玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アカデミズムだなあ

2006年01月30日 | 日記
 年末から正月にかけて筑摩書房の『ロートレアモン全集』を読んだ。苦しかった。ロートレアモンというのは19世紀フランスのイジドール・デュカスという詩人の偽名で、その代表作というかほとんど唯一残されている作品は『マルドロールの歌』6歌にすぎない。
 ところがこの作品が20世紀の文学や美術に与えた影響には計り知れないものがある。そのすべてのものに対する反逆精神は、アンドレ・ブルトンをはじめとするシュールレアリストに大きな影響を与えた。『マルドロールの歌』はその特異な比喩表現によって詩人だけでなく、画家にも大きな影響を与えた。
 『マルドロールの歌』は今はやりの少女惨殺や、少年への同性愛など暴力的なシーンに溢れていて、一見背徳的な散文詩と受け取られがちだが、本質はそういうところにない。有名な「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会いのように」美しいというような、破天荒で圧倒的な喚起力を持った比喩表現に特徴がある。
 たとえば「彼は美しい、猛禽類の爪の伸縮性のように。あるいはまた、後頭部の柔らかい部分の傷口における、筋肉の動きの不確かさのように」などという比喩表現には、ほとんど笑いをこらえることが出来ないくらいだ。
 『マルドロールの歌』を読むのは5回目くらいで、今回読んだのは注釈が本文の3倍くらいある代物で、ほとんど学術書に近い。文学史上もっともアカデミズムから遠いと思われるこの作品もアカデミズムの対象になってしまうのだなと思った。
 注なしの訳を読むことをおすすめする。おすすめは現代思潮社の栗田勇訳だが、もう手に入らないだろうなあ。
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鈴木良一さんの詩集刊行間近

2006年01月27日 | 日記
玄文社では昨年から新潟市の詩人・鈴木良一さんの新詩集の制作を進めていました。このほど4回にわたる校正を終了して、印刷も完了し無事に製本屋に渡すことができました。
鈴木さんは新潟県の近現代詩史を書くことをライフワークとしていて、「北方文学」56号に「新潟県近代詩黎明期の覚え書」を発表。今まで誰も手をつけていなかった領域なので、各方面から注目されています。
 鈴木さんは2001年に『不思議荘のゆりかご、あるいは写植オペレーターの探字記』という詩集を思潮社から刊行しています。それにつぐ新詩集ということになります。タイトルは『母への履歴』。
 巻頭を飾るのは「森と野と水と」という作品で、2000年10月になくなった旧川西町の詩人・五十川康平さんへの追悼の詩編です。五十川さんとは私も長く親しくさせていただいたので、特別の思いがあります。「森と野と水と」は次のように始まります。

雄弁な死を残して五十川さん
あなたはいったいいま
なんという川を渡っているところですか
四十九番目の川ですか
魚沼の
川という川の襞の
渓流という渓流の隠し所で
源流の官能と戯れ相対し
信濃川の全長を歩きおおせ
肉体に五十もの川を宿してなお
黄泉の国の川を渡ろうなんて
なんて欲張りなんだろう

 この12行に隠された深い悲しみを、鈴木さんと共有しています。詩集が出来たらもう少し詳しく紹介します。
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博士学位申請論文を読んだぞ

2006年01月25日 | 日記
 日本女子大の日本学術振興会特別研究員・野上元さんの「戦争と書くこと-近現代日本における『戦争体験』の歴史社会学的研究」という論文を読んだ。学術論文を読むのは疲れる。
 この論文は戦争体験を直接聞く事が出来た時代の終焉にあたって、「戦争体験」を書くということはなんだったのかをまとめようとしたものだという。戦後大量に生まれた「戦争体験記」はいわゆる総力戦というものを背景にしていて、太平洋戦争後の日本に固有のものだ。
 野上さんは日本にとっての最初の総力戦・日露戦争における森鴎外の記録や田山花袋の従軍記から始め、太平洋戦争後の大岡昇平の「野火」や「レイテ戦記」を中心に論じている。
「戦争体験は書くことにおいて初めて現象している」というのが野上さんの結論で、そのために「戦争体験」がどのようにして書かれたかを詳細に論じている。大岡昇平の復員体験がそこで参照されもする。
 しかし、書くことでしか残るはずもない「戦争体験」というのは、ある意味当たり前のことで、あまりそこにこだわりすぎることは多くの「戦争体験記」の持つ重みを減じてしまうことにならないかとも思う。
 先日紹介した野呂邦暢の『戦争文学試論』で、私は初めて日本の兵士が戦場において日記やノートを書くことを禁じられていなかった事実を知った。アメリカの兵士は死体に重要な軍事情報が残されることを恐れて、日記などを書くことは禁じられていたのだという。したがって、アメリカ軍は日本の兵士の死体から多くの記録を回収し、重要な軍事情報を得ていたらしい。
 そこで、なぜ旧日本軍はそれを禁じなかったのかという疑問が生じる。推測だが、あまりに過酷な戦場で書くことすら禁じたら兵士としてのモチベーションが崩壊すると考えたのではないかと思う。そして、日本の多くの兵士は律儀にも克明な記録を残し、生きて帰ることが出来た者はその記録を元に膨大な「戦争体験記」を書き残した。
 だから「戦争体験記」は記憶の保持ということと大きく関わっているはずで、負け戦を戦った兵士の記憶の濃度とともに、考えてみなければならないことではないかと思う。
 野上さんの学術論文を読み誤っていたらお許しを。
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除雪ボランティアを体験

