玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

秋風が……

2014年09月17日 | 日記
 秋風が吹く。残暑もなく、朝晩は寒いほどの気温が続く。八月三十日には、キャノン賞を受賞した牧岡孝明さんの写真展を観に上京したが、この日も涼しくて、それ以来ずっと長袖で通している。
 それにしても八月の天候は異常だった。案の定、今夏の海水浴場入込数は昨年より十八万八千人も減って、六十一万二千人と、目も当てられない数字となってしまった。野菜も高騰していて、レタスなんかひと玉三百円近くするので、とても買えない。
 毎年夏になると、マクワウリを買って食べるのを楽しみにしている。夏の風物詩スイカがあまり好物ではないので、夏の果物といえばマクワウリなのだ。マクワウリにもいろいろあって、本当は緑色で縞の入った細長いのが好きなのだが、近頃どこにも売っていないので、主に黄色マクワウリを食べる。
 ところが、この黄色マクワウリは、当たりはずれがあって、甘味のあるのは美味しいのだが、まったく甘味のないのをつかまされると、あまりの不味さに幻滅してしまうことになる。
 前日が好天で高温だった日に買うと当たるという法則を発見し、それを実践してきたのだが、今年はそれもはずれっぱなしだった。また最近出回ってきた、大きさが十センチくらいのミニメロンは比較的当たりはずれがないのだが、今年はそれもはずれることが多かった。天候不順のせいだ。
 ところで、海水浴客減少の大きな原因に、少子化ということがあるようだ。確かに自分のことを考えても、海水浴を楽しんだのは、独身時代と、子供が大きくなるまで一緒に行った時代だけで、それ以降はまったく海水浴をしていない。
 少子化という構造的な要因があるならば、海水浴入込客挽回も相当にむずかしいものとなるだろう。“海の柏崎”というキャッチフレーズも過去のイメージとなってしまいかねない。マリンスポーツを売り込むという考えもあるようだが、これも夏限定である。四季を通じて楽しめるのは、やはり釣り以外にはないだろう。
 と言いながら、釣りの本は読んだことがあっても、海釣りも川釣りも、子供の時以来、ほとんどやったことがない。

越後タイムス9月10日号「週末点描」より)

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戦争はしたくない

2014年09月17日 | 日記
 台所にゴキブリが出没して、気味が悪いので、粘着シート型捕虫器を置いてあるが、これがさっぱり効き目がない。そこで「ゴキブリ凍止ジェット」という、マイナス七十五度の冷凍ガスを噴射する新兵器を買って試してみた。
 夜中にシンク内をうろちょろする大きな一匹を発見、すぐさま近くに置いてあったジェットを吹きつける。ゴキブリは一瞬で凍りついて動けなくなる。さらに駄目押しの噴射で、見事に仕留めた。その間、わずか五秒であった。
 この新兵器は直接肌に噴射すれば凍傷になりかねないが、基本的に無毒で、台所で使用するにはまことに合理的である。しかも、一定の距離をおいて使用するから、ゴキブリを殺すことへの嫌悪感もない。理想的な新兵器である。
 ところで、ベランダの物干し場近くに、アシナガバチが巣を作っていると家人が言うので、見てみると直径十五センチほどの巨大な巣に、無数のハチがたむろしている。アシナガバチはスズメバチほど凶暴ではないので、退治するほどではないと思うが、「洗濯物に入ったら危ない」と家人が言うので、仕方なくやっつけることにした。
「ゴキジェットでやってみよう」ということになり、早速一メートルくらいの距離から噴射してみる。一瞬で凍りつくかと思いきや、ハチたちは巣から飛び立って逃げてしまう。「ゴキジェットではダメだ」。地を這うものには効いても、空を飛ぶものには効き目がないのだ。
 では、ということで、薬局へ「ハチジェット」を買いに走った。スズメバチにも効くという「ダブルジェット」を買い求めて、すぐに実行。こちらは殺虫剤で毒性がある。一噴き、二噴きで、ハチがボロボロ落ちてくる。ものすごい兵器だ。成虫が二十五匹、幼虫が十五匹ほど死骸と化した。
「巣に戻ってきたハチも駆除!」と書いてある。持続性があるのだ。あまりの効果に恐ろしくなった。翌日、虐殺をまぬがれた一匹が巣の周辺を飛んでいた。「こいつも巣に残った毒でやられるだろう」と思うと、罪悪感にかられた。戦争はしたくない。

越後タイムス8月25日号「週末点描」より)

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寂しい絵あんどん展

2014年09月17日 | 日記
 二日・三日にぴっから通りで開かれた、ふるさとまつり絵あんどん展に出掛けてみて、少し寂しい思いがした。今年の出品者は九十六人で、出品数は百二十一点であった。一時は、ぴっから通りとえんま通りの商店街を埋め尽くすくらいの点数があって、夕涼みを兼ねてじっくり見ることができたし、気に入った作品に入札する楽しみもあった。
 今年はえんま通りが県道拡幅工事のため、ぴっから通りだけの展示だったが、ぴっから通りだけでもまばらの感は否めなかった。調べてみると、平成十四年には二百二十点、平成十六年には二百三十点の出品があったから、十年間で半減していることになる。
 また、二日の日は「ほんちょうマルシェ」との併催で、人の流れは完全に二分されていた。若い人や親子連れは、絵あんどんなど見向きもせずにマルシェで飲食を楽しんでいた。絵あんどんをじっくり眺めているのは高齢者ばかりであった。食べ物には勝てないのだ。
 帰省客を楽しませるために、以前のようにお盆の開催にしたらどうかと思うのだが、実行委員会によると、そうもいかないようだ。お盆には刈羽村のふるさとまつりが開催されて、一流どころの芸能人がやってくるから、そちらにお客をとられる傾向になっていたらしい。
 さらに、入札金額は最低千円から最高三万円までと決められているが、ほとんどが二千円程度で、一万円以上などめったにないという。こうしたものにお金を払う心の余裕が柏崎人には失われてしまったのだろうか。描いた人に失礼とは思わないのだろうか。
 だから、ふるさとまつりの収入は極めて少なく、翌年の開催に回す予算を確保できない。それに加えて、描く人の高齢化で出品数も激減しているから、悪循環となる。盆の開催もむずかしく、一週前のマルシェとの同時開催もやむをえないということらしい。
 寂しいのは、まち中でお盆らしい静かな行事がなくなりつつあることである。古くは大正時代に遡る歴史ある絵あんどん展をなんとか続けていってほしい。

越後タイムス8月9日号「週末点描」より)

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