『別荘』の導入部では、原住民達がかつては人食いの習慣を持っていたが、今はそれを完全に捨て去っているということを、きちんと理解しているのはアドリアノ・ゴマラだけということになっている。
アドリアノはベントゥーラ一族の末娘バルビナと結婚するのだが、「医者ではあっても上流階級とは縁遠い男」とされ、一族に対して違和感を覚えている。その大きな現れが、アドリアノが行う原住民に対する医療行為であり、原住民への親和性なのだ。
そのことはベントゥーラ一族の許容範囲を超える部分であり、だから彼が娘ミニョンの引き起こした悲劇によって発狂するために塔に幽閉されるのだとしても、その理由はそれだけではない。原住民と通じていること自体が幽閉の罪に値する。
だから大人たちがハイキングに出掛けた後、アドリアノが塔から下りてくるという話を聞いたメラニアは次のようにそのことに対する恐れを口にするのである。
「一家の罪人と人食い人種が手を組んだらどれほど危険なことになるか分からないの?……」
アドリアノの原住民への親和性を引き継ぐのは、その息子ウェンセスラオである。だからこそわずか9歳でしかないのに、彼は最も危険な存在とみなされるようになる。
ところで、人食い人種に擬せられるのは原住民達だけではない。『別荘』では"人食い人種"への言及が至るところでなされるが、その言及が指し示すのは原住民だけとは限らない。
小説後半で重要な役割を果たすアマデオ(5歳、リディアの末息子)が第3章「槍」でウェンセスラオに次のように言う場面がある。
「エスメラルダ(13歳)の間抜けに、食べちゃいたいとか言われてベタベタつきまとわれたもんだから、なあ、ウェンセスラオ、本当の人食い人種は原住民じゃなくて従姉たちだよ、絶対」
ドノソはこの言葉を、アマデオが幼さ故に食人習慣と「食べちゃいたい」という愛情表現とを混同しているのだと言っているが、しかしアマデオはウェンセスラオの母バルビナにさえ「食べちゃいたいほどかわいいわよね、あの子…… 本当にいい子」と言われるくらいなのである。
この「食べちゃいたいほどかわいい」という表現は『別荘』の中で、複数の親達から複数の子供達に対して繰り返されるので、アマデオでなくてもそこに何かの仄めかしを感じないわけにはいかない。アマデオにとっては従姉達だけでなく、母親と叔母達も人食い人種ということになるだろう。人食い人種とはいったい誰なのか、アマデオはよく知っていたのである。
少なくともドノソがここで「食べちゃいたい」という愛情表現の中に、文字どおり食人への嗜好につながるものを仄めかしていることは間違いない。
人肉食のテーマは②―3で述べた悲劇的事件によって一挙に物語の前面に浮上し、それは即物的な意味から徐々に象徴的な意味へと変貌していくのであるが、その間の橋渡しとしても、この「食べちゃいたい」という愛情表現が繰り返されることの意味は大きい。