図書館協議会委員をおおせつかったので、喜んでお受けすることにした。ところが、現在は市立図書館の熱心な利用者ではない。本を借りることもほとんどないし、調べ物で利用することもあまりない。強いて言えば、昔のタイムス紙の記事を確かめたい時に利用するくらいで、協議会委員の資格はないのである。
しかし、かつて市立図書館に大いにお世話になったことがある。現在のソフィアセンターの前の現ふるさと人物館のそのまた前の、あの木造の古ぼけた図書館の時代である。当時高校生であったから、四十年も前のことだ。
毎日のように、あの古ぼけた図書館に入り浸っていた。今と比べれば書架の充実もなく、限られた本しか並んでいなかったが、そこで多くの書物と出会うことができた。芥川龍之介の全集や夏目漱石の全集に親しむこともできた。和辻哲郎の全集もあったので、『古寺巡礼』などの主要著作に触れることができた。
何の脈絡もなく、ノーマン・メイラーの『裸者と死者』とか、ボーヴォワールの『第二の性』とか、世界の小説を訳もわからず読みまくった記憶があるが、全部忘れた。限られた蔵書ではあったが、市立図書館がなければ、自分の精神形成はあり得なかったと思っている。時効だから言うが、学校の授業をさぼって、市立図書館で本を読んでいたこともあった。
そんな体験があるので、図書館協議会委員を、恩返しのつもりで引き受けることにしたのだった。でも公立図書館をめぐる状況は大きく変わってきている。貸出至上主義で、ベストセラー本を並べることに賛成できない。誰でも買えるような本を公立図書館の蔵書にすべきではない。
地方の書店の経営を圧迫するだけではなく、出版業界の活力を失わせることにもなりかねないからだ。公立図書館は、一般の人が買うことができない豪華本や、個人全集などの充実につとめるべきだと思う。高校生の時代にそのような恩恵を受けているので、今でもそうした気持ちを強く持っている。
しかし、かつて市立図書館に大いにお世話になったことがある。現在のソフィアセンターの前の現ふるさと人物館のそのまた前の、あの木造の古ぼけた図書館の時代である。当時高校生であったから、四十年も前のことだ。
毎日のように、あの古ぼけた図書館に入り浸っていた。今と比べれば書架の充実もなく、限られた本しか並んでいなかったが、そこで多くの書物と出会うことができた。芥川龍之介の全集や夏目漱石の全集に親しむこともできた。和辻哲郎の全集もあったので、『古寺巡礼』などの主要著作に触れることができた。
何の脈絡もなく、ノーマン・メイラーの『裸者と死者』とか、ボーヴォワールの『第二の性』とか、世界の小説を訳もわからず読みまくった記憶があるが、全部忘れた。限られた蔵書ではあったが、市立図書館がなければ、自分の精神形成はあり得なかったと思っている。時効だから言うが、学校の授業をさぼって、市立図書館で本を読んでいたこともあった。
そんな体験があるので、図書館協議会委員を、恩返しのつもりで引き受けることにしたのだった。でも公立図書館をめぐる状況は大きく変わってきている。貸出至上主義で、ベストセラー本を並べることに賛成できない。誰でも買えるような本を公立図書館の蔵書にすべきではない。
地方の書店の経営を圧迫するだけではなく、出版業界の活力を失わせることにもなりかねないからだ。公立図書館は、一般の人が買うことができない豪華本や、個人全集などの充実につとめるべきだと思う。高校生の時代にそのような恩恵を受けているので、今でもそうした気持ちを強く持っている。
(越後タイムス5月23日「週末点描」より)