新党の立ち上げが迫ったと聞いて、こんなことを思った。
党名はどうするんだろう?
「保守党」とか「国民党」のようなシンプルでわかりやすいのがいいなあ。
まあ、クラシックなこの2つが実現することはまずないだろうが、少なくとも、口にすることが恥ずかしくない、すっきりした名前にしてもらいたいものだ。
みんなの党、たちあがれ日本、新党きづな、国民の生活が第一……およそ政党らしからぬふざけた名称にはもううんざりだ。
ところが、昨日の記者会見で発表されたのは、「太陽の党」。
事前に、石原の代表作『太陽の季節』にちなんだとの報道もあったが、石原はこれを明言せず、「閉塞する日本を再び太陽の昇る国にしたい」と説明したという。
しかし、発案者だと石原が言う園田博之衆院議員は「『太陽の季節』も頭にあった」と述べているという。
世代的にズレているので、『太陽の季節』は聞いたことはあるが読んだことはない。私は文藝に関心がないので、読んでみたいとも思わない。
私はむしろ、1996年に新進党を離党した羽田孜元首相らが結成した「太陽党」を思い出した。
1年余りで民主党(新)の結成に加わった短命政党であったことを思うと、あまりいいイメージは湧かない。
太陽と言えば日の丸にも通じるし、皇室の祖である天照大神も太陽神だ。
たしかに「簡単でどんな人でも覚えやすい名前」ではあるし、保守政党としてはまあまあ上出来のネーミングなのだろうか。
もっとも、第3極の結集を掲げる石原にとって、この新党も所詮過渡的なものなのだろう。
記者会見でも「太陽の党は一過性にすぎない。必ず衆院選前に大同団結する。(新党は)消えたってかまわない」と述べたそうだから、そんな新党の党名を云々してもせんなきことかもしれない。
それでも、「太陽の党」では具体的に何のイメージも湧かないという違和感は残る。
党名はその党の政策やスタンスを象徴するものであってほしいと考えるのは、もはや時代錯誤なのだろうか。
発表された新党の綱領の要旨には、
とあるが、これはいったい自民党の主張とどう違うのか、理解に苦しむ。
少なくとも、石原が大同団結を目論んでいる日本維新の会やみんなの党よりは、自民党の方がはるかに近いのではないか。
石原は昨日の記者会見でこう述べたという(太字は引用者による)。
しかし、新旧というなら、新党の面々はむしろ「旧」の側に属するのではないか。
たしかに、自民党も民主党も野合だった(拙記事「自民党に背骨はあったか」参照)。自民党は、議会主義に立ち、資本主義体制を維持し、社会主義革命を防ぐための野合。民主党は、その自民党の永続的な政権に反発し、政権交代を成し遂げるための野合。
「それが政党というものだ」と私も思う。共産党のような強固なイデオロギー政党、公明党のような宗教団体を基盤とする政党を除き、さまざまな勢力、見解を内包するのが普通の政党だろう。
だがそれにしても、政策面で自民党と民主党はそれぞれあまりに幅がありすぎて、両党の差異が不明確になっていると思う。
しかし、では石原は、第3の野合勢力を築き上げようとしているにすぎないのだろうか。
野合勢力が3つに増えて、それで何がどうなるのだろうか。「決められない政治」を変えられるのだろうか。
民主党の迷走の主因は、よく言われるように彼らが反・自民の野合だからだろう。それが新たな野合勢力にとって代わったとしても、また同じことが繰り返されるおそれはないか。
そんなことを考えていたら、自民党の石破茂幹事長が記者会見でこう語ったとの記事を見た。
石破は幹事長就任以前からこうした主張をしていたと思うが、私もこの見解を支持する。
石原が目指すべきは、党利党略の産物である第3極の大同団結などではなく、彼の本来の立ち位置である保守勢力の結集ではないだろうか。
それが、「保守-リベラル」「中央集権-地域主権」といった、新たな対立軸による政界再編のきっかけとなり得るかもしれない。
関係ありませんが、私はここ↑が大好きです。
党名はどうするんだろう?
