玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

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文化度の低さ

2013年10月22日 | 日記
 すべては平成二十二年の本紙新年号に、東京芸大名誉教授の新関公子さんが寄せられた「柏崎に品川牧場はありましたか?」という文章から始まった。その文章には、柏崎生まれの品川力、工兄弟のことが書かれていて、新関さんは二人が生まれた“品川牧場”が柏崎にあったのかと問うているのである。
 実は品川力が亡くなった平成十八年に、読売新聞社友の松浦孝義さんからあるコピーをもらっていた。それは、品川力という柏崎生まれの名物書店主がいて、その死を悼む週刊誌のコラム記事のコピーであった。そこには自転車に乗って本を配達する力の写真も掲載されていた。
 その時は“そんな面白い人がいたのか”と思い、そのうち調べてみようと思ったのだが、そのコピーを忙しさにまぎれて紛失してしまい、さらに紛失したことさえ忘れてしまうという最悪の事態となってしまったのだった。
 あの時、調べ始めていれば新関さんの質問にも答えられただろうし、もっと早く、現在博物館と人物館で開かれている品川兄弟展が実現していたかも知れない。新関さんの文章の後、松浦さんに聞いてみようと思った時は、すでに松浦さんが病に倒れられたあとであった。
 手がかりはないのかと思ったが、市立博物館の渡邉三四一さんに任せた方が早いと思い、兄弟展の実現を待ち望んでいたのであった。
 五日の初日に、工の作品を所蔵する練馬区立美術館の上山陽子さんの講演があった。上山さんは集まった四十人ほどの聴衆に、「工を知っていた人、手を挙げて」と言われたが、誰一人手を挙げる人はいなかった。六日には力の次男である純さんが人物館でギャラリートークを行い、同じ質問があったが、やはり手を挙げる人はいなかった。
 しかし、上越市の版画家である舟見倹二さんは、品川工と面識があったと言われるのである。しかも“美術の世界で知らない人はいない”とまで言われる。そんな重要な人を失念していたとすれば、柏崎人の文化レベルの低さを指摘されても仕方がないのではないか。私は自分自身を含めて“恥ずかしい”思いを禁じ得ないのである。

越後タイムス10月10日「週末点描」より)

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焼酎とスウィーツ

2013年10月22日 | 日記
 第三回国際ご当地グルメグランプリが十月五日・六日に開催される。事前取材で、その規模の大きさに驚いた。出店数はグルメが柏崎の鯛茶漬六を含めて五十七、物販の十をプラスすると六十七件にもなる。
 B級グルメあり、スイーツあり、イタリア料理やスペイン料理もある。二日間会場で食事をすれば、珍しいものが好きなだけ食べられる。新潟│柏崎間に臨時列車も運行されるし、同日の「なおえつ鉄道まつり」とも連携するというから、相当な入込が期待される。
 ところで十二日には同時開催の「菓子和咲スイーツ物語」に向けての試食会が行われ、参加させてもらった。スイーツは色とりどりで華やかで、美味しそうだが、酒飲みにはかなり抵抗がある。世の中にはチョコレートを酒の肴にする人もいるそうだが、そんな大胆なことはできない。
 だから最初は、焼酎をいただきながら、スイーツではなくイタリアンの方ばかり食べていたのだが、与えられたアンケート用紙には書き込む欄が二十もあって、料理だけ食べていたのでは、とてもアンケート用紙を埋められない。
 途中から義務感を感じてしまい、スイーツに切り替えて、生真面目にアンケートを記入していった。さすがにケーキには手が出なかったが、羊羹も食べた。酒をつかったチョコレートやチーズ菓子も食べた。マカロンまで食べた。
 しかし、懸命に食べても、なかなかアンケート用紙は埋まらない。「もうギブアップだ」と思った頃には、いささか気持ちが悪くなってきた。焼酎にスイーツは絶対に合わない。翌日もお腹の調子がよろしくなかった。本番では気を付けなければならない。

越後タイムス9月25日「週末点描」より)

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品田正伸さん追悼

2013年10月21日 | 日記
 柏崎日報記者の品田正伸さん(56)が八月二十六日に亡くなった。取材が重なることもそう多くはなく、それほど接点があったわけではないが、悔しくてしかたがない思いがある。
 品田さんとの接触は、もっぱら演劇にまつわる場面に限られていた。平成十六年に、劇団THE風FOUが二十周年記念で唐十郎の「盲導犬」を上演した時、私はその出来の良さに瞠目せざるを得なかった。品田さん演出による演劇を初めて見せてもらった貴重な機会だった。
 演劇が大好きな人だった。東日本大震災直前の平成二十三年二月末に、タイムス創刊百周年記念で行った「鬼灯」公演の時には、いろいろ手伝ってもらった。打ち上げで実行委員だけで飲んだときも、深更に及ぶまで激しく飲んだ。「楽しくてしょうがないんだ」という言葉を忘れられない。
 その後、三月十二日に反省会を行うというバカなことをした時も、付き合ってくれた。その時は、テレビの画面で福島第一原発1号機の水素爆発を一緒に目撃することになった。つらい日だった。
 そういえば、「鬼灯」の公演は、東日本大震災の直前であった。その前に「鬼灯」の主人公である島秋人の歌稿が大量に発見された時にも、品田さんは私が預かった歌稿を見に来られたことを思い出す。
 昨年四月に「游文舎」で阿藤智恵さんの「しあわせな男」(劇団THE風FOU)の公演をやった時も、またまた手伝ってもらった。打ち上げで劇の出来について的確な評価をされた言葉もまた忘れられない。
 公演の翌日、阿藤さんも含めて市内某所の山菜の宝庫に案内した。品田さんは山菜採りなど初めてだったのか、えらく興奮していた。いくらでもあるゼンマイやタチシオデ、ネマガリタケやタラの芽に喜んでいる様子が手に取るように分かった。その時行った仲間の中で一番はしゃいでいた。
 その後の五月二日に彼が書いた「柏崎抄」に、その時の興奮ぶりがよく表れている。今年のシーズンにも彼を連れてそこに行こうと思ったが、果たせなかった。来年こそと思っていたが、それも果たせなくなった。残念でならない。
 ご冥福を祈りたい。

越後タイムス9月10日「週末点描」より)

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