玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

しばらくお休み

2016年01月24日 | 玄文社

「ゴシック論」と「ラテン・アメリカ文学」併せて、連載も1年近くになりましたが、しばらくお休みさせていただきます。3月3日までに「北方文学」73号用の原稿を仕上げなければなりません。熱心に読んでいただいている読者もいらっしゃるのに申し訳ありません。なんとか2月中に原稿を仕上げて、再開したいと思っています。それまでしばらくお待ちください。お願い申し上げます。なお、それまでの間時々書くことはあるかも知れません。よろしくお願いします。

玄文社主人

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クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(6)

2016年01月23日 | ゴシック論

『ゴシック短編小説集』の最大の特徴は、20世紀編の充実ぶりにある。ゴシックの伝統が20世紀においても連綿と続いていること、しかもそれが南北アメリカにおいて際立っていることを、クリス・ボルディックは編集方針としてはっきりと示しているからである。
 19世紀の14作品に対して、20世紀編では16作品が採用されていること、そして19世紀編ではイギリスの作家が6人、アメリカの作家が5人(2人不明)だったのに対して、20世紀編ではイギリスはわずか3人で、アメリカが8人、そして南米の作家が3人採用されていることが特筆される。
 さらに19世紀編で女性作家が2人しかいなかったのに対し、20世紀編では16人中8人と半数を占めていることも特徴的である。このことは女性こそが抑圧的規範を強く受けているがために、ゴシックの伝統に連なるのだというボルディックの論理を証明しようとする姿勢の現れである。
 しかし、南米の3人の作家のうちボルヘス(アルゼンチン)とアジェンデ(チリ)が省略されているため、ゴシックの伝統がどのようにして南米に引き継がれていったのかということがよく分からない。でも一人だけアルゼンチンの女性詩人アレハンドラ・ピサルニクの「血まみれの伯爵夫人」が残されていることは救いである。
 この作品は16世紀ハンガリーの連続殺人者、エリザベート・バートリの事績(?)を扱った作品で、サドやボードレール、ランボーやアルトー、ジューヴなど、フランスの作家・詩人の一節に先導させて、この610人もの少女達を惨殺した彼女の行為を冷静に記述していく。
 ピサルニクの作品は15世紀フランスのジル・ド・レ男爵の残虐行為に反応した、ユイスマンスやバタイユなどフランスの作家達の影響を受けているだろう。いわゆる"残酷趣味"は、フランス経由でアルゼンチンに受け継がれたのである(19世紀フランスには『責苦の庭』という恐るべき小説を書いたオクターヴ・ミルボーという作家もいる)。
"残酷趣味"もまた、ゴシック的要素の一つである。ピサルニクはシュルレアリスト詩人であり、マルキ・ド・サドやイジドール・デュカスの作品を愛したフランスのシュルレアリスト達の系譜につながっているのである。
 一方、アメリカの作家の中でいわゆる"南部ゴシック"を代表するウィリアム・フォークナーの「エミリーに薔薇を」が省略されていることも残念である。この作品は架空のまちジェファソンを舞台とし、没落した家系の末裔であるエミリー・グリアソンの孤独な生と死を描いている。衝撃的なラストとともにそこに描き出された閉塞感は、読んでいて息苦しくなるほどで、アメリカ南部におけるゴシックの特徴をよく示している。
 同じ"南部ゴシック"の作家であるユードラ・ウェルティという女性作家の「クライティ」という作品が、省略されないで翻訳されている。この作品はフォークナーの「エミリーに薔薇を」に大変よく似た作品で、しかもかなりの傑作である。
 クライティとオクタヴィアという未婚の老姉妹が登場するが、クライティはおそらく白痴である。小説はクライティの視点(かなり不分明で脈絡を欠いている)から語られ、彼女の姉や兄、父親に対する憎しみが描かれる。それはエミリー・グリアソンの場合のように、没落した家系に対する深い悲しみから来ている。クライティはある絶望に満ちた"顔"を幻に見る。その顔に衝撃を受けた彼女は、それを見まいとして水をはった樽に頭をつっこんで死ぬのである。
 ウェルティの描き出す閉塞感は、フォークナーの「エミリーに薔薇を」以上のものがある。邦訳で省略されなかった20世紀編の作品の中で第一に評価したい作品である。
 邦訳で重要な作家の作品がことごとく省略されているため、20世紀編がボルディックの目指した編集方針と違ったものになっていること、あるいは20世紀編に文学的に質の高い作品がほとんど残されていないことを、非常に残念なことと思う。他でちゃんと読むことにしたい。

ウィリアム・フォークナー『フォークナー短編集』(1955,新潮社)新潮文庫、龍口直太郎訳
オクターヴ・ミルボー『責苦の庭』(1899、国書刊行会)篠田知和基訳

(この項おわり)

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クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(5)

