玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(4)

2019年05月14日 | 読書ノート

 話が逸れてしまったが、ミシュレをこの本のトップに登場させたエドマンド・ウィルソンの根拠は、ミシュレが歴史というものは英雄や権力者がつくるものではなく、人民がつくりあげるものと考えていたところにある。この本の真の主役はレーニンであり、マルクス主義による革命運動こそがテーマであるのだから、最初に歴史の主体を人民に置いた歴史家としてのミシュレをトップに据える必然性がある。

 しかし、ミシュレの言う〝人民〟とは何なのだろうか。ミシュレは印刷工の父と農民出身の母の間の子であり、もともと自分自身が人民に他ならなかった。だから彼は次のように言うことができた。

「自分のうちに人民をもっていなければならない――。大きな手を黄色の手袋の下にかくすやからのように、自分の出自を否定してはならない。」(1945年2月5日の覚え書=『フランス革命史』(中公文庫)桑原武夫による解説より)

ミシュレにとって人民は無謬の存在であり、歴史を動かす真の原動力であったし、第一にそれは自分自身のことであった。そしてそれは、マルクス主義の言う人民=プロレタリアートとは違っていた。

 ミシュレの言う人民は国民主義的主体としての要素を強くもっていて、そのことはエドマンド・ウィルソンも、「5、国民主義と社会主義の狭間に立つミシュレ」の項で指摘している。桑原武夫によれば、ミシュレはフランス革命の〝海外輸出〟に肯定的であったというし、なにせ彼はフランスこそが世界を先導する国であると考えていたらしい。

 こうしたことからミシュレは、国境を越えたプロレタリアートを歴史の主体とするマルクス主義者からの批判を受けたが、それが彼の限界であったのだろうか。しかし、マルクスの言うプロレタリアート、あるいは中国共産党の言う人民にしても、歴史による歪曲を受けざるを得なかった。プロレタリアートといい、人民というも、実体ではなく概念に過ぎないのである。

 プロレタリアートのことは後回しにして、ミシュレの言う人民というものについて考える時に、私が読んだ『魔女』にあっても人民の理想化ということがはっきりとあったように思う。ミシュレは、魔女というものが王政や教会権力によって捏造されたものであり、多くの人民がいわれなく魔女に仕立てられて火あぶりの刑に処せられていった歴史を語る。

 しかし魔女に仕立てることには、人民の間での差別と偏見あるいは羨望の要素もあったはずで、人民自身もまた魔女創出の咎を負うべきと私は考えるし、そういう見方をする歴史家も存在する。もちろんそれは支配する側の権力構造の歪みに帰せられはするのだろうが、罪の一端は人民自身にもあったのである。それは現代日本における公害被害者への差別や、東電原発事故の被害者へのいわれなき羨望や偏見という形で、再現しているというか、ずっとそのような構造は続いてきているのだ。

 だから無謬の人民を前提とすることは間違っている。ポピュリズムというものを生む二つの要因、反知性主義と人民信仰を考えた時に、ミシュレは反知性主義には陥ることはなかったが、人民信仰においてナショナリズムの悪弊に陥ることは免れなかった。

 それは「大衆の原像」というようなことを言った(まさに「自己のうちに人民をもっていなければならない」というような)日本の思想家もまた、人民自身によって足下をすくわれたのではなかったか。「大衆の原像」なるものが、いつの間にか〝大衆迎合〟(ポピュリズム)へと回帰していく姿を、我々は見たばかりである。

 ミシュレに戻る。1870年の普仏戦争に際しフランスがプロイセンに対して宣戦布告する前に、ミシュレはマスクスやエンゲルスとともに反戦の宣言書に署名しているとウィルソンは書いている。これがミシュレをマルクス主義につなげる結節点である。しかし、宣戦布告がミシュレが断固として嫌ったナポレオン3世によるものでなかったなら、どうだったのだろう。

 

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エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(3)

2019年05月08日 | 読書ノート

 ジュール・ミシュレは読者をして歴史を遡行せしめる。そして自分自身をも歴史を遡る旅へと連れ立っていく。過去のそれぞれの地点は、ミシュレ自身や読者にとって、現在として現前することになる。ミシュレの歴史書の持つ臨場感はそこから生まれてくるのである。

 つまりこの方法は歴史小説の書き方と共通している。歴史小説は設定された時代というものを現在として描くことなしには成り立たないからである。ためしにミシュレを愛したヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』を参照してもよいが、そうするまでもなくこの共通性は歴然としているように思う。

『魔女』は小説として読むこともできる作品であり、『魔女』をそのようなものとしているのは、過去へと遡行する想像力なのに他ならない。ただし、ロマン派の作家たちの作品のように、野放図に想像力を膨らませるのではなく、きちんとした資料に基づいた上での想像力をミシュレは働かせたのだ。だからウィルソンが言うように、ミシュレの作品はロマン派の作品とはまったく違ったレベルのものになり得たのだった。

 ところでミシュレが駆使した、自在に過去へと遡行するという方法は、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」における二番目のテーゼを思い起こさせる。その重要な部分を引用するとすれば次のようになる。

