玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『三つのブルジョワ物語』(3)

2015年06月30日 | ゴシック論

 マウリシオは16歳である。彼は同年代の男の子が好きな、何ものをも好きではない。女の子も映画もスポーツもバイクもおしゃれもまったく好きではないが、ラヴェルだけは好きなのだ。なぜかと問われてマウリシオは「ぼくと同じ名前だからだよ」と答えるが(マウリシオはモーリスのスペイン語名)、そんなことは本当の理由ではない。
 しかしマウリシオは母親が用意したロベール・カザドシュの「夜のガスパール」を聴こうともしない。すでに「夜のガスパール」はマウリシオの心の中に刻み込まれていて、彼の内部から聞こえてくる「夜のガスパール」だけが本物なのであって、レコードなど聴くに値しないのだ。
 16歳でラヴェルを好むということ、ジャズやポップスでもなく、よりポピュラーなクラシック音楽でもなく、ラヴェルを、しかもラヴェルの曲の中でもっともゴシック的な「夜のガスパール」を好むということは、ブルジョワ的感性の母親と対立する事を意味している。
 シルビアはマウリシオのことをまったく理解することができずに、難詰を重ねていく。ラヴェルを"頽廃的"と決めつけ(確かにそうだ、だからこそ素晴らしいのだと言われたら彼女はなんと答えるだろう)、マウリシオに向かって「そんなことじゃ、とても生きていけないわよ。戦いに勝ち、野心を抱き、なんと言えばいいか、角のある人間になろうとすれば、もっと逞しくならなきゃだめよ」と叱咤する。
 そのような言葉はマウリシオにとって暴力行為に等しい。「母親、父親、祖母、学校の仲間、先生といった自分との間にはっきり名づけられる関係をもっている人たち、あるいは自分にたいしてなんらかの権利をもっている人たちはひとり残らず、ぼくを凌辱しているんだ」とマウリシオは呟く。
 ここに文学や芸術というものが世界に対して敵対的に対峙していく原型を見ることが出来ると同時に、それこそがホセ・ドノソ自身の少年時代の体験であったであろうことを明瞭に窺うことができる。
 16歳で「夜のガスパール」を好むということは、少年時代からゴシック的感性を自らの内部に育んでいくことを意味している。ここで我々はホセ・ドノソが『夜のみだらな鳥』のエピグラフに掲げたヘンリー・ジェイムズ(父)の言葉を思い出さなければならない。
「精神生活の可能なすべての人間が生まれながらに受け継いでいるのは、狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森なのだ」
 しかも父ヘンリーは、そのことに「分別のつく十代に達した者ならば誰でも」気づくのだと言っているではないか。
 だから、マウリシオは16歳でなければならないし、『夜のみだらな鳥』と並ぶドノソの代表作『別荘』という作品において、親たち、そして世界に対立していく33人の子供達もまた充分に子供でなければならない。

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ホセ・ドノソ『三つのブルジョワ物語』(2)

