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53年前の「おどかし屋」――特定秘密保護法案騒動と60年安保騒動

2013-12-30 09:41:36 | その他の本・雑誌の感想
 ドイツ文学者の西義之(1922-2008)は、昭和後期にいわゆる進歩派を批判した評論家として知られる。津田左右吉批判や文化大革命を扱った『変節の知識人たち』(PHP研究所、1979)については以前取り上げたことがある。

 その西義之の文集『戦後の知識人 自殺・転向・戦争犯罪』(番町書房、1967)を読んでいたところ、末尾に収録された「�安保�とある知識人の死――上田勤教授のこと、そのほか――」の内容の一部が大変興味深かったので、紹介したい。

 この文は、本書には明記されていないが調べたところ、雑誌『自由』の1965年3月号に掲載されたものである。
 1960年の安保騒動を支持した知識人の言説を振り返り、英文学者上田勤(1906-1961)が騒動のさなかである60年6月末に発表した「もっと理性を、もっと辛抱強さを――市井の一凡人の意見」という文の内容とを対比したものである。
 西が金沢の四高生時代に上田が教師であり、後に西が四高に勤めた一時期同僚でもあったのだという。

 私が興味深く思ったのは、ここで西が挙げている、安保騒動を支持した知識人の言説が、先般問題となった特定秘密保護法案への反対論とあまりにも似通っている点だ。
 以下引用する(〔〕は引用者註、太字は原文では傍点、青字は引用者による強調)。 

 つまりここで双方〔安保騒動参加者とそれへの批判者〕のあいだにコミュニケーションがまったく断たれているということに、私はなんども注意をひかれるのである。というのは当時改定反対に積極的に活動した丸山真男氏のつぎのような見解を思いだすからである。
 丸山氏はその後福田〔恆存〕氏から批判をうけたが、それにたいして反論はしていない。しかし『現代政治の思想と行動、増補版』の追記には、収録してある「現代における態度決定」と「現代における人間と政治」の「二論稿が実質的な答えになっていると思う」と書いてある。わたしの関心をひくのは後者のほうであるが、丸山氏がこれをどの程度当時の状況のアナロギーとして書いているのか不明なので、わたしがこれを丸山氏の「私小説的告白」として読むのは、あるいは深読みにすぎるかもしれないが、すこしく紹介してみよう。
 丸山氏はここでいわゆる「忍び足〔「クリーピング」とのルビ〕で迫るファシズム」について語っているのだが、ニーメラーらを引用しつつ例にあげられているのはドイツ・ナチズムである。氏は「外側の住人」(異端)と「内側の住人」とのあいだのイメージの鋭い分裂、両者の言語不通の問題を論じながら「要するにナチ・ドイツには、このように真二つに分裂した二つの『真実』のイメージがあった。だから一方の『真実』から見れば、人間や事物のたたずまいは昨日も今日もそれなりの調和を保っているから、自分たちの社会について内外の『原理』的批判者の語ることは、いたずらに事を好む『おどかし屋』〔「アラーミスト」とのルビ。以下多用されるこの語には全て「アラーミスト」のルビがある〕か、悪意ある誇大な虚構としか映じないし、他方の『真実』から見るならば、なぜこのような荒涼とした世界に平気で住んでいられるのかと、その道徳的不感症をいぶからずにはいられない。もしもこの二つの『真実』がイメージのなかで交わる機会をもったならば、ニーメラーのにがい経験をまたずとも、『端初に抵抗』することは――すくなくとも間に合ううちに行動を起すことはもっと多くの人々にとって可能であり、より容易であったろう」と書いている。
 しかし、道徳的不感症をいぶからずにはいられない、とはなかなかにてきびしい。というのは、池田内閣が総選挙を発表したとき、郷里へ帰って戦おうという中国革命まがいの「上山帰郷」が叫ばれたが、夏は軽井沢住いの進歩派の口からそれがでると、農村の子弟であるわたしなどには、そちらのほうの不感症をいぶからずにはいられないからだ。いずれにせよ氏は、安保のときの自分の行動は、「端初に抵抗」したものだと言っているようにきこえる。すなわち氏自身の認識では、あの当時の情勢は「忍び寄るファシズム」であり、それを警告することは決して内側の住人(体制内の)にそう思われているような「おどかし屋」の行動ではなく、かえって内側の人間にこそ道徳的不感症が見られるのではないか――というかのようである。

