。でもそれだけの手間をかけるだけのことはある。
 その日の献立は栗ごはんときのこ汁と、言うまでもなくサンマの塩焼きということになった。秋の味覚満載といったところだ。栽培の栗にはない、深い香りと甘味が食欲をそそる。二時間も手間をかけたのに、食べるのはあっという間だ。
 三合の米に百個以上の山栗をぶち込んだので、ぜいたく極まりない、濃厚な栗ごはんに仕上がり、至福の思いを味わうことができた。けちけちしてはいけない。ごはんより栗の方が多いくらいにすると、ものすごくおいしい山栗ごはんを楽しむことができる。

越後タイムス10月9日「週末点描」より)


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目的地は文翔館

2009年10月07日 | 日記
 目的地は山形県山形市の「文翔館」。朝六時にカーナビ付きのワンボックスカーに乗って柏崎を出発した。自分の車には付いていないから、音声でガイドをしてくれるカーナビがとても珍しくて楽しかった。
 目的地に近づくまで、「この先を右に曲がれ」だの「左に曲がれ」だの案内してくれ、到着時刻まで予測してくれるのである。とても便利なものだと思った。しかし、古いカーナビだったようで、新しくできた道路を走る時には、画面上では田んぼの中を走っているように表示される。
 それより困ったのは、大事な山形市内に入ってからは、カーナビがすっかり無口になってしまい、何の案内もしてくれなかったことだ。あとは地図をたよりに走ったので、結局古いカーナビは何の役にも立たなかったことになる。
 市内の繁華街に入ると、正面突き当たりに歴史的建造物が見えてきた。これが目指す「文翔館」に他ならない。大正五年に再建され、国の重要文化財に指定されている、旧山形県庁舎である。遠目にも中央にそびえる時計塔が美しい。近づくと大理石貼りの重厚な建物であることが分かる。
 そんな建物の中で、第二回目の「ボーダレス・アート展in山形」は九月二十三日まで開催されていた。我々は、そこで展示されていた作品の一部を、今月十七日からの「無心の表現者たち~アール・ブリュットin柏崎」のために受け取りに行ったのであった。
 「文翔館」は広く県民に開放されていて、五つの会議室と八つのギャラリーなどが、割安で利用できる。歴史的建造物が、現役で活用されていることは、とてもいいことだと思った。
 「ボーダレス・アート展」の実行委員長に話を聞くと、山形市ではここしか大きな展示スペースはないのだそうである。県立美術館が二つもある新潟県とは大違いだが、それでいいのではないか。
 「ボーダレス・アート展」のスタッフは、東北芸術工科大学の学生をはじめ、若い人ばかりであった。「無心の表現者たち」展実行委員の平均年齢は五十歳台であるから、比較のしようもない。暗然たる思いに駆られてしまったが、老骨に鞭打って頑張るのみ。

越後タイムス10月2日「週末点描」より)


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