トラッシュボックス

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戦没者と戦死者

2009-09-18 23:56:17 | 「保守」系言説への疑問
 先に、靖国神社と新追悼施設に思うこと(上)という記事で、私はこう書いた。
「戦没者」とは普通、民間人の犠牲者も含む。東京大空襲や原爆投下などで亡くなった人々を含む概念である。政府が毎年8月15日に行っている「全国戦没者追悼式」に言う「戦没者」もそれを指している。
 しかし、靖国神社は、あくまで国のために尽くして亡くなった人々を神としてまつる施設である。一般の民間人の犠牲者をまつっているわけではない。
 靖国神社は、「戦死者」、つまり戦って亡くなった人の慰霊の中心施設であるとは言えるだろうが、「戦没者」の慰霊施設であるとは言えない。
 産経はこの点をごまかして、靖国が一般人の犠牲者をも追悼する施設であるかのように印象づけようとしている。
 しかし、異なる意見もある。
 日本会議のホームページに、「平成14年8月15日 戦歿者追悼中央国民集会」の記事が載っている。その集会で、主催社代表の1人として、小田村四郎が次のように述べたという(太字は引用者による)。
国立追悼施設は国家の生命を分断する

小田村四郎 日本会議副会長・拓殖大学総長

私は国立追悼施設構想にたいへん危惧を抱いています。第一に懇談会の趣旨にある何人もこだわりなく戦没者を追悼することができる施設について、政府は公式に外国人も含むと回答しております。これでは戦没者追悼という国の内政事項に外国が発言権を持ち、中国、韓国の属国になることは明らかで、サンフランシスコ講和条約五十周年を迎えた日本の独立主権を改めて否定する結果になります。

第二に政府並びに追悼懇は戦没者の意味を解していません。戦没者とは昭和二十七年四月に制定された戦傷病者戦没者等援護法に用いられた公式用語で、軍人・軍属等で公務上死亡した方を意味するのです。追悼懇はその概念について無知であるために、一般戦災者や外国人の戦死者までもその対象に含めようと議論している。
 もし、産経新聞がこういう解釈に従って「戦没者」という用語を用いていたのだとしたら、先の私の批判は的外れだったということになる。

 ウィキペディアによると、小田村四郎は東京帝国大学法学部政治学科卒。学徒出陣を経て、戦後に復学、卒業し、大蔵官僚となり、行政管理庁(総務省の前身の1つ)の事務次官まで務めたという。その後日銀監事や拓大理事、そして総長を務めた。

 だが、実際に戦傷病者戦没者等援護法の条文を読んでみると、どこにも「戦没者」の定義付けはなされていない。
 たしかに、この法律は、軍人・軍属等で公務上負傷した者や、死亡した者の遺族に対する援護策を定めたものである。一般人は含まれていない。だから「戦傷病者」「戦没者」は軍人・軍属等を指すという見方もできるだろう。しかし、定義付けがなされていないところを見ると、そのように限定してしまうことへのためらいがあったようにも思われる。
 そして、仮に、この法律上で、小田村が言うような「戦没者」の定義付けがなされていたとしても、それはあくまでこの法律上でのみ通用するものにすぎない。「戦没者」の一般用例を拘束するものではない。
 元高級官僚である小田村が、そんなことを知らぬはずもあるまい。

 小田村はこう続ける。
そもそも戦没者追悼とは、英霊の志を継いで我が国の平和を守ろうという決意を固めることです。決意を伴わない施設を建設して、国家的な行事の対象とすることは祖国防衛という戦没者追悼の中心的意義を消しさろうとする恐るべき陰謀であります。
 先の戦争がわが国にとって被侵略戦争だったのなら、小田村の言うこともわからないでもない。
 しかし、わが国から開戦し、そのあげく国を滅ぼしておいて、「志を継いで」「我が国の平和を守ろう」もないもんだと思うが。
 小田村の言う「祖国防衛」とは、真の意味での防衛ではないのだろう。「大東亜戦争は自衛戦争だった」という主張と同様の意味だろう。その「志を継いで」とは、つまりは、開戦も含めた、戦前のわが国の行動の全肯定なのだろう。
 それでは戦死者はいたたまれないのではないかと私は思うが、小田村は戦前への復帰こそが英霊に応えることだと考えているのだろう。

 私は、戦没者追悼とは、わが国はこんなに復興しましたが、あなたがたの犠牲があったことを私達は忘れていません、どうぞ安らかに眠ってくださいと祈るものだと思っていたが、小田村の考えは違うらしい。
 その小田村は、ウィキペディアによると、靖国神社の崇敬会総代の1人であるという。
 上に挙げた「戦歿者追悼中央国民集会」も、「英霊にこたえる会」と日本会議の主催により、靖国神社で毎年行われているもののようだ。

終戦に際して、陛下が最大の目的とされたのは国体の護持でありました。それを破壊しようというのが新しい追悼施設の建設です。総理は充分認識していないが、その意図を明らかにして、抗議行動を全国に展開しなければ、国家の危急は救えないと思う次第です。
 しかし、国体の護持だけでもできればよいというレベルにまでわが国を追い込んだのは誰なのか。その国体の護持さえ危うくしたのは誰なのか。そして、A級戦犯合祀の判明後、天皇の靖国参拝が途絶えたという事実を小田村はどう見るのか。

 私は、国家が兵士を追悼する施設は必要だと思っている。また、民衆の素朴な靖国神社や護国神社への信仰をむげに否定する気にはなれない。
 しかし、靖国神社がどういう思想の下で、どういう者どもによって運営されているのかということは、もっと知られてもよいと思う。
 先の私の記事で引用した産経新聞の「主張」は、こう述べていた。
64回目の終戦の日を迎え、東京・九段の靖国神社には炎暑の中、今年も多くの国民が参拝に訪れた。高齢者の遺族や戦友たちにまじって、親子連れや若いカップルが年々増え、この日の靖国詣でが広く国民の間に浸透しつつあることをうかがわせた。
 しかし、彼らのうちどれだけの者が、上記のような主張をする小田村のような者が総代の1人であるということを知っていただろうか。


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