玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

北京の思い出

2008年03月22日 | 日記
 北京から帰って一週間。上海の時のように熱に浮かされたような高揚感はない。むしろ、途方もないものを見せられて、人類の歴史の壮大な矛盾に目眩がする思いがしている。万里の長城と紫禁城のことを言っている。
 万里の長城は、秦の始皇帝が連結させて完成させた全長六千〓に及ぶ防壁で、とても人間が造ったものとは思えないしろものであった。見渡す限り、山々の尾根を龍のようにのたくって走るそれを見ていて、圧倒されると同時に「どうかしている」と思った。異民族侵入を防ぐという目的はまったく果たされなかったというから、こんなものを何のために造ったのかと言えば、権力の誇示のために他ならない。
 紫禁城も同じことだ。入口の天安門から出口の神武門まで一〓も歩いたが、それでもほんの一部を散見したにすぎない。まともに全部を観覧したらまるまる四日間かかるという。これが明から清にかけての五百年間、皇帝が住んだ宮殿なのだ。映画「ラストエンペラー」の舞台となった巨大な「太和殿」を見て、再び「どうかしている」と思ってしまった。
 北京は中国の首都である。四日には大量の黄砂が発生して、韓国や日本の東京をひどい目にあわせたらしいが、北京では黄砂など降りはしなかった。黄砂はゴビ砂漠で発生し東へ流れていくが、北京の南側を通るから、首都に影響は与えない。水不足の北京は南部から水を調達していて、黄砂の原因はそこにあるのだが、その要因をつくっている北京には何の影響も与えないのだ。アンバランスな権力構造は今も変わらない。
 北京最後の夜、古くからの繁華街「王府井」の「小吃街」に遊んだ。新宿のゴールデン街のようなところが天安門広場のすぐそばに残されている。そこでビールを飲み、点心を味わい、麺を啜った。一人三百円だった。北京を訪れて威圧感を感じないで過ごすことができたのはここだけだった。今、「小吃街」が懐かしくて仕方がない。もし再び北京を訪れることがあるとすれば、まっ先にそこに行くことになるだろう。

越後タイムス3月14日「週末点描」より)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先人のこと

2008年03月22日 | 日記
 先々週、先週と何の説明もなしに、タイムス紙大正三年三月十五日号の江原小弥太の記事を載せた。越後タイムスはあと三年で創刊百年を迎えるが、それまでに過去の紙面の中から紹介しておきたい記事がたくさんあるからだ。
 江原の「境界に立ちて」などは、タイムス創刊時の雰囲気や複雑な人間関係をよく伝えていて、特徴的な記事である。江原は個人的なこともあけすけに書いてしまう人で、後に東京に出て小説家として名を成したように、新聞記者というよりは、作家的な体質を持っている人物だった。
 「運命の為に絶壁に墜された」というのは、朝鮮釜山で新聞記者をしていた時に、友人の妹と恋愛関係に陥るが、恋人をその兄に奪い返されて失意のどん底にあった事情を指している。その事件がなければ、江原が柏崎に帰ってきて、越後タイムスの編集に携わることもなかったかも知れない。
 タイムスの初代編集発行人だった市川與一郎との関係については、当時ははっきり書くことができなかったのだろう、ほのめかしが多くてはっきり読み取ることができない。
 後に江原が記すところによれば、“朋友”というのは勝田忘庵のことで、満州帰りで無職だった友人の市川を助ける意味もあって「越後タイムス」を創刊したのだった。市川は編集と営業を担当したが、編集者としては江原の方が優秀であったという。当時タイムスは経済的に窮地にあり、市川が投げ出したタイムスを江原が引き受けることになったのである。
 当時江原は三十二歳。この頃のタイムスは江原の記事が圧倒的に多く、その筆力に驚かされる。この四年後、江原は東京に出て書店を開業するが、タイムスへの寄稿は小説連載の形で続いていく。
 連載小説『新約』はベストセラーとなる。しかし、今は読まれることもない。小説よりも当時の江原の記事に、その悪戦苦闘ぶりがよく表現されていて、人間的な共感を覚えてしまう。

越後タイムス3月7日「週末点描」より)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北京へ

2008年03月15日 | 日記
 いよいよ北京だ。柏崎出身の画家・水野竜生さんが昨年の上海に引き続いて、今年は北京の中国美術館で展覧会を開くので北京へ行くのだが、少し気が重い。
 殺虫剤入り冷凍ギョーザ等の問題で、中国は食の安全の面で大きく信用を失ってしまった。“何を食べさせられるか分からない”という気持ちが先に立つ。知人に「何かおみやげを買ってきましょうか」と言ったら、即座に「中国のおみやげなんかいらない」と言われてしまった。
 八月のオリンピック開催を前に、北京市の映像がよくテレビに映る。テレビの映像からも、北京市の大気汚染のひどさが伝わってくる。どんなに晴れていても、青空になることがない。空はいつも煤煙で薄汚れている。昨年の上海でもそうだったが、北京市はもっとひどいらしく心配だ。
 また、清華大学の陳輝教授と水野さんの“二人展”は、もともと二月二十七日から三月十一日までの開催予定だった。ところが中国美術館の都合で、今年の初めに急遽三月四日からの開催に変更となった。日本の美術館だったらあり得ないことで、この辺にも“お国柄”が感じられる。
 しかし、中国美術館では水野さんの新作と陳先生の宇宙的空間を感じさせる水墨画が待っている。大いに楽しみである。ツアーでは故宮博物館と、天壇公園、万里の長城の三つの世界遺産を見学することになっている。死ぬまで訪れることもないと思っていたので、それも楽しみのひとつだ。気を引き締めて、上海の時のように“迷子”にならないようにしなければ。

越後タイムス2月29日「週末点描」より)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする