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吉田茂のルーズベルト陰謀論

2010-08-26 08:52:12 | 大東亜戦争
 ルーズベルト陰謀論というものがある。
 ルーズベルト大統領は暗号解読により事前にわが国の真珠湾攻撃を知っていたが、第二次世界大戦に参戦する口実を得るために、敢えて対策をとらずに攻撃を受け損害を被るにまかせた。その上でわが方を「騙し討ち」と非難し、国論を参戦で統一したのだ――というものだ。

 真珠湾攻撃については、わが国外務省の不手際により開戦通告が遅れたという問題があるわけだが、こうした陰謀論者の中にには、ルーズベルトは事前に知っていたのだから通告の遅れなど問題ではないとする者がいる。
 また、米国こそが開戦を望んだのでありわが国は心ならずも開戦するように仕向けられたのにすぎない、わが国こそが被害者であるという主張の補強としてもこうした陰謀論が用いられることが多いようだ。

 真珠湾攻撃の被害の甚大さとその後の米国の行動から考えて、知っていたのに放置したとは常識的に見ておよそ成り立たない判断だろう。
 また、仮に知っていたとしても、わが国の開戦通告に不手際があったという事実は揺るがない。ルーズベルトが知っているとわが国は知らなかったのだから、わが国に通告義務があることには何ら変わりなく、それでわが国の不手際が相殺されるわけではない。
 そして、米国に開戦するように仕向けられたのだとしたら、わが国首脳陣はそれにまんまと乗せられて、主体性も何もなくただひたすら米国の掌の上で転がされていたにすぎない、愚か者の集団だったということになる。先人をそれほどまでに貶めるのが彼らの趣味なのだろうか。
 ルーズベルト陰謀論を唱える者は、いったい何を考えているのか理解に苦しむ。

 ところが、かの吉田茂元首相もまた、米国は真珠湾攻撃を事前に知っていたとの印象を受けていると述懐していることをしばらく前に知り、大変驚いた。
 あまり知られていない話ではないかと思うので、紹介したい。

 中公文庫に吉田茂著『日本を決定した百年』という本がある(タイトルとなっている「日本を決定した百年」という論文は、巻末の粕谷一希による解説で、実は高坂正尭による代筆であることが明らかにされている)。
 この本に、「思出す侭(まま)」というエッセイが併録されている。これは首相を辞任した翌年の1955年の7月から9月にかけて『時事新報』夕刊に連載されたもので、粕谷によると、「記者のまとめたものであろうが、吉田さんの肉声が聞こえるような気がする」という。
 この「思出す侭」の第7回に、真珠湾攻撃についての言及がある(以下、太字は引用者による)。

 さて真珠湾攻撃は世に奇襲作戦なりと喧伝せらるるも、米国側はわが方の電報を解読しそのことあるを知悉せるものの如く、ただ当時米国国内にあってもなお戦争反対の空気が強かったため国論を統一する必要から敢えて攻撃を甘受したのだ、というのが真相だとする説がある。私が在職中来朝した某米国政府要人も真珠湾攻撃を事前に知っていたと語っていたが、私もそれが本当のような気がする。(p.191-192)


 吉田はその根拠として、1954年に訪米した際に立ち寄ったホノルルで、現地の運転手から「あれがパール・ハーバーだ」と「得意げに説明」されたこと、また海軍士官も「あれがパール・ハーバーだ」と指して「分ったかといわぬばかりの顔つきを」していたことを挙げ、

 勿論その運転手も若い士官も私が日本の首相であることを承知してのことであり、珍客? にハワイの名所? を教えてやろうとする親切心からだとは思うのであるが、聞く方はうんざりする。そこで私は、これらの人々が奇襲をされ、しかも相当な被害を受けたいわば負け戦の場を攻撃した国の者に誇らしげに(少くとも私にはそう見えたが……)指さすあたりは「攻撃されることは百も承知していたのだ」といわんばかりの風情であったと思えてならない。この私の見方はあるいは僻み心のせいかも知れない。しかしこれらのことを抜きにして、真珠湾攻撃は決して奇襲ではなかったと信ずるこの気持は、今なお払拭出来ないのである。
 もう一つ附け加えたいことは真珠湾の〝奇襲〟を受けた当の責任者たる太平洋艦隊司令長官キング大将が、その故をもって軍事裁判に附されながら、結局処罰が非常に軽かったという一事である。勿論真相は局外者にわかることではないが、キング司令長官が予定の犠牲者であったためではないかと私には思われるのである。(p.192-193)