「過去にはひそやかな索引(インデックス)が付され、解き放たれるようにと指示されているのである。過去の人びとを包んでいた空気のそよぎが、わたしたち自身にそっと触れているのではないだろうか。わたしたちが耳を傾けるさまざまな声のうちに、いまや黙して語らない人びとの声がこだましているのではないだろうか。」

 このテーゼはロッツェ(ドイツの哲学者)の「人間の気質に特有な点のうち、とくに注目に値する点のひとつは、個々人はじつに多くの我欲に満ちていながらも、一般に現在がみずからの将来に対して羨望の念をおぼえることはない、ということだ」という言葉に導かれているものだ。そこでは〝羨望〟ということがキーワードになっていて、人間の現在は過去に対して羨望することはできても、未来に対して羨望することはできない、だからこそ過去というものは我々にとって重要なものだと言っている。

 しかしもっと重要なことは、人間は未来を所有することができないということ、未来に対して羨望したり、悔恨したりすることができないということではないだろうか。だから人間の現在は過去にのみ立脚していて、未来を行動の根拠とすることができないということ、ひいて言えば人間は歴史(未来の歴史などというものがあり得ようか)的な存在である他はないということを意味することになる。

 ベンヤミンにとって過去は想起の対象であり、一方ミシュレにとってそれは遡行の対象である。そこにどういう違いがあるかといえば、それは現在の位置のとらえ方に還元されるのではないか。

 ベンヤミンが過去の想起ということを我々に付与された「メシア的な力」に関連させているところを見ると、過去は想起されることによって現在を改変する力を持つと、彼が考えていたことが分かる。一方ミシュレにとっての過去は『魔女』に見られるごとく、汚辱にまみれたものであり、暗黒の時代そのものであった。

 ミシュレの歴史観からすれば、中世は啓蒙の時代へ向かう歴史の通過点であり、人間は暗黒時代を経てしだいに自由の時代へと進んでいくのであり、現在は過去への批判的検証によって、改変されるものだという認識であった。

 ただし私はまだ、『フランス革命史』を読んでいない。フランス革命とその裏切りの歴史は、ミシュレによってどう捉えられたのか知らなければならない。またベンヤミンの考え方はマルクス主義者として、その史的唯物論とは矛盾しているように思われるが、そのことも検証してみなければならない。

 

・ヴァルター・ベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』(2015、未来社)鹿島徹訳・評注

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エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(2)

2019年05月07日 | 読書ノート

 邦訳の『フィンランド駅へ』の帯には次のように書かれている。 

「1917年4月、レーニンはペトログラードのフィンランド駅に立った。ミシュレのヴィーコ発見から百年、この瞬間に向かって構築された「社会変革の思想」とは?」

  ミシュレは革命家でもなければ革命思想家でもない。同じフランス人のバブーフやサン=シモン、フーリエなどとも違って、実際に社会変革のための活動を実践した人物ではない。しかし、帯が語っているようにミシュレの存在は19世紀から20世紀にかけての「社会変革」にとっては重要なメルクマールなのであって、ウィルソンがミシュレからこの書を始めたことには大きな意味があったようだ。

 ではミシュレのヴィーコ発見にはどのような意味があったのだろうか。とにかくこの書はその場面から始まっているのだし、私もまたそのためにこの本を読む気になったのだから、そのことを知らないではいられない。。イタリアの貧乏学者で、ミシュレよりも一世紀前に活動したジョバンニ・ヴィーコは、歴史と哲学とを相互補完的に融合することを目指したという。ウィルソンはヴィーコの主張を以下のように要約している。

 「人間の歴史は、これまでつねに、偉人たちの伝記の連なりとして、顕著なできごとの年代記として、あるいは、神の演出する野外劇として記述されてきた、しかし、いまやわたしたちは、社会の発展がその起源に影響され、またそれをとりまく環境に影響されてきたことを知る。そして、社会も個人と同じく、一定の成長過程を経てきたことを知るようになる。」

  つまり人間の社会や歴史は、英雄たちが活躍する神話の世界であるのでもなく、神が造り上げたものでもない、それは「確実に人間によって作られたもの」だというのがヴィーコの考え方であり、またある出来事はかならずその要因となる起源を持っているということ、そのような考えに啓示を受けたミシュレは、ヴィーコを読むためにイタリア語を独学で勉強し、ヴィーコから多くを学んだのであった。

 とにかくよく勉強する人であったようで、朝四時に起きて一日中、執筆したり、教えたり、読んだりという生活を送っていたらしい。ウィルソンによれば「ミシュレ以前にはだれ一人、実際にフランスの古文書に分け入り、それを探求した者はいなかったと言えよう。これまで歴史は、たいてい、他の歴史書をもとにして書かれてきたのである。」という。

『魔女』を読む者は誰しも、その文学性、まるで小説を読んでいるかのような臨場感に驚きを感じ、このような〝歴史書〟というものがあり得るのかといった感慨を抱かずにはいられないが、そうしたよくできたフィクションのような歴史書が、一時資料への徹底した参照に裏付けられていたということを知るのである。

 ウィルソンはミシュレの『フランス革命史』についても「彼は、革命のさまざまな主体にかんする一時資料にもとづいてフランス革命史を書いた最初の人間であった」とも書いていて、そうした禁欲的な方法がミシュレの歴史書の基本にあったことも確認することができる。