2016年01月22日 | ゴシック論

 クリス・ボルディックはゴシック小説の特徴について次のように簡潔にまとめている。
「ゴシック的効果を獲得するために、物語は、時間的には相続することを恐れる感覚に、空間的には囲い込まれているという閉所恐怖的感覚に結びつけられるべきで、こうした二つの次元は、崩壊へと突き進む病んだ血統という印象を生み出すために、お互いを強め合う」
 この言葉はゴシック的なものの時間的な位置と、空間的な位置とを正確に言い当てているように思う。こうした特徴を最も典型的に示している作品は、言うまでもなくポオの「アッシャー家の崩壊」であろう。ただし、このアンソロジーでは邦訳が省略されていて、日夏 耿之介による抄訳である「アッシャア屋形崩るるの記」の一部が掲載されているだけである。最初の一段落だけ紹介する。
「その歳の秋の日、鈍(にび)いろに、小闇(ぐら)く、また物の音(ね)もせぬひねもす、雲低く蔽い被さるがことくにみ空にあるを、われは馬上孤り異(こと)やうにすさまじき縣(あがた)の廣道を旅してありつるなり」
 ゴシック小説の古色蒼然とした世界を表現するために、擬古文的な日本語を使って翻訳することは、日夏だけでなく、ベックフォードの『ヴァテック』を訳した矢野目源一などにも見られることだが、私はこのような翻訳を好きになれない。ポオの原文がそのようなものではないからである。

DURING the whole of a dull, dark, and soundless day in the autumn of the year,
when the clouds hung oppressively low in the heavens, I had been passing alone,
on horseback, through a singularly dreary tract of country;

 平易な英語で、私でも読める。それが日夏のような日常語をことさらに排除するような訳文に変えられてしまうことは、作品の理解にとっても正しいことではないと私は思う。
 ところでボルディックはこのアンソロジーに、互いに強化し合う二つの要素、時間的な相続恐怖と空間的な閉所恐怖の二つの要素を持った作品を多く採用している。相続恐怖とは、先祖の狂人達の血を受け継ぐことへの、あるいは受け継いでしまったことへの恐怖と言い換えてもよい。
 E・T・A・ホフマンの『悪魔の霊酒』に見られた、主人公メダルドゥスにおける、魔女と結婚した先祖の血を相続することへの恐怖を思い出してほしい。『悪魔の霊酒』では五世代にわたる血の系譜を、同じ一つの名前=フランシスコに象徴させていたことも……。
 19世紀の部に収められたロバート・ルイス・スチーヴンソン(『ジキル博士とハイド氏』の作者)の「オララ」で、主人公のオララは、呪われた血統を存続させることへの恐怖のために、彼女に求愛する「私」に対して、「私」を愛する気持に逆らってまでも「出て行って下さい。今日」と言わざるを得ないのである。
 呪われた血統は、連綿と続いてきた近親相姦的な婚姻関係にその原因があるとされる。天才を生むこともあれば白痴を生むこともあるそれを彼女は恐れている。オララの弟フェリペは痴呆であり、オララは絶世の美女なのである。こうした設定はボルディックが選んだ他の作品にも使われている。
 ただし、相続恐怖は長い時間の蓄積を必要とするものであるから、本来は長編小説に向いたテーマであって、短編小説に適したものとは言えない。ゴシック小説の作者達の多くが、長編小説をしか書かなかった原因はそこにある(アン・ラドクリフとブロンテ姉妹は短編小説を書いたことがなかったという)。
 そうした意味でもポオの「アッシャー家の崩壊」は例外的に成功している作品であるから、本当は省略しないでほしかった。それだけでなく、ポオはゴシックの伝統をイギリスから北アメリカへと連接する、結節点にいる重要な作家なのであるから。

 

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閑話休題

2016年01月19日 | 日記

 しばらく札幌まで旅をしてきた関係もあって、ブログを中断することになってしまった。『ゴシック短編小説集』も読み進めていないので、「ゴシック論」も中断を余儀なくされている。少し札幌で見聞したことを書いてつなぎとしたい。
 札幌には道立の「三岸好太郎美術館」がある。三岸は1934年に31歳で亡くなった夭逝の画家である。以前から興味はあったが、その作品を観る機会がなく、今回初めてまとめて見ることが出来た。
 作品を観た私の印象は「若すぎる」というものだった。彼の作品にはジョルジュ・ルオーの影響やシュルリアリスム絵画の影響も見られるが、どれも未消化で三岸独自の作風に到達していないという感じを抱かざるを得なかった。
 完成されていないのである。31歳で亡くなった画家に完成を求めても無駄と言われるかもしれないが、では37歳で死んだ中村彝や、39歳で死んだ靉光はどうなのか。彼らは多くのヨーロッパの画家達の影響を受けつつも、自らの独自性を確立したではないか。
 三岸よりも多少長生きしたからと言われても、彼らが30歳までにどのような仕事をしていたかを見れば、夭逝というだけでは片づけられない問題があることが分かる。シュルリアリスムの受容にしても靉光と比べて三岸は未熟と言わざるを得ない。
 中村彝や靉光は真に偉大な画家であった。そのことを再認識させてくれる意味で、三岸の作品を観る意味はあったのかもしれない。

