玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

タケノコ好き

2010年05月26日 | 日記
 連休に京都に行った時、タケノコ料理を食べることにひそかに期待を持っていた。しかし、二日間ともタケノコを食べることができず、残念に思いながら、土産物屋を覗いていると、「朝採りタケノコ直送サービス」のチラシが置いてある。
 値段を見てひっくり返った。三~四本で一万二千円もするのだ。一本三千円~四千円ということで、しかもそれは地上に頭を出すか出さないうちの、白くて小さいものだというから、百グラム当たり千円ほどになる。高給牛肉並みの値段である。そんなものを口にすることはできない。
 柏崎地方にも、例年より十日も遅れて、タケノコのシーズンがやってきた。買いに行かなくても自然に湧いてくるから不思議だ。いろんな方から、一本、二本と頂戴するので、今までに七本ほどをいただくことができた。時機になればいくらでも出てくるので、ダブついて困っている人からも頂戴した。ありがたいことだ。
 昔からタケノコ好きで、一シーズンに一家六人で三十本食べた記録がある。来る日も来る日もタケノコ料理であったが、意外と飽きずに食べ続けた記憶がある。今は家族も三人に減ってしまったが、一シーズンに十~十二本くらいは食い尽くす自信がある。
 主に身欠きニシンとの煮付けをベースに献立を考えていく。タケノコ料理の定番だが、これが不思議と飽きない。ワラビを入れたり、ウドを入れたりする。もうひとつの定番はタケノコご飯で、これもタケノコだけでなく、鶏肉やワラビを入れる。
 京都で買ってきた“お出し”で炊き込みにしたら、料亭並みの味に仕上がり、とてもおいしく食べることができた。京都で超高級なタケノコ料理を食べるまでもなかった。
 あと何本やってくるだろうか。天麩羅も食べたい。チャーハンの具にするなど中華料理でいただくのもよい。しばらく楽しみは続く。

越後タイムス5月21日「週末点描」より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通好みのバッハ

2010年05月26日 | 日記
 新潟市のクラシック狂から、「ラ・フォル・ジュルネ」への誘いがあった。バッハを聴きに来ないかというのである。
 「ラ・フォル・ジュルネ」はフランスのナントで始まった音楽祭で、九五年に東京に、○八年には金沢に上陸し、今年ナント市の姉妹都市である新潟市で開催されることになった。ショパンとバロックがテーマの音楽祭で、一流の演奏家達がやってくる。
 バッハのプログラムだけで、二日間で二十公演もある。どれを選んだらいいのか分からない。クラシック狂にまかせることにした。彼は五月一日のりゅーとぴあ能楽堂での「無伴奏チェロ組曲」全曲演奏の第二部と、燕喜館での「トリオ・ソナタ ト長調」という、恐ろしく通好みの選択をしてくれた。
 果たして“理解できるだろうか”というよりも、“楽しんで聴くことができるのだろうか”という不安があったが、オランダのチェロ奏者ピーター・ウィスペルウェイの演奏が始まると、そんな不安はどこかへ吹き飛んでしまった。うなり声も聞こえ、弦を押さえる指の音まで聞こえた。
 次の「トリオ・ソナタ」は、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ、そしてバロック・ヴァイオリンという古楽器によるもので、初めて聴く音もあった。たった八十人の聴衆のために、三人の演奏者が真剣に演奏している姿を見、バッハの曲に身を委ねているうちに、体が熱くなってきた。
 二つの公演を聴いて、かなりの疲れを感じた。質の高い演奏で、聴く方も必死にならざるを得なかったからだ。三つは無理だと思った。しかし、クラシック狂は「あと二公演聴くのだ」と言って次の会場へ向かっていった。タフな男だ。
 今回二日間で、約二万六千五百人が来場したという。来年も開催されることになりそうだ。年に一回くらい、新潟市にバッハを聞きに行くのもいいなと思っている。
 新潟市のクラシック狂から、「ラ・フォル・ジュルネ」への誘いがあった。バッハを聴きに来ないかというのである。
 「ラ・フォル・ジュルネ」はフランスのナントで始まった音楽祭で、九五年に東京に、○八年には金沢に上陸し、今年ナント市の姉妹都市である新潟市で開催されることになった。ショパンとバロックがテーマの音楽祭で、一流の演奏家達がやってくる。
 バッハのプログラムだけで、二日間で二十公演もある。どれを選んだらいいのか分からない。クラシック狂にまかせることにした。彼は五月一日のりゅーとぴあ能楽堂での「無伴奏チェロ組曲」全曲演奏の第二部と、燕喜館での「トリオ・ソナタ ト長調」という、恐ろしく通好みの選択をしてくれた。
 果たして“理解できるだろうか”というよりも、“楽しんで聴くことができるのだろうか”という不安があったが、オランダのチェロ奏者ピーター・ウィスペルウェイの演奏が始まると、そんな不安はどこかへ吹き飛んでしまった。うなり声も聞こえ、弦を押さえる指の音まで聞こえた。
 次の「トリオ・ソナタ」は、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ、そしてバロック・ヴァイオリンという古楽器によるもので、初めて聴く音もあった。たった八十人の聴衆のために、三人の演奏者が真剣に演奏している姿を見、バッハの曲に身を委ねているうちに、体が熱くなってきた。
 二つの公演を聴いて、かなりの疲れを感じた。質の高い演奏で、聴く方も必死にならざるを得なかったからだ。三つは無理だと思った。しかし、クラシック狂は「あと二公演聴くのだ」と言って次の会場へ向かっていった。タフな男だ。
 今回二日間で、約二万六千五百人が来場したという。来年も開催されることになりそうだ。年に一回くらい、新潟市にバッハを聞きに行くのもいいなと思っている。

