玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

Ann Radcliffe The Mysteries of Udolpho(11)

2016年03月21日 | ゴシック論

 しかし、まだこの小説の山場は続く。おそらく第2部第25章、26章が『ユドルフォの謎』の最大の山場となるだろう。
 エミリーは城の門番のバルナルディンBarnardine(イタリア人の名前、この読みでいいのだろうか?)という男が、エミリーに大事なことを話したいと言っていることをアネットに告げられる。とても人相の悪い男で、エミリーはその男のことを嫌っていたが、重要な情報を持っているかも知れないとの思いで、会見に応じる。
 バルナルディンは、モントーニ夫人は生きていて、中庭の大門の上の部屋に監禁されていることをエミリーに教え、翌日の深夜に城の裏門に来れば、夫人に会わせると言うのだった。
 エミリーは門番の言うことが本当なのか、彼に騙されているのではないかどうか判断に迷う。約束の時間が迫ってきても行こうか行くまいか迷うのだが、結局叔母を気遣う思いに負けて、彼女はアネットを従えてそこに行くことにする。
 門番はエミリーを廃墟となった礼拝堂に導き、そこから二人は迷路のような道筋を辿って大門の所まで漸く辿り着く。その間のエミリーの疑惑と恐怖は、崩壊した建物(正にゴシック的な)への恐怖と相俟って増幅されていく。
 こんな"道行き"をどこかで読んだことがあると思ったら、それはマシュー・グレゴリー・ルイスの『マンク』における、地下納骨堂の場面であったことを思い出した。
 そう言えばラドクリフはルイスの若干先輩にあたり、ルイスはこの『ユドルフォの謎』を読んで衝撃を受け、わずか10週間であの怪作『マンク』を書いたのだという。私はラドクリフを読むまで、ルイスがゴシック小説の枠組みを完成させたのだと思っていたが、実はそうではなく、『マンク』に決定的な影響を与えたラドクリフこそが、ゴシック小説の基本的な枠組みを完成させた作家であったのである。
 もちろんその原型はウォルポールの『オトラント城奇譚』にあるとしても、主要なゴシック的枠組みを決定し、揺るぎないものとし、後世に大きな影響を与えたのはルイスではなく、ラドクリフであったということになる。
 第26章の"悪漢に導かれての恐怖の道行き"の場面は、ゴシック小説の基本的な要素の中でも最も重要なものとなっている。後のチャールズ・ロバート・マチューリンもこれを踏襲しているし、20世紀の作家でさえこのような場面を多く描いている。
 あるいはE・T・A・ホフマンがルイスの『マンク』に影響されて、あの偉大なゴシック小説『悪魔の霊酒』を書いたことを思い出せば、『悪魔の霊酒』にもこのラドクリフの『ユドルフォの謎』の幾分かは反響していることになるはずである。
 だからこの作品がいかに欠点の多い作品であったとしても、そうした文学史的な重要性を見逃すことは出来ないのであって、ルイスの『マンク』についても同じことが言えるだろう。『マンク』もまた、極端な扇情性とご都合主義によって多くの欠陥を持った作品ではあるが、文学史的な重要性は失われることはないのである。
 しかし、細かな情景描写や、決定的な山場の描き方においては、ルイスよりもラドクリフの方が上である。ルイスは民衆の暴動と修道院の崩壊という大団円の場面を、まるでスカスカの文章で、それこそあらすじを書くようにしか書けなかったのに対して、ラドクリフの方は違う。
 続く、エミリーが大門の上の部屋に叔母の死体を発見する場面は、相当に迫真的なものがあって、正直いささか私も昂奮を覚えたことを白状しなければならない。拷問の道具が所狭しと置かれたその部屋の一隅にカーテンが引かれていて、エミリーはそれを上げて血にまみれた叔母の死体を発見し、そこで気を失うのである(実はそれは叔母の死体ではなかったのだが、それはまた後の話)。

It seemed to conceal a recess of the chamber; she wished, yet dreaded, to lift it, and to discover what it veiled: twice she was withheld by a recollection of the terrible spectacle her daring hand had formerly unveiled in an apartment of the castle, till, suddenly conjecturing, that it concealed the body of her murdered aunt, she seized it, in a fit of desperation, and drew it aside. Beyond, appeared a corpse, stretched on a kind of low couch, which was crimsoned with human blood, as was the floor beneath. The features, deformed by death, were ghastly and horrible, and more than one livid wound appeared in the face. Emily, bending over the body, gazed, for a moment, with an eager, frenzied eye; but, in the next, the lamp dropped from her hand, and she fell senseless at the foot of the couch.

