(前回の記事はこちら)
次に、私の認識不足について説明しておきます。
私は、昔々北方領土問題をかじったことがあり、多少の知識はあるつもりでしたが、何分昔のことであり、国交交渉の細かい経緯については、忘れてしまっていた部分もあります。
特に、オコジョさんが持ち出された「訓令第一六号」については、昔の記録を確認したところ、昔これについて書かれた和田春樹氏の論文(「「北方領土」問題の発生」『世界』1989年4、5月号)を読んでいたのですが、すっかり忘れておりました。
そのため、先の
松本俊一『モスクワにかける虹』再刊といわゆる「ダレスの恫喝」について
4島返還論は米国の圧力の産物か?
の2記事を書いた時点では、日本側の当初の方針については、松本俊一が『モスクワにかける虹』(私が読んだのは『日ソ国交回復秘録』と改題されて昨年出版されたたものですが、面倒なので以下『モスクワにかける虹』で統一します)で述べていた、
「日本側としては歯舞諸島、色丹島、千島列島及び南樺太が、歴史的にみて日本の領土であることを主張しつつ、しかしながら交渉の終局においてこれを全面的に返還させるという考えではなく、弾力性をもって交渉にあたることを示したのであった」
というレベルのものだと認識しておりました。つまり、歯舞、色丹の2島の返還が最低条件との方針が示されていたとの認識を欠いていました。
また、吉田茂が鳩山首相による日ソ国交回復交渉に明確に反対していたことをはじめ、当時の党内対立の状況や鳩山、重光、河野らの立場、方針、そして米国との関係についても、十分な認識を欠いていました。
オコジョさんにしてみれば 何を無知丸出しで適当なことを書いているのかと思われたことでしょう。
「日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」」という記事でオコジョさんが
と指摘されたのはもっともです。
その後、オコジョさんが言及された和田春樹『北方領土問題』(朝日選書、1999)、久保田正明『クレムリンへの使節』(文藝春秋、1983)、D・C・ヘルマン『日本の政治と外交』(中公新書、1970)や、その他の書籍を確認して、「このあたりの推移」、オコジョさんのおっしゃる「日ソ交渉の重層構造」についてある程度理解できたように思います。
オコジョさんの指摘がなければ、私は今でも、当初は歯舞、色丹の返還が最低条件とされていたことの認識を欠き、交渉をめぐる主要政治家の方針や動向についても、不十分な認識のままでいたことでしょう。
ご指摘ありがとうございました。
私が「見るべき」と書いたのは、
・松本は第1次ロンドン交渉で2島返還での妥結を考えたが、重光に拒否された
・重光は第1次モスクワ交渉で2島返還での妥結を考えたが、松本に反対され、鳩山に拒否された
・河野は漁業交渉でソ連側の2島返還案に同意したとされているが、これを否定している
・鳩山は第2次モスクワ交渉で2島返還での妥結を拒否し、領土問題未解決のままでの国交回復に踏み切った
・吉田は回想で、サンフランシスコ平和条約で放棄する千島列島に択捉、国後が含まれないよう要請したとしている
といったことから、要するに2島のみ返還での妥結を主張した者は、交渉中の松本や重光を除き誰もいなかったという考えが念頭にあったからですが(2島先行返還、2島継続協議も4島返還論の変形と私は考えています)、「訓令第一六号」の件に加え、当時の政治家の諸発言に照らしても、そんなことは言えないことは理解しました。
不適切な記述であり、元記事から削除します。
ただ、その前の
これは違うと思います。
松本はこうは言っていない、おそらく重光も鳩山もそうは言っていないだろう、という話をしているのです。推測なのですから「はずです」としか書けません。私は重光や鳩山の全ての著作や発言に目を通してはおりませんから、推測するしかありません。しかし、私がそう考える根拠も付記しています。単に「希望を述べている」のではありません。何故「意味が分か」らないのか、私にはそちらの方がわかりません。
そして、これらは枝葉の議論です。本筋ではありません。
前回取り上げた「どこにも出てこない」もそうですが、オコジョさんの記事は、枝葉の議論にやたらと固執している気がします。
議論の本筋は、「米国の意思」をどう見るかという話でした。
次回は、これについて述べます。
(続く)
次に、私の認識不足について説明しておきます。
私は、昔々北方領土問題をかじったことがあり、多少の知識はあるつもりでしたが、何分昔のことであり、国交交渉の細かい経緯については、忘れてしまっていた部分もあります。
特に、オコジョさんが持ち出された「訓令第一六号」については、昔の記録を確認したところ、昔これについて書かれた和田春樹氏の論文(「「北方領土」問題の発生」『世界』1989年4、5月号)を読んでいたのですが、すっかり忘れておりました。
そのため、先の
松本俊一『モスクワにかける虹』再刊といわゆる「ダレスの恫喝」について
4島返還論は米国の圧力の産物か?