2006年01月23日 | 日記
 十四・十五日に市内高柳町を中心に予定されていた、ボランティアによる除雪作業は、気温が上がり雪が小康状態となったこともあって、中止になったが、知人の依頼で個人的に除雪の手伝いをさせてもらった。十四日には国道の排雪も終わっていて、道路の雪はそれほどでもなかったが、家屋の周辺には、まち中では想像もつかないほどのおびただしい雪が積もっている。
 したがって、除雪作業も、まち中とは比較にならぬ重労働となる。普段ペンより重いものを持ったことがない(?)ので、三十分もしないうちに汗だくになり、腰が痛くなってくる。コツが分からないために、不要な力を入れるから、そういうことになる。
 しかし、慣れてくると、力の入れ具合も分かってきて、次第に楽になってくる。山登りと一緒である。最初の三十分ぐらいは、大変キツイものがあるが、しばらくするとあまり疲れを感じなくなる。あれと同じことだと思った。
 屋根から落ちてくる雪を邪魔にならない所まで運ぶのが主な作業だったが、いろんなことを教えられた。雪が屋根からすべり落ちて、下の雪とつながっている。そのままにしておくと、雪の重みで屋根の端が痛んでしまう。だから、つながった雪を切らなければならない。これを“コヅラを切る”と言うのだそうで、はじめて聞く言葉だった。
 この時注意しなければならないのは、大量の雪が一斉に落ちてきて、除雪者が雪に埋まってしまうことだ。下手をすると命を失うことになる。雪下ろし中に屋根から転落する危険だけではないのだ。すでに豪雪による死者は、県内で十六人、全国で九十人に達している。
 高柳の高齢化率は高い。今後も雪が降り続くなら、多くのボランティアが必要とされる。大した役には立たなかったが、「一人ではないと思うだけでも気が楽になる」との地元の人の言葉に、切実なものを感じた。
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中村あきおみさん小説第2弾スタート

2006年01月20日 | 日記
 昨年4月に玄文社から処女小説『秘湯・白妙の湯』を発刊した、中村あきおみさんから第2弾の小説『もしも小雨でなかったら……』の初稿を預かりました。2ヶ月後を目指して出版の予定です。
 中村さんは金型製作会社の社長であると同時に、柏崎市の市議会議員でもあります。大変忙しい人なのですが、かつて小説家志望であったというよりも、おじいさんが昔小説を書いていた事への夢の再現として、小説を書き続けています。いくら忙しくても「小説を書いているときが一番心が安らぐ」のだそうです。
 中村さんは市会議員ですが、小説のテーマは政治とはなんの関係もありません。処女小説『秘湯・白妙の湯』は秘湯の温泉を舞台にした恋愛怪奇小説で、同級会に集まった同級生たちがかつての恩師により自分の人生を大きく変えていく事になる、まか不思議な体験を語るところから始まります。いずれ玄文社のホームページで紹介することにしましょう。ホームページは3年間ほど更新しないでほったらかしておいたので、これから更新していくことにしています。
 『秘湯・白妙の湯』の出版には半年かかっています。中村さんに校閲を求められた私が、徹底的なチェックを行ったため時間がかかってしまいました。200頁ほどの小説ですが9回読んで、文章や筋の展開の不整合などを指摘させてもらいました。仕舞いには中村さんに「鬼のような編集者」と呼ばれましたが、結果は満足していただけたと思っています。
 というわけで、今度の『もしも小雨でなかったら……』は短編小説ではありますが、2ヶ月はかけるつもりでいます。新宿のバーでの初対面の男と女の会話を中心とした大人の小説です。期待してください。私も楽しみです。
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『戦争文学試論』を読む

