玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

栴檀は双葉より芳し

2014年04月10日 | 日記
 東日本大震災から三年目の三月十一日、テレビでは多くの特集番組が組まれていたが、何も観なかった。ただし、当日東本町一の「あまやどり」で行われた合同追悼式を取材させてもらって、参加者の方々と一緒に黙祷した。
 大熊町からの避難者の方と話すことができたが、「一年目、二年目はともかく、三年目には涙も出ない」とのことだった。柏崎への避難者は、帰宅困難区域に居住していた人達が多く、現在も九百四十一人(二月末現在)の方々が避難生活を余儀なくされている。
「いつ帰れるか分からないが、いつか帰れると思わなければ、とてもやっていけない」との大熊町の女性の悲痛な声に言葉もなかった。「あまやどりに集まって手芸を楽しんだり、柏崎の人と交流したりすること」だけを支えに、これまでの三年間を過ごしてきたという。
 福島県から県外への避難者は二月十三日現在で四万七千九百九十五人を数え、県内避難者を含めれば、未だに約十四万人もの人々が避難生活を強いられている。原発関連死も千人を超えたという。歴史上、戦乱の時代を除いて、このような事態はまったく稀有なことであって、私どもはそのことを忘れてはならない。
 それにしても「あまやどり」とは。一時的に雨露をしのぐ場所であったはずの場所は、この先何年続くことになるのだろう。避難者の中には永住を決めた人もいれば、福島県に帰っていく人もいる。帰るといっても故郷に帰れるわけではなく、いわき市などに移住せざるを得ないのだ。いわき市の人口は、この間二万人も増えたという。
「あまやどり」には各市町村の花や木が飾られていた。その中に「栴檀」があった。双葉町の木である。「栴檀は二葉より芳し」という諺からきている。福島県では栴檀はありふれた木で、その実を鳥達が好んで食べ、あちこちに種を撒く。だから至る所に芽を出すのだそうで、それほどに繁殖力の強い木であるらしい。
 そんな話を聞いて、避難者の方々の生命力の強さと、そして現在置かれている立場について考えさせられたのだった。

越後タイムス3月25日「週末点描」より)

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原発事故めぐる健忘症

2014年04月10日 | 日記
 あれから三年が経とうとしている。三年前のあの日から数日間、テレビ画面に釘付けになり、あの恐るべき大津波の映像、そして、福島第一原発の三つの号機の水素爆発の映像を恐怖におののきながら見ていたことを思い出す。
 三年目の三月十一日にテレビ局は、そうした映像を再現してみせるであろうが、私にはもうそれを正視することができない。忘れたいからではない。もう一度見ることの恐怖に耐えきれないのだ。
 また、あの年の三月十六日に出会った、ある青年のことも忘れることができない。その青年は福島第一原発構内で働いていて、事故を目の当たりにし、そこから直接柏崎に“逃げてきた”のだった。四匹の愛犬とともに恐怖に震えていたその青年は、原発構内の様子を詳しく話してくれた。「東電にダマされていた」と語った彼は、今どこでどうしているだろう。
 三年間の間に多くの健忘症が蔓延してしまった。東京オリンピック招致のために福島は東京から隔離され、汚染水の流出さえ「完全にコントロールされている」ことにされた。その後、なぜか汚染水のニュースはめっきり少なくなった。
 それまでオリンピックに興味の薄かった都民の関心が、急に高まったのも不可思議な現象である。都民は結局、東京オリンピック招致決定を歓迎し、オリンピック成功を公約とする候補を知事に選んだ。オリンピックに向けたインフラ整備は東北の復興に悪影響を与えることは目に見えているのに、都民は“忘却”の道を選んだ。
 組織委員会会長は「原発ゼロならオリンピック返上だ」と言ったが、これは招致委員会が「我々は原発の電気なしでオリンピックを運営する」と公約していたことを完全に忘れた発言だった。福島の被災者のためにも、東京オリンピックは原発電源なしで開催されなければならない。

越後タイムス3月10日「週末点描」より)