2015年06月30日 | ゴシック論

 シルビア・コルダイが息子マウリシオの口笛の曲をどのように聴くかということが、ここで重要な問題となる。シルビアは息子の吹く「夜のガスパール」を極めて正確に聴き取っているかにみえる。
「単純なメロディーの曲とはちがうものだった。楽句のあいだにじつにうまく沈黙がはさんであるので、沈黙が音楽そのものとかわらないほど重要なものになっていた。それらがなんとも説明のつかない形で結び合わされて、曲全体に繊細さと荒廃感、それに触知しがたいまでに透明な冷ややかさをもたらしていたが、シルビアはその口笛を聞いていて、背筋にぞっと冷たいものが走るのを感じた」
 むしろ正確に聴き取っているのはシルビアではなく、ホセ・ドノソなのであって、シルビアはただ単に"背筋に冷たいものを感じた"だけなのだろう。シルビアはこの曲をとうてい受け入れることができない。
 ブルジョア的感性の持ち主であるシルビアはこの曲を受け入れることができない。まして我が子がこんな曲を口笛で吹いていることに耐えられない。マウリシオが「あの聞いたこともない音楽を口笛で吹きながら、自分のまわりになんとも奇妙で、統一がとれ、理解しがたく、複雑きわまりない円環を作り出してその中に閉じこもって」いることが許せない。
 ホセ・ドノソはラヴェルの「夜のガスパール」にそのような本質を見ているのであって、子供には決して相応しくなく、むしろ危険な音楽の代表として「夜のガスパール」を選択している。ラヴェルの「夜のガスパール」は極めてゴシック的な本質を持った曲であって、そのような曲を他に想定することは難しいだろう。ラヴェルはベルトランの『夜のガスパール』のゴシック性をこそ際だたせようとして作曲したのであるから。
 だから、「夜のガスパール」の3曲〈オンディーヌ〉〈絞首台〉〈スカルボ〉はそれがいかに難曲であっても、マウリシオの口笛によって忠実に再現されなければならないのだ。
 ところで、3曲ともマウリシオが吹く場面は出てくるが、〈オンディーヌ〉について完全に間違った注がついているので指摘しておかなければならない。木村榮一は〈オンディ-ヌ〉に「H・W・ヘンツェ作曲のバレエ曲」などという割注をつけているが、完全な間違いである。言うまでもなくラヴェルの「夜のガスパール」の1曲としての〈オンディーヌ〉でなければならない。2曲目の〈絞首台〉については、マウリシオがそれを吹くことで極めて危険な行動に出ることになるが、そのことについては後ほど触れる。
 ところで、3曲目の〈スカルボ〉の名が出てくる前に、"甲虫"という言葉が頻繁に出てくるが、甲虫のイメージは〈スカルボ〉のそれに合致している。"スカルボ"はベルトランの創造したいたずらな妖怪であるが、scarboという名がscarab"スカラベ"(フンコロガシ)から来ていることは確実で、その読み替えがドノソ本人によるものなのか、訳者木村によるものなのかは、スペイン語を解しない私には分からない。


 

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ホセ・ドノソ『三つのブルジョワ物語』(1)

2015年06月29日 | ゴシック論
 アメリカ文学に深入りしていると、いっこうに先に進まないので、突然ではあるが私の最終目標であるホセ・ドノソ(木村榮一はホセ・ドノーソと表記しているが、現在ではこちらが一般的)の作品を取り上げることにする。北米から南米に移行するのも自然だし、現代アメリカの短編から現代南米のドノソの短編に移行するのもスムーズな流れだろう。
『三つのブルジョワ物語』は三つの短編(というよりも中編に近い)からなっていて、三編の中で登場人物がだぶっているし、お互いに関連しているから、三部作と呼ぶ方が適当であろう。
「Ⅰ、チャタヌーガ・チューチュー」「Ⅱ、緑色原子第五番」「Ⅲ、夜のガスパール」の三編であり、最初に取り上げるのは三番目の「夜のガスパール」である。なぜかと言えば、この作品の主役は少年であり、子供というものがドノソの代表作『夜のみだらな鳥』でも、もう一つの代表作『別荘』でも大きな意味を持っているからである。
『三つのブルジョワ物語』はスペインのバルセロナを舞台にしていて、「チャタヌーガ・チューチュー」のヒロインが、モデルとして大成功したお金持ちという設定になっているから、“ブルジョワ”という用語は“プロレタリア”に対立するものというよりも、華やかな芸能界の人々くらいの意味を持っている。
 三作ともそのようなブルジョワ達の虚飾に満ちた生き方を、風刺的にあるいはコミカルに描いているわけだが「夜のガスパール」に登場する少年だけが異質であって、この作品を前二作とは違ったものにしている。
「夜のガスパール」は前に取り上げたように、アロイジウス・ベルトランの散文詩のタイトルであり、その中の三編を音楽で表現したモーリス・ラヴェルのピアノ曲のタイトルでもある。だからホセ・ドノソはどちらに焦点を絞って作品の中に組み込んでいくのかと思って読み始めると、すぐにラヴェルの「夜のガスパール」の方であることが分かってくる。
 シルビア・コルダイ(「チャタヌーガ・チューチュー」の主役であるモデル)のもとに、マドリッドに住む別居中の夫から、二人の息子であるマウリシオが送られてくる。しかも、この少年が一日中口笛で吹いているのが、ラヴェルの「夜のガスパール」なのである。
 しかし、ピアノで弾くことさえ至難の技という「夜のガスパール」という難曲を、原曲に完璧に忠実に口笛で演奏することなどできるはずはない。ためしに楽譜を見て欲しい(これは特に難しいといわれる〈スカルボ〉の一部)。]

