トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

民団職員が民主党から参院選に立候補中

2007-07-15 17:44:39 | 現代日本政治
 少し前に、加賀もんさんのブログで、金政玉という在日韓国人2世で日本国籍を取得している人物が、今回の参院選に民主党から比例区で立候補していることを知った。
 日本国籍があるから、国政選挙に立候補できるのは当然なのだが、問題なのは、この人物は在日本大韓民国民団(以下「民団」と略す)の職員を兼ねているのだそうだ。

 民団は、その名のとおり在日する韓国民のための組織であるはずだ。その構成員が、日本国籍という事態が許されるのか?
 私は、帰化者の増加と日本人との婚姻により在日韓国・朝鮮人は減少傾向にあり、それは今後もさらに強まることは明らかなので、民団はいずれコリア系日本人のための組織に変質せざるを得ないと見ている。しかし、今の民団はそのようなものではないはずだ。

 もっとも、職員といっても、幹部クラスでなく一般職員なら、そのようなこともあり得るのかもしれないと思い直した。日本国籍を取得したとしても、いきなり解職されては困るだろうし。
 ところが、さらに調べてみると、金政玉氏は現在、民団葛飾支部の国際課長を務めているという。
 これは一般職員ではないだろう。いよいよ不可解だ。
 しかも同支部は、金政玉氏の支援団体への協力を呼びかけている。

《参政権を持たない私たちは一票を投じることはできませんが、ご賛同いただける周囲の知人・友人等の有権者の方々を、一人でも多く、「金ジョンオクの政治参加を応援する在日同胞と市民の会」に御紹介いただきたいのです。裏面にあります紹介者記入欄にお知り合いの有権者のご承諾をいただきその方の氏名・ご住所・電話番号など記入しFAXしていただければけっこうです。》

 これは、端的に言って、内政干渉ではないのか。


 加賀もんさんが挙げているように、民団中央本部のホームページに掲げられている綱領の1節には、

《大韓民国の国是を遵守する
  在日韓国国民として大韓民国の憲法と法律を遵守します。》

とある。
 したがって、韓国籍の保持者でないと、民団の構成員にはなれないように思うのだが、どうなのだろう。
 こうした団体には綱領とは別に規約があり、そこで組織の構成について細かく定められているはずだ。
 民団の規約をネット上でしばらく探してみたが、見当たらなかった。
 どのように整合性をつけているのか、気になる。

 私は、日本国籍取得者であれば、民族がどうであれ、国政に参加しようとすること自体は何ら問題ないと思うし、マイノリティが国政の場に登場することは十分に意義があると考える。
 ただ、民団はあくまで韓国民としての在日のための組織であり、その地方幹部を務める金政玉氏が、民団の組織力を背景に選挙運動を進めるのであれば、それは国政選挙の場にはふさわしくないものだと思う。

 また、彼を擁立する民主党がその点についてどう考えているのかについても興味がある。

《民主党は党として説明責任があるし、有権者は、この点に注目すべきであろう。》

との加賀もんさんの主張に賛成だ。

「引用」ではなく「盗用」では?

2007-07-15 00:38:50 | マスコミ
 先の記事に関連して。
 宮沢喜一の死去に際し、静岡新聞が記事中でウィキペディアの以下の記述を引用したことが先日問題となった。


《1970年代の外務大臣在任時、旧ソ連の古強者グロムイコ外相との北方領土交渉では、のらりくらりと話をはぐらかそうとするグロムイコを恫喝して席につかせたという伝説がある(北海道新聞でグロムイコが「なんと頑固か」と述べた)。普段はハト派を標榜しながらも、国益のためには強硬な姿勢も示す国益主義者だった一面がうかがえる。》


 この件についての朝日新聞の記事はもう「アサヒ・コム」には見当たらないが、朝日の記事と、静岡新聞のコラム及びそのお詫び記事が「雅楽多blog」さんというブログに転載されていたので、リンクを張らせていただく

 この宮沢とグロムイコのエピソードは初めて知った。あまり知られていない話だと思うが、実話だろうか。一応、北海道新聞が出典とはされているが、いつのどのような記事だろうか。
 私はこの件は、ウィキペディアレベルの出所不明な怪しい話を、新聞の論説委員が、「広く知られたエピソードと思い込」んで記事にした点が問題なのだと思っていたのだが、共同通信読売新聞の記事もあわせて読むと、どうも、ウィキペディアの記述を引用したこと自体が問題になっているらしい。

 ウィキペディアに記述する者は、多くの場合、一次情報を記述しているわけではあるまい。
 何かしらに既に発表された情報を元に記述しているのだから、ウィキペディアの記述を参考にしたからといって、必ずしも、「出典 ウィキペディア」と明記しなければならないものでもあるまい。
 もし出典を明記するなら、ウィキペディアではなく、さらにその元の出所を明記すべきではないのか。

 と思っていたのだが・・・・・・「国家鮟鱇」さんというブログの記事を読んで、ようやく問題の根本がわかった。
 こちらにはウィキペディアの記事と静岡新聞の記事の該当箇所が対比されている。これによると、両者の記述は酷似している。つまり、静岡新聞は、単にウィキペディアから宮沢とグロムイコのエピソードを取り上げただけでなく、もう一つのサンフランシスコ講和会議50周年の式典でのエピソードを含め、丸々ウィキペディアの記述自体を盗用したということだ。
 「国家鮟鱇」のtonmanaanglerさんが、

《これと『論説委員は「このエピソードが広く知られていると思い込んだ」と引用の事実を認めた。』は話が噛み合っていない。もし「このエピソードが広く知られている」にしても、丸写ししているだけだからアウトですよね。》

と述べているのは全く正しい。
 それにしては、新聞や通信社の反応は鈍いのではないか。そもそも「引用」ではなくて「盗用」だろう。
 以前、新聞の社説の盗用が問題になったが、相手が誰とも知れぬウィキペディアだから、軽く見ているのではないだろうか。執筆者のモラルが問われるという点では変わりはないのに。
 

 ところで、ウィキペディアの宮沢の記事には、この件について今のところ何の注記もない。グロムイコとのエピソードについて、「要出典」との指摘もない。
 ウィキペディアの執筆者たちにとって、この一件はさして問題ではないらしい。
 私は先の記事でウィキペディアの有用性について疑問を呈したが、ますますその思いを深くした。