 

挿絵より(確かに女性の死体ではない)

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Ann Radcliffe The Mysteries of Udolpho(10)

2016年03月17日 | ゴシック論

 とにかくスピードを上げないと、いつまでたっても、日本語の本が読めない。夜になると辞書を脇に置いてThe Mysteries of Udolphoを読み出してから、もうひと月半が経っている。英語の文章の読解が面白くて日本語の本を読む気がしないのだ。
 ということで一気に24章まで進んで、第1巻を読み終わることが出来た。20章から24章まではこの小説の大きな山場であり、話の展開にもスピード感があり、読む速度も自ずと上がってくるのである。
 モントーニは妻に対して妻の領地を譲渡する書類にサインするよう執拗に迫る。破産しているモントーニはそこまで追いつめられているわけで、エミリーの叔母と結婚した目的もそこにあったのである。
 再三にわたる脅迫にも拘わらず、夫人はそれを頑強に拒み続ける。ついにモントーニは「サインしなければ城の小塔に閉じ込める」とまで言って彼女を脅す。叔母の苦しみを知ったエミリーは「身の安全のためにモントーニの言うとおりにした方がいい」と忠告するが、叔母は頑として聞かない。
 なぜか? 叔母は自分の死後、その領地がエミリーに相続されることを強く望んでいるからである。あれほど自分勝手で、軽薄で、派手好きだった叔母は、ここで悔悛の情を見せているのである。エミリーの善意にほだされて……。彼女の「お前は私が期待していなかった美徳を見せてくれた」You show a virtue I did not expect.という科白はなかなか泣かせるものがある。
 このあたりも極めてメロドラマ的な展開であるが、それはゴシック小説につきものなのであって、ラドクリフだけに特徴的なものではない。しかし、ラドクリフはそれを極端にまで押し進めたとは言えるだろう。
 さらに、"活劇"も待っている。ある日、城に大勢のよそ者達strangersがやってくる。彼らは全員馬に乗り武装している。モントーニは何か良からぬことを企んでいるらしい。召使い達はモントーニが「盗賊の親玉になるつもりだ」とまで言っている。
 彼らとの宴席でモントーニがワインで乾杯しようとした時、グラスが粉々に割れてしまう。なんとそのグラスはヴェネチアングラスで出来ていて、毒を入れると割れるように作られていたというのだ。誰かがモントーニを毒殺しようとしたのである。
 しかし、毒を注ぐと割れてしまうグラスなどというものがあるとはとうてい思えない。このあたり、あまりにも不自然なご都合主義と言わざるを得ない。
 モントーニはワイン係の召し使いが夫人の指図でやったと白状したとの証拠を突きつけて、夫人を捕らえさせどこかへ運び去る。多分城の小塔に閉じ込められたのである。
 エミリーは夜になってから、叔母の居所を突き止め、救い出すために城の内部を探索する。恐怖と不安に打ち勝って、あれほど自分を虐げ、ヴァランクールとの結婚まで妨げた叔母のために、そこまでしなければならないのだろうか。
 しかし、彼女は彼女の美徳によってそうしなければ、ストーリーは前に進まないのである。メロドラマの宿命である。エミリーは小塔に上る階段に血痕を発見し、叔母がそこで殺されてしまったのだと思い込むだろう。
 叔母を発見できずに自室に戻ったエミリーは、あの"妙なる音楽"を耳にする。あの日父と共に真夜中に聴いた、どこから聞こえてくるのかも分からないあの音楽を。
 だれか長い間この城に幽閉されている人物がいるに違いない。ということで再び謎が繰り返され、その音楽を奏でる囚人が誰なのかが、近々解明されるだろうという期待を抱かせて第1部は幕を閉じる。

 

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Ann Radcliffe The Mysteries of Udolpho(9)