と述べている。

 司令長官のキングとはキンメルの誤りだろう。
 ウィキペディアによると、キンメルはハワイ方面陸軍司令長官だったウォルター・ショート中将とともに12月17日付けで司令長官を解任され、予備役少将へ降格されたという。キンメルは合衆国艦隊司令長官も兼任していたがその後任はアーネスト・J・キング大将が就き、太平洋艦隊司令長官の後任にはニミッツ少将が大将に昇進して就任したという。

 大将が少将に降格されて予備役入りという処分が、「非常に軽かった」のかどうか、私は軍の昇進システムに通じていないのでよくわからない。ただ、勝てる戦いを失策で負けたというのならともかく、真珠湾攻撃は「騙し討ち」だったのだから、キンメルの責任はそれほど重いものではないだろうし、厳重処分が下されたのなら酷ではないかと思える。
 ちなみに、負けいくさを戦ったわが軍において、将官クラスが責任をとって降格させられたとは寡聞にして聞かない。出世した者はいるようだが。
 
 某要人が事前に知っていたと語ったり、ハワイの人々が「攻撃されることは百も承知していたのだ」といわんばかりの風情であったのが仮に事実だとしても、それは緒戦で手ひどくやられたが、最終的には勝利したという余裕から来るある種の負け惜しみではないだろうか。
 吉田が挙げている理由はどうにも弱いように思う。

 ただ、吉田においてすらそのような感触をもったことは事実なのだろうし、それほど真珠湾攻撃による快勝とその後の大敗との落差は大きかったのだろう。
 そして、注目すべきは、吉田はここで何一つ米国に対して非難がましいことを口にしていないことだ。
 それは吉田のような大戦時を過ごした者には当然の感覚だったのだろう。
 仮に米国が真珠湾攻撃を知っていたとしても、それは米国の優れた諜報活動を讃え、わが国の機密漏洩を批判するということにはなるだろうが、わが国が米国を道徳的に非難できる筋合いの話ではない。
 米国民からは、あれほどの犠牲を払って日本から開戦させる必要があったのかという非難が生じる余地はあるだろう。だが、わが国にそんなことを言える筋合いはない。
 知られていたのなら、知られていながら知られていることにも気付かず開戦に踏み切ったわが方が愚かだった。そういう結論にしかならないはずだ。

 米国は真珠湾攻撃を知っていたとの印象を持っていた吉田茂も、後世、日本は悪くない、悪いのは米国だとする主張の論拠としてこの種の説が用いられるとは予想だにしなかったことだろう。



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1 コメント

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トラ トラ トラ (権兵衛)
2011-09-23 11:38:59
1932年、米海軍は真珠湾に対する空母艦隊の奇襲攻撃をシュミレートし、1941年になり日米関係悪化により諜報機関であるマック情報部の活動で対日戦が切迫してる旨をノックス海軍長官とスターク大将を通して米太平洋艦隊司令長官キンメル大将に警告を発すしました。
この為、陸軍基地航空隊と空母艦隊が迎撃演習を実施し1941年3月から10月にかけて防備、及び即応警戒態勢の強化を推進し港湾防御施設の設置と海上と空中での哨戒等が次々に実行され、これらの措置を完了した所で真珠湾奇襲に対する警戒心は一種の安心感から急速に萎えてしまった訳で、そこには日本海軍には真珠湾を攻撃し得る作戦遂行能力が備わって無いと判断されていた事も要因だと思います。
つまり極めてグレーですが事前に真珠湾奇襲を察知する前に米軍自体がその可能性を示唆し対策を講じどのような状況に陥っても真珠湾奇襲攻撃の成功はあり得ないと思っていた所に虚を突かれたと言う感じでしょうか。
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