玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

小林久子さんの自分史

2009年07月27日 | 日記
 日石加工柏崎工場の工場長だった森敏昭さんから、ある女性の自分史を託された。「すごいから読んでみろ」というのである。大正十二年五月東京生まれというから、現在八十六歳。その自分史は六十歳代に書かれたものだが、一気に読ませられた。その内容も、文章も驚くべきものだった。
 いきなり関東大震災の場面から始まる。大震災は大正十二年九月一日に発生しているから、まだ四カ月の赤ん坊である。その女の子は、兄の献身的な努力によって地獄のような現場から奇跡的に救出される。その救出劇が、兄の遺稿に生々しく描かれている。
 祖母と母、別の兄を失った女の子は、当時の柏崎町に住む、母の姉夫婦の養女となる。少女の孤独感や養父との確執が、生き生きと描かれている。自殺未遂のことまで隠さず書く。文章は感傷に流れず、簡潔にして要を得ている。
 女の子はタイピストとして、日本石油柏崎製油所に入社することになる。女性はたった一人の職場だった。現在のOLの走りのようなもので、よほど優秀な女性だったのだろう。その自分史を、今週から連載する。小林久子さん(横浜市在住)の「背中をピンとのばして」である。連載開始の週が、中越沖地震発生から二周年の週と重なったのも、何かの縁であろう。関東大震災の惨状を読んでみていただきたい。
 久子さんは、一カ月ほど前、柏崎で開かれた日石柏崎OB会に、夫の留吉さんと出席され、昔懐かしい仲間と会えて嬉しそうだった。多少耳は遠いけれど、矍鑠として元気な姿を見せてくれた。

越後タイムス7月17日「週末点描」より)


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8グラムへの挑戦

2009年07月11日 | 日記
 高柳町門出の「越の生紙工房」で、トキめき新潟国体天皇杯、皇后杯の表彰状用紙を漉くというので取材に行った。小林康生さんが紙を漉くところを初めて見せてもらった。
 専用の枠が八万五千円もし、簀が三万八千円もするというのに驚いた。A3の賞状用だから小さなものだ。枠が高すぎるので、代用品を購入したというが、木の乾燥が十分でなく、漉いているうちにゆがみが生じてくるらしい。
 ガムテームで補正しながら、作業は進んでいった。紙漉きの技法などはまったく知らないが、小林さんによれば、最初薄く均一に簀の上に材料をのばして、基礎をつくるのだという。それから何回も漉く操作を繰り返して厚みを出していく。
 小林さんは、「紙屋にとって何回やっても分からないのが厚みだ」と話す。今回は一枚八グラムの紙を三枚重ねて二十五グラム程度の表彰状に仕上げる。八グラムといっても乾燥した状態での八グラムだから、どう加減して八グラムの紙を漉くのか、素人には想像もつかない。最も熟練を要する部分なのだろう。
 また、三枚重ねにする場合、簀から離して重ねる時に正確に紙の位置が一定していなければならない。特別にガイドをつけて作業していたが、ちょっとでも手元が狂えばずれてしまう。これもまた、むずかしい作業で、紙漉きの奥の深さを感じさせるのだった。
 一般の洋紙は百年ももたないという。小林さんは千年経ってもしっかり残る“生紙”にこだわり続ける。しかし、新潟県はともかく、全国的には和紙業界は衰退の一途をたどっていて、後継者もほとんどいないのが現状だという。ところで、千年後に残す価値のあるものを、現代人が和紙に記したり描いたりできるのだろうか。

越後タイムス7月10日「週末点描」より)


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寄生虫? ピロリ菌?

2009年07月05日 | 日記
 文学と美術のライブラリー「游文舎」で開かれた、企画委員の霜田文子さん初の個展は大盛況だった。地方では抽象画を描く人は少ないし、市展などでもほとんど抽象画は出品されない。にもかかわらず多くの方が来館され、熱心に見ていただいた。企画委員の一人として感謝したい。
 「游文舎」では、ほとんど具象画の展覧会はやらない。ほかでやっているからだ。抽象画の方が表現の幅が広くて面白いし、時代の要請に応える部分も持っている。でも、「むずかしくて分からない」という人が多い。何が描かれているか頭で分かろうとするからむずかしくなってしまう。ストレートにそのまま感じ取ればいい。抽象画の方がよほど直截的に見るものの感性を刺激する。
 ところで《蝟集》という二十五号の作品があって、無数の卵がブドウの房状に集合しているような不思議な絵柄であった。この《蝟集》の“蝟”の字を読めない人が多くて、「何て読むの」とよく聴かれた。“胃”が音を表しているので、これは単純に“いしゅう”と読めばいい。
 さらに、“蝟”の字の意味を聴いてくる人がいるので、こちらも分からないから、冗談に「胃の中にいる虫だから寄生虫でしょ」と答えた。ならば、この作品は寄生虫の卵の増殖を描いているのだろうか。しかし、隣りにいた三井田保険部の三井田勝一さんが「ピロリ菌だな」と応じた。大笑いしてしまった。
 あとで調べると、虫偏の文字なのに、寄生虫でもなく、ピロリ菌でもない。“ハリネズミ”のことを漢字で“蝟”と書くのだった。だから“蝟集”の意味は、“ハリネズミの毛のように、無数のものが一カ所に集まっていること”だという。
 さらに“蝟”の字は“彙”の別体で、“彙”の字も同様にハリネズミのことを表すという。“彙”の字は、“語彙”(一定の範囲に用いられる語の総体)という言葉で使うことがあるくらいで、めったに使わない文字だが、こんなところにハリネズミが隠れているとは夢にも思わなかった。漢字の世界は途方もなく奥深い。

越後タイムス7月3日「週末点描」より)


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