 こんな複雑極まりなく、ものすごいスピードで細かい音が連続する曲を口笛で忠実に再現することなど不可能なのであって、ドノソだってそんな事は承知の上だろう。
 しかいマウリシオは「夜のガスパール」を原曲に忠実に口笛で吹かなければならない。なぜならこの小説では「夜のガスパール」という曲そのものが、最も重要な意味を持っているからである。他の作曲家の曲ではだめだし、ラヴェルの他の曲でもだめ、そして口笛で簡略化して吹くのでもいけないのだ。

ホセ・ドノーソ『三つのブルジョワ物語』(1994、集英社文庫)木村榮一訳(1990年刊〈集英社ギャラリー〔世界の文学〕19.ラテンアメリカ〉の一部ホセ・ドノーソ「ブルジョワ社会」を文庫化したもの)

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志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』(5)

2015年06月27日 | ゴシック論
 トマス・ピンチョンの「エントロピー」という作品を読むと、この人がアメリカ新文学の旗手と言われているわけがよく分かる。ピンチョンは長編作家であって、短編作品はこの「エントロピー」と他に数編あるだけというが、短編を読むだけでもその力量が窺える作家である。
 テーマは熱力学の第二法則、ギッブスとボルツマンによる、閉鎖系におけるエントロピー増大の法則であり、ピンチョンはそれを人間や社会の現象のメタファーとみなしている。
 1957年、ワシントン市のあるアパートの三階では、ミートボール・マリガンのアパート明け渡しパーティが三日三晩にわたって続けられていて、その階上には熱力学について恋人のオーバードに講義を続けるカリストの姿がある。
 このお互いにまったく交渉のない、動と静のコントラストがよく利いている。エントロピー増大の法則とは、閉鎖系にあっては無秩序がどこまでも増大していき、やがて必ず熱死に至るというものである。3階のどんちゃん騒ぎは無秩序の増大を表しているが、それにもいつかは終わりがくる。と言うか無秩序の増大とは秩序の減少ということであって、エネルギーの偏在が失われていくことを意味しているから、どんちゃん騒ぎとはエネルギーの偏在を攪拌することによって、秩序の死をもたらすもののことなのである。
一方、カリストは死にかけた小鳥を抱きかかえて、その体を温めようとしている。熱死はこの小鳥の死に象徴されるのだが、もし熱の移動が可能ならば小鳥は生き返るだろうし、逆にエントロピー増大がもとに戻れないところに来ているとすれば、閉鎖空間(4階はカリストとオーバードが7年かけて作り上げた温室とされている)の中で熱の伝達ができずに、小鳥は死を迎えるだろう。
 ピンチョンが描く4階の温室は閉鎖系である。カリストとオーバードという二人も含めた閉鎖系は次のように説明される。
「もちろん彼と恋人はもはやこの聖域からはずされるわけにはいかなかった。全体の統一にとって必要なものになっていたからだ。彼らが外部から必要としたものは、すべて配達されるようになっていた。彼らは外へは出なかった」
 外部から配達されるものがある限り、完全な閉鎖系とはいえないかも知れないが、彼らが外に出ないとすれば、温室の閉鎖性は高まる。
 オーバードは毎日気温を測っている。ずっと変化なく温度計は華氏37度(摂氏3度)を示したまま。そんな中でカリストは絶望的な言葉を呟き続ける。
「どうやってもだめなのだ、ものごとは悪化して行くばかり、好転するということがない」
「彼(カリスト)は(中略)文化の中に熱死を予見したのである。すなわち、その状態では様々な思想が熱エネルギーのように、究極的にはそれぞれが同量のエネルギーとなるので、もはや移動しなくなり、したがって、知的活動も停止してしまうのである」
 小鳥が死にかかっている。オーバードは危機を察知して、窓ガラスをたたき壊すが、それでも華氏37度は変わることはない。ふたりは「いっさいの運動の最終的空白状態に変化する平衡がくるときまで」待つしかないことを悟る。
 この作品はピンチョンがまだ29歳の時の作品で、図式的すぎると言われるかも知れないが、ピンチョンは熱力学の第2法則を人間の文化の場に読み替えるというペシミズムを、ずっと持ち続けるだろう。それが彼の小説のエネルギーとなるだろう。カリストが自分を「つねに元気な悲観論者」と規定するように。