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飽食のグルメグランプリ

2014年04月10日 | 日記
 十二日に開かれた「柏崎鯛茶漬け」準グランプリ受賞報告会で、実績報告として、過去五回のどんぶり選手権における細かい数字や、会場で行われたアンケートの集計結果が資料として配付されたので紹介しておきたい。
 選手権は一月十日から十九日まで行われ、人出が最も多かったのが十二日の日曜日、二番目が十八日の土曜日であった。鯛茶漬けが一番売れたのは十八日で、二千七十食売れた。十九日には千七百四食出たが途中で品切れとなり、総販売数は一万四千八百四十四食となった。品切れがなければ一万五千食を超えていただろうという。
 十八日は午前十時から午後八時までの十時間の勝負で、一日二千七十食というのは一時間当たり二百七食、一食当たり十七秒で出した計算になる。苛酷なコンテストである。仕込みも大変で、十二軒の旅館・料理屋に依頼して一カ月半かけて一トンの鯛を仕込んだというからものすごい。
 日帰り応援バスツアーの人数も報告されていて、昨年は三百五十八人が柏崎から応援に駆け付けたのに対し、今年は一日増えたのに二百六十六人に止まった。いつまでも熱意は続かないということを意味しているか?
 アンケート結果は興味深い。「鯛茶漬けを食べて柏崎に行ってみたいと思ったか」という設問に対して、「今年か来年行きたい」が三八・九%、「何かきっかけがあれば訪れてみたい」が五五・四%、合わせて九四・三%もあった。食べ物の魅力がいかに大きいかが分かる。回答は四百八十通あった。
「柏崎を訪れるとしたら何に興味があるか」という設問(複数回答)に対しては、「鯛茶漬け」が三百九十六でトップで、これはあたりまえ。「日本海に沈む夕日」が三百十七、「新鮮な魚介類」が二百六十七、海の大花火大会が意外と少なくて四位の二百三十二だった。
 魚介類と鯛茶漬けを組み合わせれば、大きな魅力になりうるということは分かる。一昨年は函館の朝市を、昨年は札幌の場外市場を訪れたが、広い市場の中に食堂がたくさんあって、多くの観光客を集めていた。むずかしいことかもしれないが、誘客のためには必要な仕掛けだろう。グランプリ連続出場よりも、そうした取り組みに期待したい。
 ところで、グルメグランプリが各地で盛んに行われているが、私が危惧するのは食材が無駄に捨てられることである。よく売れるところはいいが、売れないところは用意した食材を始末しなければならない。グルメグランプリもまた“飽食”の範疇にあるイベントなのだ。

越後タイムス2月25日「週末点描」より)

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早くしないと利用者が……

2014年04月10日 | 日記
 一月三十日の深夜から強い風が吹いていたので、一抹の不安は感じていた。翌日所用で前橋まで行く予定があったからである。午前九時一分柏崎発の「北越」に乗り、長岡九時三十七分の新幹線に乗り換え、十時二十八分高崎着、その後は小山線を利用するつもりでいた。
 三十一日の朝も風が強かったので、駅まで様子を見に行った。二番線に大勢の人達がいて電車を待っている様子だったので、“大丈夫”だと思い、予定通りの電車に乗ることにした。
 しかし、九時前に駅に行くと、ホームには誰もおらず、構内は通学の高校生達でごったがえしていた。強風のため、徐行運転で列車に遅れが出ていたのだった。しかし目的の「北越」は二十分遅れとのことで、次の新幹線には間に合うと思い、待合室で待つことにした。
 ところが、構内アナウンスで「青海川│鯨波間、強風のため運行できなくなりました。動きましたらまたご案内します」とのこと。“まあ仕方ない。早く動いてくれ”と思いながら、「北越」の到着を待った。結局「北越」は五十分以上遅れて到着した。
 長岡で新幹線に乗り換えようとしたが、十時七分発も行ってしまったあとで、次の十時三十八分は高崎に停まらない。結局十一時三十七分まで一時間、長岡駅で足止めを喰らった。結局高崎に着いたのが十二時二十九分。前橋に着いたのは午後一時であった。
 なんと柏崎│前橋間の所要時間は四時間であった。東京往復さえ可能な時間ではないか。こんなことなら、長岡まで車で行って、新幹線だけの利用にすべきだった。……と、こんなふうに信越本線の利用者は減っていく。
 ある新年会で、柏崎駅の宮下駅長さんにお会いしたので、そのことを訴えた。駅長さんが言うには、特に笠島│青海川間がネックなので、その間の防風柵の設置を要望しているとのこと。早くしないと、利用者がいなくなっちゃうよ!
 もうひとつ。青海川駅は海に最も近い駅として知られているが、宮下駅長によると、「こんなに海の近くに線路を敷設したはずはない。長い間に海岸線が浸食されたのだろう」とのことであった。

