玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

フランスに行きたい

2010年06月21日 | 日記
 画家の木下晋さんが半年ぶりに柏崎にお出でになり、一夜歓談することができた。いろいろな情報を得ることができたので、一部紹介しておきたい。
 昨年十月、私どもが柏崎で開いたアール・ブリュット展のフランス版が、今年三月からパリのアル・サン・ピエール美術館で開かれている。その様子が、二十日のNHK「新日曜美術館」で紹介されるという。柏崎展で注目を浴びた澤田真一さんや、舛次崇さんの作品も出品されているので見逃すことはできない。
 パリ展はヨーロッパの人々に大きな反響を呼んでいるようで、木下さんは「日本が海外に誇りにできるのは、アール・ブリュットだけだ」と言われる。十九世紀末のフランスに日本の浮世絵が紹介されて、いわゆる“ジャポニスム”の流れを生んだことに匹敵する快挙だとまで断言される。
 浮世絵はフランスの絵画を変え、ヨーロッパ絵画の歴史に大きな影響を与えた。三年前、スイス、ローザンヌで開催された「日本のアール・ブリュット」展もそうだったが、今回の「アール・ブリュット・ジャポネ」展は、もう一度、ヨーロッパ絵画に影響を与えるものとなるかも知れない。
 その仕掛け人は柏崎で講演してしただいたボーダレス・アート・ミュージアム「NOMA」のアート・ディレクター、はたよしこさんで、三月には当然渡仏されたものと思っていたが、木下さんによれば肺炎にかかってしまって、フランスに行くことができなかったのだという。お気の毒なことだった。
 パリのアール・ブリュット・ジャポネ展の会期は来年の一月二日までだ。木下さんは自身の作品が出品されるある展覧会とジャポネ展を観るために、十一月にパリに行く予定だという。“一緒に行かないか”とのお誘いを受けた。行きたい。どうしても行きたい。なんとかして行きたい。

越後タイムス6月18日「週末点描」より)


ガガガガ、ゴゴゴゴ

2010年06月21日 | 日記
 一週間も前から、朝になると、ガガガガ、ゴゴゴゴという音がしていた。クリーンデーは六日のはずなのに、家の廻りでは早々と側溝の汚泥をスコップですくう音が続いた。「クリーンデー柏崎」の実施計画を見ると、六日に実施する町内会が二百二十四あることになっているが、実態は違う。
 町の中心部では、草刈りもしないでいいし、空き缶拾いもすることはない。側溝清掃だけがクリーンデーの仕事で、町内の人たちは“早くやってしまいたい”と思うのか、あるいは六日に出掛ける用事でもあるのか、気の早い仕事ぶりである。
 ガガガガ、ゴゴゴゴという音は、町内のあちこちで、毎日のように鳴り響いていて、ついに五日の朝には、汚泥の集積場所に袋が山積みになった。こちらは六日の朝にやるつもりだったが、何か“怠けている”ような気持ちになってしまう。
 しかし、原則を守って六日の朝七時半に、家人と二人で側溝清掃を行った。我が家の周辺で六日にやったのは、他に二軒ほどしかなかった。他の家ではさっさと済ませていたのである。町内で一斉にやることに意味があると思うのだが、いかがなものか。
 間口が広いので、側溝の長さは結構あるが、数年前に片側だけコンクリートの蓋をしてもらったので、仕事は半分になった。二人でやれば仕事は十五分で終わる。台車で汚泥袋を集積場所に運んでいると、最近引っ越してきた隣家の高齢者が足を引きずりながら汚泥を運んでいるので、台車に載せて運んであげた。良いことをした。
 草刈りや空き缶拾い、場所によっては緑化活動を行うため、半日以上の作業になる町内もある。そういう町内は、どうしても一斉作業が必要になる。我が町内は恵まれていて、あっという間に終わってしまう。九日の早朝、収集車の来る時間に集積場所に行ってみると、すでに積み込み作業は終わっていた。