2006年01月18日 | 日記
 渡辺和裕さんから野呂邦暢の『戦争文学試論』という本をもらった。渡辺さんは私が戦争文学の愛読者であることをよく知っていて、昨年8月に盲腸が破裂して1ヶ月間入院したときも、見舞いとしてたくさんの戦争文学作品を持ってきてくれた。古山高麗雄の戦記物2点、伊藤桂一の『静かなノモンハン』、吉田満についての本などだった。
 いずれも緊張感を持って読める作品で、渡辺さんに感謝している。野呂邦暢は芥川賞作家で、芥川賞作家の小説はほとんど読んだことがないので、野呂の作品も読んだことがなかった。『戦争文学試論』は昭和52年に『失われた兵士たち-戦争文学試論』として出版されたものを芙蓉書房出版が改題して平成13年に出した本だ。
 普通の戦争文学論と大きく違っているのは、文学作品だけでなく無名の戦争体験者が自費出版で残した多くの本を取り上げているところで、昭和50年までに出版された戦争体験記500点を読破したという野呂は、太平洋戦争のあらゆる局面を記述した作品を網羅している。大変勉強になった。
 ところで、戦争体験記も体験者の死亡と高齢化で終焉を迎えつつあるが、若い人で戦争体験記を研究している人がいるということで、本の風景社http://www.mybookjapan.com/の筑井信明さんから、日本女子大の野上元という人の書いた博士学位申請論文を紹介された。A4で170頁もあるその論文に現在挑戦中。近日中に紹介したい。
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おかしいぞ

2006年01月16日 | 日記
 尋常な気象ではない。昨年十月には、土曜日曜のたびに雨が降り、「何かおかしいな」と思っていたが、十一月に入ると来る日も来る日も雨が降り続いて、一カ月のうち晴れたのは、たった二、三日しかないという異常ぶりだった。
 十二月に入れば正常に戻ると思っていたが、とんでもなかった。寒波が連続してやってきて、各地で十二月としては観測史上に例のない積雪となった。年が明けても雪は続き、ついに柏崎市も十日、豪雪対策本部を設置した。
 通常はこれから雪が本格化するシーズン。鵜川や石黒地区ではすでに三メートル近い積雪があるから、「これからどうなるんだろう」という不安でいっぱいだろう。寒さも尋常でなく、軒下のツララも例年になく長く伸びている。
 昨年六月の気象予報士・村山貢司さんの講演を思い出す。「地球温暖化は五十年、百年先の話でなく、今一番影響が出ている」と村山さんは話し、温暖化は異常気象の要因でもあり、局地的な偏りをもった気象現象が起こると話していた。一律に気温が上昇していくだけではないということであれば、この寒波も地球温暖化の影響でないと誰が言えよう。
 不安に駆られる中、“少しでも希望を”と、科学技術の開発で地球への負荷を減らし、完全循環型社会を実現できるとする『地球持続の技術』(小宮山宏著)を読んだが、まったく不安は解消されなかった。
 理論的には可能な「エネルギー効率三倍向上」や「自然エネルギーの開発」などで、二〇五〇年までに循環型社会への道筋をつけるというが、このままであと四十五年もつのだろうかという疑問に捕らわれてしまう。
 人口の加速度的な増加と、エネルギー消費の増大が簡単に止まるとは思えない。新年に明るい初夢を見ることはなかった。

(越後タイムス1月13日号「週末点描」)

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ネズミとの死闘

2006年01月13日 | 日記
 コタツに入って、タイムス新春号の記事を書いていると、ガサゴソと音がする。視界に小さな黒いものが入ってくる。部屋の隅に置かれたテレビの下から、小さなネズミが恐るおそる顔を出しているのだ。
 先日、台所で麺類や粉類の袋が大量に食い破られる被害があったばかり。居間にも出没することが分かったから、ネズミが食べると死んでしまう毒入りのエサが二箇所に置いてある。
 体長五センチほどのその小さなネズミは、だんだん大胆になってきて、部屋のあちこちを走り回る。「気が散って仕事ができないじゃないか」。つかまえてやろうと立ち上がると、素速く逃げて隠れてしまう。記事に戻るとまた出てくる。寒いせいか、コタツに近づこうとまでする。立ち上がる。逃げる。立つ。逃げる。
 「ザルで捕まえてやろう」と台所のザルを脇に置いて、出てきたら捕まえようと身構える。二、三度捕獲を試みたが、うまくいかない。一度は尻尾がザルの端に引っかかったが、素速く逃げられてしまった。
 現在進行形で、この文章を書いているが、ネズミは大胆さを増してきて、何度でもテレビの下から出てくる。ザルを投げてもうまくいかない。「チクショー」。そのうち目の前で毒入りのエサをうまそうに食い始めた。「死ね、死んでしまえ」。しかし即効性の毒ではない。
 そのうち、人を馬鹿にして至近距離までやってくる。よく見ると可愛い。うちで飼っているウサギよりずっと可愛い。体力を消耗するから、つかまえる努力はやめた。いつか毒が体に回って死ぬ運命だ。部屋の戸を開け放って出て行ってもらうことにした。
 ところが、それでもネズミは出没を続ける。大胆にもコタツの布団に近づいて来て、目と目が合った時、ネズミの一瞬の躊躇を見逃さずに素手で捕まえた。あまりに小さくて可愛いので、バケツに入れて写真に撮った。
 その後、どう始末してやろうかと考えたが、そのままバケツに雪を入れて凍死させた。哀れだった。
 ところで、あんた。来年はあんたの出番じゃないよ。

(平成一七年十二月十八日記)



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