 しかしそれだけであったなら、ミシュレの歴史書は学術的なスタイルに終始していたであろうし、あれほど熱狂的に読まれるということもなかったであろう。ウィルソンはミシュレの歴史記述について二つの特徴を挙げているが、一つは今言ったこと、一時資料を精査しそこから歴史の物語を構築していくことであり、もう一つは〝歴史を生きる〟ことであった。このもう一つの方法について、ウィルソンは次のように書いている。

 「普通の歴史家は実際に起こったことがらについて知っており、自分の歴史物語のなかでこれから起こることについて知っている。しかしミシュレは歴史の時間の上流にわたしたちを遡らせるので、わたしたちは過去の人々とじかに触れ合い、彼らの英雄的信念をともにし、予期せぬ破局に狼狽し、後で起こるできごとを知っているにもかかわらずまるでそれらについて明確に知らないかのような感覚をいだくのである。」

 

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エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(1)

2019年05月04日 | 読書ノート

 一か月ほどご無沙汰してしまった。この間スーザン・ソンタグの「ハノイへの旅」について書こうと四苦八苦したのだったが、結局考えがまとまらず断念した。私には歴史への認識や政治に対する考え方が、きちんと備わっていないことを改めて自覚してしまった。「ハノイへの旅」はベトナム戦争真っ盛りの時でもあり、アメリカだけでなく全世界的にベトナム反戦運動が高まりを見せた時でもあって、1968年について考えるには欠かせないテーマであったのだが……。

  その反省もあって西川長夫の『パリ五月革命私論――転換点としての1968年』も読んで、ずいぶん有意義な刺激を受けたのだが、これについても考えがまとまらずに放置してある。とても団塊の世代に対して1986年の総括をきちんとやれなどと言えた義理ではない。そうこうしているうちに「北方文学」79号の締め切りが迫ってきたため、そちらの方に時間を割いていたため、一か月のブランクとなってしまった。

  で、今度はまたしても苦手な歴史・政治に関する本、エドマンド・ウィルソンの『フィンランド駅へ』を取り上げることにする。年齢から来る健忘症のせいだろうか、どうしてこの本を知ることになったのか、自分で思い出すことができない。エドマンド・ウィルソンは、ヴィリエ・ド・リラダンの戯曲『アクセル』を基軸に据えて、象徴主義文学が20世紀文学に与えた影響について分析した『アクセルの城』を読んでいる。なんと言ってもマルセル・プルーストとジェイムズ・ジョイスの文学が何故に偉大であり、何故に20世紀文学の潮流を決定づけたかについて分析した大変な名著であることは確実である。

  そして私はこのアメリカの批評家が『フィンランド駅へ』という、革命家列伝のようなものを書いていることを何かで知り(それが思い出せない)、しかもそれがジュール・ミシュレの項から始まることを知らされて、どうしても読みたくなったのである。ジュール・ミシュレは昨年暮れに『魔女』を読んで強い感銘を受け、私があまり読むことのない歴史書の概念を覆されたという思いがあった。 『魔女』を読んだ私は、私の「建築としてのゴシック」で、ヨーロッパ中世というものを考える時に、中世礼賛論者たちへの反論として利用しようと思ったのだが、充分活用したとは言えない。独立して『魔女』そのものを書いてみたい気持ちもあったのだが、やはり歴史音痴のためにそれすらできないでいる。

  しかし、ミシュレの『魔女』は強い呪縛力を持っていて、歴史ということについて考える時に、私をその方向に誘導する大きな規範の一つとなったような気がする。『魔女』を読んで私は、19世紀の古典と言われるような書物がいかに多くの示唆を与えてくれるかということを身に沁みて感じたのだった。この先どれだけ生きられるか分からないが、そのような本を中心に読んでいきたいと思った。

  まずこの本『フィンランド駅へ』のタイトルは、1917年のロシア革命勃発に際して亡命先から帰国したレーニンが降り立った駅の名前からきている。したがって、フィンランド駅というのはフィンランドにあるのではなく、ロシアにある駅名なのだ。ここでレーニンは革命後最初の演説を行ったわけだが、それがウィルソンによれば「人類史上はじめて歴史哲学の鍵が現実の錠にぴったり合う瞬間」であったのだ。

  だからこの『フィンランド駅へ』という一書は、ヨーロッパの革命思想の鍵が現実の歴史の錠をこじ開けていく、その道程を描いたものだと言える。またこの本の副題は「歴史を書くことと演じることについての研究」(A Study in the Writing and Acting of History、邦訳では「革命の世紀の群像」)となっていて、ミシュレ以下取り上げられる歴史家・思想家・革命家たちについては、その著作と同時に現実の活動が批評の対象となる。つまり書いたものについての批評と、彼らの実践への批評という二重のテーマを自らに課しているわけだ。

  文学作品の場合にはテクスト・クリティックがあくまでも基本となるが、革命家の場合にはテクスト・クリティックだけではなく、彼らの実生活や人柄、そして実践的活動が批評の対照となる。革命家がすべて著術家であることはないし、そのカリスマ性は書かれたものだけによってではなく、その人柄や伝記的事実によって多くは達成されるものであろうからだ。  だからそのことはテーマ自体に難しい課題を与えている。著作物は動かぬ証拠としてそこに現前するが、人格や伝記的事実に関しては問題はそう簡単ではない。それらは革命家自身が書いたものであるにせよ、関係者の証言であるにせよ、必ずしも信用に足るものとは言えないからである。

  エドマンド・ウィルソンの『フィンランド駅へ』は、テクスト・クリティックとしては非常に優れた著作と言えるが、そうではない部分でそうした弱点をさらしている部分があり、そのことはレーニンの項で指摘しておかなければならない事実となる。  しかし、まずジュール・ミシュレの場合について見ておかなければならない。

エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ――革命の世紀の群像』上・下(1999、みすず書房)岡本正明訳

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スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』(6)

2019年03月27日 | 読書ノート

 ポルノをほとんど読んだことがない私のような人間が、それについて論じることはとてもできないので、以下ではソンタグの議論とその周辺に関わることについて書く。私にはバタイユのポルノグラフィについて論じる資格がない。  まずソンタグの選択の偏り、フランスのポルノグラフィへの偏りについて言ったが、イギリスにも文学的なポルノがなかったとは言い切れない。たとえばM・G・ルイスの『マンク』にはポルノまがいの描写がたくさんあるが、この小説が後世のゴシック小説に与えた大きな影響は認めるとしても、その徹底した勧善懲悪主義といい、ご都合主義といい、とても文学的にレベルの高いものではない。  プロテスタントの国イギリスでは、反カトリックとしてカトリックの聖職者たちの道徳的腐敗を描くことはできても、官能の悦びをテーマとするポルノグラフィが、まともな文学者によって書かれるはずもなかった。同じことはピューリタンの国アメリカにも言えることであって、英米に文学的に質の高いポルノグラフィがないのは当然と言えば当然なのだ。  一方フランスではプロテスタンティズムが根付くことはなかったし、フランス革命を準備した自由主義と無神論が質の高いポルノグラフィを可能にしたと言えるだろう。18世紀は啓蒙の世紀と言われるが、フランスでは背徳文学の世紀でもあって、マルキ・ド・サド(1740-1814)とピエール・コデルロス・ド・ラクロ(1741-1803)を生んだだけでも、他の国に抜きんでている。そうした伝統がなければ20世紀の文学的ポルノグラフィは書かれ得なかったであろう。  またそれだけでなく、文学批評のあり方がまったく違う。英米では20世紀に、ニュー・クリティシズムと言われるものが発生するまでは、作品というものと作者というものを分離させて考える、言い換えれば作品の自立性を前提とする批評が育つことはなかった。フランスでは19世紀から文学批評は高いレベルを確立していたし、批評の基準を作者自体に置くような批評は主流ではなかった。  ポルノグラフィにおいてそこで何が問題となるかと言えば、ポルノとしての作品が作者と切り離されて考察されることがなく、ポルノのような非道徳的な作品を書くような作家は、品性の劣った人間であり、そのような人間の書くものにまともに向き合う必要などないという考えが、英米の批評のあり方であっただろう。  だから英米では文学的に質の高いポルノグラフィが書かれる土壌もなかったし、ポルノグラフィ一般についてそれを文学のテーマとして取り上げる土壌もなかったのである。ソンタグの選択がフランスに偏っている理由と、それらをまともに論じることのできない英米の批評に対する苛立ちの理由は、私にはとてもよく理解できるのである。  ここで私はソンタグが1966年に出した『反解釈』の冒頭を飾るマニフェスト「反解釈」を参照する必要に迫られる。このマニフェストを要約するとすれば、以下のようになるだろう。古来、芸術作品というものはなにか言うべきことを持つ、つまりその作品の内容というものが作品の価値を決定すると考えられてきた。しかし芸術作品に内容と形式という二つのものが存在するという考え方は間違っている。  芸術に対してはその内容を解読し、解釈することが唯一の対応と思われているが、現代は解釈が反動的・抑圧的に作用する時代である。それは対象を貧困化させ、世界を萎縮させる行為にすぎない。ソンタグは最良の批評とは、内容への考察を形式への考察のなかに溶解せしめる種類の批評だ」とし、実践例をアーウィン・パノフスキー、ノースロップ・フライ、ロラン・バルト、ヴァルター・ベンヤミンなどに見出している。 当然アメリカ人もイギリス人も含まれていない。この「ポルノグラフィ的想像力」を「反解釈」という宣言文の実践として読むとすれば、まずポルノであるから論じるに足りないなどという見方は当然のこと、ポルノであるにも拘わらず、社会思想的であれ、精神分析的であれ、宗教的寓意であれ、豊かな思想的内容を含んでいるなどという評価をソンタグはしない。  ポール・グッドマンの言うように「問題はポルノグラフィか否かではなく、ポルノグラフィの質なのだ」から、ポルノという形式はそのままに、その質が問われなければならない。ソンタグの批判する「解釈」によっては、ポルノグラフィの質の違いを弁別することはできないからだ。  ソンタグは表題のようにポルノグラフィの想像力の問題に絞って論じていく。『Oの物語』やサドの作品はその想像力のヴァリエーションや、その射程の距離によって評価される。バタイユの作品の場合には、エロティシズムと死との避けがたい一致についての考察によって、文学史上最高のポルノグラフィと称賛されているのである。  ソンタグの「ポルノグラフィ的想像力」は、それまでポルノについての論じ方を知らなかった英米の批評にとって、まさに革新的な批評ではなかっただろうか。ソンタグの言っていることが常識と思われるとしたら、それはソンタグ自身が切り開いた常識の領野によっているのである。  私はここの作品についてはほとんど忘れてしまっているので、これ以上書くことができない。ぜひとも『眼球譚』と『マダム・エドワルダ』を読み直してみなければならない。 (「ポルノグラフィ的想像力」の項おわり)

