玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

永井荷風研究家

2010年08月23日 | 日記
 東京の坂巻さんという方から、藤蔭静枝のことを調べているので、古いタイムス紙をコピーさせてほしいとの電話があった。事務所には、古いタイムスの号はあるにはあるが、段ボールに詰め込んであって、目的の号を取り出すことは不可能だ。ソフィアセンターでコピーするようアドバイスさせてもらった。
 その坂巻さんが九日に柏崎にやってきた。仕事の関係で直江津に来る用があり、ソフィアセンターでタイムスをコピーされた後でお会いした。坂巻さんは定年後の楽しみとして、永井荷風の研究を続けているのだった。藤蔭静枝は永井荷風が唯一人、結婚した女性である。
 新潟市生まれの静枝は、日本舞踊・藤蔭流の創始者として活躍し、戦時中は柏崎に疎開していた。そのために柏崎との縁も深い。聞けば、坂巻氏の母親は、静枝の弟子だったのだそうで、そんなこともあって、荷風の研究を始められたようだ。
 定年とはいっても、まだ少し仕事はされているそうで、月に一度は直江津に来るという。多少の仕事をしながら、のんびりと永井荷風の研究をするなんて、大変羨ましいことだと思った。自分にもそんな日が来ることを願っている。
 坂巻さんを、游文舎の「岩下コレクション展」にお連れして、岩下鼎さんに紹介したら、岩下さんのお姉さんも東京で藤蔭静枝の弟子だったのだという。思わぬ偶然に、私までびっくりしてしまった。
 游文舎に置いてあったドナルド・キーン氏講演会のチラシを見た坂巻さんは、永井荷風の文章を高く評価したドナルド・キーン氏の講演を聞きに、来月十一日に、再び来柏されるという。日本文学をアメリカに紹介した人に与えられるドナルド・キーン賞を昨年受賞した、Jeffery Anglesという人と友達だという。再会が楽しみだ。

越後タイムス8月13日「週末点描」より)

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人体で涼を

2010年08月23日 | 日記
 連日猛暑が続いている。各地では最高気温が三十五度を超える“猛暑日”の連続が伝えられているが、幸い柏崎はそれほどの気温になることはない。しかし、それでも熱中症で病院に搬送される人が後を断たず、ついに三日、死者の発生に至った。
 熱中症の症状は、頭痛、眩暈、吐き気、体温上昇などで、暑い室内にいるだけでも脱水状態となって、熱中症になってしまうことがあるという。五年前のちょうど今頃、腹痛と吐き気で、医者に診てもらったら、熱中症との診断で、「水をいっぱい飲め」と言われ、苦行のように水をガブガブ飲み続けたことを思い出す。
 結局その後、腹膜炎であることが分かり、大手術の末、一カ月の入院を強いられた。暑い夏がやってくると、あの時の体験が思い出される。猛暑は入院生活の記憶と深く結びついているのだ。
 七月二十一日には、群馬県館林市で三十八・九度、同二十二日には岐阜県多治見市で三十九・四度の最高気温を記録した。多治見市は埼玉県熊谷市と「日本一暑いまち」を競い合っていて、マスコット・キャラクター「うながっぱ」でアピールしている。
「うながっぱ」は猛暑の中、熱中症防止を訴えているそうだが、そんな危険なことはやめてほしい。猛暑日に着ぐるみをまとったら、どんなことになるか、自分が一番分かるでしょうに。
 ところで、三十九度などと、人間の体温より気温が高い時には、人間同士裸で抱き合ったら“涼がとれる”ことに理論的にはなるが、試してみる気にはならない。

越後タイムス8月6日「週末点描」より)

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はたよしこさん来柏

2010年08月23日 | 日記
 現在、フランスはパリのアル・サン・ピエール美術館で開かれている「アール・ブリュット・ジャポネ」展を企画した、はたよしこさんが九カ月ぶりに来柏されることになり、再びお目にかかることができた。
 県内のアール・ブリュット作家の制作ぶりを実見にお出でになったようで、柏崎では昨年の「アール・ブリュットin柏崎」で注目された、我らが西須奈津子さんが絵を描くところを見に、ギャラリー「十三代目長兵衛」を訪問された。
 久し振りに奈津子さんが描くところを見せてもらってびっくりした。短い間に長足の進化を遂げている。昨年の展示では奈津子さんが驚くべきスピードで同じ絵を繰り返し、繰り返し描いていることを強調する展示を行ったが、その“繰り返し”が影をひそめているのだ。
 近作は、技術の向上と、観察眼の鋭さ、そして明らかにしっかりとした構成力を示していた。アンパンマンを描いてばかりいた頃の子供っぽさはなくなり、思わず“ゾクッ”とするような恐さを感じる表現に出会うこともできた。早く個展を開いてほしいと思った。
 ところではたさんが「アール・ブリュット・ジャポネ」展のオープニングに、肺炎にかかってしまって出席できなかったことは前に書いた。その後もまだパリに飛んでいらっしゃらない。十月にパリにツアーを組んで行かれる予定だという。
 ジャポネ展は、パリ中の評判で大盛況だと、現地からの報道は伝えている。はたさんは、放っておくと、作品が売買の対象になりかねない現状を懸念されている。ヨーロッパのコレクター達は、日本のアール・ブリュット作品を虎視眈々と狙っているのである。

越後タイムス7月30日「週末点描」より)

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日本一のシャッター通り

2010年08月23日 | 日記
 叔母の病気見舞いで前橋へ。前橋は暑い。群馬県が暑いのは東京の熱気が風で吹き寄せられるからだとの説があるが、本当だろうか。その日は熱風が吹き渡っていて、そんな説を信じさせるに十分な暑さだった。
 見舞いを済ませ、食事でもしようと路線バスに乗って前橋駅へ向かう。病院でバスに乗ったのは自分一人。その後、前橋駅までの二十分間、乗客は他にもう一人いただけだった。これが県都の中心部に向かうバスだろうか。
 駅に隣接して、イトーヨーカ堂の大きなビルが建っている。しかし懸垂幕を見てびっくりした。「閉店売り尽くしセール。二十二年間大変お世話になりました」と書いてあるではないか。八月末をもって、ヨーカ堂は閉店するのだという。
 駅前通りは、幹廻り二~三〓はあろうかという巨大欅の並木通りになっていて、昼でも暗い。欅が日蔭をつくってくれてありがたいが、行けども行けども食堂もなければレストランもない。居酒屋ですらほとんどない。駅前商店街で開いている店は数えるほどしかなく、壊滅状態である。
 地元の人によれば、“日本一のシャッター通り”としてテレビで放送されたこともあるのだという。シャッター通りといっても、シャッターもない古い店舗が軒並み閉じているし、駅前のホテルも閉鎖され、ビルの窓は“テナント募集”の表示だらけであった。衰退の歴史には古いものがありそうだ。
 群馬県は昔から自家用車が多く、“車社会”が進展していた。スーパーだけでなく、レストラン等の郊外化も進んでいた。しかし、県都の駅前がこんなありさまとは思ってもみなかった。駅前通りはまるで大欅公園のようであったが、それはそれでたまに訪れる者にとっては安らぎの空間でもあった。

越後タイムス7月23日「週末点描」より)

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