玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・レサマ=リマ『パラディーソ』(12)

2024年02月14日 | ラテン・アメリカ文学

 とにかくこの二人のペダンティスムは互いによく似ている。と言うか、博物学に関する部分では、レサマ=リマがデュカスの影響下に書いていることが明らかに示されている。アルベルト伯父の手紙は、それがデュカスの影響を受けていることを宣言するに等しいもので、それを明示するために書かれているのだから、当然とも言える。しかし、他にも『パラディーソ』には『マルドロールの歌』の博物学的ペダンティスムを意識して書かれていると思われる部分がたくさんある。たとえば第9章でのフロネーシスの長い議論の中から拾ってみるとすれば、次のような一節にその典型を見ることができる。

「木によじのぼる魚のひとつ、アナバス・スカンデンス〔キノポリウオ〕は、海岸線から百メートルも離れたところで、海洋ヨードによって肺の?が最大限にふくらんでいる状態で目撃されている。木に登る海牛とも言うべきこうしたスカンデンスの仲間には、口づけ魚と呼ばれている種類があって、それの面白いのは、円形の口をもう一匹の口にぴったりくっつける習性があるところだ。まったく愛の優美とは無関係に。」

 ここで「キノボリウオ」が学名で示されていることに注目しよう。前に紹介したように動物の名前は『パラディーソ』に頻出するが、学名で登場するのは多分ここ一箇所だけである。翻訳の問題が絡んでいるのではと言われるかもしれないが、ここだけ学名の後に〔キノボリウオ〕と訳者の注がついていることから、他の動物名で学名で出てくるものは、ここより他にないと思われる。
 面白いことに、『マルドロールの歌』でも、昆虫名が学名で出てくるところが一箇所だけある。第4歌にその部分はある。

「また茂みの背後に身を隠し、巣から頭しか外に見せないカミキリムシの一種、アカントフォルス・セラティコルニスよろしく、じっとしていた。女たちは潮が満ちるような速さで近づいてきた。地面に耳をつけてみると、はっきり足音が聞こえ、彼女たちの足取りが叙情的に揺れている様子が伝わってくる。」

『マルドロールの歌』には、観たことも聞いたこともないような動物名が頻出するが、特に学名の出現には、ペダンティスムのもたらす積極的な効果があると思われる。『マルドロールの歌』の世界が通常の日常世界ではなく、そこから遠く離れたところにあるという認識を読者の与える効果である。シュルレアリスムの用語で言えば、〝デペイズマン〟ということになろうか。
『マルドロールの歌』では、マルドロールが次から次へと様々な動物に変身していく場面が続いていくが、これは動物名を渡り歩く、博物学的逍遥とでも呼ぶべきものであり、動物名そのものが次々とデペイズマンの効果を持続させていくのである。ものの名または単語の持つイメージ喚起力は、読者を現実の世界から拉致し去って、はるか遠くの世界に連れていく。『パラディーソ』でセミーが、そのような単語の力に目覚める場面があり、それは次のように感動的に書かれている。

「ある日セミーは、コプト語の単語「タミエラ」を撫でまわしていた。これはわれわれの言語では、大きく異なった意味を持つさまざまな単語に分解されるものなのだ。複数の母音 のさえずりと、Lのよろこばしい口蓋音が流れるのだった。 タミエラ、それは彼には、笛(フラウタ)、沈黙(シレンシオ)、賢人(サビオ)、口唇的(ラビアル)、皮膚(ピエル)のように聞こえたのだった。しかし、今回、この言語的多面体は、地獄の根そのものを形成していた。多数の重なりあった鱗が、この泳ぐ言語的身体のきらめきを作っていた。タミエラが意味するのは、同時に、保留=慎重さ(レセルバ)、穀物倉庫、屋根裏窓、沈殿物、堆積物、宝物、便所、事務所、居室、住居、これらのすべてだった。この単語と初めて出会った夜には、それは彼には川の水に濡れた草の間をなめらかに這っていくヘビのように見え、それがゆっくりと通り抜けたあと、通過したところの落ち葉がパチパチと燃えあがりはじめ、その晩の残りをヘビはずっと身をかがめたルビー色の山猫のようにじっとしていたのだった。」

 



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