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スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』(5)

2019年03月25日 | 読書ノート

 Ⅰの2編目は「ポルノグラフィ的想像力」である。ここで取り上げられているのはポルノグラフィ一般ではなく、いってみれば文学的ポルノグラフィのようなもので、具体的に挙げるとポーリーヌ・レアージュ『Oの物語』(日本では最初『O嬢の物語』のタイトルで翻訳されたが、フランス語の原題はHistoir d'Oなので、「Oの物語」の方が忠実)、ジャン・ド・ベルク『イマージュ』と、ジョジュ・バタイユの2冊『眼球譚』『マダム・エドワルダ』である。
 いずれもフランス20世紀の作品で、もう一人参考程度に取り上げられているのがマルキ・ド・サド。その『ソドムの百二十日』と『ジュスティーヌ』の二冊であり、フランスの作品への偏りが顕著である。なぜなのかについてもあとで明らかになるであろう。
 ところで私は『Oの物語』『イマージュ』『眼球譚』『マダム・エドワルダ』『ジュスティーヌ』を読んでいるが、それ以外のいわゆるポルノグラフィを読んでいないと思う。この五冊は今でも書棚に並んでいるが、それ以外のものは見当たらないし、売り払った記憶もない。
 ソンタグの評価と私の趣味が完全に一致していることは、私にとって小さからぬ喜びであったが、それよりもソンタグが他にも質の低いポルノグラフィをかなり読んでいることを考えると、私はポルノグラフィに関しての比較の基準を持っていないのだということも痛切に感じた。
 またもっとひどい話だが、上記5冊の内容を私はほとんど覚えていないのだ。『眼球譚』と『ジュスティーヌ』についてはおぼろにその輪郭が記憶にあるが、他の3冊についてはまったく記憶に止めていない。それでもソンタグのこの論考に興味を感じるのは、これらの文学的ポルノグラフィに関して英米ではまともな評価がされていないということを彼女が言っているからである。

「少なくともイギリスとアメリカでは、ポルノグラフィのしっかりした検討・評価は、心理学者・社会学者・歴史家・法律家・職業的道徳家・社会批評家が使う言説の境界内に、固く閉じこめられている。ポルノグラフィは診断されるべき病であり、審判を受けてしかるべきものとされるのだ。」

 ソンタグが言うように英米では、ポルノグラフィのジャンルの中でも文学的に価値の高い作品を選別するどころか、それを文学のテーマとして取り上げる習慣がないというか、1968年まではなかったのである。それは文学ではなく、病であり道徳からの逸脱でしかなかったのだ。
 このことはソンタグが同種のものと見なしているサイエンス・フィクションに対する英米の評価と比べて著しい対照をなしている。SFもまたポルノグラフィのように、ほんの一部の文学的作品と膨大な量のくずに分類されるという点で同類なのだが、それだけではなく、どちらも常套的な想像力の周辺をうろつくことしかできていないという点でも共通性を示しているのである。
 サイエンス・フィクションに関しては英米がこのジャンルのほとんどを独占しているといった事情もあるが、批評はよく書かれてきたし、SFをまともに文学として取り上げるという風潮もあった。とりわけイギリスのニューウェイヴと言われたJ・G・バラードやブライアン・オールディスの作品は、ソンタグがこの論考を書いた当時、高く評価されていたことを思い出す。
 SFが文学であり得るのに、ポルノが文学であり得ないはずはないというのがおそらくソンタグの考えの基本にある。SFは宇宙空間や宇宙旅行、タイム・トラヴェルなどをテーマとするが、そうしたテーマは現実の人間からは最も遠いところに所在している。一方ポルノは人間の性行為というもっとも身近な場所に生命線を維持している。
 ポルノが基本的には性器と性器との結合のヴァリエーションを描くのだとしても、人間のセクシュアリティに触れないでいることはできない。セクシュアリティが人間と人間との対の関係、家族や肉親を含めてのそれを意味するのであれば、SFと違ってポルノは人間と人間の関係性のあり方(サディスムであったりマゾヒズムであったり)を描くのであって、それが文学にならないわけがないのである。
 だから英米のポルノグラフィ観は、ソンタグにとってはサドの時代からすれば、150年も遅れた状況にあったと言わなければならない。その原因となるものはやはり宗教上の問題、ピューリタニズムの問題と関連させて考えるしかないものであろう。

 

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スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』(4)