 おどかし屋

 私は丸山氏を別に「おどかし屋」だとは思いたくないが、当時の新聞をしらべてみると、「安保改定が戦争につながる」という「おどかし屋」的論理が横行していたことはたしかである。たとえば上田さんの小論の載った同じ『自由』には、総評事務局長岩井章氏が編集部の質問に答えて「新安保条約が通ったら、一切がっさい日本はだめになるというような意見が一部にあるし、そう思いこんでいる人も多いし、その責任はやはり社会党、総評にも一半はあると思います。安保闘争が非常に重要だということで。労働者なり国民の注意を喚起していくために、そういう非常に割り切った、明快な教宣の理論を立てたということもあるんですね」とはっきり語っている。
 これは記憶しておいていい発言である。なぜなら最近、そんなことはきいたことがないという健忘症的な言葉を吐く人がいるからである。
 また丸山氏の属する「民主主義を守る全国学者・研究者の会」が六月二日教育会館でひらかれているが、そこで辻清明教授は大略(『朝日新聞』の大意による)つぎのように述べている。
「……私は、ヘタをすると安保改定によって日本は対外的に要塞国家に、国内的には警察国家になるおそれがあると述べた。その後の事態をみると、わたしの心配はとりこし苦労ではなかった。
 現在の非常事態を、政府は社会党議員のすわりこみによって生じたものとしている。なるほど社会党のとった方法は通常の議事妨害の域を超えているが、政府はこの小悪を利して議会政治を無視するという大悪をおかした。これはかつてのヒットラーや関東軍のやり方に似ている。ちがうところはヒットラーや関東軍の相手が他の国であったのに、岸政府の場合はその相手が国民であったということである(拍手)……」
 ここでもヒットラーがでてきて、ドイツ・ナチズムとのアナロギーが暗示されている。これも相当の「おどかし屋」的発言ではないだろうか。美濃部亮吉教授の文京公会堂における発言にもヒットラーがでてくる。
「……民主主義は油断している間に一夜でくずれ去る。私はそれをこの目で見てきた。それは一九三三年、ヒットラーが政権をとったときのことだ。当時のドイツはあの民主主義的なワイマール憲法をもち、社会民主党が第一党だった。常識ではファシズムが権力を握るとは考えられなかった。……今の日本はあのころのドイツよりもいっそう危険な状態にある。この危機に立つ民主主義をまもるのは、民衆の結集した力しかない(拍手)……」
 この発言にも「おどかし屋」の匂いがするといえば、わたしはやはり無知を笑われることになるのだろうか。とにかくヒットラーをもち出すのは、近頃では最高のおどかしだと思われるがどうであろうか。わたしのようなのんきな男でもぎょっとしてしまうからだ。ほんとうに、「安保」の時点では「あのころのヒットラー出現直前のドイツよりもいっそう危険な状態に」あったのだろうか。ほんとうに「民衆の力しか」あの事態を救いえなかったのだろうか。ほんとうに?
 こまるのは、あとからこういう事実認識の当否を検証することがほとんど不可能だということである。この事実認識が正しいとしたら、安保反対運動に批判的であった人々こそ、逆にまさに事実の重大さに何一つ気づいていなかった、のんきな、体制の内側にあったころのニーメラーであり、道徳的不感症の人間だということになる。はたしてそうか。はたして反対運動の側のほうが「外」にあると自負できるのであるか。「端初に抵抗」というが、いったい「何の端初」であったのか。やはりヒットラー出現の? ファシズムの? あまりおどかさないでもらいたい。
 私に疑問なのは、反体制側、「外側」にあるものがつねに事態の危機を見抜いているという自負であり、内側のものに対しては、マルクス主義者の口癖の「ただあなたがたが知らないか、自覚しないだけだ」という論理を適用する安易さなのである。しかし丸山氏がマルキストを批判したらしい言葉が、そのまま両刃の剣として、「外側」にあると思っている丸山氏自身を斬るものでないのかどうかとわたしは考えるものである。
「現実の生活では現在の組織や制度が与える機会を結構享受していながら、自らはそれを意識せず、�外�にいるつもりで�疎外�のマゾヒズムをふりまわす人々を見ると、どうしても電車のなかで大の字になって泣きわめいて親を困らせている子供を連想したくなる」
 やはり、これはご自分のことではないのかと、わたしは一瞬奇妙な錯覚におちいりかける。氏はまた同じ「追記」のなかで、安保改定反対運動のなかに革命を夢想した人々、運動は敗北であったと認識した清水幾太郎氏ら、そして運動に批判的だったいわゆる良識派の人々を十把ひとからげにして、「最小限の政治的リアリズムを具えていたら、あの時点においてどう転んでも『成功』するはずがないことが明瞭なはずの『革命』の幻想をえがいたり、『ヘゲモニー』への異常な関心が満たされなかったりしたことからの挫折感をあの闘争全体の客観的意義にまで投影して『敗北』をおうむのようにくりかえし、それが良識を看板にしている評論家――高揚する運動にとり残された内心の焦燥感を冷笑にまぎらわしていた人々――の見解と『一致』するというような奇異な光景がいたるところに見られた」と自信にみちた口調で言いきっている。
 わたしたちは一方の側の「報道」や「通信」が遮断されている全体主義国家に住んでいるわけではなく、豊富すぎるくらいの「通信」にとりまかれ、そこから事実を認識し、行動を「決断」する。にもかかわらずこのように両者のあいだのイメージは鋭く分裂し、言語不通の問題がおこるのである。丸山氏がもし自分への批判者をたんに「高揚する運動にとり残された内心の焦燥感を冷笑にまぎらわしていた人々」という程度にしか認識していないとしたら、逆に、安保改定運動自体に対する進歩派の人々の事実認識すらもひどくうたがわしいものになるようにわたしは思う。すくなくともヒットラーの名を利用しただけでも。(p.233-239)


