玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

私なら3人分よ

2009年09月23日 | 日記
 “にわかにかき曇った”と書いたが、実際にはそうではなく、女谷の気象は雲の様子で先が読める。市野新田方向の山から雲が上がって、風が吹き寄せてくる。黒い雲なら、間違いなく雨が近い。雲の下から青空が覗いていれば、晴れてくる兆候である。
 後援会理事の一人として、朝から会場準備に汗を流した。前日の雨で綾子舞会館前の芝はびしょびしょに湿っている。芝の切れ目では、ぬかるみ状態になっているところもある。長靴を履いてくるべきだった。
 濡れた芝の上を移動するものだから、三十分も作業をするうちにスニーカーは水浸し、靴下もぐちゃぐちゃになってしまった。気持ちが悪いが、水の中で作業していると思えば、どうということはない。
 ブルーシートを敷く段になって、強風が吹き始め、十数人がかりで抑えても〓られてしまう。お客さんに「重石がわりに乗ってください」と言うと、「私なら三人分はあるわよ」と自信たっぷりの恰幅の良い女性がブルーシートに座ってくれた。女性は強い(重い?)。
 今回は現地公開終了時には雨が上がったからよかったが、数年前に雨に降られた時は、大きなビニール袋を頭からかぶり、体育館から車を置いた所まで、土砂降りの中を走った。上半身は大丈夫だったが、下半身は川の中を歩いたようなありさまとなった。
 海岸部では大した雨は降らなかったそうで、同じ柏崎市でも気象が違う。特に女谷の地は、雨も風も激烈なように思う。四方を山に囲まれた谷あいの村に、豪雪をはじめとする激しい気象条件の中で、綾子舞が長く伝承されてきたことに、深く敬意を表したい。

越後タイムス9月18日「週末点描」より)


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生きているうちに花が貰えた

2009年09月23日 | 日記
 さもしい根性だが、かねがね美術作家の個展などを観るたびに、そこに寄せられる華麗な花を見て“うらやましいな”と思っていた。絵を描く人は、自分の絵に文字通り花を添えてもらえるわけで、“美術作家の特権だな”と思っていた。
 こちらは所詮、物書き。華やかな花とは縁がない。“多分、死んだ時にしか花など捧げてもらうことはないだろう”と諦めていた。死んでから花をもらっても、自分で見ることはできないから、もらわないのも同然である。
 しかし、長生きはするもの。遂に豪華な花をもらうことができたのだった。このほど出版した拙著『凝視と予感 美術批評への試行』の出版記念会を、仲間が八月二十九日にベルナールで開いてくれたのだ。いささか緊張しながら、会場を覗いてみると、正面にものすごい花が飾られている。
 “これはいったいどうしたことか”といぶかりながら、よく見ると、贈り主の名に“阪本澄子”とある。どこかで聞いたことのある名前だが、往年の歌手の名前ではない。拙著で取り上げた画家、故・阪本文男さんの兄であり、これもまた平成二十年に亡くなった故・阪本芳夫さんの奥様のお名前であった。
 心の底からうれしかった。『凝視と予感』は故・阪本芳夫さんの導きがなければ生まれることがなかったかも知れない。この本を最も読んで欲しかったのは、故・阪本芳夫さんに他ならず、その奥様から、あのような華麗な花をいただいたことが、無性にうれしかった。本を書いてよかったと思った。
 出版記念会はとても楽しい会だった。生花だけでなく、花束までいただいた。しかし、名前の分かるのは、ユリとバラくらいのもので、あとはその名も知らぬ花の数々であった。“豚に真珠”の諺もあるが、所詮、似合わぬ花々であったことは間違いない。

越後タイムス9月11日「週末点描」より)


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誰が壊した?

2009年09月11日 | 日記
 四年前のことを思い出す。あの郵政選挙が行われた年、選挙の前哨戦の最中、盲腸が破裂して腹膜炎となり一カ月の入院を強いられた。死線をさまよったというほどではないが、“あと一日発見が遅れていたら、どうなっていたか分からない”と、後に医者に言われた。
 脇腹に膿を出すための管を二本つけ、その痛みに耐えながら、選挙のニュースに注目していたことを思い出す。テレビには小泉元首相が出ずっぱりで、郵政民営化の是非を問うていた。もともと郵政民営化法案が参議院で否決されたため、イチかバチかで衆議院を解散して国民の支持を求めたのだった。
 しかし、郵政民営化の争点だけで、総選挙が行われるなどということ自体がおかしいと思っていたし、当時あまりにもマスコミが小泉元首相の演説ばかりを放送し、いわゆる“刺客”を面白おかしく報道することを、“ポピュリズム”を助長するものだと批判したこともあった。
 結果は自民党の歴史的大勝利に終わった。しかしその四年後、自民党は逆に歴史的な大敗北を喫することになった。この百八十度違った展開をどう受け止めればいいのだろうか。今回の選挙で小泉元首相は、引退を前に随分無責任な発言を行っていたように思う。
 八月一日の柏高同窓会で、共同通信社論説委員長の西川孝純氏は、小泉元首相が「自民党をブッ壊す」とまで言っておきながら、自らの後継者に二男を据えたことを強く批判し、小泉チルドレンといわれる議員たちの面倒を見なかったことを“要保護者遺棄罪”に該当するとまで言った。
 その意見に賛成する。今回の自民党惨敗の原因をつくったのは、小泉元首相その人である。小泉氏は自民党の歴史的大勝を演出したかもしれないが、逆に今回の総選挙で惨敗する大きな要因をつくった人でもあった。文字通り小泉氏が“自民党をブッ壊した”に等しい選挙結果であったと思う。

越後タイムス9月4日「週末点描」より)


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老後はここで

2009年09月11日 | 日記
 駅前復興公営住宅が完成し二十一日、一号棟の鍵渡し式が行われた。一号棟は越後タイムス同人が運営する、文学と美術のライブラリー「游文舎」のお隣りさんになる。
 鍵渡し式の取材の時、車を「游文舎」に置いて、一号棟、2号棟の脇を通り、式典が行われる高齢者支援施設まで歩いた。駅前復興公営住宅は全部で五棟、百四十戸分が建設されたが、各棟が雁木式の通路でつながれていることに気付いた。
 この雁木通りは、冬場の雪対策としてつくられたものであると同時に、入居者のコミュニケーションを図るための通路でもあるという。地域コミュニティ形成のための配慮がなされていることがよく理解された。復興公営住宅には、中越沖地震で自宅を失った多くの高齢者世帯が入居する。生まれ育った地を離れて、新しい環境に適応していかなければならない。そうした苦労には想像に余りあるものがあるだろう。
 しかし、駅前復興公営住宅の立地条件は高齢者にとって理想的とも言える。駅は近い、病院も近い、郵便局も、銀行もすぐ近くにあるし、買い物だって歩いて行ける。食堂もたくさんあるし、三年後には新市民会館も近くにオープンする。
 歩いてすべての用事が足せるということは、高齢者にとって理想的な条件で、「游文舎」を訪れる中年の人の多くは、「老後はここで暮らせたらいいな」と口々に言う。それほどに住むのに便利な場所と思う。すぐ近くに私設の図書館とギャラリーもあることを知っていただきたい。

越後タイムス8月28日「週末点描」より)


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