今月創刊された「朝日新書」の1冊。黒田は『産経新聞』のソウル支局長(その前は共同通信のソウル特派員であった)、市川は『朝日新聞』の前ソウル支局長。両紙それぞれの論調を背景にした、朝鮮半島情勢や日韓・日朝関係についての対論を収録したもの。
対論出版の企画自体は市川の発想によるものだと、黒田が「まえがき」で述べている。こうした企画が通るところが、朝日の長所であり強みであると思う。朝日の報道スタンスについては、左に甘いとか反日的であるといった印象があるが、異論に対して比較的寛容というか、少なくとも異論をも紹介しようという姿勢が最も濃厚な新聞は朝日であると思う。産経の「正論」欄に左派が登場するだろうか。同紙の読者論文に、いかに内容が優れていようと、左派的な見解が入賞するだろうか。私が紆余曲折の末、現在朝日を購読しているのはそうした理由による。
閑話休題。日韓関係については、市川も、韓国側の反日論に日本人として違和感があることは認めている。そうした違和感を紙面でどこまで表現するかという点で、市川と黒田に温度差があるというにすぎない。したがって、議論の性質上、どうしても黒田が攻勢、市川が守勢に立つことになる。
《黒田 あのねえ、市川さんも朝日新聞の記者たちも韓国で生活すれば、こりゃアカン、こりゃなんじゃと、非公式にはすごく文句言ってるわけですよね。でも、そう書いちゃいかん、日本人に向けてそれを言うと韓国に対する差別、偏見を助長すると。僕も最初はそう思ってましたが、途中から、それはやっぱりよくないんだと。逆に偽善的だと・・・・・。
市川 偽善ではなく、マナーが必要だと言ってるんです。
黒田 事実として問題があるなら、それを隠したり見ないふりをする方が逆に問題をこじれさせるのではないかと。(中略)韓国はもう過去の韓国じゃない。言いたいことを言っていいんです。批判していいんですよ。その結果、日本人が偏見を持つか、差別意識を持つかどうかは別の問題です。(中略)今や読者、視聴者たちが独自で情報を得ているし、ビジネスを含めいろいろな接触があるわけだから、国民が自分で判断することができる。配慮するほうが朝日の妙な差別意識なんですよ。ある意味では。
市川 差別意識なんて、ないつもりですけど。
黒田 相手をまともに見ていないんだな。》
私には、黒田の主張はよくわかる。ただ、昨今の嫌韓ブームとでも言うべき状況を見ていると、市川の危惧もわからないでもない。
日本の新聞というのは、概して他国の悪口は書かない傾向にあると思う。だから、よその国がみな優れた国で、日本だけが劣った国であるかのような印象を持つことがある。市川としても、社のスタンスを無視した発言はしにくいだろうし、若干、市川がかわいそうではある。
もう一点、強く印象に残ったのが、北朝鮮への人道援助をめぐる議論。人道援助には肯定的な市川に対し、黒田はそれを否定する。
《市川 でもね、WFP(世界食糧計画)などが地方に行って、直接食糧支援するのは、これは必要不可欠じゃないですか?
黒田 人道援助が成立するのは開放社会であることが前提ですよ。アフリカなどでやっているように。しかし北朝鮮のような体制上の閉鎖社会で人道支援っていうのは、場合によっては非人道幇助の犯罪になりかねない。
市川 僕はその意見には、反対です。だって、目の前に飢え死にしていて、しかも権力とは関係ない人がいるのに。
黒田 もし人民の餓死が気になるなら、戦車や大砲を売ってでも、米を買ってこいって言えばいいんです。兵器は大量にスクラップにすれば売れるんだから。それをせずに、しかも一方はミサイルや核兵器を造りながら人道援助なんて、絶対ダメです!