2016年03月12日 | ゴシック論

 また、エミリーが自分の部屋の中に発見する、階段へとつながるドアは、寝る前にはかんぬきが壊れていてよく閉まらなかったのに、朝起きてみるとちゃんと施錠されているという超自然的な謎も仕込まれていて、『ユドルフォの謎』はどんどんゴシック小説らしくなっていく。
 ある夜、そのドアから何者かが侵入してくる。幽霊の出現だろうか。ゴシックの古城に幽霊が現れるというのは、ウォルポールの『オトラント城奇譚』以来極めてありふれたものだが、ラドクリフは超自然的なものを超自然的なものとして描くのではない。そこにラドクリフの新しさを見ることも出来る。
 侵入者は、突然ヴェニスから姿を消したモントーニとエミリーを、怒りに駆られて追ってきたモラーノ伯爵なのであった。モラーノ伯爵はエミリーに、モントーニがエミリーを"金銭で売ろうとしていた"ことを伝え、彼の犠牲になるよりは、今すぐここから一緒に逃げようと迫るが、エミリーはそれを拒否する。激情に狂ったモラーノはエミリーに"モントーニを愛しているのか?"とさえ疑う。
 騒ぎを聞きつけたモントーニがエミリーの部屋にやって来て、モラーノと口論となり、剣を抜いての乱闘となる。モラーノは瀕死の重傷を負い、エミリーにこれまでの強引さを謝罪し、「貴女のことを諦める」と誓う。
 エミリーはこうしてモラーノの重圧から解放されるわけだが、モントーニの支配からはまだ抜け出すことは出来ない。しかも傷ついたモラーノが、モントーニの"もう一つの殺人"を仄めかした言葉に、不吉な予感はさらに募るのであった。
 モントーニは血も涙もない徹底した悪漢として描かれている。エミリーに対して有無を言わせぬ強権を振るうモントーニは、家父長的権威の象徴であり、ユドルフォ城はモントーニの邪悪な意志が投影された恐るべき幽閉装置なのである。
 ここでクリス・ボルディックが、アン・ラドクリフに始まる女性ゴシック作家について言っていたことを思い出さなければならない。ボルディックは次のように書いていた。
「女性がゴシック小説をこのように忍耐強く書き続けるのは、なぜか。その理由が、ポスト専制体制の権利として男どもが享受した経済的、法的、個人的安寧を、現代社会が女性に対しては、相対的に見れば確保できていないことに関係している確率は、かなり高い」
 つまり女性の方が、家父長的権威に代表される社会的抑圧を男性よりも多く受けているのであり、そのことが女性作家に連綿とゴシック小説を書かせる要因となっているのである。
 ラドクリフが荒唐無稽な小説を書いたにすぎないとしても、彼女がそうした作家達の鏑矢であることに間違いはない。だから今日、ラドクリフの作品をフェミニズムの視点から評価し直そうというような議論も行われているのである。
 もう一つボルディックが言っていたことに「文学におけるゴシックは、実は反ゴシックである」ということがある。いかにゴシックの古城を舞台とし、それにsublimeなものを感じとろうが、ラドクリフはそうしたゴシックの強圧的権威に抵抗する女主人公を描いているので、ゴシック的なものを良しとしているわけでは決してない。
 しかし私はそのようなフェミニズム的議論に与するつもりはまったくない。ゴシック的心性はボルディックの言っている要素を持ってはいるだろうが、それだけでは片づけられない部分がある。反ゴシックといえども、ゴシック的なものがオブセッションとして作家の内に胚胎されていなければ、決してゴシック小説は書かれ得ないということは前にも書いた。
 そうした意味でラドクリフの作品には、そのような衝迫力が欠けていて、陳腐な印象を免れない。結局フェミニズム的な思想が小説に現れているかどうかというようなことは、小説の評価に直接関わる部分ではない。小説が小説としていかによく書かれているかということ以外に、小説作品を評価する重要な基準はない。
 だからこれからも『ユドルフォの謎』について、読み進めながら作品の欠陥を指摘していくことになるだろう。ただ英語にも慣れてきたことだし、少しスピードを上げないといけない。

 

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Ann Radcliffe The Mysteries of Udolpho(8)