越後タイムス6月11日「週末点描」より)


小学生からの英語教育

2010年06月21日 | 日記
 市内軽井川出身で筑波大学元学長の北原保雄先生と懇談する機会を与えていただいた。北原先生は、日本学生支援機構の理事長も退任され、“楽になられたのでは”と思っていたが、未だ十もの団体等の理事をつとめ、今秋刊行予定の『明鏡国語辞典』改訂版編集の仕事で相変わらずお忙しい日々を送っておいでのようだ。
 お話の中で、小学校からの英語教育の話題が出たが、北原先生は、これに「断固反対だ」と言われる。「小学校で少しばかり英語をやったって、すぐに忘れる。意味がない。中学、高校で集中して徹底的にやればいいことだ」とおっしゃる。
 また、英語の発音などそれほど重視すべきではないとも言われる。「インド人の英語なんかひどいもんですよ。それでも通じるんだからそれでよい」と先生。発音のメチャクチャな教師に教えられてきた我々世代は、発音にはまったく自信がないから、先生の言葉に慰められるのだった。
 作家の水村美苗も『日本語が亡びるとき』で、小学校からの英語教育に反対の論を展開している。英語教育に時間とエネルギーをかければかけるほど日本語教育が疎かになるとの考えからだ。
 新学習指導要領では「ゆとり教育」への反省から、中学三年で英語を週三時間から四時間に増やし、数学も一時間、社会も一時間、理科は二時間増やしているのに、国語だけは週三時間のままであることを批判する。
 フランス、ドイツ、アメリカの中学校では、国語は五時間教えられているというのに、まさに亡国的な教育という他はない。国語学者として活躍されてきた北原先生も同じ思いだろう。水村は学校教育は「教育の場において〈国語〉としての日本語を護るという、大いなる理念をもたねばならない」と書く。同感である。

越後タイムス6月4日「週末点描」より)


あと1年で百年

2010年06月03日 | 日記
 五月二十日を看過してしまった。本来なら先週書くべきことをこれから書く。本紙「越後タイムス」は明治四十四年五月二十日創刊である。つまり創刊以来九十九年が経過し、来年の五月二十日には創刊百周年を迎えることになるのだ。
 ずっとこのことは意識してきたのに、やり過ごしてしまったことは、編集発行人のズボラな性格をよく表している。近頃では自分の誕生日さえ忘れてしまうこともあるから、老化現象の表れかもしれない。
 吉田昭一前主幹の跡を継いだのは、平成十三年十月であるから、九年と七カ月、タイムス紙を発行し続けてきたことになる。吉田前主幹が四十五年間続けたことに比べれば、ものの数ではないが、創刊百周年まであと一年という日を迎えて、“よく続けたな”という気持ちがないでもない。
 前主幹の著書『石ぐるま』の巻末に付された年表を見ていると、タイムスの積み重ねた偉業に驚きを禁じ得ず、現編集発行人が十年かけて、それらに何事を付け加えることができたのかと考えると、忸怩たる思いにかられてしまう。
 しかし、あと一年である。これから百周年の準備もしなければならない。百周年記念号の企画も考えなければならない。「越後タイムス百年史」のようなものを書くことも義務の一つと考えている。だが皆目、具体的なアイデアが浮かんでこない。
 今までも時折、タイムスの百年を振り返ってきたが、今号から本格的に「タイムスの百年」回顧の欄を継続させる。まだ大正九年までしか辿れていない。あと九十年分も残っている。
 大正十三年には民芸運動の創始者・柳宗悦が柏崎に木喰仏の調査に訪れ、同人達が協力したという歴史もある。ものの本には、この事実が地方ローカル紙の輝かしい歴史として取り上げられているが、戦前に廃刊になったことになっている。まだ死んじゃいませんよ。

越後タイムス5月28日「週末点描」より)