玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

カルロス・フエンテス『アウラ・純な魂』(7)

2015年11月08日 | ゴシック論

「純な魂」は近親相姦的な兄妹の愛情関係を描いた小説である。兄のフアン・ルイスと妹のクラウディアは子供の頃から仲がよく、二人だけの世界を共有しながら育っていく。子供の頃の幸福な関係は次のように描かれている。
「岩山のお城で私は人食い鬼につかまえられている、あなたはそんな私を助けようと、手に木の剣をもち、大声でわめき、空想の怪物たちと戦いながら岩山に登ってきたわ」
 この文章で分かるように「純な魂」はクラウディアが一人称でフアン・ルイスに語りかけるスタイルになっていて、その間にフアン・ルイスのクラウディアに宛てた手紙の文章が挿入されていく。
 クラウディアの言う「あなたと私はひとつに結ばれて生きてきたんですものね」という幸せな時代が終わりを告げるのは、フアン・ルイスが家を出、メキシコを捨てて、スイスのジュネーヴで暮らすようになってからである。
 いや、正確に言えば、クラウディアが次のように言うように、フアン・ルイスの少年時代が終わり、彼が男性だけの社会に入っていこうとした時と言うべきかも知れない。
「少年時代が終わり、あなたくらいの年齢の男の子なら誰もがするような経験をしはじめると、私を避けるようになったわ。何年もの間、私たちはほとんど口をきかなかった」
 クラウディアの難詰の口調は、メキシコを初めとするラテン・アメリカ世界に根強くある「男性至上主義」、いわゆる"マチスモ"に対する批判からきている。それはフアン・ルイス自身の考え方とも共通していて、彼はメキシコにいたくない理由について、次のように語っているのである。
「うわべは礼儀正しく、上品でデリケートに見えるけど、ひと皮むけば嘘つきの男性至上主義者で、誰かれなしに媚びへつらう、そういう人間にはなりたくないんだ」
 まだ兄妹の絆は失われてはいない。フアン・ルイスはジュネーヴでの自分の生活ぶりについて事細かにクラウディアに書き送るようになる。かれは恋愛関係についても、次々にガールフレンドを替えていく様子までクラウディアに報告しているが、クラウディアはそんな兄に対して別に嫉妬を感じているわけでもない。まだ兄妹の絆は断たれてはいないのだ。
 しかし、クレールというフランス人女性が現れ、フアン・ルイスが彼女と結婚を決意するに至って、兄妹の絆は決定的に失われてしまうのである。クラウディアは次のように考え始める。
「いったい誰が私たち二人を引き裂いてしまったのかしら。奪い取られたものすべてを取り戻す時間なんてないわ。(中略)私はラディゲと同じことを考えているだけなの。『純な魂のする無意識の工夫工面は、邪な心のする企みよりもはるかに特異なものである』」
 このラディゲの一節がクラウディアの口から発せられるのである限り、クラウディアの工夫工面が無意識に行われるなどということは当然疑われてよい。彼女は何事かを企み始めているのである。“純な魂”の名において。
 この後、クラウディアはクレールに宛てた手紙によって彼女を自殺に追い込み、さらにはフアン・ルイスの自殺をもまねくことになる。血の凍るようなラストである。その手紙を引き裂いて風にまき散らすときの最後の文章、
「きっと細かく引き裂かれたその手紙は霧に運ばれて、あなたが幻影を求めて水の中に飛び込んだ湖の方へ飛んでゆくと思うわ、フアン・ルイス」
 そして読者は小説の最初の場面に戻っていく。最後まで読まないと分からないのだが、クラウディアがジュネーヴから飛行機に乗り込む最初のところは、フアン・ルイスの死体を引き取り、一緒にメキシコへ帰る場面だったのである。


 

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