とあるブログの記事に、以下のような記述があるのを読んで思い出したのだが、どうも最近「体たらく」という言葉の用法が変わってきているようだ。
《野党の体たらくは民主党だけではなく、社民党、共産党にも言えることだけど、野党第一党の体たらくは、近代民主主義にとっては良くないことだ。
社民党が、共産党支持層の穏健現実派を取り込めるようになれば、もう少し民主、社民連合にも有利になるのだけど、社民党は他所様のことを言える義理ではなく、政党として一番体たらくである。》
「一番体たらくである」・・・??。
一番ダメだということかな?
以前、ゆうきまさみのマンガ『鉄腕バーディー』(最近の方)にも、同様の用法があったような・・・。「ていたらくだなー、バーディー・シフォン。」とか何とか。
どうも、「体たらく」というひと言で、「ダメダメ状態」といった意味で用いられているようだ。
goo が辞書として提供している『大辞林』には、
《ていたらく 3 【体たらく/▽為▽体】
〔「体(てい)たり」のク語法。そのような体であること、の意〕ようす。ありさま。現代では、好ましくない状態やほめられない状態についていう。
「散々の―だ」「此の山の―、峰高うして/盛衰記 35」》
とある。
Googleで「体たらく」の語で検索してみると、あるブログでの次のような記述がヒットした。
《和歌山県知事選挙で民主党は自主投票になった。
独自候補すら立てれないなんて情けないですね。
県連の中で足の引っ張り合いをしているんですから。
女性町議の名が挙がっていたのを無名だからという理由で引きずりおろす。
それで結局は擁立すら出来ないなんて県民を馬鹿にしてますね。
こんな体たらくでは民主党が政権取るなんて無理でしょう。》
こうしたものが、本来の用法だろう。
つまり、「体たらく」は悪いニュアンスで「有様」といった意味で使われるが、その悪さは別に示すものであり、「体たらく」という言葉単独で悪いということを示すものではない。
はてなダイアリーには、「体たらく」の語について、次のような記述があった。
《また,一部では「本当に体たらくな自分だったと思います」(東横イン社長)や「拉致された人々の命すら守れない日本政府は体たらくだと指摘した」(朝日新聞。石原都知事の発言として)のように,本来の用法とは異なる使い方をされることがあるようである.》
こんな偉いさんが使っているようでは、一般化するのもやむを得ないのかも。
それにしても、石原慎太郎。この人は保守派で、しかも作家であったはずだが、日本語にはあまりこだわりがないのだろうか。
それとも、関東の方ではこうした用法が浸透しているのかな? 関西人の私は日常会話で聞いたことがないが。
《野党の体たらくは民主党だけではなく、社民党、共産党にも言えることだけど、野党第一党の体たらくは、近代民主主義にとっては良くないことだ。
社民党が、共産党支持層の穏健現実派を取り込めるようになれば、もう少し民主、社民連合にも有利になるのだけど、社民党は他所様のことを言える義理ではなく、政党として一番体たらくである。》
「一番体たらくである」・・・??。
一番ダメだということかな?
以前、ゆうきまさみのマンガ『鉄腕バーディー』(最近の方)にも、同様の用法があったような・・・。「ていたらくだなー、バーディー・シフォン。」とか何とか。
どうも、「体たらく」というひと言で、「ダメダメ状態」といった意味で用いられているようだ。
goo が辞書として提供している『大辞林』には、
《ていたらく 3 【体たらく/▽為▽体】
〔「体(てい)たり」のク語法。そのような体であること、の意〕ようす。ありさま。現代では、好ましくない状態やほめられない状態についていう。
「散々の―だ」「此の山の―、峰高うして/盛衰記 35」》
とある。
Googleで「体たらく」の語で検索してみると、あるブログでの次のような記述がヒットした。
《和歌山県知事選挙で民主党は自主投票になった。
独自候補すら立てれないなんて情けないですね。
県連の中で足の引っ張り合いをしているんですから。
女性町議の名が挙がっていたのを無名だからという理由で引きずりおろす。
それで結局は擁立すら出来ないなんて県民を馬鹿にしてますね。
こんな体たらくでは民主党が政権取るなんて無理でしょう。》
こうしたものが、本来の用法だろう。
つまり、「体たらく」は悪いニュアンスで「有様」といった意味で使われるが、その悪さは別に示すものであり、「体たらく」という言葉単独で悪いということを示すものではない。
はてなダイアリーには、「体たらく」の語について、次のような記述があった。
《また,一部では「本当に体たらくな自分だったと思います」(東横イン社長)や「拉致された人々の命すら守れない日本政府は体たらくだと指摘した」(朝日新聞。石原都知事の発言として)のように,本来の用法とは異なる使い方をされることがあるようである.》
こんな偉いさんが使っているようでは、一般化するのもやむを得ないのかも。
それにしても、石原慎太郎。この人は保守派で、しかも作家であったはずだが、日本語にはあまりこだわりがないのだろうか。
それとも、関東の方ではこうした用法が浸透しているのかな? 関西人の私は日常会話で聞いたことがないが。
いやー、関東でも使いませんよw
私もかの表現には違和感を感じています。謎です。
そうでしたか。不思議ですねえ。
後で気が付きましたが、「だらしない」の意味で使われているような感じがします。
この記事を読んで初めて知りました。
一般ブロガーや東横インの社長はともかく、石原都知事まで…
なんともかんとも… ていたらくな話だこと…(笑)
30年ぐらいしたら、あちらの方が主流になっているかもしれません(笑)。
このブログにたどり着きました。
東横インの社長の発言、石原都知事の発言はほぼ同時期で、
ニュースでリアルタイムに見て(聴いて)いました。
ら抜き言葉もまだ免疫が出来ていませんが、この言葉の用法
にいつ慣れるのか・・・。
東横イン社長や石原都知事の発言は知らなかったので、驚きでした。
ら抜き言葉は、文章ではともかく、日常会話ではついつい使ってしまいます。言いやすいので。