(中略、アマルテア・センという経済学者の分析を紹介して)
要するにね、飢餓というのは独裁だから起きる。民主主義政権下では起きないというんですね。なぜかというと、民主主義が稼働している国においては飢餓とは政策の失敗ですから、失敗があれば国民に非難されて政権の交代になる。それが機能することで飢餓の解決策が模索されるわけです。独裁下ではそれが機能しないため解決できないというわけ。(中略)北朝鮮問題の解決は結局、金正日政権のレジームチェンジですよ。それなのにすぐ人道支援などといったのでは何も解決しません。核も飢餓も。》
確かに、そのとおりだと思う。
英国のジャスパー・ベッカーというジャーナリストが現代の北朝鮮を論じた『ならず者国家』(草思社、2006)という本に、次のような記述がある。
《公正を期すために言えば、国連のシステムは北朝鮮のような国を想定して作られていない。つまり、政策変更や相手側の条件を呑むくらいなら大量の国民を見殺しにしてもよいという心づもりの国には対応できないのだ。》
《国連職員らが非公式に次のような発言をしたことがある。全体として考えた場合、とにかく北朝鮮への食糧支援を増やせば最悪の事態は避けられる、受け取る順番などどうでもよいのだ、と。脱北者が言うように党と軍が一番いいところを奪ったとしても、全体量が多ければ残りの国民に渡る量も増えるからだ。》
しかし、残りの国民には渡らずに、輸出されてその利益は軍事費に回されるかもしれない。それを検証する手段が国連にはない。
「北朝鮮問題の解決は結局、金正日政権のレジームチェンジですよ。」という発言は、本質を突いていると思う。
既に両紙の朝鮮半島情勢や日韓・日朝関係についての論調を知悉している者にとっても、それがぶつかりあうことで展開される議論に興味深い点もあるので、こうした問題に関心のある方なら一読の価値はあると思う。
ただ、朝日支持の方には、若干辛い読後感を与えるような気もする。
対論出版の企画自体は市川の発想によるものだと、黒田が「まえがき」で述べている。こうした企画が通るところが、朝日の長所であり強みであると思う。朝日の報道スタンスについては、左に甘いとか反日的であるといった印象があるが、異論に対して比較的寛容というか、少なくとも異論をも紹介しようという姿勢が最も濃厚な新聞は朝日であると思う。産経の「正論」欄に左派が登場するだろうか。同紙の読者論文に、いかに内容が優れていようと、左派的な見解が入賞するだろうか。私が紆余曲折の末、現在朝日を購読しているのはそうした理由による。
閑話休題。日韓関係については、市川も、韓国側の反日論に日本人として違和感があることは認めている。そうした違和感を紙面でどこまで表現するかという点で、市川と黒田に温度差があるというにすぎない。したがって、議論の性質上、どうしても黒田が攻勢、市川が守勢に立つことになる。
《黒田 あのねえ、市川さんも朝日新聞の記者たちも韓国で生活すれば、こりゃアカン、こりゃなんじゃと、非公式にはすごく文句言ってるわけですよね。でも、そう書いちゃいかん、日本人に向けてそれを言うと韓国に対する差別、偏見を助長すると。僕も最初はそう思ってましたが、途中から、それはやっぱりよくないんだと。逆に偽善的だと・・・・・。
市川 偽善ではなく、マナーが必要だと言ってるんです。
黒田 事実として問題があるなら、それを隠したり見ないふりをする方が逆に問題をこじれさせるのではないかと。(中略)韓国はもう過去の韓国じゃない。言いたいことを言っていいんです。批判していいんですよ。その結果、日本人が偏見を持つか、差別意識を持つかどうかは別の問題です。(中略)今や読者、視聴者たちが独自で情報を得ているし、ビジネスを含めいろいろな接触があるわけだから、国民が自分で判断することができる。配慮するほうが朝日の妙な差別意識なんですよ。ある意味では。
市川 差別意識なんて、ないつもりですけど。
黒田 相手をまともに見ていないんだな。》
私には、黒田の主張はよくわかる。ただ、昨今の嫌韓ブームとでも言うべき状況を見ていると、市川の危惧もわからないでもない。
日本の新聞というのは、概して他国の悪口は書かない傾向にあると思う。だから、よその国がみな優れた国で、日本だけが劣った国であるかのような印象を持つことがある。市川としても、社のスタンスを無視した発言はしにくいだろうし、若干、市川がかわいそうではある。
もう一点、強く印象に残ったのが、北朝鮮への人道援助をめぐる議論。人道援助には肯定的な市川に対し、黒田はそれを否定する。
《市川 でもね、WFP(世界食糧計画)などが地方に行って、直接食糧支援するのは、これは必要不可欠じゃないですか?
