トラッシュボックス

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「引用」ではなく「盗用」では?

2007-07-15 00:38:50 | マスコミ
 先の記事に関連して。
 宮沢喜一の死去に際し、静岡新聞が記事中でウィキペディアの以下の記述を引用したことが先日問題となった。


《1970年代の外務大臣在任時、旧ソ連の古強者グロムイコ外相との北方領土交渉では、のらりくらりと話をはぐらかそうとするグロムイコを恫喝して席につかせたという伝説がある(北海道新聞でグロムイコが「なんと頑固か」と述べた)。普段はハト派を標榜しながらも、国益のためには強硬な姿勢も示す国益主義者だった一面がうかがえる。》


 この件についての朝日新聞の記事はもう「アサヒ・コム」には見当たらないが、朝日の記事と、静岡新聞のコラム及びそのお詫び記事が「雅楽多blog」さんというブログに転載されていたので、リンクを張らせていただく

 この宮沢とグロムイコのエピソードは初めて知った。あまり知られていない話だと思うが、実話だろうか。一応、北海道新聞が出典とはされているが、いつのどのような記事だろうか。
 私はこの件は、ウィキペディアレベルの出所不明な怪しい話を、新聞の論説委員が、「広く知られたエピソードと思い込」んで記事にした点が問題なのだと思っていたのだが、共同通信読売新聞の記事もあわせて読むと、どうも、ウィキペディアの記述を引用したこと自体が問題になっているらしい。

 ウィキペディアに記述する者は、多くの場合、一次情報を記述しているわけではあるまい。
 何かしらに既に発表された情報を元に記述しているのだから、ウィキペディアの記述を参考にしたからといって、必ずしも、「出典 ウィキペディア」と明記しなければならないものでもあるまい。
 もし出典を明記するなら、ウィキペディアではなく、さらにその元の出所を明記すべきではないのか。

 と思っていたのだが・・・・・・「国家鮟鱇」さんというブログの記事を読んで、ようやく問題の根本がわかった。
 こちらにはウィキペディアの記事と静岡新聞の記事の該当箇所が対比されている。これによると、両者の記述は酷似している。つまり、静岡新聞は、単にウィキペディアから宮沢とグロムイコのエピソードを取り上げただけでなく、もう一つのサンフランシスコ講和会議50周年の式典でのエピソードを含め、丸々ウィキペディアの記述自体を盗用したということだ。
 「国家鮟鱇」のtonmanaanglerさんが、

《これと『論説委員は「このエピソードが広く知られていると思い込んだ」と引用の事実を認めた。』は話が噛み合っていない。もし「このエピソードが広く知られている」にしても、丸写ししているだけだからアウトですよね。》

と述べているのは全く正しい。
 それにしては、新聞や通信社の反応は鈍いのではないか。そもそも「引用」ではなくて「盗用」だろう。
 以前、新聞の社説の盗用が問題になったが、相手が誰とも知れぬウィキペディアだから、軽く見ているのではないだろうか。執筆者のモラルが問われるという点では変わりはないのに。
 

 ところで、ウィキペディアの宮沢の記事には、この件について今のところ何の注記もない。グロムイコとのエピソードについて、「要出典」との指摘もない。
 ウィキペディアの執筆者たちにとって、この一件はさして問題ではないらしい。
 私は先の記事でウィキペディアの有用性について疑問を呈したが、ますますその思いを深くした。


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