越後タイムス2月10日「週末点描」より)

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東京都民は何を選択するのか

2014年04月10日 | 日記
 泉田知事は「東京都は電力の大量消費で、東京電力に対する株主提案権も持っている。大いに議論してほしい」と言い、会田市長は「原発について大いに議論が交わされ、より理解が深まることは意義のあることではないか」と言った。
 いずれも二十三日告示、二月九日投開票の東京都知事選についての発言である。自民党は原発の問題は国の政策に関わることであり、都で決めることではないと、原発が争点化することへの警戒を見せている。しかし、事故を起こした福島原発の電気も、柏崎刈羽原発の電気も、全て首都圏で消費されてきたのであり、東京都で議論されることに何の不都合もない。
 自分たちが使う電気がどこで作られているのかも知らない、そのことを意識したこともない多くの都民がいる。そうした都民に原発事故被災者の苦しみや、柏崎刈羽住民の息苦しさについて思いを馳せてもらうことは、絶対に必要なことではないか。
 先の総選挙でも、参院選でも、なぜか原発は争点とはならずに終わった。これから日本のエネルギー政策をどうしていくかという問題は、最も大きな問題であるにも拘わらず……。しばらく国政選挙はないから、都知事選に期待しよう。
 東京都民が「原発の電気はいらない」と言うか、「もうしばらく原発の電気を使わせてくれ」と言うかは、今後の原発政策を左右する大きな指標となるだろう。議論できる期間が短くなっていることは残念だが、他の問題よりも最優先で議論を闘わせてほしい。

越後タイムス1月25日「週末点描」より)

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娘夫婦のプレゼント

2014年04月10日 | 日記
 長い正月休みだった。娘夫婦が孫を連れてやってきて、喧噪の末に帰っていくという、どこの田舎にもあるお決まりの正月風景だった。孫が「おじいちゃんいらない」と言うので、姿を消しては本を読んでいた。おかげで読書がはかどった。
 娘夫婦が「ブックオフに行きたいから車出して」と言うので、孫も一緒に出掛けた。駐車場は満車状態で、店内も込み合っていた。「正月はこういう場所に人が集まるのか」と認識した。
 ブックオフは、本の内容ではなく、本が綺麗か汚いかだけで値段を決めて買い入れるから、かつては稀覯本が百円で売られたりしているなど、掘り出し物が結構あったようだが、今日ではそのようなことはない。今では手に入らないような個人全集の類も一切ない。
 ひたすら軽い本だけが棚一杯に並んでいて、ほとんどの本が消費税含めて一冊百五円で買える。しかも正月はさらに二割引ということで、それで大勢のお客で賑わっていたのだった。どの棚を眺めても欲しい本はなかったが、料理本のコーナーに美味しそうな写真のイタリアンの本があったので、暇になったら挑戦しようと購入することにした。
 娘夫婦が「運転代に買ってあげる」と言うので、お言葉に甘えることにした。いいプレゼントだった。孫も絵本を三冊買ってもらった。どれも一冊百五円の二割引だった。人が集まるわけだと思った。
 ところで正月早々、風邪をひいてしまった。咳が出る。洟も出る。喉が少し痛い。多分、今冬最高の寒さだった五日の日に、屋外で出初め式の取材をしたせいだろう。昨年は一斉放水の水しぶきを浴びても平気だったのに。
 風邪をひくのは、確か十五年ぶりくらいである。犬や馬鹿と同じで、ほとんど風邪をひかない人間で、社会人になってから風邪で休んだのは、二十五年前にインフルエンザに罹った時、ただ一日だけである。意外と丈夫なのがとりえなのだ。でも久しぶりの風邪に少し限界を感じてもいる。

越後タイムス1月10日「週末点描」より)

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