トマス・ピンチョン「エントロピー」井上謙治訳
(この項おわり)


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志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』(4)

2015年06月26日 | ゴシック論
 16編の中にはコンラッド・エイケンの「ひそかな雪、ひめやかな雪」のように抒情的で静かな幻想小説もあるが、たいがいが饒舌で、あくの強い作品ばかりである。
 とくにジョン・バースの「嘆願書」はそうした傾向を強く持っている。文章は理路整然としていて、まったく何の破綻もないが、書いてあることがあまりにグロテスクで、読者に対する挑発的な姿勢を感じないではいられない。
「嘆願書」というのは、シャム双生児の弟がアメリカを訪れたインドの(仏陀の子孫とあるから多分)プラジャディポック陛下に、兄の非道を訴え「世界最高水準の外科医にご下命をたまわり、私を兄から成功裡に切断し、すくなくとも一方の命をとりとめて他方から解放」することを求めるものなのである。
 これが何かの風刺なのかどうか定かには分からない。しかし「嘆願書」の中に「東洋の宗教と哲学は、個と個の差異を極少化し、同一性と異質性の違いさえ否定する」とあるからには、その逆として西欧人の個と個の差異を極大化し、対立の中で苦しむ生き方を、東洋の施術によって救って欲しいというメッセージなのだろうか。あるいはそうした読みさえ嘲笑するような冗談なのかも知れないが……。
 チャンとエンという東洋のシャム双生児が理想的兄弟愛によって、体が接続していても幸せだったのに対し、嘆願子と兄の二人は「私の腹と兄の腰」とで接続していて、お互いの行動の大きな障害にはなるし、それよりも性格が正反対で、いつも対立を繰り返し、お互いの存在を否定し合っている。
 これなどアメリカ人の一般大衆と知識人との相容れぬ対立的性格を寓意しているようにも思えるが、それをわざわざシャム双生児を登場させて表現するところに、バースのグロテスクな想像力を見ないわけにはいかない。
もう一人の現代作家ドナルド・バーセルミーの「大統領」もグロテスクな想像力を発揮している。時の大統領は「肩までの高さわずかに百二十二センチ」という風変わりな男であり、大統領が不可解で風変わりであるために、失神者が続出するというのである。
いたるところで赤ん坊が、少女が、警察官達が、人々が失神しつつある。最後には大統領が観劇するオペラ「ジプシー男爵」の公演で、出演者全員が「大きな失神集団となってオーケストラ席に滑り落ちる」のである。
 志村正雄は解説で「テーマは大統領のカリスマ性とアメリカ的集団ヒステリーという伝統的なものである」と言っているが、そうであるにしてもバーセルミーの想像力はグロテスクなものだと言えるだろう。

ジョン・バース「嘆願書」八木敏雄訳
ドナルド・バーセルミー「大統領」志村正雄訳

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志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』(3)