越後タイムス5月14日「週末点描」より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海にも遅い春

2010年05月25日 | 日記
 今年は花見をしなかった。忙しかったせいもあるが、開花してからもずっと低温が続いていて、寒さにふるえながら酒を飲む気がしなかったからだ。ようやく温かくなってきたが、晴れていても寒い日が続いた。サクラの花も見頃のまま、一週間以上もった。
 こんなに寒い春は記憶にない。連休も近いというのに、米山の雪もほとんど消えていない。魚沼市旧守門村の友人は、まだ雪が一〓残っていると話していた。豪雪の名残には違いないが、気温が低いため雪がなかなか融けないせいだろう。
 それでも春は来ている。スーパーには緑鮮やかなアオサがパックで売っている。一パック二百円もする。買わない。海岸に行けばアオサなんかいくらでもある。いつでも採れる。と思って鯨波海水浴場に行ってみる。
 波が高い時には岩場に近づくことはできないが、凪の時は岩場にとりついて、波が引いた瞬間を見計らって、岩場についたアオサを採ることができる。ところが、いつもと違う。
 アオサがまだ小さくて、手で摘むことがむずかしいのだ。波が引いたところで、アオサを摘もうとするが、指の間にほんの少し採れるだけで、十分ほど挑戦してもいくらも摘むことができない。そのうち靴が波で濡れてくる。レジ袋を一杯にしようと思っていたのに、これでは何時間もかかってしまうと思い、断念した。
 遅い春は地上だけではなかった。水温が上がらないため、海の中の春の訪れも遅いのだった。いよいよ大型連休が始まった。少しは温かくなってくれるだろう。
 五月七日号を休刊とさせていただいて、何年ぶりかで京都に行ってくることにしている。連休に旅をするなんて、いつ以来だったのかも忘れてしまっている。

越後タイムス4月30日「週末点描」より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンちゃんと煙草

2010年05月01日 | 日記
 越後タイムス同人らで運営する「游文舎」が開館二周年を迎え、記念展として、今最も注目すべき作家であるアンティエ・グメルスさんの「光の旅」展を開催している。
 アンティエさんはドイツ人女性で、私と同じ煙草を吸う。館内は禁煙なので、何度も二人で駐車場に出て一緒に同じ煙草を吹かした。孤高の芸術家で、近寄りがたい存在だと思っていたが、まったくそんなことはない。すっかり仲良くなることができた。
 二十日、十日町市の会沢集落から五十嵐鉄司区長をはじめ、十一人の村人達がやってきた。会沢集落は昨年夏、「大地の芸術祭」の一環として、アンティエさんのインスタレーション発表の会場となった。集落の人々は、アンティエさんの作品づくりを手伝い、すっかり意気投合したのだった。
 会沢集落の住民は四十一人。ほとんどが高齢者でいわゆる“限界集落”である。「大地の芸術祭」では、アンティエさんの作品が最も多くの観客を動員した。会期中一万五千人が訪れたという。集落開闢以来、初めての出来事だったそうで、村人達はアンティエさんを「集落のお嫁さん」として、温かく迎えたのだった。
 アンティエさんは作品製作や作品展示に関しては、妥協を許さない芸術家気質の人で、「游文舎」での展示に三日もかけたし、会沢集落でも会期直前まで製作に二カ月半もかけている。
 そんな完璧主義の気質とは裏腹に、とても優しくて、懐の深い人だ。そんなアンティエ・グメルスさんのことを、会沢集落の人達は親しみを込めて、“アンちゃん”と呼ぶのだった。私にはまだ、そんなふうに呼ぶことはとてもできない。

越後タイムス4月23日「週末点描」より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痛ましい事故

2010年05月01日 | 日記
 十四日朝、車を走らせていると、向かって右側の家の脇から動物が出現。猛スピードで道を横断しにかかった。すぐにタヌキだと分かった。そのタヌキは一旦停止もせず、左右の確認もせずに、横断歩道もないところを、まっしぐらに横切ろうとした。“猪突猛進”という言葉がふさわしかった。
 向こうから走ってきた軽乗用車のすぐ背後を走り抜けたまではよかったが、私の車の前を走る二トントラックの右前輪に突入する形となった。ガツンと当たり、トラックの前輪が浮き上がるのが見えた。轢かれてしまった。
 トラックは何事もなかったかのように走り去った。かわいそうだったので、車を徐行させ、その死骸を眺めた。血は出ておらず、まだ息はあったが、目の前で首がガクンと崩れ落ちた。ほぼ即死だった。
 今まで、タヌキの轢死体を無数に見てきたが、目の前で轢かれるのを見たのは初めてだ。野生動物の交通事故の四割はタヌキだそうで、轢かれやすいのは、走ってくる車を前にして、左右どちらへ逃げればいいのか判断できなくなり、立ち往生してしまうためだと聞いたことがある。
 しかし、今回の事故はそうではなく、いわゆる飛び出し事故というやつで、春の交通安全運動期間中に起きた、いたましい事故だった。タヌキに交通マナーを教えることはできない。
 十三日昼頃には、高齢の女性が自転車ごと車で倒され、救急車で運ばれるところに遭遇した。大事はなかったようだが、後遺症が残るかも知れない。これから陽気もよくなり、注意力が散漫になる。交通事故にはくれぐれも気を付けたい。

越後タイムス4月16日「週末点描」より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする