玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

天安門広場のこと

2008年04月07日 | 日記
 北京オリンピックに向けて、聖火リレーがスタートするというので、あの天安門広場で式典が行われている映像をテレビで見た。チベットでの暴動があったため、まことにものものしい警戒ぶりだった。つい一月前に天安門広場を訪れたばかりだったので、感慨深いものがあった。
 私らが訪れた時は、ちょうど全人代(全国人民代表者会議)が人民大会堂で開かれていた時で、駐車場として使用するため天安門広場は閉鎖されていた。ところが、私らが訪れた三月六日だけは、全人代の休日で、天安門広場は開放されていたのだった。まことに運がよかった。
 この広場は世界一広い広場だそうで、畳一枚くらいの舗石が敷きつめられているが、そこに二人で立つと四十万人、三人で立つと六十万人の人間を収容できるのだという。我々の想像をはるかに超えた面積なのである。
 広場と天安門の間には、広い道路が走っていて、横断はできない。地下道をくぐることになる。地下道を出ると、多くの中国人観光客がいる。よく見渡すと、至る所に監視カメラが設置されているのが分かる。もともと厳重な警戒下にある場所なのだ。
 緑色の制服を着た警察官が手荷物検査をしている。私らもやられるのかなと思ったが、日本人観光客には目もくれず、国内の旅行者のバッグを開けて中身を調べているのだ。不快な気持ちがした。外国人は信用し、自国民を疑ってかかっているのだから。チベットの暴動は起こるべくして起こったのではないかと、今にして思う。
 二十年前の天安門事件を思い出した。この広場はあの時、多くの学生が戦車に踏みつぶされて死んだ所だ。そんな虐殺の広場が平和の祭典であるオリンピックの聖火リレースタートの場として使用されたことに、大きな矛盾を感じないではいられなかった。

越後タイムス4月4日「週末点描」より)


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ステレオをもらった

2008年04月07日 | 日記
 五月十日正式オープンを目指している「游文舎」(公仁会中央ライフセンター内)にステレオセットの寄贈があった。古いものだがマニア向けの高級品である。オーディオにはまったくの音痴で、どうしていいか分からないでいたところ、その道のプロである平原順二さんが、セッティングを買って出てくれた。
 いただいたステレオにはCDプレーヤーは付いていない。針を落としてLPを聴く、まったくアナログの世界である。ここはアナログにこだわって、LP以外聴けないことにしておこう。ところが、プレーヤーをチェックしていて、ベルトのゴムが溶けたようになっていて、使えないことが判明した。修理も不可能だという。
 仕方がない。自分のプレーヤーを供出することにしよう。「越後タイムス」の仕事をするようになってから、ほとんど音楽を聴かなくなり、LPプレーヤーと、かなりの数のLPレコードが死蔵されている。どうせつかっていないのだから、「游文舎」に置いて利用してもらうことにした。
 このプレーヤーには思い出がある。正確に言うと、プレーヤーとアンプとスピーカーは学生時代に買ったもので、親からもらった学費を注ぎ込んだため、半年間学費を滞納したという、いわくつきのものである。滞納した学費は、アルバイトをしてちゃんと払ったから、除籍にならずにすんだが……。
 オーディオのことは全く分からないが、平原さんに言わせると、プレーヤーは最高級の品物だそうで、いただいたスピーカーとも相性がいいらしい。役に立ちそうでうれしい。最高の装置でLPを聴く環境が整った。LPはCDよりも音の再現性が優れていて、未だに人気が高い。死蔵されているLPがあったら、「游文舎」に持ち込んで聴いていただきたい。

越後タイムス3月28日「週末点描」より)


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めでたし、めでたし

2008年04月04日 | 日記
 煙草を吸う人が本当に少なくなったが、未だに強い意志で吸い続けている人もいるのだ。十七日の早稲田大学特命教授・伊藤滋先生の講演会の後、商工会議所五階の喫煙ルームに集合した顔ぶれがすごかった。
 市の市民活動支援課の布施実課長、市民生活部の山田信行部長、震災復興計画策定委員会委員長の平井邦彦先生、そしてこの日講演後の対談でコーディネーターをつとめた今井晴彦氏だった。私を含め五人で雑談をしていると、煙草を吸わない石〓修副委員長が通りかかったので、笑顔で誘い込んだ。
 ベトナム人を家族ごと日本に連れてきて、女性達には中山間地の田圃で働いてもらい、男性達にはまちの工場で働いてもらうことで、少子高齢化や、中山間地の農業の将来、その後継者問題、工業労働力の問題がいっぺんに解決するという話題だった。そんな話をしているうちに、伊藤滋大先生が、喫煙室に入ってこられた。これだから煙草はやめられない。重要な情報交換の場となるのである。
 伊藤先生が講演の中で、地元三紙で編集した中越沖地震写真集のことを、とても褒めてくださったので、さっそくお礼を申し上げた。大変きさくな先生で、私らごときにも気軽に声を掛けてくださる。ベトナム人誘致の話題は、先生が発信源だったので、再びその話で盛り上がる。先生によれば、ベトナム人は極めて勤勉で働き者だということで、「日本の高齢者の介護だって、実の子供よりよくやってくれる」という。本当に少子高齢化問題も、中山間地の農業問題も、過疎の問題も解決してしまうのではないか。
 北京帰りの私が、中国の米のまずさを指摘し、中国の富裕層がコシヒカリを普通の米の十倍のお金を出しても買うという話をしたら、皆さん「日本から中国に米を輸出しよう」ということになり、これで減反政策に代表される日本の農業政策の矛盾も解決されることになったのであった。めでたし、めでたし。

越後タイムス3月21日「週末点描」より)


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