黒田 人道援助が成立するのは開放社会であることが前提ですよ。アフリカなどでやっているように。しかし北朝鮮のような体制上の閉鎖社会で人道支援っていうのは、場合によっては非人道幇助の犯罪になりかねない。
市川 僕はその意見には、反対です。だって、目の前に飢え死にしていて、しかも権力とは関係ない人がいるのに。
黒田 もし人民の餓死が気になるなら、戦車や大砲を売ってでも、米を買ってこいって言えばいいんです。兵器は大量にスクラップにすれば売れるんだから。それをせずに、しかも一方はミサイルや核兵器を造りながら人道援助なんて、絶対ダメです!
(中略、アマルテア・センという経済学者の分析を紹介して)
要するにね、飢餓というのは独裁だから起きる。民主主義政権下では起きないというんですね。なぜかというと、民主主義が稼働している国においては飢餓とは政策の失敗ですから、失敗があれば国民に非難されて政権の交代になる。それが機能することで飢餓の解決策が模索されるわけです。独裁下ではそれが機能しないため解決できないというわけ。(中略)北朝鮮問題の解決は結局、金正日政権のレジームチェンジですよ。それなのにすぐ人道支援などといったのでは何も解決しません。核も飢餓も。》
確かに、そのとおりだと思う。
英国のジャスパー・ベッカーというジャーナリストが現代の北朝鮮を論じた『ならず者国家』(草思社、2006)という本に、次のような記述がある。
《公正を期すために言えば、国連のシステムは北朝鮮のような国を想定して作られていない。つまり、政策変更や相手側の条件を呑むくらいなら大量の国民を見殺しにしてもよいという心づもりの国には対応できないのだ。》
《国連職員らが非公式に次のような発言をしたことがある。全体として考えた場合、とにかく北朝鮮への食糧支援を増やせば最悪の事態は避けられる、受け取る順番などどうでもよいのだ、と。脱北者が言うように党と軍が一番いいところを奪ったとしても、全体量が多ければ残りの国民に渡る量も増えるからだ。》
しかし、残りの国民には渡らずに、輸出されてその利益は軍事費に回されるかもしれない。それを検証する手段が国連にはない。
「北朝鮮問題の解決は結局、金正日政権のレジームチェンジですよ。」という発言は、本質を突いていると思う。
既に両紙の朝鮮半島情勢や日韓・日朝関係についての論調を知悉している者にとっても、それがぶつかりあうことで展開される議論に興味深い点もあるので、こうした問題に関心のある方なら一読の価値はあると思う。
ただ、朝日支持の方には、若干辛い読後感を与えるような気もする。
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50708231.html
その「嫌韓ブームとでも言うべき状況」というのは、新聞が配慮をして書くべきことを書かずに隠してきたからこそ、それが知れ渡ったた今、より強い反発が起こっているということだと思います。
因果関係から言うと、たしかにそのとおりだと思います。
韓国や北朝鮮、さらには在日に対する批判が封じられるような状況になってはならないと思います。
ただ、昨今、何かしら叩きたいという欲望がまずあって、その手ごろな対象として韓国が選ばれているのではないか、そうした人は議論の正当性などはさておき、叩ければなんでもいいのではないかとの危惧が私にはあります。
その好例が、先日取り上げた地図(三国時代の)についてのmasaさん、がんばさんの各記事のコメント欄での反応です。
普通に考えてあんなものが韓国の教科書に載るはずがないのに、そうした常識的な判断ができずに反射的に韓国人を批判する人々・・・。
韓国人は日本に対しては何を言ってもいいと考えているようですが、日本人が同じレベルに堕ちる必要はないでしょう。