少し前に、MSN産経ニュースのこんな記事を読んだ。
なかなか興味深い話ではある。
しかし、1946年の時点でフーバーがそのように述べていたからといって、ルーズベルトが「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った」という、いわゆる裏木戸参戦説が正しいとは言えまい。
ただ、フーバーはそのように見ていたというだけにすぎない。
裏木戸参戦説が正しいかどうかは、ルーズベルトをはじめとする当時の政権要人が何を考え、どう行動したかによって検証されなければならない。当時政権外にいたフーバーがルーズベルトの意図をどう忖度しようが、さしたる意味はない。
吉田茂が、米国はわが国の真珠湾攻撃を事前に知っていたが、国論を統一する必要から敢えて攻撃を甘受したという説を「本当のような気がする」と述べていたことは以前書いた。
仮に吉田茂が本気でそう考えていたとしても、それはこの説を補強する何の証拠にもならない。その説が正しいかどうかは、まず米国が事前に知っていたこと、次いで知っていながら放置したことを示す証拠が示されなければならない。
それと同じことである。
ところで、一昨日、最近文庫化された秦郁彦編『検証・真珠湾の謎と真実』(中公文庫、2011.11。親本はPHP研究所、2001)をたまたま読んでいると、「第一章 真珠湾陰謀説の系譜」(須藤眞志著)の次の記述に出くわした。
そのルーズベルト批判文の一部が、今回公開されたということなのだろうか。
産経の佐々木記者の別記事によると、
という。
須藤の記述だけでは、フーバーがどのような「ルーズベルト陰謀説」を唱えていたのかは明らかでない(本書には、フーバー元米大統領についてのこれ以上の記述はなかった)。
しかし、2001年に刊行された本で須藤がこのように述べている以上、佐々木記者が言うように、
「米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて」
ではないのではなかろうか。
「ルーズベルトは狂気の男」 フーバー元大統領が批判
【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874~1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882~1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。
米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。
真珠湾攻撃に関しては、ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻撃を事前に察知しながら放置。ドイツと同盟国だった日本を対米戦に引きずり込もうとした-などとする“陰謀説”が日米の研究者の間で浮かんでは消えてきたが、米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて。
ナッシュ氏の著書によると、フーバーは第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。
その際、フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。
マッカーサーも、「ルーズベルトは41年夏に日本側が模索した近衛文麿首相との日米首脳会談を行い、戦争回避の努力をすべきだった」と批判していた。
著書ではフーバーが「米国から日本への食糧供給がなければ、ナチスの強制収容所並みかそれ以下になるだろう」とマッカーサーに食糧支援の必要性を説いていたことも詳細につづられており、フーバーの対日関与の功績に光を当てるものにもなっている。
ナッシュ氏は「この著書が、今でも米国の英雄とされているルーズベルト大統領への歴史評価を見直すきっかけになってほしい」と話している。
なかなか興味深い話ではある。
しかし、1946年の時点でフーバーがそのように述べていたからといって、ルーズベルトが「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った」という、いわゆる裏木戸参戦説が正しいとは言えまい。
ただ、フーバーはそのように見ていたというだけにすぎない。
裏木戸参戦説が正しいかどうかは、ルーズベルトをはじめとする当時の政権要人が何を考え、どう行動したかによって検証されなければならない。当時政権外にいたフーバーがルーズベルトの意図をどう忖度しようが、さしたる意味はない。
吉田茂が、米国はわが国の真珠湾攻撃を事前に知っていたが、国論を統一する必要から敢えて攻撃を甘受したという説を「本当のような気がする」と述べていたことは以前書いた。
仮に吉田茂が本気でそう考えていたとしても、それはこの説を補強する何の証拠にもならない。その説が正しいかどうかは、まず米国が事前に知っていたこと、次いで知っていながら放置したことを示す証拠が示されなければならない。
それと同じことである。
ところで、一昨日、最近文庫化された秦郁彦編『検証・真珠湾の謎と真実』(中公文庫、2011.11。親本はPHP研究所、2001)をたまたま読んでいると、「第一章 真珠湾陰謀説の系譜」(須藤眞志著)の次の記述に出くわした。
アメリカでルーズベルト陰謀説を声高に叫ぶ一派は、ルーズベルトの政治的ライバルたちである。その代表格はフーバー元大統領とハミルトン・フィッシュである。フーバーは現役大統領でありながら大統領選挙でルーズベルトに敗れた。大恐慌という不運もあったが、フーバーには激動の時代をリードするだけの政治力がないと国民に判断されたのである。
ルーズベルトがニューディールによって大恐慌を乗り切ったために、相対的にフーバーは無能であったかのレッテルを貼られた。
その結果、歴代大統領のなかでもフーバーは無能な大統領としては五本の指に入るとされている。それだけにルーズベルトへの怨念は人一倍強かったらしい。
フーバーはスタンフォード大学の第一回卒業生であり、若くして死んだ息子をいたんで多額の寄付を行い、フーバー研究所は全米屈指の共和党系シンクタンクとなっている。この研究所は有能な研究者を抱えるシンクタンクとしてのみならず、多くの現代史資料を収集していることでも知られている。特に、ロシア革命に関する文献は本家のロシアよりもすぐれているとの評価がある。
また、ルーズベルト政権時代、国務省で勢威を振るったスタンレー・ホーンベック国務省顧問の資料は、ほとんどすべてを所蔵している。研究所はフーバーが残した最大の功績といってよい。
実はフーバーは政界を去ったあと、無能な大統領であったという汚名をそそぐべく、膨大な量の文書を残したと言われているが、すべては公開されていない。
理由は判然としないが、その中には多くのルーズベルト批判文が多く〔原文ママ〕含まれているとのことである。それが公開されれば、無能のレッテルを貼られた元大統領の政敵としての悔しさが多分に滲み出ているはずで、修正主義者だけでなく多くの研究者にとっても大変興味のあるものであろう。(中公文庫版、p.39-40)
そのルーズベルト批判文の一部が、今回公開されたということなのだろうか。
産経の佐々木記者の別記事によると、
日米開戦から70年も経って初めて、これまで公にされてこなかったフーバーの発言が明らかにされたのは、遺族が一部資料の公開に応じたためである。
という。
須藤の記述だけでは、フーバーがどのような「ルーズベルト陰謀説」を唱えていたのかは明らかでない(本書には、フーバー元米大統領についてのこれ以上の記述はなかった)。
しかし、2001年に刊行された本で須藤がこのように述べている以上、佐々木記者が言うように、
「米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて」
ではないのではなかろうか。
President Roosevelt and the Coming of the War (1948)の著者は1948年に死亡していますが、なんとその当時に、公文書資料でルーズベルト大統領の陰謀説を冷静に指摘しています。このリサーチを出すまでは、超一流の歴史学者であり、政治学者であったそうですが、手の平を返すように学会から彼の意見は排斥されました。彼の死亡もあったせいでしょうが・・・また都合よく亡くなるものですね。