玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

上野憲男先生から絵が

2006年03月21日 | 日記
 上野憲男先生から作品が2点届いた。「北方文学」の表紙に使ってくれとの思し召しである。上野憲男先生は日本の抽象画の世界で重鎮といわれるほどの大家であり、こんな先生に地方の同人雑誌でしかない「北方文学」の表紙絵を提供していただけることは、大変な名誉といわなければならない。
 上野先生は同郷のよしみで、『失楽園』で有名な渡辺淳一の本の装画を提供したこともあるのだが、かつてその作品は高橋和己、中村真一郎、小林秀雄などの本を飾ったこともあるのだ。この上もない栄誉である。
 上野先生とは数年前、柏崎の美術愛好家がその作品を購入されたとき、お披露目の席に招待されてからのおつきあいだ。一昨年柏崎のギャラリー「十三代目長兵衛」で先生の個展が開催されたとき、図々しくも「北方文学」を持参して、「この雑誌の表紙に絵をください」と単刀直入にお願いした。先生は同人雑誌の活動に深い理解を示され、快く了解してくださった。
 2004年10月に発行された第55号から上野先生の作品を表紙に使わせていただいている。それ以来「中身はともかく、表紙がいい」との評価をあちこちから受けるようになった。玄文社のホームページのトップページを飾っているのも上野先生の作品である。その詩情溢れる抽象世界を味わっていただきたい。
 ところで、「北方文学」57号の発行は4月の頭という予定であったが、若干遅れて4月中旬になりそう。この26日に2回目の編集会議を持つことになった。57号の表紙を飾るのは上野憲男先生の「午後の港」という作品になる。
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春の雪

2006年03月20日 | 日記
 十三日朝、目覚めて外界が白いのに気がついた。寝ぼけ眼でそれが雪だと分かるまで時間がかかった。やっと春が来たと思っていたのに、この寒さは何だ。十二日まではずっと暖かい日が続いていたのに、まるで真冬に逆戻りだ。
 庭の灯籠に十センチほどの雪が積もっている。時期が時期なら、朝の新雪を灯籠の上に見るのは美しい体験のひとつだ。雪は、大地の汚れを隠してくれ、世界を一新してくれるからだ。しかし三月半ばの雪となれば話は違う。昨年十一月からの雪がもう五カ月も続いている。“もういいかげんにしてくれ”というのが本音だ。
 雪で困るのが、自転車に乗ることができなくなることだ。市議会が始まると市役所に取材で出掛けることが多くなるが、近いところに住んでいるため、なるべく自転車をつかうことにしている。三月十五日までは確定申告のための車が多くなり、市役所の駐車場がいつでも満車状態になる。
 十四日には、さらに雪が降り続いて、市街地でも除雪車が出動するほどの積雪となった。自転車も車もつかえないから、歩いて市役所と自宅の間を三往復した。たまには歩くのもいいし、たいして苦にもならないが、消雪パイプの水を車がはねかけてくるのには閉口する。三往復している間に二度ほどズボンが濡れるくらいの水を掛けられてしまった。雪は歩行者にとってもやはり大きな迷惑となるのである。
 被害を受ける身になってみると、車を運転する時に、歩行者の脇を通る時はスピードを落として走ろうという意識が働く。普段歩くことなく、車に乗るだけの習慣の人も、こんな気候の時期に一度歩いてみるとよいと思う。
 それにしても、やっとやってきた春は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。

越後タイムス3月17日「週末点描」より)


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桑名といえば

2006年03月17日 | 日記
 “桑名”と言えば、真っ先に思い出すのは泉鏡花の小説「歌行燈」である。鏡花円熟期の明治四十三年に書かれた作品で、多くの鏡花ファンに高く評価されている。その芸を貶めたためにある座頭を憤死させ、能楽の宗家である叔父に破門され、門付けとなって各地をわたり歩く主人公・恩地喜多八が桑名の宿で座頭の娘、叔父らと再会、芸を通して許しを得るという話だが、お話の非現実性はともかく、その展開の完璧さによって“神品”とさえ言われる大傑作なのである。
 鏡花は前年の講演旅行で桑名を訪れた記憶をもとに、この能楽小説の舞台を桑名に設定した。桑名のまちを鏡花は次のように描写する。「町幅が絲のやう、月の光を廂で覆うて、両側の暗い軒に、掛行燈が疎に白く、枯柳に星が乱れて、壁の蒼いのが處々」。「歌行燈」のタイトルの由縁である。
 「歌行燈」は昭和十八年、成瀬巳喜男監督によって映画化されている。花柳章太郎と、山田五十鈴が共演するこの映画は、空襲で焼ける前の桑名のまちの面影をよく伝えていて、鏡花が桑名に感じたであろう魅力を味わうことができる。
 舞台となる“湊屋”という旅館は、桑名の名勝地・七里の渡し場近くにある船津屋をモデルにしているという。桑名名物焼き蛤も出てくるが、「歌行燈」で女中は言う。「其のな、焼蛤は、今も町はずれの葦簀張なんぞでいたします。矢張り松毬で焼きませぬと美味うござりませんで、當家では蒸したのを差し上げます。味醂入れて味美う蒸します」。
 庶民料理としての焼き蛤と、料亭料理は違っていたことが分かる。しかし、現在では地場産の蛤は大変な貴重食材で、なかなか口に出来ないと、四日の演劇交流で物産を売っていた桑名市文化協会の人は言っていた。桑名名物しぐれ蛤も、今ではしぐれあさりに姿を変えていた。
 「歌行燈」は、桑名のまちを有名にした。柏崎市民会館のロビーで売っていたきしめんとうどんのメーカー名は「歌あんどん」というのであった。七里の渡しには、「歌行燈」を脚色して舞台にした久保田万太郎の句碑も建てられている。桑名はやはり演劇のまちなのだ。