2015年06月25日 | ゴシック論
『現代アメリカ幻想小説』には16人の作家による16編の作品が収められているのだが、これらの作品の中で超常現象を扱った作品はほとんどない。それはシリーズの一冊『現代イギリス幻想小説』に収められた作品群との大きな違いではないだろうか。
 幻想というよりもむしろ夢想、妄想、奇想、あるいは狂気をテーマにした作品がほとんどであり、しかもかなり度が過ぎている。『現代イギリス幻想小説』の方は、ウォルター・デ・ラ・メアに代表されるようないささか穏当なゴースト・ストーリーが主流であり、あの下品で猥褻なルイスの『マンク』や、過激なグロテスクに満ちたマチューリンの『放浪者メルモス』を生んだ国は、いったいどうなってしまったのかとさえ思わせる。
 一方アメリカの方は、巻頭のフラナリー・オコナーの「啓示」からして過激である。貧者にも黒人にも優しく、そんな自分に満足しているターピン夫人に医者の待合室で、狂った娘がいきなりその顔に本を投げつけ、掴みかかるや「もといた地獄へ帰れ、このイボ豚ばばあ」と叫ぶのだ。
 この娘の狂気はアメリカ的偽善に向けられていることは確実であり、この娘の悪罵を「啓示」revelationと皮肉っているからには、作者がこの狂気の娘の側にいるのは確かである。それにしても下品だが……。
 あるいはまた、ポール・ボウルズの「私ではない」。列車の脱線事故に乗じて精神病院を抜け出した狂女が事故現場に向かい、一人ひとり開け放たれた死者の口に石を詰め込んでいくのだ。その描写が一人称で語られていて、慄然とするほどものすごいとしか言いようがない。
 しかも狂女は救急車に乗せられて、姉の家に行くが、そこでも姉の口に石を詰め込む。そして、いつの間にか姉と妹は入れ替わり、姉が間違えて病院に連れ戻されたのか、それもまた狂女の妄想なのか分からないまま小説は終わる。
 オコナーのそれよりもボウルズの描く狂気は徹底している。そこに狂気が開示する風刺性や寓話性など微塵もないからである。このような即物的な狂気を描いた作品を私は他に知らない。ただそれはアメリカという国に特有な表現のありかたなのではないかという想像は働く。トルーマン・カポーティの『冷血』という小説が、そのような即物的な犯罪心理を描いたものであったことを思い出すからである。

フラナリー・オコナー「啓示」志村正雄訳
ポール・ボウルズ「私ではない」八木敏雄訳
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志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』(2)

2015年06月24日 | ゴシック論
「カルカソンヌ」はたった5頁の極めて短い小説だが、ほとんど散文詩のようなリズムを持った密度の高い作品である。多くの散文詩がそうであるように、読んでもよく分からない。何が書かれていて、何が言いたいのかよく分からないが、この作品が“詩的”であることだけは感得される。
 シチュエーションは分かる。フォークナー自身と思われる「彼」が屋根裏部屋で屋根葺き用のタールを塗った紙の下に半睡状態で寝ていて、馬に乗っている自分自身の姿を夢見ているのである。いきなり次のような一節から始まる。
「ソシテオレワ鹿皮ノの色シタ小馬ノ背ニ、小馬ノ眼ワ青イ電気ノヨウ、タテガミワ縺レル炎ノヨウ、丘ヲ駈ケノボリソノママ、マッスグ空ノ高ミニ疾駆シテ
彼の体はじっとしていた。それはこんなことを考えていたのかもしれぬ」
原文は AND ME ON A BUCKSKIN PONY with eyes like blue electricity and a mane like tangled fire, galloping up the hill and right off into the high heaven of the world. His skeleton lay still. Perhaps it was thinking about this.
 この馬は「彼」の夢想の中で、十字軍の騎馬に変貌し、胴体を切られてもおのれが死んだとも知らずに走り続けるのである。その馬は走り続ける。
「今も疾駆して、馬は天翔る、今も疾駆して、天空の果てなき青山を走りつづけ、たてがみを振り乱し、金の炎の渦となる。人馬ともに走りつづけ、その轟音は微弱に消えて行く――無限の闇と沈黙にかかる臨終の星だ」
 原文はStill galloping, the horse soars outward; still galloping, it thunders up the long blue hill of heaven, its tossing mane in golden swirls like fire.
Steed and rider thunder on, thunder punily diminishing: a dying star upon the immensity of darkness and of silence
 小説の最後のくだりである。志村正雄によれば、フォークナーは本来小説家ではなく、詩人になりたかったのだそうで、この「カルカソンヌ」という作品はフォークナーの詩への強い願望を示しているのだという。だから「丘ヲ駈ケノボリソノママ、マッスグ空ノ高ミニ疾駆」する馬は空の高みにまで駈けのぼる詩の想像力を象徴しているのだ。
 また「うず高い銀の積雲の山をのぼり、ひづめの音も響かず、ひづめの跡も残らず、ひたすら未踏の青い絶壁を目指している部分、そういう部分を除いては彼のすべてが寝ていたのだ」とフォークナーは書く。
 つまり、夢想の精神は空を疾駆しているのに、それ以外の部分、肉体や骨(最初の引用で体と訳されているのはskeletonである)はだらしなく寝ているのである。ここには荘子の「胡蝶の夢」のような不可知論はなく、精神と肉体との二元論、西欧人特有の霊肉二元論が見て取れる。
 詩的想像力は肉体の桎梏を離れたところで、自由に羽ばたくのであり、アメリカにおいてもヨーロッパ流の霊肉二元論が健在であることをここに読み取ることができるだろう。
 フォークナーの「カルカソンヌ」はゴシック的である。まずは文体において、さらにはその夢想の形態において。そして夢想の空間を中心に据えていることにおいて、そのゴシック性は極めて精神的なものであると言うことができる。

