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靖国神社と新追悼施設に思うこと(補)

2009-09-19 22:33:42 | 靖国
(前回までの記事
  靖国神社と新追悼施設に思うこと(上)
  靖国神社と新追悼施設に思うこと(中)
  靖国神社と新追悼施設に思うこと(下)

 いわゆるA級戦犯分祀について補足しておく。
 合祀した戦没者は一体として神となっているのであり、一部の戦没者を後から分離してまつったとしても、元の神格は変わらない。したがっていわゆるA級戦犯の分祀は教義上できないというのが靖国神社の、また神社本庁の見解だと聞く。一方、日本遺族会会長である古賀誠や中曽根康弘元首相をはじめ、分祀による靖国問題解決を主張する政治家は多く、対立している。

 教義上できないと言うが、神道には明確な教義はないとも聞く。

 毎日新聞「靖国」取材班『靖国戦後秘史 A級戦犯を合祀した男』(毎日新聞社、2007)は、東郷神社の宮司が「A級戦犯の14柱を東郷神社でお引き受けしたい」という「御霊分け」の提案をし、神社本庁から発言を慎むよう叱責されたというエピソードを紹介している。「御霊分け」は多くの神社にいくらも先例があるという。
 また、井上順孝・國學院大神道文化学部教授は、マスコミに「歴史上、祭神の一部を祭らなくする廃祀を行った例もある」とコメントしているという。
 さらに、かつて『神社新報』の主筆を務めた神道思想家葦津珍彦(あしづ・うずひこ、1909-1992)も、A級戦犯合祀に疑問を呈していたという。

 要するに、「できない」のではなく、やりたくないから「やらない」ということではないか。

 なお、靖国神社は、神社本庁傘下の神社ではない。別個の宗教法人である。

 もう一点、指摘しておきたいことがある。

 靖国神社のホームページの「靖國神社の御祭神」という文章には、次のように記されている(太字は引用者による)。
靖国神社には、戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して国家防衛のために亡くなられた方々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。

靖国神社に祀られているのは軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々などの神霊も祀られています。

このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」にあるからです。つまり、靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しているのです。
 これだけを読むと、靖國神社は、「国家のために一命を捧げられた」人々を「身分・勲功・男女の区別なく」「一律平等に祀」っているのだと理解してしまうだろう。
 だが、それは正しくない。この説明文は、靖国神社のもう2つの祭神について触れていないからである。それは、北白川宮能久親王と北白川宮永久王の2人の皇族である。
 大江志乃夫『靖国神社』(岩波新書、1984)に次のような記述がある。
 実は、敗戦までは、「名誉の戦死者」であっても、皇族は靖国神社の祭神とされることはなかった。戦死した皇族のためには、別に神社が建てられることになっていた。おなじ国家の祭嗣といっても、皇族と臣民では、神として祀られる神社の格がちがうことになっていたからである。
 戦死者とされた皇族は、日清戦争後の台湾植民地化のための戦争で戦病死した近衛師団長北白川宮能久親王、日中戦争中に蒙古(内モンゴール)で戦死した能久親王の孫にあたる北白川宮永久王の二人である。能久親王は、官弊中社台南神社に祀られたが、敗戦後、日本の台湾放棄にともない、その神体は日本に移され、靖国神社に祀られることになった。永久王は、蒙彊神社を建立して祀られる予定であったが実現しないうちに敗戦となり、一般の祭神とは別に靖国神社に祀られた。    現在の靖国神社は、それぞれ独立の祭神である二人の皇族の霊璽一座と合計二四六万余名の祭神を一括した霊璽一座とを本殿内に安置している。祭神としては全部が同格の主神であるといっても、皇族と臣下はまったく別扱いなのである。(p.17-18)
 したがって、「一律平等に祀られている」とは虚偽である。

 そして、皇族については、はじめから「分祀」されていたということでもあろう。


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