 16日封切りの映画「白鯨との闘い」も観た。ハーマン・メルヴィルの『白鯨』Moby-Dick; or, The Whaleの元になった実話による映画ということで、観なければならないと思っていたのだった。特撮がよくできた映画で、観ている間は退屈しないし、結構その迫力に圧倒される。娯楽映画として楽しむこともできる。
 ところで、原題はIn the Heart of the Seaというのだが、何でこんな邦題にしたのだろう。ロン・ハワード監督はこのジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』Heart of Darkness を思わせるタイトルに、ある思いを込めたに違いないのだが、邦題からはそのことは伝わってこない。
 この映画は、海の深奥(heart of the sea)に存在する人間の力ではどうすることもできない脅威をテーマにしているのだし、もう一つのテーマは遭難における人肉食という人間の深奥に関わるものなのだから、「白鯨との闘い」などという即物的なタイトルでは監督の真意は伝わらないのである。
 メルヴィルはコンラッドと同様に船乗りの経験を持ち、格調高い海洋冒険小説を書いたことでも共通している。だからHeartはコンラッドの『闇の奥』から取られていることは明白で、せめて「ハート・オブ・ザ・シー」か「海の奥で」くらいにしてほしかった。

札幌の本屋で、柏崎の本屋には売ってなかった加藤典洋の『戦後入門』を買い求めた。635頁もある新書である。新書の軽薄短小化が進んでいる最近では、珍しいくらいに重厚な本となっている。
『敗戦後論』以降の著者の思索を集大成したもので、日本の戦後政治の「対米従属」と「ねじれ」をテーマとし、そこからの脱出の道を提起するという大胆な内容となっているが、若い世代を対象に書いているので、読みづらいということはない。
 論旨は白井聡の『永続敗戦論』に近い。というよりも白井が加藤の影響を受けて『永続敗戦論』を書いたので、加藤の先見性を読み取らなければならない。白井の『永続敗戦論』には、日本の政治に対する絶望的な批判は書かれているが、必ずしもこの先の展望が書かれているわけではない。
 一方、加藤の『戦後入門』には重要な提言がなされていて、ある種の希望を与えられることは確かである。安倍政権によって憲法改正が日程に上がっている現在、護憲ではなく、逆方向からの改憲が必要だという主張には説得力がある。
 なぜこの本が書かれなければならなかったかということが、切実に伝わってくる。戦後政治の劣化の極まりとも言うべき安倍政権に対する危機感がそれであり、そのような危機意識を共有するものにとっての必読書と言える。

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クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(4)