の2記事を書いた時点では、日本側の当初の方針については、松本俊一が『モスクワにかける虹』(私が読んだのは『日ソ国交回復秘録』と改題されて昨年出版されたたものですが、面倒なので以下『モスクワにかける虹』で統一します)で述べていた、
「日本側としては歯舞諸島、色丹島、千島列島及び南樺太が、歴史的にみて日本の領土であることを主張しつつ、しかしながら交渉の終局においてこれを全面的に返還させるという考えではなく、弾力性をもって交渉にあたることを示したのであった」
というレベルのものだと認識しておりました。つまり、歯舞、色丹の2島の返還が最低条件との方針が示されていたとの認識を欠いていました。
また、吉田茂が鳩山首相による日ソ国交回復交渉に明確に反対していたことをはじめ、当時の党内対立の状況や鳩山、重光、河野らの立場、方針、そして米国との関係についても、十分な認識を欠いていました。
オコジョさんにしてみれば 何を無知丸出しで適当なことを書いているのかと思われたことでしょう。
「日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」」という記事でオコジョさんが
>> 交渉過程での一時的な変心はともかく、松本も重光も鳩山も河野も吉田も、
>>基本的には最低でも4島返還の線で一致していたと見るべきだと私は思います。
ここも同じです。なぜ「見るべき」なのですか。
何の根拠もなく、ご自分の勝手な希望と憶測を書いているだけだということがお分かりにならないのでしょうか。
日本の歴史も何も、全然ふまえていらっしゃらない。
〔中略〕
このあたりの推移をきちんと把握されてから、もう一度どう「見るべき」なのかお考えいただきたいと思います。
と指摘されたのはもっともです。
その後、オコジョさんが言及された和田春樹『北方領土問題』(朝日選書、1999)、久保田正明『クレムリンへの使節』(文藝春秋、1983)、D・C・ヘルマン『日本の政治と外交』(中公新書、1970)や、その他の書籍を確認して、「このあたりの推移」、オコジョさんのおっしゃる「日ソ交渉の重層構造」についてある程度理解できたように思います。
オコジョさんの指摘がなければ、私は今でも、当初は歯舞、色丹の返還が最低条件とされていたことの認識を欠き、交渉をめぐる主要政治家の方針や動向についても、不十分な認識のままでいたことでしょう。
ご指摘ありがとうございました。
私が「見るべき」と書いたのは、
・松本は第1次ロンドン交渉で2島返還での妥結を考えたが、重光に拒否された
・重光は第1次モスクワ交渉で2島返還での妥結を考えたが、松本に反対され、鳩山に拒否された
・河野は漁業交渉でソ連側の2島返還案に同意したとされているが、これを否定している
・鳩山は第2次モスクワ交渉で2島返還での妥結を拒否し、領土問題未解決のままでの国交回復に踏み切った
・吉田は回想で、サンフランシスコ平和条約で放棄する千島列島に択捉、国後が含まれないよう要請したとしている
といったことから、要するに2島のみ返還での妥結を主張した者は、交渉中の松本や重光を除き誰もいなかったという考えが念頭にあったからですが(2島先行返還、2島継続協議も4島返還論の変形と私は考えています)、「訓令第一六号」の件に加え、当時の政治家の諸発言に照らしても、そんなことは言えないことは理解しました。
不適切な記述であり、元記事から削除します。
ただ、その前の
>> おそらく、重光も鳩山もそうは言っていないはずです。そんな発言や記述が
>>あれば、それこそ“転換”の根拠として挙げられるでしょうから。
ここにも深沢さんの議論の特徴が出ています。
「はずです」という意味が分かりません。これは、単にご自分の希望を述べているだけです。
これは違うと思います。
松本はこうは言っていない、おそらく重光も鳩山もそうは言っていないだろう、という話をしているのです。推測なのですから「はずです」としか書けません。私は重光や鳩山の全ての著作や発言に目を通してはおりませんから、推測するしかありません。しかし、私がそう考える根拠も付記しています。単に「希望を述べている」のではありません。何故「意味が分か」らないのか、私にはそちらの方がわかりません。
そして、これらは枝葉の議論です。本筋ではありません。
前回取り上げた「どこにも出てこない」もそうですが、オコジョさんの記事は、枝葉の議論にやたらと固執している気がします。
議論の本筋は、「米国の意思」をどう見るかという話でした。
次回は、これについて述べます。
(続く)