2019年03月24日 | 読書ノート

 ソンタグは「沈黙のもうひとつの語り方」として、「声低く」のスタイルについても取り上げているが、このあり方がよく分からない。「それは伝統的なクラシシズムの主要な特徴の延長」と規定されているから、より古典的なスタイルを持った芸術家たちの発言に関わるものなのだろう。
 ジョン・ケイジとジャスパー・ジョーンズの名前が挙げられているから、想像のつく人には想像がつくかも知れない。しかし、結局ソンタグは「声高」も「声低く」も、スタイルこそ違えどちらも同じ過激なことを言っているのだとしているから、さほど気にすることはない。
 つまり「充満」と「空虚」の落差がこちらはそれほど大きくはないのだと理解しておこう。そのことよりも重要なのは、ソンタグがモダン・アートについて言っていることである。

「実際、沈黙がモダン・アートに対して重要な観念でありつづけるためには、それが相当な、ほとんど組織的なアイロニーをもって展開されることが必要だとさえ、いえるかもしれない。」

 このソンタグの言葉は、言語の超越性と汚染、つまりは意味の充満と空虚に晒されるモダン・アートが、それ自体を維持し、それを外側から支えるために「相当なアイロニー」を必要とするだろうということである。ソンタグは次のように書いてこの議論を補填する。

「ラディカルな宗教的神話が説く肯定的ニヒリズムの、抽象的・断片的模造品として、現代のシリアスな芸術はしだいしだいに意識のもっとも辛い屈曲に向かって動いてきた。考えられるのは、意識の試練の場としての芸術のまじめな使用法に対して、釣り合いをとるのに唯一の可能な手法はアイロニーだということだ。」

 この結論が何を言わんとしているかについて理解するためには、モダン・アートあるいは今日いう現代アートの潮流について考えてみればよい。シリアスな芸術家は芸術そのものの廃棄に向かっているように思われるかも知れないが、それもまた芸術再生のための一つの方法なのである。しかしその道は過酷なものであり、そうした過酷に耐えるために多くの芸術家は、その表現の中にアイロニーを紛れ込ませてきた。
 アイロニーがたとえば、笑いや韜晦、あるいは遊戯のようなものとして導入されてきたことは今日の現代アートの状況を見れば容易に理解できることではないか。沈黙に耐える、作品を媒体として作家とオーディエンスが、もろともに沈黙に耐えるということは不可能に近いのであって、芸術の廃棄を芸術の再生に結びつけるためには、そうしたアイロニーによるエネルギー補給がいかにも必要なのである。
 ソンタグの結論はしかし、そのようなアイロニーの可能性を認めつつも、それをどこまでも拡大していくことはできないというものだ。

「自己が前提としていることを絶えず切り崩してゆくという可能性が、やがては絶望ないしは息ができなくなるほどの笑いに終わることなく、未来においていつまでも続くとは考えにくい。」

 その通りだと思う。アイロニーは緊急待避の手段なのであって、歴史の本流にはなり得ないものだからだ。ソンタグの議論は半世紀の年月を経て、未だに有効であるどころか、今こそ顧みる必要のある議論ではないだろうか。
 私が付け加えておきたいのは、現代アートにおけるアイロニーの逆転現象についてである。多くの作品は「自らの前提を切り崩してゆく」ことに賭けられておらず、むしろ根拠を喪失したアイロニーの展開の方に賭けられているように思われるということだ。
 当然真のシリアスさは失われ、根拠なきアイロニーが覇権を握っている。だからそれらの作品は沈黙とは縁もゆかりもないものになり果ててしまい、「沈黙の美学」ならぬ「饒舌の美学」(美学にさえなっていないが)を体現してしまうことになる。そのような例を我々はたくさん知っているではないか。
(「沈黙の美学」の項おわり)

 

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スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』(3)

2019年03月23日 | 読書ノート

なぜ芸術表現の問題が言語の問題に帰結するのかと言えば、それはソンタグが次のように考えているからである。

「芸術の制作と作品の、媒介された性格をあらわすには、言語が比喩としてもっともすぐれているのではないだろうか。一方で、言葉は非物質的媒体であり、(たとえばイメージと比べた場合)超越という企図、すなわち特異で偶然(すべての単語は抽象であり個別具体物にはごくおおざっぱに基礎を置いている、ないしは言及するにすぎない)の何かを超えていく意図に、本質的に関わる行為だ。他方で、言語とは芸術を作る素材としては、もっとも不純で、もっとも汚染され、もっとも使い古されたものだ。」

