玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

へそ曲がり1年回顧

2010年12月18日 | 日記
 次は新年号なので、今号が今年最後の発行となる。先日の記者会見で会田市長がこの一年を振り返っていたので、真似をしてみよう。
 一月。柏崎市が核兵器廃絶平和都市宣言。その後、ミニ原爆展、フォーラム、原爆展と開催されたが、どれも印象に残らない。次に何をやる? 原爆展のあとに何ができる? 多分、宣言をすること自体に意味があったのだ。
 三月。印刷業を廃業。多くの方に心配をかけた。「大丈夫ですか」と言って駆け付けてくれた人もいた。“倒産”ではないのです。あくまでも“計画廃業”でした。
 四月。「游文舎」でアンティエ・グメルス展。市内外から大勢の人が観に来てくれた。それより嬉しかったのは、外国人女性と初めて仲良くなれたこと。“アンちゃん”と一緒に同じタバコを吸い続けるぞ。
 六月。市議会議員定数二十六で決着。市職員の人数も減っているのだから仕方がなかろう。足りなかったら、市役所のように臨時職員ならぬ“臨時議員”を採用してはいかが。
 七月。「ウオロク」オープン。かつての「プラント5」のように、ばかでかくはない。店内で迷子になることもない。8号線に思ったほどの渋滞も発生していない。結局、お手頃な規模だったのだろうか。
 八月。ブルボンKZ結成。十一月には五選手が選ばれた日本代表が、アジア大会で銅メダルをとったのに、テレビは何も報じなかった。とてもマイナーなスポーツなんだ。それよりも、同級生で昔水球をやっていたやつが、例外なく肥満体質になっているのが気に掛かる。
 九月。ドナルド・キーン氏講演会。これもブルボンさんの大事業のひとつ。ところで、十一月には同氏に新潟市が「安吾賞」。文化勲章受賞者に「安吾賞」とはこれいかに。
 十月。フロンティアパークに東芝柏崎工場竣工。雇用に対する大きな期待もあったが、それほどでもなさそう。あれだけ大きな工場に、従業員はたったの百三十人。ほとんどの工程は自動化されているのだ。人間をつかわずにコストを下げるのが、グローバル社会の要請だ。
 十一月。市ガス水道局職員、収賄容疑で逮捕・起訴。またか。今度の人は懲戒免職ではなく休職。給与も半分くらいは出るそうだし、有罪となっても返還義務はない。民間では想像も出来ないことだ。しかし、こんなに犯罪率の高い職場で働くのはいやだ。

越後タイムス12月10日「週末点描」より)

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「三島由紀夫と1970年代」

2010年12月18日 | 日記
 昭和四十五年十一月二十五日という日に何が起きたか、知っている人も少なくなっただろう。作家であり、フラメンコダンサーでもある板坂剛氏から『三島由紀夫と一九七○年』(鹿砦社刊)という本が送られて来るまで、自分自身思い出すことはなかった。
 あれから四十年が過ぎたのだ。作家・三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決した日から……。学生になったばかりの年で、ラジオのニュースでその事件を知った。「なんというバカなことを」という気持ちだったが、衝撃は大きかった。
 しかし、それまで三島をほとんど読んだこともなく、その後も三島の作品を敬遠し続けてきたため、あの事件について深く考えることもなかった。しかし、当時三島が共感を寄せた“全共闘”と共にあった世代にとって、四十年を経た現在も、あの事件の余韻は残る。
 板坂氏はそんな世代の一人であり、三島の自決を「自らの情念に殉じようとする者の美学」と規定する。政治的な評価ではなく、いわゆる“殉教の美学”として三島の行為を評価する立場である。板坂氏はまた、「三島文学が最後の純文学であった」とも言う。純文学は三島の死とともに亡びたのである。
 その考え方はよく理解できる。三島の死を通して実質的な“昭和”の終わりを一九七○年とする人もいるが、そうした視点は、この四十年が何であったかを考える上で、重要な指標とも言える。
 ところで『三島由紀夫と一九七○年』には、ジョン・ネイスンの『三島由紀夫│ある評伝│』から削除された三島の同性愛に触れた部分が掲載され、その問題から日本未公開のままの映画、ポール・シュレイダー監督の「MISIMA」のDVDが付いている。物議を醸すことになろうが、四十年も経てば、作家の隠された部分が公開されて当然だろう。