2016年01月14日 | ゴシック論

 クリス・ボルディックはこの「序論」の中で、何度も女性のゴシック作家に言及している。古くはアン・ラドクリフ、そしてシャーロットとエミリーのブロンテ姉妹、新しいところではイサク・デーィネセン(男性名であるが、デンマークの女性作家カレン・ブリクセンのペンネーム)、さらにはアンジェラ・カーターまで、女性のゴシック作家の系譜を辿ることもできるのである。
「女性がゴシック小説をこのように忍耐強く書き続けるのは、なぜか。その理由が、ポスト専制体制の権利として男どもが享受した経済的、法的、個人的安寧を、現代社会が女性に対しては、相対的に見れば確保できていないことに関係している確率は、かなり高い」
 以上のようにボルディックは書いている。「このように忍耐強く書き続ける」という言葉は、アン・ラドクリフに始まりアンジェラ・カーターに至るまで、ヨーロッパにおいては男性のゴシック作家の系譜より、女性のそれの方が途絶えることなく続いているということを意味しているのだろう。
 確かに本国イギリスにおいて男性のゴシック作家の系譜は、すでに途絶えているし、ゴシックの伝統は南北アメリカの作家達に受け継がれて久しいのである。
 ボルディックの言うように、女性の方が男性よりも経済的にも法的にも個人的安寧を確保することがむずかしいのは、過去においてもそうであったし、現代においてもそうした傾向は続いているだろう。つまり、女性の方が社会から抑圧的規範を押し付けられることが多いのである。だからこそヨーロッパにおいては、専制体制が終わった後でも、女性のゴシック作家の系譜が途絶えることがなかったのである。
 このことはゴシックというものが、抑圧的規範に対する抵抗としての意味を持っていることを意味している。以上のような議論をボルディックは次のようにまとめている。
「ゴシックの実存的恐怖は、腐敗してゆく自分の肉体から我々が逃れられないことに関わるかもしれない一方で、その歴史的恐怖は、過去の専制から本当に逃れられたと我々が自分自身では最終的に確認できない無力から来ている」
 しかし、ボルディックのこの結論は、私にはいささか穏当にすぎるように思われる。まずボルディックが「歴史的恐怖」に関して、「過去の専制」としか受け止めていないことを指摘しなければならない。抑圧的規範はすでに過ぎ去った時代にのみ属しているのではない。そのことは南米の作家達の作品がその背景としている、歴史を参照すれば容易に分かることではないか。
 彼がイギリスの市民社会だけを問題としているのであったとしても、それはあまりも社会というものを表面でだけ捉えたものと言わざるを得ないだろう。「自分自身では最終的に確認できない無力」などという言葉は、ゴシックを論じる時にほとんど無力である。
 また「実存的恐怖」に関して、「腐敗してゆく自分の肉体から逃れられない」という言葉は不正確である。むしろ「腐敗してゆく自分の精神から逃れられない」と言うべきである。ゴシックの精神が肉体という閉鎖空間から逃れられないという恐怖に起因しているとしても、その肉体はその時点で十分に内面化されているはずだからである。
 むしろ閉鎖空間を形成するのは、肉体ではなく精神でなければならない。"肉体という牢獄"を形づくるのは肉体そのものではあり得ない。精神こそが"肉体という牢獄"を必然的なものにするのだからである。ボルディックはそのような状態を「パラノイア」と言うが、パラノイアは言うまでもなく、精神の病いであって、肉体の病いではない。
 私ならそれを"オブセッション"と呼ぶだろう。社会から抑圧的規範を押し付けられる者がすべてゴシック作家となるわけではない。ルポルタージュを書くこともできるし、政治小説を書くこともできる。しかし、ゴシックの精神はそのことを可能とはしない。
 それは抑圧的規範を象徴する閉鎖空間が、彼らにおいては過剰に内面化されてしまうからである。閉鎖空間がそのようにして精神的なものに転化されなければ、ゴシック小説は書かれ得ない。それを私はオブセッションと呼ばざるを得ない。
 閉鎖空間はそのようにして精神的なものとなる。ゴシック作家達がその初期において中世の古城やカトリックの修道院、地下牢、異端審問所などをいつでも想起したのは、それらがオブセッションとして彼らに取り憑いてしまったからなのである。
 アメリカにおけるそうしたオブセッションの系譜を、まず第一にエドガー・アラン・ポオに見ることが出来る。「アッシャー家の崩壊」や「メッツェンガーシュタイン」などの代表作におけるオブセッションとしての閉鎖空間は、ヨーロッパにおけるそれとほとんど地続きである。
 しかし、ポオ以降の作家達は、新たなるオブセッションを内心に育んでいくことになるだろう。そのような文学史的な視野を広げてくれることを、ボルディック選の『ゴシック短編小説集』に期待したいと思う。

 

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クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(3)

2016年01月13日 | ゴシック論

 クリス・ボルディックは、ゴシック・ロマンスの終焉以降、とりわけ20世紀に入って英語圏で数多く書かれた"幽霊譚"ghost storyとゴシック小説とを、はっきり区別して考えている。ボルディックは幽霊譚に、それが「愚かにも見捨てられてしまった古き信仰のために、それらが近代懐疑主義を超克することに捧げられている」という「保守的な傾向」を見て取っている。
 確かにM・R・ジェイムズやA・ブラックウッドなどの幽霊譚にそのような傾向を見ることが出来る。彼らは幽霊というものに、古き良き信仰をないがしろにして顧みない同時代人への批判を託したと言えるかも知れない。
 一方ゴシック小説に関してボルディックは「ゴシック小説は過去の智恵に対してそのような敬意はふつう示さず、それどころか、過去の時代を妄想の牢獄として描き出す傾向がある」と書いている。幽霊譚は過去に対して同調的であり、ゴシック小説はそうではない。
 ゴシック小説は当初、時代設定として「中世後期あるいは近代初頭」を選択していたが、時代が下るにつれて時代設定も新しいものになっていく。そこが幽霊譚とは基本的に違うところである。ゴシック小説は現代をも舞台として設定することができるだろう。ボルディックは言う。
「原理においても実践においても、ゴシック物語を作者自身の時代を舞台とすることは、完璧に可能である。もしその物語が比較的囲い込まれた空間に焦点を当て、そこでいくばくかの古風で野蛮な規範がいまだに通用しているのであれば」
 だからこそゴシック小説は、中世の城など存在するはずもない南北アメリカ大陸にまで、その伝統を引き継いでいったのである。ゴシックの本質は中世の城への憧れの中になどあるのではない。それは、古風で野蛮な規範が生き続けるところであれば、どこにでもその伝統を生き延びさせていくだろう。
 ただしそれは「比較的囲い込まれた空間に焦点を当て」る限りにおいてである。この言葉が何を意味しているかは明白である。ゴシック小説に最も欠かせないものはこの「囲い込まれた空間」にこそある。私が言う"閉鎖空間"あるいは"閉ざされた庭"がそれである。
 なぜゴシック小説がその初期において、中世の古城や修道院そして地下牢などを好んで舞台としたのかということは、閉鎖空間として認識されるものがそのようなものに代表されていたため、あるいは人を物理的に閉じ込めるカトリックの専制に対する批判を動機としていたためと考えられる。
 しかし、中世の城など存在しない南北アメリカ大陸にあっては、閉鎖空間はヨーロッパとは違うものでなければならない。そうした閉鎖空間を代替するものについて、私はこの「ゴシック論」でいろいろと指摘してきたつもりである。ハーマン・メルヴィルビオイ=カサーレスにおける船や孤島、ヘンリー・ジェイムズにおける古い屋敷、ホセ・ドノソにおける貴族達の別荘と地下の迷宮、カルロス・フエンテスにおけるメキシコ、あるいはロベルト・ボラーニョにおけるサンタテレサの町も、そのような代替物として挙げることができる。
 これまで取り上げてはいないが、ウィリアム・フォークナーにおけるジェファソン、フアン・ルルフォにおけるコマラ、ガルシア=マルケスにおけるマコンドも、架空の町を閉鎖空間として舞台としたものだと言えるだろう。
 以上挙げた南北アメリカの作家達は、彼らが創造する閉鎖空間について、それが古き良き時代の貴重な遺産であるなどとはみじんも考えていない。彼らはそうした閉鎖空間を破壊するためにこそ、そのような空間を創造したのであるから。
 それらは一部「古風で野蛮な規範」をもたらすものですらない。むしろ、"現代における抑圧的規範"と、彼らが提示するものを名付けることさえ可能であろう。彼らは彼らの時代の抑圧的規範に対して闘っているのである。ゴシックの伝統はこのように南北アメリカ大陸において、極めてアクチュアルなものとして生き続けているのである。