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志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』(1)

2015年06月23日 | ゴシック論
白水社が1970年から1973年にかけて出した「現代(各国)幻想小説」というシリーズがある。フランス編、ドイツ編、ロシア編、イギリス編、東欧編、アメリカ編の6冊が刊行されていて、フランス編だけフランス人の幻想文学専門家マルセル・ジュネデールの編集によるもので、あとの5冊は日本人の学者の編集による。
 このシリーズの特徴は、多くの幻想文学、怪奇小説のアンソロジーがゴースト・ストーリーを専門に書いた作家(特にイギリスにたくさんいる)の作品を中心に編集されているのに対して、そのような編集方針を採っていないところにある。
 アメリカにもH・P・ラブクラフトや、現代でいえばスティーヴン・キングのようなゴースト・ストーリー専門の作家も多くいるが、志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』にはそのような作家は一人も含まれていない。ゴースト・ストーリー専門の作家は一部を除いて娯楽性が高すぎて(スティーヴン・キングをみよ)、文学としての価値に問題があるからである。
 志村はむしろアメリカ文学の王道を行くような、スタインベックやフォークナー、ヘミングウェイやカポーティの作品を選んでいる、アメリカ新文学の旗手とも言えるピンチョンやバースも含まれていて、八木俊雄の言う「アメリカ文学を代表する作家」を概観できる内容となっている。
 短編アンソロジーであるから、これによってアメリカ文学のゴシック性の傾向というものを知るには不十分であろうが、その一端を窺うことくらいはできるだろう。
 アメリカ文学に関しては、若い時にメルヴィルの『白鯨』やポオの主要な作品を読み、ブラッドベリを愛読したこともあったが熱中するとまではいかず、SF作家のフィリップ・K・ディックだけは、いかれてしまってほとんどの作品を読み、ピンチョンの『V.』その他を夢中で読み、現在はヘンリー・ジェイムズに入れ込んでいるというのが私の貧しい履歴である。
 だからアメリカ文学におけるもっとも重要な作家なのかも知れない、ウィリアム・フォークナーを読んだことがない。だから『現代アメリカ幻想小説』に収められている、ごく短い小説だがあまりにも濃厚な「肉体」という作品を読んで、驚嘆の思いを禁じ得ない。
 原題は「カルカソンヌ」Carcassonneといい、古代ローマ時代から城塞都市として栄えたフランス南部の町の名をタイトルとしているが、なぜそんなタイトルなのかも分からない。

志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』(1973,白水社)
ウィリアム・フォークナー「肉体」志村正雄訳
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ヘンリー・ジェイムズの「夜のみだらな鳥」(4)