越後タイムス12月3日「週末点描」より)

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節目の年が……

2010年12月18日 | 日記
 夢中で仕事をしていると、脇のドアが開けられて「ごめんください」という声がする。何だろうと思って出てみると、銀行の人で「お誕生日おめでとうございます」と言って、何やら箱を差し出してきた。それは「誕生日プレゼント」で、年金支給が近づいた人に配って歩いているのだという。
「ああ、もうそんな年齢になったのか」と思って、感慨深いものがあったが、つとめて冷静を装って、「まだ一年後のことですよ」と言ったが、「いいんです、いいんです」と言って置いていった。もらって損はないので、もらっておくことにした。
 そういえばこの前、車屋さんからも誕生日プレゼントの葉書が届いていた。普通の圧着葉書にしては厚ぼったいなと思って剥がしてみたら、時限装置のような電子機器が露出した。いったい何だろうと思って、説明を読んだら、「ここを押してください」と書いてある。剥がした紙を元に戻して押してみると、「ハッピーバースディー・トゥー・ユー」の電子音が流れてきた。
「こんなもんで喜ぶと思ったら大間違いだぞ」と内心思いながら、なぜか二~三回押してしまった。「五十九歳の誕生日がなんでめでたいものか」と思い、紙と機械とをきちんと分別して捨てた。
 そうそう、三カ月ほど前、気の早いことに「還暦祝いの同級会」の案内も来ていた。「そんなに早く年をとりたいのかね。何も開催日の一年以上前に出すこともなかろうに」と思っていたら案の定、今年のことだと間違えて返事をした人もいたらしい。
 ところで銀行の「誕生日プレゼント」は電子レンジ用の“蒸し器”だった。「早く仕事を辞めて、料理でもしたら」というメッセージを読み取った。節目が近づいている。

越後タイムス11月26日「週末点描」より)

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フランスに行けずの記

2010年12月18日 | 日記
 本来なら、今週号を発行したあと、一週休刊とさせていただいて、フランスに行く予定であった。新年号を目の前にしての“研修旅行”という名目で、パリのアル・サン・ピエール美術館で開かれている「アール・ブリュット・ジャポネ展」を観ることが目的だった。
 ところが、最少催行人員六人のところ、いくら誘っても参加者は集まらず、少人数では旅費が跳ねあがってしまうため、断念せざるを得なくなった。断念したあとで、パリのヴェルサイユ宮殿に展示され、好評を博しているのか、顰蹙を買っているのかよく分からない村上隆の作品を観たいから「一緒に行きたい」という人も現れたが、すでに遅かった。
 日本の知的障害者や精神障害者の作品を千点ばかり展示する画期的な展覧会を是非観たかったが、来年日本でも開催されるというので、あきらめはついた。あきらめがつかないのは、もうひとつの目的であった、リヨンの郵便配達夫・シュバルが石を拾い集めて、三十年かけてつくったという「理想宮」見学である。
 シュバルの「理想宮」は今では観光スポットになっているとのことだが、誰も見向きしない時に、フランスのシュルレアリスト達はそれを高く評価した。ジャック・プレヴェールなどは詩にも登場させているくらいで、彼らの評価がなければ、今頃は取り壊されていたかもしれない。
 そんなことで計画は一年延期して、じっくり準備することにした。「アール・ブリュット」(生の芸術)を最初に提唱したジャン・デュビュッフェのコレクションをもとにした、スイス・ローザンヌの「アール・ブリュット・コレクション館」も訪れてみたい。
 ということで、フランス研修旅行の新春号での報告は一年先になった。

越後タイムス11月19日「週末点描」より)

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