 特定秘密保護法案に対しても、やれ現代版治安維持法だ、大日本帝国の再来だと、荒唐無稽な反対論が見られた。 わが国におけるこの種の層は、半世紀前から進歩していないらしい。

 いや、
「「外側」にあるものがつねに事態の危機を見抜いているという自負」
をもち、
「内側のものに対しては」「「ただあなたがたが知らないか、自覚しないだけだ」という論理を適用する」
のは、何も彼らの専売特許ではない。
 いわゆるネット右翼における、在日特権だの、政治家の誰それが帰化人だの、外国人に日本がのっとられるだのといった陰謀論などにも、全く同様の傾向が見られる。
 左右を問わず、運動家とはそうしたものなのだろう。
 西が引用している岩井章が述べているように、「国民の注意を喚起していくために」は「非常に割り切った、明快な教宣の理論」が必要だとされているのだろう。
 国民を、程度の低いデマに踊らされる愚民としか見ていないのだろう。

 さて、西は続いて上田の文を紹介する。上田は安保騒動の無意味さ、愚かしさに絶望したと西は見る。そして上田の言いたかったことは次の箇所に要約されるだろうと引用する。

「自民党も社会党もおしなべて、これはと思う人物がおらず、どれも団栗の背くらべで、こういう政治家しかもたない日本の国民は、つくづく不幸だと思う。まったくやりきれないことだ。しかしいかに不幸でも、やりきれなくても、これが日本の現実だとすれば、そこから出発するよりしかたがない。いかに地団太ふんで口惜しがっても、人間は、国民は、国家は、ドンデンがえしに立派になるものではない。革命を考える人もあるだろうが、敗戦とかなんとかいう非常事態でもないかぎり、革命の起り得る条件は、いまの日本では皆無に近いし、たとえ革命を起してみても、人間が、国民が、国家がドンデンがえしに立派になるものでもない。いたずらに犠牲ばかり大きいだけだ。となると、残された道はただひとつ、辛抱強く、気長に時間をかけて民主主義の育成をはかることだ。……つまり感情に流されないで、どこまでも冷静に、理性的に、すなおに現実をみつめること、焦らず騒がず、じみな努力を根気よく続ける辛抱強い、粘液質な性格と、この二つが、全般的に見て、日本人の性格にいちばん欠けているのではないか、ということだ……」(p.242-243)


 西は、これは丸山の言うような「高揚する運動にとり残された内心の焦燥感を冷笑にまぎらわしていた人」のものではないとし、こうした常識論が声高な論調にかき消されてしまうことが日本の不幸だと述べている。
 そして、上田が学生に対して、防衛大学や自衛隊の者と胸襟を開いて話し合ってみてはどうかと説いたことを挙げ、

 このような意見はいまでこそなんの変てつもないようにきこえるが、昭和三十五年六月末という時点ではかなり勇気のいる発言ではなかったかと思われる。上田さんがくりかえし力説したのは、与野党にすくなくも「外交」の面では話しあい〔「コミュニケーション」とのルビ〕ができないかと言うことであり、自衛隊や防衛について語ることを知識人のあいだでタブーとする気分、「言語不通」の問題をどうにかしてのぞくことができないかということである。最近、安保のときの諸問題はすでに決着がついたと言う人もあるが、この国の知識人社会にまだこの種のタブー、言語不通が根づよくのこっていることを感ずるわたしには「決着」どころの気分になれないことを言っておかなくてはならない。
 とくに上田さんの突然の死を思うとき、この国の知識人社会の「イメージの鋭い分裂と言語不通の問題」はほとんど絶望的な気分にさせるのである。その日上田さんは、ある席上で友人の英文学者を右翼だと攻撃する進歩的な人と論戦し、ひどく興奮して帰宅されたという。そしてたまたま訪れた客と一献かたむけているとき、卒然として逝ったのである。(p.245)


とこの文を結んでいる。

 「言語不通」の問題が存在するのは現在でも変わらないだろうが、その範囲は当時よりは狭まっているように思う。
 特定秘密保護法案に対して60年安保のような大衆行動は生じなかったし、また欧州のように外国人排斥を唱える極右勢力が議会へ進出することも今のところはない。
 国民は、このころよりは多少なりとも賢明になったと考えていいのだろうか。

 「辛抱強く、気長に時間をかけて」か。
 だが、冷戦の中である意味安定していた1960年代ならいざ知らず、現代にそんな余裕はあるのだろうか。

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