 こうした考え方についても、私はベンヤミンの「言語一般あるいは人間の言語について」の冒頭の言葉を参照しないわけにはいかない。

「言語の存在は、何らかの意味でつねに言語を内在させている人間の精神表出の、そのすべての領域に及ぶのみならず、文字通り一切のものに及んでいる。」

 ソンタグの言っていることに間違いがあるとすれば、彼女が芸術のあり方にとって言語が比喩として役立つと考えているところにある。ベンヤミンによれば問題は逆であって、芸術の方が言語の比喩であり、より正確に言えば芸術は言語のメタファーであって、言語の原理こそが芸術を動かしているのである。
 しかし、ソンタグがここで言語の問題に言及し、この論考の最後まで言語についての思考を引っ張っていることは、アートについて考える時にこの上もなく正しい姿勢と言わなければならない。
 言語は具象的であったり、抽象的であったりするのではない。そうではなく、言語はいつでも抽象的であって本質論的である。この抽象性というあり方が何かものごとの本質を指し示す機能を有しているのであって、だからこそ「超越という企図」に十全に関わることができるのである。
 芸術がものごとの本質に迫ることができるとしたら、それは芸術が言語の非物質的媒体としてのそうした機能に負っているからである。言語は非物質的であるからこそ、抽象的媒体なのであり、本質論的媒体なのである。本質を指し示すことができるのは言語だけであって、それは言語の抽象性の内部に本質というものが含まれるからである。
 一方で言語は、いつも「不純で」「汚染され」「使い古されたもの」としての性格を持つ。それは日常生活の中で「汚染され」、歴史の中で「使い古されて」いく「不純な」媒体である。それは芸術ならざるものによって「汚染され」るばかりか、芸術そのものによっても「汚染され」ていく。
 しかし、それは本当だろうか。また、それは現代あるいは近代において初めて起きた出来事なのだろうか。近代以前において言葉というものが純粋で、汚れてもいず、使い古されてもいなかったなどということがあり得るのだろうか。よく考えればそれは、歴史上いつでも繰り返されてきた言語の本質的な弱点に関わる出来事であり、そのことを近代が初めて知ったのだといった方が正しいのではないか。
 それでも言語がそのようなものとして認識されているかぎり、芸術が言語以前のもの、あるいは言語を超えたものに向かおうとするのは当然のことだろう。芸術がそれ自体の廃棄にさえ向かおうとするのは、歴史上初めて言語というものの限界が明確に認識されたからなのである。
 しかし、言語以前や言語を超えたものに向かおうとすることもまた幻想にすぎず、言語以前の世界や言語を超えた世界などどこにもないのだから、人間がそこに到達できるはずもない。言語以前的な、あるいは言語を超えた世界というものを概念的に確定するのもまた言語そのものなのであるから。
 ところでソンタグは、言語の二つの性質に対応させて、「充満」と「空虚」ということを言う。

「現代のアーティストたちは、沈黙をふたつのスタイルで擁護する。声高に、あるいは、声低く。
声高なスタイルは、「充満」と「空虚」という不安定な対立の関数として現われる。充満の肉感的・エクスタシー的・超言語的把握は、どうにももろい。恐ろしい、ほとんど瞬時に起こる落下によって、それは否定的沈黙の空虚へと崩壊してゆくことがある。」

 とりあええず「声高なスタイル」の方について言っておくと、「充満」と「空虚」は言語が同伴する〝意味〟の問題に深く関係している。言語の超越性が意味の「充満」を保証し、言語の汚染が意味の「空虚」をもたらすのだ。
 現代の詩人であれ、美術作家であれ、音楽家であれ、すべてのアーティストはこの両極性の中で苦闘を続けざるを得ないというわけである。

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スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』(2)

2019年03月22日 | 読書ノート

 ソンタグはこの引用の前に、沈黙ということの別のあり方について書いている。それは以下のような事例によって明らかにされる。

「ランボーは奴隷取引で一儲けするためにアビシニアに行った。ヴィトゲンシュタインは、村の小学校教師をしばらく務めたのち、病院の雑役夫としての仕事を選んだ。デュシャンはチェスに向かった。」

 三つの事例によって示される沈黙は、自らの作品に対する否定の意識として共通している。一見オーディエンスとの関係性を断念することでの沈黙とは異なるものと思われる、アートそれ自体の断念もまた、作品を媒介としてオーディエンスと向き合うアーティストの沈黙として、同種の性質を持っている。
 とにかくモダン・アートにおいては、作品であることそれ自体を否定する作品というものもあり得るのだから。もちろん、マルセル・デュシャンの《泉》と題された男性用便器のことを私は言っているのだが、それもまたアートの本質に関わるものというよりも、作家とオーディエンスとの関係性の取り方に関する問題を開示しているのではないだろうか。
 私はソンタグが引用しない、ヴァルター・ベンヤミンが「翻訳者の使命」に記した、次のような言葉を引用してみたい気持ちに駆られる。

「芸術はそのいかなる作品においても、人間に注目されることを前提としてはいない。というのも、いかなる詩も読者に向けられてはおらず、いかなる絵画も鑑賞者に、いかなる交響曲も聴衆に向けられてはいないからである。」

