玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

巫女のような不思議な女性

2007年09月29日 | 日記
 十六日の越後タイムス社後援の催し、田川紀久雄「詩語りライブ」には、六十五人もの参加をいただき感謝している。定員四十人だったのに、無理に詰め込んで、ゴザに座っていただくようなことになり、申し訳なく思っている。新潟市からも、三条市、長岡市からも多くの人に来ていただいた。
 新潟や三条で詩の朗読会をやっても、近頃はほとんど人が集まらないそうで、三条の新潟県現代詩人会会長の経田祐介さんは「柏崎の文化的土壌があるからではないか」と言われていたが、本当のところは分からない。ただし今回、市外から来ていただいた方で、柏崎駅周辺で飲んで帰ってもらった人もいるので、震災復興に少しは貢献できたのではないかと思っている。
 三年前の中越沖地震の時には、あらゆるイベントが中止となり、火が消えてしまったが、今回は被害の甚大さにも拘らず、可能な限りのイベントは実行されている。しかも、民間主導のイベントが多く開催されていて、評価していいことだと思う。“不謹慎だ”などと思うべきではない。どんどんやればいい。
 ところで、田川紀久雄さんのパートナーとして「詩語りライブ」を行った坂井のぶこさんは、とても不思議な女性だった。ステージでは、まるで巫女のようであり、打ち上げで坂井さんが歌った「ほうせんか」を眼をつぶって聴いていたら、思わず涙が出そうになった。その歌声は被災者にとってあまりに美しすぎた。
 坂井さんから『中国古典詩考』という詩集をいただいた。「詩語りライブ」でも一部朗読されたものだが、杜甫の詩が多く取り上げられている。「国破れて山河在り」の「春望」はもちろん、杜甫が台風に襲われた時の「茅屋為秋風所破嘆」もあるし、災厄詩篇が多い。
 坂井さんは、千三百年前に、杜甫が現代の我々の災厄について書くように依頼されたのではないかと想像をめぐらす。平成十年に発行された坂井さんの『中国古典詩考』は、その後新潟県を襲った幾つもの災害を予見しているように読むことができた。まさに坂井さんは巫女のような詩人であった。

越後タイムス9月21日「週末点描」より)



私も被災者だ

2007年09月15日 | 日記
 十日に柏崎商工会議所で開かれた、柏崎産業復興会議の会場には三十点あまりの写真パネルが展示されていた。NSTカメラマンの篠原さんが「面白い写真があるよ」と言うので見に行ったら、自分が写っているのだった。
 七月十六日地震発生直後に、東本町三丁目の被害を取材に行った時のもので、写されていることをまったく意識していなかった。三井田保険部の小林克人さんと話をしているところが写っている。背後には、あの家屋倒壊のものすごい惨状がある。こうもり傘を片手に、うつろな眼をした被災者そのものであった。
 あの日、比角踏切の手前で小林さんに会った時、あまりの惨状に激しく動揺してしまったことを思い出す。実は動揺のあまり、写真を撮ることを忘れてしまったのだった。だからタイムス社の写真の中に、あのあたりのものが欠落している。
 ところで、被災者に間違えられたことが、仮設住宅入居申し込み開始時に、NHKニュースで流れた自分の映像の他に、もう一度ある。それは八月八日の天皇皇后両陛下の被災地ご訪問の時のことであった。報道として避難所に入り、両陛下が被災者を慰問される姿を追っていた時だ。
 代表撮影しか許されていなかったので、柏崎日報の田中記者と一緒に、ステージ下に陣取った。両陛下は避難所生活者の全員にお言葉を掛けて廻られていたが、ほとんど聞き取ることはできない。
 そのうち、皇后陛下が私どもの方に近付いてこられて、「あなたがたはどうなさいました」と言われるのであった。タオルを首に巻いた私と、田中記者が被災者に見えたのだと思う。私が即座に「報道です」と答えたら、皇后陛下はおだやかな笑いとともに、次のボランティアグループの方に向かわれたのだった。
 しかし、よく考えるまでもなく、私も被災者の一人なのだった。

越後タイムス9月14日「週末点描」より)



命知らずの本好き

2007年09月15日 | 日記
 地震後の混乱でご無沙汰しておりました。地震被害の状況を追うのに一杯でした。中越沖地震についてはいろいろ書いておかなければならないことがたくさんあるのですが、おいおい書いていくつもりです。

 今回の地震では、相当に危険な状態の建物の中から、さまざまなものが救い出されつつある。公仁会中央ライフセンター内に文学と美術のライブラリーをつくろうというプロジェクトに協力して、安藤食料品店の奥まで侵入して、大量の本を救い出した。
 奥のつきあたりに、半ば倒壊した土蔵があり、土壁は雨水を含んで重くなっているし、階段などは二階からぶら下がった状態で危険きわまりない。さすがに、そこに入る勇気はなかった。
 しかし、本好きの友人は平気で中に入って本を救い出してくる。「南方熊楠全集」もあれば、「内田百〓全集」もある。土蔵の奥には「菅江真澄全集」などという、読書家垂涎の貴重な全集が秘蔵されていた。「死んでもいいんですか」と聞いたら、「覚悟はできている」ときた。こんな命知らずの本好きもいるのだ。
 でも、人のことは言えない。四谷の小谷家の二階もすごかった。階段はグラグラしていて、二階に上がると床が時々揺れるのだった。だが、本を救い出している間は、恐怖というものを忘れてしまうのだ。ただし、この時は建築学者の“これ以上倒れることはない”という保証をもらっていたが……。
 中央ライフセンターの二階には、約二万五千冊の本が集められた。二人の友人の膨大な蔵書で、小さな図書館ができる。ごきょうだいの方も、「こんな形で本が活かされるならうれしい」と喜んでくださった。
 個人的にも大変うれしいことがある。二人の友人の蔵書の傾向には自分に近いものがあるから、“一生、本を買わないで済む”かも知れないのだ。
 何とか早く整理して、本好きの方々に公開したいと考えている。

越後タイムス9月4日「週末点描」より)