玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

愛のぜんりつ

2009年01月25日 | 日記
 NHK大河ドラマ「天地人」が始まった。主人公は直江兼続ということだが、最近までその名前すら知らなかった。まったくの歴史音痴なので、大河ドラマに興味を覚えたこともなく、ほとんど見たこともない。「天地人」も見ないで通すだろう。
 十五年も前のことだったろうか。与板町に勤務していた義父が、前立腺の手術で入院したことがあった。年をとると男性ならよくなる「前立腺肥大」という病気にかかって、尿道から管を入れて、肥大した前立腺を破壊するのである。
 なんでそんなことをよく覚えているかというと、義父の退院後、見舞返しに届けられたお菓子の名前が「愛の前立」というものだったからだ。当然私らは「前立」を“ぜんりつ”と読むことになった。「愛のぜんりつ」という名のお菓子が存在することに、一同戦慄(せんりつ)を覚えたのだった。
 何という“いやらしい”名前なんだろうと思った。しかし義父の説明で納得した。戦国時代に与板城主だったある武将が、兜の前につける前立(まえだて)に「愛」の文字を掲げていたことに由来する菓子の名前とのことであった。その武将こそが、直江兼続であったわけだ。
 「天地人」の放映で、与板の「愛の前立」はよく売れているらしい。NHK大河ドラマの波及効果はとてつもなく大きいようだが、こんな一年限定のキャンペーンで一喜一憂していていいのだろうか。歴史というものはもっと奥の深いものと思うが、歴史音痴の私にそんなことを言う資格はない。
 ところで、“愛”を掲げて戦争をするというのは矛盾している。どう考えても“愛”は“Love”ではない。先日新幹線に乗って「トラン・ヴェール」を見ていたら、“愛”は戦勝の神「愛宕権現」の“愛”から来ているという説があったので、納得できるものであると思った。

越後タイムス1月23日「週末点描」より)




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勇敢な少年

2009年01月11日 | 日記
 昨年十一月二十二日の新聞やテレビは、新潟市中央区の千歳大橋近くの信濃川に転落した七十歳代の女性を、新潟高校三年生の勇敢な少年が、川に飛び込んで救助したと報じた。
 この勇敢な少年は、越後タイムス編集発行人の妻の甥であって、我が家でも彼の勇気ある行動に驚嘆し、その時の新聞記事を保存してある。冬の信濃川に着衣のまま飛び込んで、溺れた人を救うなどということは、誰にでもできることではない。
 ところが、その勇敢な少年の両親が年始に我が家を訪れたので、詳しい事情を聞かされることになった。事実は、新聞やテレビの報道とはまるで違っていた。新聞やテレビは真実を伝えることを仕事としていると思っている人が多いと思うが、実状はまったく違う。
 第一に、“老女が川に転落した”というところが違う。千歳大橋付近の信濃川は、なだらかな護岸工事がほどこされていて、“転落”するなどということはあり得ない。“自ら川に入っていった”というのが真実なのだが、自余のことは想像におまかせする。
 新聞報道は勇敢な少年が十一メートル泳いで、老女を救助したと伝えているが、事実は全く違う。彼は厳寒の信濃川に飛び込んだのでもなく、着衣のまま十一メートルも泳いだわけでもない。老女がいたのは、川岸から二~三メートルのところで、勇敢な少年はズボンを水に濡らしながら、歩いて救助に向かったのにすぎない。
 他にも随分事実と違う報道がなされているが、勇敢な少年はマスコミというものの本質をよく理解したようだ。“気を付けて話さないと利用される”というのである。勇敢な少年の両親は言う。「マスコミは、あらかじめ“お話”をつくっておいて、取材と称してその“お話”への了解をとりにくるだけだ」と。
 一昨年の中越沖地震でのマスコミの報道でも、こうした“あらかじめ物語をつくっておいて、事実をそれに当てはめる”という姿勢が多く見られた。新聞やテレビの報道をそのまま信じてはいけない。

越後タイムス1月9日「週末点描」より)


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高所恐怖

2009年01月11日 | 日記
 恐ろしい体験だった。剥き出しの足場を約六メートルほど登って、会田市長がダクトの継ぎ目のボルトを締めるところを撮影するというのである。ようやく完成したクリーンセンターの新煙突は、焼却炉建屋から十五メートル離れたところに建てられていて、炉から新煙突までをつなぐダクトが地上六メートルくらいの高さにある。
 極度の高所恐怖症で、寝ている時でも高い所に立っている自分や、高層ビルから落下する自分を想像して、時々寝床の中で震えることもある。死ぬことはそれほど恐くなくなったが、高い所にいること自体が、理由もなく恐い。柏崎で一番嫌いな所は米山大橋の上だ。車で通るたびに恐怖感を覚える。
 “あんな高い所には登れない”と、一瞬撮影をあきらめようと思ったが、報道としてのつとめと思い、無理をして登った。恐る恐る剥き出しの階段を登る。下を見てはいけない。できるだけ空を見て登ろうとつとめるが、足元の確認ができないので、時々下を見てしまう。
 足が竦む。全身に恐怖感が走る。“早く終わってくれ”と思う。市長がいるのは最も下界がよく見渡せる場所で、いやおうもなく下が見えてしまう。恐ろしい。撮影の順番を待って、鉄パイプにしっかりとつかまりながら、なんとか撮影を完了。
 帰りが恐い。下を見ないでは降りられないからだ。鉄パイプにしがみつきながら、ゆっくりゆっくりと降りる。そんな姿を励まそうと思ったのか、市職員に「大丈夫ですよ」と声を掛けられたが、そういう問題ではない。「精神的な問題なんですよー」と答えながら、ゆっくりゆっくりと階段を降りて、大地に辿り着く。こんな時ほど大地というもののありがたさを感じることはない。人間は高い所で生活すべきではない。大地に密着して生きるのが人間本来のあり方なんだ。

越後タイムス12月12日「週末点描」より)


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