 

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クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(2)

2016年01月12日 | ゴシック論

 クリス・ボルディックは次のように議論を進める。もともとゴシックとは"ゴート族の"という意味の形容詞であった。それはローマ帝国にとっての"野蛮"を意味したが、いつしかヨーロッパ中世の暗黒時代を形容する言葉ともなっていった。
「中世的、それゆえに野蛮」というのが、ウォルポールの『オトラント城奇譚』が前提としたゴシックへの認識であった。だからゴシックという言葉は、「文学的用法においては、文化の再評価に関わる肯定的な用語とは決してならない」とボルディックは言う。
 そうした意味で中世のゴシック建築を復活させようとした、建築様式としてのゴシック・リバイバルとはまったく違う。ゴシック・リバイバルにあっては肯定的なものとして捉えられていた"ゴシック"という言葉は、文学上においては否定的なものでしかあり得ない。ボルディックは次のように続ける。
「ゴシック小説やゴシック譚は、ほとんど確実に古典的な嗜好や合理的な諸規範を愚弄するであろう。しかしながら、たとえそうしたところで、中世に対するいかなる肯定的な見方も、惹起はしない」
 つまり、ウォルポールに始まるゴシック・ロマンスが理想としたのは、決して中世の持っていた諸価値ではない。18世紀は言うまでもなく合理主義と啓蒙の時代ではあったが、ゴシック・ロマンスはそれに対して反旗を翻して、中世的なものを至上としたのでもなければ、それに憧れたのでもない。
 ボルディックは続いて決定的なことを言う。「文学におけるゴシックは、実は反ゴシックである」というのである。ボルディックが「ゴシックの反ゴシック主義」と言う時、それは「中世文明に対する根深い不信と、主に専制と迷信に関する過去としての中世文明の表象」を意味している。
 だから、日本の紹介者達が行ったようなこと、つまりゴシックを中世的なものへの憧れと捉えること、あるいは時代の合理主義的な思潮への反抗と規定することは、決定的に間違っている。ゴシック・ロマンスは18世紀の"光明"に対して、中世の"暗黒"を称揚したのではまったくない。
 たとえばルイスの『マンク』でもいいが、多くのゴシック小説が、厳格な規律の修道院、罰を与える場としての地下牢、残酷な異端審問所、つまりはカトリックの専制を好んで描いたにしても、それはそうしたものを賞賛するためでなどなかったことは誰にでも分かることだ。そうではなくゴシック小説は、カトリックの専制に代表される"ゴシック的なもの"を否定するためにこそ書かれたのである。
『放浪者メルモス』を書いたチャールズ・ロバート・マチューリンは、プロテスタントの牧師であった。『放浪者メルモス』に見られる、激烈なカトリック批判は、むしろゴシック小説の原動力でさえあった。ボルディックはカトリックによる反宗教改革によって迫害された、イギリスのプロテスタント達の記憶に触れて次のように言う。
「ゴシック文学の反ゴシック的感情の基底には、反宗教改革によって迫害されたあの時へと引き戻されるのではないか、という悪夢が横たわっている」
 さらにボルディックは続ける。
「初期ゴシックのころに競い合った諸派の間には、しばしば相違が見出された。そうした相違は、カトリックの迷信に対する全会一致の同意の中で消失する。カトリックの迷信は、情け容赦なく皮肉られ、非難されるのである」
 ボルディックはなぜに初期のゴシックを担った作家達が、プロテスタントであったのか、そして彼らがいかに共闘してカトリックと闘ったのかということを明らかにしている。それだけではなく、ボルディックの議論はなぜゴシック・ロマンス、あるいはゴシック小説が、イギリスをその起源としなければならなかったかということを、完全に説明するものとなっている。
 ボルディックは、建築様式としてのゴシック・リバイバルと、文学上のゴシックというものを峻別する。しかし、日本の紹介者達はこの二つのことを完全に混同してしまっていた。
 中世の古城への憧れ(それは、カトリックの修道院や地下牢への憧れとも通じる)のようなものを、ゴシックの本質と考えたのである。だから"反時代的美学"なるものが至上のものとされた。だからゴシックはいつでも過去へと押しやられ、その現代的展開などあり得ないものとなる。
 結局、日本の創作の世界でゴシック的なものが根付かなかったのは、作家達の責任であるよりも、紹介者達の責任に帰せられなければならない。

