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福井雄三『司馬遼太郎と東京裁判』主婦の友社、2006

2006-08-27 16:34:41 | 日本近現代史
 副題の「司馬史観に潜む「あるイデオロギー」」、帯の「東京裁判史観が隠れていませんか」でだいたいの内容は想像がつくが、その主張するところをもう少し詳しく知りたいと思って買ってしまった。というのは、私は小説はほとんど読まないので「司馬史観」なるものはよくわからないのだが、「司馬史観」と「東京裁判史観」は異なるものだと理解していたからだ。
 「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝が教科書問題で発言しだした初期の著作『近現代史教育の改革―善玉・悪玉史観を超えて』(明治図書、1996)において、彼らの提唱する自由主義史観は、東京裁判史観とも大東亜戦争肯定史観とも異なる中道的なもので、具体的には司馬史観だと明言していた。その後、藤岡らの主張はさらに右傾化し、大東亜戦争肯定論とほとんど変わらないものになっているように見受けられるが、それはさておき、司馬史観と東京裁判史観は異なるものだという論は、私の頭に強くすり込まれたので、本書の表題や帯を見てつい興味を覚えてしまった。
 で、読んでみたが、残念ながら私の期待に応えるものではなかった。
 まず、内容が薄い。第5章まであるが、本題の司馬作品と東京裁判との関係を本格的に論じているのは第2章と、その焼き直し的な第5章(東谷暁との対談)のみ。第1章は、一般的な東京裁判批判と、ノモンハン事件の見直しによる司馬批判、第3章は、著者が従軍慰安婦問題についての講演を変更させられたエピソードなどに見られる、現在も続く東京裁判史観の呪縛、第4章は、1938年当時の欧米において、日本の立場を支持する論説の紹介と、特に3章と4章などほとんど本題と無関係で、得るものは少なかった。
 次に、著者の言う「東京裁判史観」の定義に疑問がある。明確に定義づけた箇所はないが、最初の方に「東京裁判史観では、昭和に入ってから日本は急におかしくなった、と主張するわけである。特に昭和前期、軍閥の指導者たちが国民を侵略戦争に駆り立てて、無謀な世界侵略戦争に突入した末に日本を破滅させてしまった、というのである。」(8頁)とある。このような史観が司馬作品にもまた見られるというのが、著書による司馬批判の骨子のようである。
 しかし、これは「東京裁判史観」か? 司馬が、著者の言うように、明治の栄光と昭和の暗黒といった対比をしていたことは私も知っている。昭和戦前の一時期だけが、日本人がおかしくなってしまっていた時代だといった言い方もしていたと聞いている。しかし、これは「東京裁判史観」ではあるまい。
 東京裁判は、いわゆる十五年戦争期の日本を裁いたものである。それ以前の歴史について、善悪の評価はしていないはずだ。だから、明治は良かったが昭和は悪かったといった評価が出てくるはずもない。司馬作品にそのような史観が見られるとすれば、それは司馬史観なのだ。著者は、司馬作品には司馬史観が見られるという当たり前のことを取り上げて、それを「東京裁判史観」だとして批判しているに過ぎない。
 他の方のブログの孫引きだが、東京裁判研究家の富士信夫氏は、東京裁判史観を「東京裁判で下した判決の内容は全て正しく、満州事変に始まり大東亜戦争に終わった日本が関係した各種事件、事変、戦争は、すべて日本が東アジア及び南方諸地域を略取し支配しようとした被告たちの共同謀議に基く侵略戦争であって、戦前、戦中の日本の各種行為、行動はすべて『悪』であったとする歴史観」だと定義づけているという。私もこれに同意する。そして、司馬がこのような史観を持っていたかどうかは、司馬作品をそれほど読んでいないので何とも言えない。司馬は先の戦争を日本が一方的に悪い侵略戦争とみていたのか? 東京裁判は正当なもので東條はもちろん広田が死刑になっても良いと考えていたのか? 司馬が東京裁判史観の影響下にあると言いたいのなら、まずこうした点を論証すべきではないか。昭和陸軍の非合理性への批判など、東京裁判と特段関係あるまい。
 あと、司馬がソ連について過大評価しすぎているという論があるが、これは、ノモンハン事件の真相が明らかになったのは最近のことだし、時代の制約からやむを得ないのではないか。
 さらに余談だが、全般的に粗雑な表現が目立つ。第1章で横田喜三郎を売国奴と批判した箇所にはこうある。
「東大法学部は日本の法曹界に対して、隠然たる影響力を持っている。とりわけその教授ともなれば、その発言や主張が日本の社会に及ぼす影響は無視できぬものがあり、時によっては国策、ひいては国家の運命すら、左右できるほどの力を持つことがある。それ故にこそ、東大法学部教授という地位に就いている者にとっては、その言論活動において、国家の運命を双肩に担う者としての、無限の責任と義務が要求されるのである。」
なんとも仰々しい。しかし、この著者も東大法学部卒なのである。現在は某短大の助教授だそうだが、さぞかし国家の運命を双肩に担っているのだろう。東大法学部教授が国家の運命を左右した実例とやらをぜひご教示願いたいものだ。
 また、後記にはこうある。
「前作『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(主婦の友社)において、旅順攻防戦とノモンハン事件に関する、司馬史観の従来の軍事解釈の誤りが白日の下にさらされたことは、読者にとって目から鱗が落ちる思いであったであろう。」
まあ、そんな感想が多数届いたのかもしれないが、それにしても自ら読者の目から鱗が落ちただろうなどと言う人を私は初めて見た。こんな先生に教わる学生さんに同情します。


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1 コメント

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福井雄三氏の功績 (椛澤清志)
2010-12-29 20:45:10
福井氏は法律学を教えているようだが、法律で重要な心構えは「公平性」である。
従って、避難される側の言い分、それに有利な証言をも尊重しなければならない。
その点この本の第四章で紹介されている日中戦争初期の欧米の識者の見解は貴重である。
彼らは欧米の見地から免れないにしても日本に肩入れする理由はない。
彼らは中国側の悪行を遠慮なく指摘している。中国は無法国家、テロ国家、無法地帯であったことを証言している。
それ故、日本がその支配を引き上げた戦後中国で朝鮮半島で台湾でどんな「解放」がなされたのか、民衆がどれだけ新しい支配者に苦しめられる事になったか。日本の満州、朝鮮半島の支配が善い、とか善意だったとか言う必要などない。戦後どれだけあのあたりの民衆が苦しんできたかをみれば日本の支配がよりマシだったことを如実に示しているではないか。
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