2015年06月22日 | ゴシック論
「狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く騒然たる森」という言葉は、ゴシックをその精神性において規定する言葉に他ならない。ドノソの『夜のみだらな鳥』はラテンアメリカ文学の多くの作品の中で、もっともゴシック的な作品であると言えるし、ドノソは小説のタイトルを彼がもっとも大きな影響を受けた作家ヘンリー・ジェイムズの父親の言葉からつけたことに、大きな満足を感じたことだろう。
『夜のみだらな鳥』について書くのはまだ早すぎるので、今はまだ立ち入らないが、私としては父ヘンリー・ジェイムズの言葉がアメリカ人が受け止めたゴシックの本質に関わるものであるということを強調しておきたいし、同じ名前の息子ヘンリー・ジェイムズもまた父親から血脈としてゴシック的本質を受け継いだのではないかということも言っておきたい。
 アメリカの作家にとってゴシックは、内面的あるいは精神性に関わるものでしかあり得なかった。歴史の浅い国であるアメリカには、2000年も昔の遺跡もなければ、中世の古城もない。ヨーロッパの作家のようにそんなものを外面的になぞることはアメリカの作家には不可能なことであった。
ピューリタニズムという宗教的狂熱が、そこでどのような役割を果たしたのかということは、C・B・ブラウンの小説にかいま見ることができるし、ヘンリー・ジェイムズの父親の言葉にも窺うことのできる部分ではある。
 しかし、私にはそのような大きなテーマを扱う能力はないし、ただアメリカの作家における精神的ゴシック性ということを言っておくことができるだけに過ぎない。
 それにしても父ヘンリー・ジェイムズの手紙を原文で読んでみたい。ホセ・ドノソの掲げたエピグラフが英語で書かれているなら、見つけるのは易しいかも知れないが、スペイン語に翻訳されているとすれば原典に当たることはかなり難しいことになりそうだ。
(この項おわり)

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ヘンリー・ジェイムズの「夜のみだらな鳥」(3)

2015年06月21日 | ゴシック論
 それにしても素晴らしい文章である。自分の子供にこのような文章を書き送ることのできる父親はそうはいないだろう。ところで鼓直は「ラテンアメリカの文学」に『夜のみだらな鳥』を収載するにあたって、この父ヘンリーの文章を訳し直している。こちらの方が日本語としてこなれているのでこれも紹介しておこう。
「分別のつく十代に達した者ならば誰でも疑い始めるものだ。人生は道化芝居ではないし、お上品な喜劇でもない。それどころか人生は、それを生きる者が根を下ろしている本質的な空虚という、いと深い悲劇の地の底で花を開き、実を結ぶのではないかと。精神生活の可能なすべての人間が生まれながらに受け継いでいるのは、狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森なのだ」
 父ヘンリーがどのような人物であったかは、これまで日本で翻訳されてきた息子ヘンリー・ジェイムズの数々の作品につけられた解説によって少しは窺うことができる。父ヘンリーはアイルランドからの移住者であるその父(作家ヘンリーの祖父)に、プロテスタント流の厳しい教育を受けた。
 その反動もあったのだろうか、父ヘンリーは職業にも就かず、「書斎における思索の生活に終始し」て、神学と哲学の分野で一家をなしたという。また父ヘンリーは息子ヘンリーを、よくヨーロッパ旅行に連れて行くというような自由な教育を施したようだ。
 父ヘンリーの手紙の文章には深い絶望の色が窺えるが、それがどこから来ているのかについては知りようがない。事故による片足切断という不幸もあったようだが、それだけの理由にしては、あまりにもこの手紙に刻まれた絶望の淵は深すぎる。
 しかしその深い絶望が、人間の精神生活についての普遍的な認識に結びついているところ、つまり「精神生活の可能なすべての人間が生まれながらに受け継いでいるのは、狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森なのだ」という驚くべき認識には、文学的なものを感じないではいられない。
 ホセ・ドノソがこの手紙をどこで見つけたのかも分からない。父ヘンリーの書簡集など出ていないはずだから、息子ヘンリーの文章の中で見つけたのに違いない。ドノソはこの“夜のみだらな鳥”という言葉に驚喜したであろう。ドノソの最高傑作のタイトルとして、この言葉以上に相応しいものはありそうもないからである。
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