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クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(1)

2016年01月11日 | ゴシック論

 久しぶりに「ゴシック論」に戻る。ラテン・アメリカの長編小説を読む気力はしばらくないし、ラテン・アメリカの短編小説は、ボルヘスやコルターサル、ガルシア=マルケスを除いて、そうたくさん翻訳されているわけではない。
 ロンドン大学教授のクリス・ボルディックという人が編集した『ゴシック短編小説集』という本が、2012年に春風社から翻訳されて出版されている。原題はThe Oxford Book of Gothic Talesである。オックスフォード大学から出版されたのであろう。
 この本は3部構成になっていて、「第Ⅰ部はじまり」「第Ⅱ部19世紀」「第Ⅲ部20世紀」に分かれている。第Ⅰ部は18世紀ホレース・ウォルポールの『オトラント城奇譚』に始まる、ゴシック・ロマンスの周辺作品7編を収録している。
 マシュー・グレゴリー・ルイスの『マンク』以前の作品が、いかにウォルポールの小説を忠実に踏襲しているか、そして『マンク』以降の作品が、いかにルイスの影響を強く受けているかということが露骨に窺える内容となっている。
 第Ⅱ部は19世紀各国のゴシック物語14編を原書では収録しているが、翻訳ではナサニエル・ホーソーン、コナン・ドイルの作品など3編が省略されている。比較的他で手に入りやすい翻訳があるものを省く、という編集方針によっているようだ。
 この時代はゴシック・ロマンスが一応終焉を迎え、いわゆる恐怖小説Horror Talesが盛んになった時代であるが、それが本国イギリスだけでなくアメリカやフランスなどにも拡散していった時代と規定できる。ペトリュス・ボレルやマルセル・シュウォッブなどの作品が収められているのはそのためである。
 第Ⅲ部は20世紀各国のゴシック物語16編を原書では収録しているが、翻訳では7編を省略している。アメリカのウィリアム・フォークナー、H・P・ラブクラフトが省略されているのは残念だが、フォークナーの「エミリーに薔薇を」やラブクラフトの「アウトサイダー」は他でたやすく読めるのでしかたないだろう。
 もっと残念なのは、ボルヘスの「マルコ福音書」とイサベル・アジェンデの「心に触れる音楽」が省略されていることである。これらも他でたやすく読むことはできるのだが、編者のクリス・ボルディックのゴシックの伝統が南北アメリカ大陸に伝わっていったという重要な指摘が、これでは理解できないからである。
 ということで私はこの本の巻頭に収められた、クリス・ボルディックの「序論」について紹介したいのである。この「序論」はゴシックということについての古色蒼然たる理解を超えて、その現代的意義についても言及していて、極めて重要な指摘をたくさん含んでいるからである。
 日本人の書いたゴシック論は、ゴシック小説の反時代性であるとか、その古めかしい美学の超俗性、あるいは近代への反措定としての意義であるとかが強調されたものがほとんどで、ボルディック教授のようにその現代性に切り込んでいく姿勢がほとんどない。
 それは日本におけるゴシック受容史にも関連していることで、日夏耿之介の骨董的言語意識、あるいはオカルティズムからして、それは過去の方向をしか向いていなかった。またゴシックとその周辺の広範な紹介者であった渋澤龍彦にも同様のことが言えるだろう。
 彼もまたゴシックの"反時代性"ということしか結局は言い得なかった。それは今日の日本におけるゴシック受容者についても言えることで、『ゴシック・ハート』『ゴシック・スピリット』を書いた高原英理も同じことである。高原などは渋澤の持っていた視座の領域を一歩も出ていないと言うべきだろう。
 それは日本に真にゴシック的なものが根付かなかったことに起因しているのかも知れない。高原英理が編集した『リテラリー・ゴシック』に収められた作品の中で、真にゴシック的と言えるものがたった三編しかなかったことを思い出してもよい(そのことについては山尾悠子の項に書いた)。
 以下、クリス・ボルディックの議論を紹介していくことにしよう。

クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(2012,春風社)石塚則子、大沼由布、金谷益道、下楠昌哉、藤井光編訳

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オラシオ・キローガ『野生の蜜』(2)

2016年01月10日 | ラテン・アメリカ文学

「野生の蜜」という作品は、好奇心だけで密林の生活を体験したいと思い、その恐ろしさを知らない青年が、密林で蜂の巣房を見つけるが、その蜜を飲んで麻痺に陥り、殺人蟻に食い尽くされてしまうという単純な話である。
 密林の恐怖を描いているかも知れないが、密林の持つ呪術的、神話的な意味について、たとえばマリオ・バルガス=リョサが『密林の語り部』で追究しているような部分を持ってはいない。魔術的リアリズムは人間の魔術、あるいは神(キリスト教のではなく土俗神の)の行う超自然的な現象への意識なしには成立しない。密林を描いているからといって、それがそのまま魔術的リアリズムにつながるわけではない。
(バルガス=リョサにしても、彼の作品が魔術的リアリズムに近づくのは1987年の『密林の語り部』ただ一作においてでしかない。他の多くの彼の作品に魔術的リアリズムの要素はない。もともとバルガス=リョサには幻想的な資質もなく、彼の方法は基本的にはリアリズムである。)
「恐竜」という作品はむしろ密林を舞台にしたSF的な作品である。密林の気象観測所で観測データを報告し続ける主人公が、数億年(原作では数百万年となっているが)の時間の障壁を越えてやって来た恐竜、ノトサウルスと親密になり一緒に暮らすうちに、自分もまた退化して原始人に近づいていくが、その時ノトサウルスは彼を喰おうとするというストーリー。
 この作品には密林と密林の歴史に対する畏怖の念は感じられるが、魔術的リアリズムと言えるような要素はない。むしろ後のビオイ=カサーレスに見られるようなSF的要素に彩られている。
 一方、いくつかのアンソロジーに採用されている「羽根枕」という作品は都市小説である。新婚の妻がなぜか日ごとに衰弱していき、原因も分からぬまま死んでしまうが、死後妻の枕の中に巨大な寄生生物が発見され、どうやらその生物が羽根枕の中に潜んでいて、妻はそれに血を吸われて死んだのではないかというお話である。
 この「羽根枕」には幻想性さえない。イギリスの恐怖小説、怪奇小説によくある怪異譚であって、どちらかといえば推理小説的である。ただし、キローガの作品には「彼方で」や「幽霊」のように、死んでしまった恋人達が幽霊となって一人称で語るといった幻想的なものもあり、まったく幻想性がないわけではない。
 キローガは「完璧な短編作家の十戒」という文章を残していて、その第一戒は「神を信じるごとく、ポー、モーパッサン、キプリング、チェーホフといった巨匠を信じよ」というものである。
 キローガはシュルレアリスムの洗礼さえ受けていない。キローガは1878年生まれで、そのような洗礼を受けたのは彼の次の世代の作家達ということになる。キローガは都市小説において南米のポーであり、密林小説において南米のキプリングなのである。
 ところでこのオラシオ・キローガという人の一生は死の色に染め上げられている。若い時に決闘に臨む親友に銃の撃ち方を教えているうちに、誤ってその親友を撃ち殺してしまう。密林生活に耐えかねた妻を自殺で失っている。キローガ自身も胃癌の病苦から自殺しているし、彼の死後残された長女と長男も自殺を遂げているという。
 そのためキローガの作品は死をテーマにしたものが圧倒的な割合を占めていて、『野生の蜜』に収められた30編のうち26編が死と関連した作品なのである。
 そんな作品群の中で「頭を切られた雌鳥」という作品が、私には最も衝撃的であった。誕生後数ヶ月にして発作により痴呆と化した、四人の男の子を持つ夫婦の物語である。その原因についての責任をめぐって諍いを繰り返す夫婦はやがて健常な女の子をさずかる。
 しかし、女中が台所で鶏の頸を切り、血を抜く作業を行うのを見ているうちに異常に昂奮した四人の男の子達は、女の子を鶏と同じようにして殺してしまうのである。
 この作品を読んで私は、ホセ・ドノソの『別荘』の中で、原住民が豚を生贄として捧げる儀式を見て、妹ミニョンが姉のアイーダを同じようにして殺す恐怖のエピソードを思い出さずにはいられない。どちらも無知と幼稚さの故に殺意を持ってではなく、遊戯のように姉妹を殺してしまうのである。キローガのこの残酷な作品は、たぶんドノソのエピソードに影響しているに違いないと思っている。
(この項おわり)

