(前回の記事はこちら)
今回からは、議論の本筋である「米国の意思」をどう見るかという点について述べます。
まず、話を整理します。
私は
松本俊一『モスクワにかける虹』再刊といわゆる「ダレスの恫喝」について
という記事で、「ダレスの恫喝」によって日本が2島返還論から4島返還論に転じたとの誤った説が流布している現状を批判しました(この批判についてはオコジョさんにも同意していただいています)。
そして、その記事中、
と述べました。
これに対して、オコジョさんは
「ダレスの恫喝」について――「北方領土問題」をめぐって
で「私はちょっと違うと思います」として、
と述べました。
これに対して私が新記事
4島返還論は米国の圧力の産物か?
で
と述べたところ、オコジョさんは、「かもしれません」「確証がない」といった記述が気に障ったようで、新記事
日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」
で、
と述べたのでした。
ロバートスンの覚書とは、和田春樹氏の『北方領土問題』(朝日選書、1999)によると、日本はサンフランシスコ条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っていないとする一方、択捉、国後は歴史的に日本固有の領土であり、日本の主権下にあるものとして認められなければならないとするものですね。
4島返還論への支持であり、かつ2島返還による妥結への牽制ですね。
しかし、私が「かもしれません」「確証がない」と述べたのは、「択捉・国後が日ソ友好を引き裂くクサビになると米国が考え、それに基づく明確なポリシーを展開していた」と見る根拠でしたので、これはちょっと違うように思います。
その点を補うために、丹波實『日露外交秘話』の「在京英国大使館極秘電報公開事件」を挙げられたのでしょう。この件については、今回初めて知りました。ご教示ありがとうございます。
こちらのホームページに該当箇所が引用されていますね。
なるほどそうした見方が駐日外交官にあったという1つの証左ではありますね。
米国ではなく、英国ですが。
しかし米国にも同様の見方があったのかもしれません。
もっとも現物が紛失中ではどこまで信頼していいのかわからない話ですが。
そして、それが「間違いない事実」であると言える根拠なのかとなると、私にはやはり疑問が残ります。
誤解しないでいただきたいのですが、私はそうしたポリシーはなかったというつもりであのように書いたのではありません。むしろ、あったとしても十分おかしくはないと考えています。
ただ、「間違いない事実」という表現が気になったので、カッコ書きで「(確証がない以上、「間違いない事実」などとは私にはとても言えませんが)」と付け加えただけです。
一連の行動を後世から見て、○○国の意思は××だったと評価することはあるでしょう。
しかし、それは結果的に、総合してそのように言い得るということであって、後から見てそう言えるからといって、その時点で××という明確なポリシーが成立していたと語るのはおかしいと私は思います。
「間違いない事実」という表現は、それを裏付ける文書や証言といった確証があって、はじめて用いられるべきものだと思います。
私がカッコ書きで付記したのは、それだけの理由によるものです。
(続く)
今回からは、議論の本筋である「米国の意思」をどう見るかという点について述べます。
まず、話を整理します。
私は
松本俊一『モスクワにかける虹』再刊といわゆる「ダレスの恫喝」について
という記事で、「ダレスの恫喝」によって日本が2島返還論から4島返還論に転じたとの誤った説が流布している現状を批判しました(この批判についてはオコジョさんにも同意していただいています)。
そして、その記事中、
「ダレスの恫喝」は確かにあった。だがそれでわが国が2島返還論から4島返還論に転じたのではない。第1次ロンドン交渉で既に「固有の領土」論を主張している。
松本も重光も一時は2島での妥結もやむなしかと考えた。だが本国から拒否された。それだけのことだ。
と述べました。
これに対して、オコジョさんは
「ダレスの恫喝」について――「北方領土問題」をめぐって
で「私はちょっと違うと思います」として、
松本氏が全権となった「第一次ロンドン交渉」の途中から、日本が4島返還を主張し始めたのは事実ですが、なぜそうした“転換”があったかという問題に関しては、単純に日本の意思だけに帰すことはできません。
〔中略〕
ダレスの恫喝に先立って、同様の「趣旨の申し入れ」が既に米国からわが国に伝えられていたのは、事実なのです。
米国からの圧力がなかったわけではなく、合同がなったばかりの自民党内で日ソ国交回復を妨害する勢力であった吉田派が、米国の意思を体現していた可能性は大きいと私も思います(というより、ほぼ事実です)。
択捉・国後が日ソ友好を引き裂くクサビになると米国が考え、それに基づく明確なポリシーを展開していたことも、間違いない事実でしょう。
と述べました。
これに対して私が新記事
4島返還論は米国の圧力の産物か?
で
米国がそのような「申し入れ」をしたのは事実でしょう。そして、その背景にはおっしゃるような明確なポリシーがあったのかもしれません(確証がない以上、「間違いない事実」などとは私にはとても言えませんが)。
と述べたところ、オコジョさんは、「かもしれません」「確証がない」といった記述が気に障ったようで、新記事
日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」
で、
米国のロバートスン次官補が9月3日に提案し、9月7日に日本政府に渡され、12日に公表された覚書というのがあるんです。
丹波實による『日露外交秘話』という本があります。そのP.168~169に「在京英国大使館極秘電報公開事件」と題されたエピソードが載っています。
と述べたのでした。
ロバートスンの覚書とは、和田春樹氏の『北方領土問題』(朝日選書、1999)によると、日本はサンフランシスコ条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っていないとする一方、択捉、国後は歴史的に日本固有の領土であり、日本の主権下にあるものとして認められなければならないとするものですね。
4島返還論への支持であり、かつ2島返還による妥結への牽制ですね。
しかし、私が「かもしれません」「確証がない」と述べたのは、「択捉・国後が日ソ友好を引き裂くクサビになると米国が考え、それに基づく明確なポリシーを展開していた」と見る根拠でしたので、これはちょっと違うように思います。
その点を補うために、丹波實『日露外交秘話』の「在京英国大使館極秘電報公開事件」を挙げられたのでしょう。この件については、今回初めて知りました。ご教示ありがとうございます。
こちらのホームページに該当箇所が引用されていますね。
なるほどそうした見方が駐日外交官にあったという1つの証左ではありますね。
米国ではなく、英国ですが。
しかし米国にも同様の見方があったのかもしれません。
もっとも現物が紛失中ではどこまで信頼していいのかわからない話ですが。
そして、それが「間違いない事実」であると言える根拠なのかとなると、私にはやはり疑問が残ります。
誤解しないでいただきたいのですが、私はそうしたポリシーはなかったというつもりであのように書いたのではありません。むしろ、あったとしても十分おかしくはないと考えています。
ただ、「間違いない事実」という表現が気になったので、カッコ書きで「(確証がない以上、「間違いない事実」などとは私にはとても言えませんが)」と付け加えただけです。
一連の行動を後世から見て、○○国の意思は××だったと評価することはあるでしょう。
しかし、それは結果的に、総合してそのように言い得るということであって、後から見てそう言えるからといって、その時点で××という明確なポリシーが成立していたと語るのはおかしいと私は思います。
「間違いない事実」という表現は、それを裏付ける文書や証言といった確証があって、はじめて用いられるべきものだと思います。
私がカッコ書きで付記したのは、それだけの理由によるものです。
(続く)