玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

後ろから前から

2011年02月10日 | 日記
今年は昨年のようなことはあるまいと、小雪を勝手に予想していたのだが、いつの間にか雪が降り積もって、昨年以上の豪雪となってしまった。市も豪雪災害対策本部を設置し、除雪費用を三億円以上上積みした。高柳町石黒での積雪は一月三十一日現在で三百三十センチに達した。
 昨年暮れにタイムスの事務所に向かって高速を走ってきた新潟市の知人が、約束の時間に遅れまいとスピードを出し過ぎたためか、柏崎インターを目前にして、スリップ事故を起こした。後で聞くと、車は大破し「生きているのが不思議なくらい」の事故だったという。幸いその知人は、大した怪我はなかったようだが気の毒なことだった。
 車の事故というものを、ほとんど起こしたことがない。安全運転を心掛けているためか、運がいいのか分からないが、学生時代に一度車にぶつけたくらい。後はぶつけられたことばかりが記憶に残る。買ったばかりの新車にぶつけられたこともある。
 最近では、信号で止まっているところに、後ろから追突された。バンパーの交換が必要になり、傷だらけの車の後ろ姿だけは新車のように甦った。昨年十二月にも車を駐車場に止めて降りるところを、後ろからガツンとやられた。再びオンボロ車は後ろ姿だけ新車のようになった。
 こちらの責任はゼロだったので、無料で修理ができた。しかし、前面も側面も未だに傷だらけなので、誰か止まっている所に前からぶつけてくれないかなどと、不謹慎なことを考えてしまった。

越後タイムス2月4日「週末点描」より)

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刈羽貝塚と中村葉月

2011年02月10日 | 日記
 巻口省三さんが出版した『刈羽貝塚の発掘』を読んで、「越後タイムス」と刈羽貝塚発掘との関係を初めて知った。巻口さんの本は刈羽貝塚の考古学的な価値等よりも、その発掘に関わったさまざまな人々への興味に貫かれている。
 発掘を行った三人の博士だけでなく、最初の報をもたらした赤城好夫、発見者の元刈羽村助役・品田泰一など、さまざまな人物が登場してくるが、見落とせないのは、越後タイムス三代目主幹・中村葉月の存在である。
 越後タイムスは刈羽貝塚をめぐって、情報交換の場となり、さまざまな人物を結びつけ、それが貝塚発掘につながっていく。その中心にあって、コーディネーターのような役割を果たしたのが中村葉月であった。『葉月艸紙』年譜の昭和二年の項には、ちゃんと刈羽貝塚発掘と刈羽小学校で催された学術講演会のことが書いてあり、その半月後に葉月は「新屋敷貝塚発掘記念号特集」を刊行している。
 タイムス百年の歴史の中で、吉野作造・福田徳三講演会、平塚らいてう・山田わか講演会、中村彝個展、木喰仏発見への協力、藤陰静枝舞踊大会、生田萬百年祭、柏崎ペンクラブ結成とその日蓮劇、(戦前だけでこれだけある)などほとんどの主要な事業は中村葉月主幹の時代に行われている。
 柳宗悦による木喰仏発見への協力に見られるように、いつでも扇の要としての位置にいて、並はずれた行動力を発揮している。そればかりではなく「綾子舞」についても深い見識と高い学識を持っていたことが、新春号、一月七日号掲載の渡辺三四一氏の寄稿に示されている。
 巻口さんの本によって、改めて中村葉月のすごさを知ることができた。「タイムスの百年」はまだ大正十三年に到達したばかり。先を急がなければならない。

越後タイムス1月28日「週末点描」より)

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