2016年03月11日 | ゴシック論

 忙しさに紛れてしばらく間を空けてしまったが、第17章、18章、19章まで進んできて、第1巻もあと5章を残すのみとなった。
 この間英宝社から出ている『古典ゴシック小説を読む』を参照することができた。この『ユドルフォの謎』のあらすじや人物相関図が載っている。人物相関図には登場人物の日本語読みがなされていて、おおむね私の読みが正しいことが分かった。
 ただし、Quesnelを"ケスネル"と呼んだのは間違いで、フランス語読みだと"ケネル"となるらしい。sは発音しないのだ。ところで登場人物の名前を完全に英語読みしている解説書もあり、Valancourtは"ヴァランコート"などと読まれている。
 当時の英国人の読者はどう読んでいたのだろうか。タイトルからしてユドルフォ城はイタリア人モントーニの城なので、イタリア語で"ウードルフォ"と読むことになりそうだが、どう読んでいたのだろう。"ユードルフォ"と読むのが英語的なのだろうが、私は慣例に従って"ユドルフォ"としておく。。
 17章ではもはやエミリーとモラーノ伯爵の結婚は一刻の猶予もならぬ、明日の朝教会で結婚式を執り行うというモントーニの命令が下ったのに、翌朝モントーニは突然、ヴェニスを離れると言い出す。向かう先はアペニンにある彼のユドルフォ城である。
 しかもこの旅にモラーノ伯爵は同行しない。いったい何があったのだろう。二人の結婚の話はどうなったのだろう。ラドクリフはここでは一切その理由を説明しない。この小説がエミリーの視点から書かれているため、彼女がそれを知るまでは作者も知らない振りを続けるということなのだろうか。
実はその理由についてはエミリーが知っているかどうかに拘わらず、第20章で語られるのであるが、こうした小説の視点の一貫性のなさはラドクリフの小説の大きな欠陥である。なんとしてでも謎を膨らませ、その解決を一時でも遅らせることによって読者の興味を引きとどめておこうという、通俗的な手法であるからだ。
 急転直下、エミリーはモントーニ夫妻と共にユドルフォ城へ急ぐ。ここがこの小説の主要な舞台となることはタイトルからも明白であり、ここからこの作品は典型的なゴシック小説としての性格を強めていくのである。
 城に到着したエミリーはまずユドルフォ城の威圧的な外貌に圧倒される。以下のような描写が延々と続いていく。

Emily gazed with melancholy awe upon the castle, which she understood to be Montoni's; for, though it was now lighted up by the setting sun, Gothic greatness of its features, and its mouldering walls of dark grey stone, rendered it a gloomy and sublime object.

 ここにsublimeという言葉が出てくることに注意してもよい。古色蒼然たるゴシックの城もまた、ピレネーやアルプスの荘厳な美しさが喚起するものと同じsublimeなものを喚起するのである。ピクチャレスクと呼ばれる感性の本質がここにある。
 多くの謎がさらに積み重ねられていく。かつてユドルフォ城はローレンティーニという若い女性が城主であったらしいが、ある日彼女は忽然と姿を消してしまったという。そのことにモントーニが絡んでいるらしく、彼はローレンティーニが行方不明になった後、城の所有権を主張して城主に納まったと言われている。
 さらにこのローレンティーニと思われる女性の姿が、時々城の周辺で目撃されるという超自然的な謎も付け加えられる。モントーニ夫人の召使いアネットはそれをspirit(霊)と呼んで恐怖におののくのである。
 エミリーはアネットと共に、自分の居室を探して場内を彷徨ううちに、多くの絵が飾られた部屋に迷い込む。そこでかつての城主に関係しているらしいヴェールの掛かった絵を発見する。エミリーはそのヴェールを上げて、それが絵ではないことを発見して驚愕することになるが、それが何であったのかはまたしても書かれない。
 この部分は作者による意図的な隠蔽である。エミリーの視点から書くのであれば、それが何であったのかについて書かれなければならないのに、作者はそれを書かない。謎を深めるためのアンフェアーな仕掛けである。
 ところで、これまでこれほど多くの謎を仕掛けておいて、後できちんと処理できるのかについて心配な気持にならざるを得ない。読者の興味を引っ張っていくのはいいとしても、謎は過不足なくきちんと解明されなければならない。そうでなければいい加減な小説というそしりを受けかねないからである。

『古典ゴシック小説を読む―ウォルポールからホッグまで 』(2000,英宝社)杉山洋子,長尾知子,惣谷美智子,神崎ゆかり,小山明子他著


 

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