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オラシオ・キローガ『野生の蜜』(1)

2016年01月09日 | ラテン・アメリカ文学

 ロベルト・ボラーニョのあまりにも長大な『2666』について読み、そして書くことにおよそ1か月半を費やしてしまったために、いささか疲れを感じている。しばらく長編小説を読む気になれない。
 そこで短編小説ならということで、鼓直編『ラテンアメリカ怪談集』という1990年に発行された河出文庫を引っ張り出して読んでみる。目次を見るとおかしなことに気づく。15人の作家による15編の短編が収載されているのだが、アルゼンチンが8人で圧倒的に多いのだ。半数以上を占めている。
 ここで、いわゆる「ラ・プラタ川流域幻想文学」という言葉を思い出さなければならない。アルゼンチンとウルグアイはラテンアメリカ文学の中でもとりわけ幻想文学が発達した地域だったのである。「怪談集」とあるが純粋に怪談と言えるのは、オラシオ・キローガの「彼方で」くらいのものだ。
 ところでこのキローガはウルグアイの出身だが、作家としてはアルゼンチンで活躍した人なので、15人のうち9人がアルゼンチンということになる。残りはメキシコ2人、グアテマラ2人、キューバ、ペルーが各1人にすぎない。グアテマラ2人のうちの一人、アウグスト・モンテローソはメキシコで活躍した人であるから、メキシコ3人、グアテマラ、キューバ、ペルー各1人と数えてもよい。
 そんなところから鼓直が「編者あとがき」で、コルターサルに語らせている次のような言葉がよく理解されることになる。
「われわれの大陸の幻想文学は、二つの地域で成立したにすぎない、と言ってもいいでしょう。一つは、地理的には多少無理があるかもしれないが、メキシコを含むカリブ海地域と、もう一つは、アルゼンチンやウルグアイを中心とするラ・プラタ地域ですよ」
 これが本当だとしたら、この『ラテンアメリカ怪談集』で例外的なのは、ペルーのフリオ・ラモン・リベイロただ一人ということになる。
 しかし、メキシコを含むカリブ海地域の作家たちは、ラテンアメリカ文学のいわゆる"魔術的リアリズム"なるものを代表する作家、例えばアレホ・カルペンティエール(キューバ)やフアン・ルルフォ(メキシコ)を生んでいるが、ラ・プラタ地域ではそのような作家は生まれていないという、またまた奇妙なことに気づく。
 どちらの幻想文学もヨーロッパのシュルレアリスムの影響なしには考えられないにしても、魔術的リアリズムは幻想文学そのものとははっきり違ったものである。魔術的リアリズムには、新大陸の自然や人々の意識の中にある「驚異的現実」に対する認識が欠かせないのである。
 だから、アルゼンチンやウルグアイのようなまったくの白人社会においては、「驚異的現実」に対する認識を迫られることがないから、そこに魔術的リアリズムは生まれようもなかったのである。
 さて、ウルグアイのオラシオ・キローガは「ラテンアメリカ随一の短編の名手、魔術的リアリズムの先駆者」と評されているようだが、本当だろうか? 「彼方で」ともうひとつ、サンリオ文庫から1987年に出た『エバは猫の中~ラテンアメリカ文学アンソロジー』に収められた「羽根枕」を読む限りでは「ラテンアメリカ随一の短編の名手」という評価が当たっているとしても、「魔術的リアリズムの先駆者」という評価は当たっているとは思えない。
 そのことを確かめるために私は国書刊行会から出ている『野生の蜜~オラシオ・キローガ短編集成』を読んでみなければならない。キローガはブエノス=アイレスなどの都会を舞台にした作品と、ミシオネス地方というアルゼンチン北部からブラジルにかけての密林地帯を舞台にした作品の両方を書き分けている。
 都会小説の方には、幻想性はあっても魔術的リアリズムの要素はまったくないと断言できる。そして、密林小説(キローガはイギリスの作家ラドヤード・キプリングの『ジャングル・ブック』を真似た『ジャングル物語』を書いたので、南米のキプリングとも呼ばれる)にはどうか?
 殺人蟻に喰い殺される都会人を描いた「野生の蜜」も、大蛇の視点から自然と人間との関わりを描いた「アナコンダの帰還」も、ジャングルの物語ではあってもとうてい魔術的リアリズムと呼べるようなものではない。カルペンティエールやルルフォに見られるような、土俗的な神話に裏打ちされた部分が、まったくないからである。

オラシオ・キローガ『野生の蜜』(2012、国書刊行会)甕由己夫訳
『ラテンアメリカ怪談集』(1990、河出文庫)鼓直編、鼓他訳
『エバは猫の中~ラテンアメリカ文学アンソロジー』(1987,サンリオ文庫)木村榮一他訳

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