越後タイムス3月10日「週末点描」より)


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読書会のことなど

2006年03月05日 | 日記
 「『悲しかったです』と書くかわりに、『空がとても青くて、ジェット機も飛んでいて、私はバナナパフェが食べたかった』などと書いてしまうのが、小説である(たぶん)」。いかにも現代の女性作家らしい文章だ。小説に限らず、誰かさんではないが「感動した!」では、感想にも批評にもならないのは同じこと。教えられた。
 もう五年以上も続いている「文楽の会」という読書会で、先の文章の主・川上弘美の『センセイの鞄』という小説を読んだ。高校時代の先生に齢の違いを越えて、惹かれていく女性の心を描いた作品だが、現代作家の書いたものをほとんど読まない人間にとって、久しぶりに新鮮で情感溢れる文章との出会いであった。読書会などという時代遅れの集まりがなければ、決して読まないだろう作品を、この五年間でたくさん読ませてもらった。ありがたいことである。
 二月二十五日に三重県桑名市で演劇交流を行い、凱旋したばかりの柏崎演劇研究会代表の長井満さんも一緒だった。桑名のみやげ話を聞かせてもらった。桑名演劇塾による「幕末親子絆」は衣裳や小道具に大変お金をかけた大掛かりなものだそうで、長井さんはしきりに「八百万円の芝居」ということを強調していた。
 この財政難の時代に、桑名市は演劇塾に四百万円の助成金を出しているという。演劇を通したまちおこしを考えての助成とのことだが、随分大胆な施策と言える。そのことがいいか悪いかは別として、三月四日の公演を楽しみにすることにしよう。
 ところで長井さんは、柏崎からたくさんのみやげを持って行ったというが、桑名の人たちが喜んだのは、桑名にはない笹団子や笹あめ、そしてとりわけアジロヤキであったそうだ。柏崎の米に興味を示すのは昔も今も変わらないということだろうか。
 桑名市では柏崎との歴史的なつながりについて、ほとんど知る人はいないとのことだが、今回の演劇交流で、あちらの歴史認識にも変化が起きてくれることを期待したい。

越後タイムス3月3日「週末点描」より)


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1日がかりの編集会議

2006年03月04日 | 日記
 「北方文学」57号の編集会議を2月25日に玄文社で行った。旧亀田町から1人、旧越路町から2人、旧寺泊町から1人が参加した。これを合併後の市町村名で書くと「新潟市から1人、長岡市から3人」となる。的確な情報とは言えない。
 小説4編、詩が2編、書評1編、批評が1編。これを私を含めた5人でひたすら読んでいくのである。いろいろと厳しい評価もでる。活字にする前に筆者に注文をつけるべく、読んでいく。小説は百枚を越えるものが2編あり、なかなか時間がかかる。
 持ち帰りが2編でた。「だめ。書き直し」というわけだ。書いた本人が目の前にいるわけで、厳しい世界なのだ。しかし、これをやらないと品質維持が出来ないので、合意の上でやっている。 発刊は4月頭になりそう。今号も三枝真記子さんの小説が掲載できないのが残念だ。大長編「暮色・長汀山」の連載が、もう3年もストップしている。三枝さんは旧与板町の住民で、合併をめぐる住民投票運動の中核を担い、与板町議会議員の選挙に立候補して当選したと思ったら、次は与板町長選に担ぎ出された。新潟県初の女性町長誕生かと騒がれたが、惜しくも落選。その後、与板町は長岡市と合併することになり、今度は長岡市議会議員の増員選挙に出ることになり、見事当選。
 そんなことで忙しくて、小説を書いているひまがないのだ。残念なことだ。「北方文学」同人としては、政治よりも小説を優先させてほしいのだが、非常に人気のある女性だから与板の人達がほっておかないのだ。いつになったら「暮色・長汀山」の続きが読めるんだろう。

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