「保守党」とか「国民党」のようなシンプルでわかりやすいのがいいなあ。
まあ、クラシックなこの2つが実現することはまずないだろうが、少なくとも、口にすることが恥ずかしくない、すっきりした名前にしてもらいたいものだ。
みんなの党、たちあがれ日本、新党きづな、国民の生活が第一……およそ政党らしからぬふざけた名称にはもううんざりだ。
ところが、昨日の記者会見で発表されたのは、「太陽の党」。
事前に、石原の代表作『太陽の季節』にちなんだとの報道もあったが、石原はこれを明言せず、「閉塞する日本を再び太陽の昇る国にしたい」と説明したという。
しかし、発案者だと石原が言う園田博之衆院議員は「『太陽の季節』も頭にあった」と述べているという。
新党名は「太陽の季節」から=太陽の党
「『太陽の季節』も頭にあった」。石原慎太郎前東京都知事の新党結党に参加した園田博之衆院議員は13日夜のBSフジの番組で、新党名「太陽の党」が石原氏の芥川賞受賞作「太陽の季節」にちなんだものであることを明らかにした。
園田氏は命名の理由について、小説のタイトルに加え、「とにかく明るくという思い。それに衆院選に突入するとしたら、簡単でどんな人でも覚えやすい名前がいい」と説明した。石原氏によると、新党名を発案したのは石原氏自身ではなく、園田氏だという。 (2012/11/13-21:58)
世代的にズレているので、『太陽の季節』は聞いたことはあるが読んだことはない。私は文藝に関心がないので、読んでみたいとも思わない。
私はむしろ、1996年に新進党を離党した羽田孜元首相らが結成した「太陽党」を思い出した。
1年余りで民主党(新)の結成に加わった短命政党であったことを思うと、あまりいいイメージは湧かない。
太陽と言えば日の丸にも通じるし、皇室の祖である天照大神も太陽神だ。
たしかに「簡単でどんな人でも覚えやすい名前」ではあるし、保守政党としてはまあまあ上出来のネーミングなのだろうか。
もっとも、第3極の結集を掲げる石原にとって、この新党も所詮過渡的なものなのだろう。
記者会見でも「太陽の党は一過性にすぎない。必ず衆院選前に大同団結する。(新党は)消えたってかまわない」と述べたそうだから、そんな新党の党名を云々してもせんなきことかもしれない。
それでも、「太陽の党」では具体的に何のイメージも湧かないという違和感は残る。
党名はその党の政策やスタンスを象徴するものであってほしいと考えるのは、もはや時代錯誤なのだろうか。
発表された新党の綱領の要旨には、
◇太陽の党綱領(要旨)
・日本の歴史、伝統・文化を尊び、自由で繁栄した国際社会を築き、わが国の独立と平和、国民の生命と財産を守るため、自主憲法を制定する
・東日本大震災への対応を反省し、危機管理体制を立て直す。機能する2院制を担保する選挙制度の抜本的改革を通じて政治に強い統治能力を取り戻す
・内外の多様な危機を見据え、わが国の発言力と防衛力を倍増させる
・大規模な財政出動による被災地復興などを柱に徹底して内需の発掘と雇用の拡大を図る。デフレ克服と成長力強化により豊かさを実感できる経済社会を実現する
・優れた環境技術輸出を背景に、地球環境や水・資源問題の国際的取り組みを主導する
・農林水産業による活力ある地域振興を図る
・現行の社会保障制度を改革し、安定した財源と雇用を軸とした持続可能な医療・保育・介護・年金制度を構築する。「中福祉-中負担」のもと活力ある安心社会を実現する
とあるが、これはいったい自民党の主張とどう違うのか、理解に苦しむ。
少なくとも、石原が大同団結を目論んでいる日本維新の会やみんなの党よりは、自民党の方がはるかに近いのではないか。
石原は昨日の記者会見でこう述べたという(太字は引用者による)。
必ず大同団結で新しい関ケ原の戦いに勝つ。自民党、公明党がこのまま過半数を取るのは許せない。雨後の竹の子みたいに群生している小さな政党でも、志が同じなら、団結すべきだ。民主党、自民党、公明党を含めた既存の大政党に対抗し、新旧の戦いを挑む。
しかし、新旧というなら、新党の面々はむしろ「旧」の側に属するのではないか。
-第三極でどう連携するか。
石原氏 野合だと言う人がいるが、自民党だって民主党だって、野合と言えば野合だ。それが政党というものだ。(日本維新の会などとの)衆院選候補者のすり合わせは着々とやっている。
たしかに、自民党も民主党も野合だった(拙記事「自民党に背骨はあったか」参照)。自民党は、議会主義に立ち、資本主義体制を維持し、社会主義革命を防ぐための野合。民主党は、その自民党の永続的な政権に反発し、政権交代を成し遂げるための野合。
「それが政党というものだ」と私も思う。共産党のような強固なイデオロギー政党、公明党のような宗教団体を基盤とする政党を除き、さまざまな勢力、見解を内包するのが普通の政党だろう。
だがそれにしても、政策面で自民党と民主党はそれぞれあまりに幅がありすぎて、両党の差異が不明確になっていると思う。
しかし、では石原は、第3の野合勢力を築き上げようとしているにすぎないのだろうか。
野合勢力が3つに増えて、それで何がどうなるのだろうか。「決められない政治」を変えられるのだろうか。
民主党の迷走の主因は、よく言われるように彼らが反・自民の野合だからだろう。それが新たな野合勢力にとって代わったとしても、また同じことが繰り返されるおそれはないか。
そんなことを考えていたら、自民党の石破茂幹事長が記者会見でこう語ったとの記事を見た。
「政策の深化・純化、新党に必要」会見で石破自民幹事長
■石破茂・自民党幹事長 「太陽の党」はたちあがれ日本がベースなわけで、たちあがれ日本は小政党ながらも、それぞれ自民党のベテラン議員たちによって作られた政党だ。政策的に近似する部分も多く、私は新党がその政策を、いつも使うフレーズだが深化・純化させることが、これから先の政治の発展のために必要なことだ。
小異を捨てて大同につくという、よくわからない言葉を使って、政策の深化・純化を妨げることは、かえって政治の混乱を招く。その新党が、一つのピュアな政策を出すことで、政治全体を良くしていくというような、そういう使命を持った党であっていただきたい。小異を捨てて大同につくという言葉のもとに、政策が異なるところと組むのは、日本政治のため決して良いことではない。深化・純化させた政策に賛同する方を呼び集めるというか、そういう政党であってほしい。(記者会見で)
石破は幹事長就任以前からこうした主張をしていたと思うが、私もこの見解を支持する。
石原が目指すべきは、党利党略の産物である第3極の大同団結などではなく、彼の本来の立ち位置である保守勢力の結集ではないだろうか。
それが、「保守-リベラル」「中央集権-地域主権」といった、新たな対立軸による政界再編のきっかけとなり得るかもしれない。
関係ありませんが、私はここ↑が大好きです。