 ベンヤミンのこの言葉は、ソンタグの言うアートとオーディエンスとの関係の究極の姿を捉えている。ベンヤミンに作品自体への否定の意識はないが、作品の成立条件を崩壊させる契機はそろっている。ベンヤミンが言っていることは、芸術というものが一般大衆の理解におもねるものであってはならないということ、あるいは芸術というものを極めれば、それはオーディエンスの理解に訴えるものとはならないという、いささか世俗的な意味合いをも含んでいるはずである。
 そこでオーディエンスとの対話を打ち切ろうとするならば、作品それ自体を否定することが最も手っ取り早い方法であることに間違いはなく、ベンヤミンのこの文章の中にも作品自体の否定という契機は含まれてしまうのである。
 沈黙とはだから、まずは理解を絶する作品を目の前にした時の、あるいは作品としての属性をまったく持たない作品に接した時のオーディエンスの沈黙である。それはモダン・アートにおいてとりわけ顕著な形をとってきたから、ソンタグの取り上げる事例も美術の方向に傾きがちであるように思うし、私が「沈黙の美学」をモダン・アート論として受け止める根拠ともなっている。
 しかし、作者の側の沈黙というものもまた存在する。デュシャンにおけるレディメイドという概念は、作品それ自体を消去しようとする意図によっているからだし、ひいては作者そのものを作品の背後から消し去るという意図にもよっているからだ。作者は自らの姿を消すことによって、オーディエンスの前で沈黙するのである。
 あるいは、ピアノの前で4分33秒の間何も演奏しないというジョン・ケージの「4分33秒」は、文字通りオーディエンスの前での作者の沈黙そのものである。結局それらは作品を媒介にして作者とオーディエンスが向き合う関係性の取り方に帰着するのであり、そこから既存の芸術に対する全面的な否定という形式も生まれてくる。
 作品を媒介にしてそこで作者とオーディエンスが沈黙を強いられるのはなぜかと言えば、それは作品そのものが存続の危機に瀕しているという作者の認識によっている。ソンタグは作品そのものの危機ということを十分に認識し、それを言語の問題に帰着させている。


 

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スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』(1)

2019年03月21日 | 読書ノート

 スーザン・ソンタグの『ラディカルな意志のスタイルズ』は、1969年に出版されているが、おおむね1966~1967年に発表された評論文をまとめたものだ。この本が昨年暮れに日本で翻訳出版されたということは、近年1968年の全世界的な学生の叛乱に対する懐古的な出版物が多く出ている、その一環なのであろうか。
 懐古的と言ったら怒られそうだから、総括的と言い直してもいいが、当時その渦中にあったわけではない者(まだ高校生だった)として言わせてもらうならば、50年も経ってからしか総括ができなかったのかという疑問を呈するしかない。しかもたとえば、筑摩選書で出ている『1968年』シリーズの3冊は、運動の当事者ではなく当時私と同じ高校生であった、四方田犬彦の編集によるものである。
 当事者は何をしているのかと思ってもおかしくないだろう。というわけで『ラディカルな意志のスタイルズ』の訳者もまた、私より年下の管啓次郎と、ずっと年下の波戸岡景太なのである。
 この本を買う時に私には心配なことが一つあった。カバーに使われているソンタグの写真に問題があるのである。彼女の書斎で撮影されたものと思われるが、そこに毛沢東を描いた版画とおぼしきものが飾られているのである。
 1968年の全世界的な学生の闘争に関しては、毛沢東が1966年に始めた文化大革命が与えた影響も強くあった。最先端を走ったフランスの学生たちの間でも、毛沢東主義にかぶれたものも多かったし、知識人の間にも文化大革命に共鳴する思想家も多くいた。日本でもそうした傾向は強くあり、私の知人でも毛沢東の言う〝造反有理〟を行動の指針としている者もいたのであった。
 文化大革命が紅衛兵を利用して毛沢東の主導した権力闘争でしかなかったことがばれたのは、いつ頃だったのか私は覚えていないが、あの紅い本、毛沢東語録を振りかざして知識人たちを糾弾する紅衛兵の姿に強い違和感を覚えていたのは事実である。
 ところで書斎に毛沢東の版画が飾ってあるということは、スーザン・ソンタグもまた毛沢東の影響を受けていた一人だったのだろうか。私はソンタグの政治評論は読んだことがないので、そのあたりは知らずにいたが、当時の学生たちと同様に毛沢東にかぶれていたのだろうか。だとすれば私が尊敬するソンタグにも傷があったことになり、それを見たくないという気持ちからこの本を買うことに一抹の不安を感じたのだった。
『ラディカルな意志のスタイルズ』は三部に別れている。Ⅰが美術・文学論、Ⅱが映画論、Ⅲが政治に関するエッセイとなっている。私が昔読んだ『反解釈』には政治論は含まれていなかったはずだ。Ⅲには「ハノイの旅」が含まれているが、これはまさに1968年、ベトナム戦争の最中に北ベトナム政府に招かれて、ハノイを訪問した記録であり、そこでソンタグがどのようなことを書いているのか強い興味と同時に、不安も抱いていたというわけだ。
 Ⅰは「沈黙の美学」がモダン・アート論、「ポルノグラフィ的想像力」がポルノにおける文学性を論じたもの、「みずからに抗って考えること」は私にとっても懐かしいE・M・シオランについての論考である。
 この本のうち、最もよく書かれているのはⅠであって、やはりスーザン・ソンタグは第1に文学の人という印象を強くする。「沈黙の美学」は美術論ではあるけれども、文学論と同様彼女のずば抜けた抽象的思考能力を発揮している。
「沈黙の美学」はモダン・アート、今日で言う現代アートについて考える時に大きな示唆を与えてくれる。この文章が書かれてから50年も経っているというのに、モダン・アートと言われたものと、現代アートと言われるものとの違いはそんなに大きなものではないからだ。
 次のような文章を読んでみよう。ソンタグの独創的な思考が見えてくる。

「真剣であるかぎり、アーティストはオーディエンスとの対話を断ち切るという誘惑を、絶えず感じている。沈黙とは、このコミュニケーションへのためらい、オーディエンスとの接触に対する両義的感情が、もっとも拡張されたものだ。」

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