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トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

あの叫びはプロのものだったのか

2007-03-02 20:57:12 | 事件・犯罪・裁判・司法
 DHさんのブログ「思い付くまま雑感文」の記事で、『朝日新聞』に以下のような記事(魚拓)が載っていたことを知る。
 私は朝日の購読者なのだが、見落としていたようだ。


《最近、最高裁の法廷から消えたものがある。

 傍聴席の死刑廃止運動家らが、死刑判決言い渡し直後に「人殺し!」と叫ぶ場面だ。最高裁判事らが被告の生命を奪う最終判断をした、という抗議の意味を込めていた。

 その言葉を叫ぶために30年前から法廷に通った菊池さよ子さんは「死刑判決が月に何度も入るようになり、法廷は機械的に判決を出す場になった。被告との関係を一つひとつ築くのも難しくなった」と話す。「訴えれば通じるかもしれないという裁判官がいなくなった」。74~83年に在職した団藤重光さんが決定的に死刑廃止論者になった契機は、傍聴席から菊池さんが投げかけた言葉だったとされる。》


 団藤は戦後の刑法学の権威。東大教授を定年退官後、最高裁判事を約9年間務めた。判事退官後、死刑廃止論者として活動している。
 団藤が死刑廃止論に転じたきっかけが、法廷で「人殺し!」と罵声を浴びたことだったという話は、著書『死刑廃止論』に出ており、私も読んで知っていた(アムネスティのサイトにも同趣旨の話が載っている)。
 私は、この罵声は、被告人の身内か近しい人が、感情にまかせて叫んだものだと思っていた。
 しかし、この朝日の記事によると、死刑廃止運動家たちが、常時このようなことをやっていたというので驚いた。
 団藤は、そのことを知らなかったのだろうか。9年間も最高裁判事を務めて知らなかったとは考えにくい。しかし、知っていて、本当にそれに影響されたのなら、何ともナイーブな人物だと言うしかない。

 『死刑廃止論』の内容はほとんど覚えていないが、刑法学者の著作なので論理的に死刑を廃止すべき理由が展開されているのかと思いきや、普通の運動家の言い分とさして変わらない内容だったことに失望した記憶がある。
 廃止すべき最大の理由は誤判の可能性が皆無とは言えないこと、そして誤判だとわかったときに回復する方法がないことだと主張していたと思うが、そんなことは死刑に限らず、全ての刑に共通することだ。命さえあれば回復できるとは言い難い。
 
 それにしても、法廷で裁判官に「人殺し!」と罵声を浴びせる「運動」が常態化していたとはなあ。

《最高裁判事らが被告の生命を奪う最終判断をした、という抗議の意味を込めていた。》

 どんな意味があろうが、法廷で許されるふるまいとは思えないがなあ。
 最近法廷から消えたということは、運動家の中にもその方針を受け継ぐ者がいなくなったということなのだろう。これは喜ばしいことだと思うが、朝日の記事にはそのような視点は見受けられない。
 記者は、このような嫌がらせじみた形で裁判官に圧力をかけることに、疑問を抱かないのだろうか。
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光華寮裁判の報道を読んで

2007-01-25 00:18:17 | 事件・犯罪・裁判・司法
 昨日の『朝日新聞』の1面トップに、光華寮裁判の記事が出ているのを見て驚いた。

中台因縁の「光華寮」明け渡し訴訟決着へ 提訴後40年(朝日新聞) - goo ニュース

 この裁判のことは、はるか昔に聞いた覚えがあるが、まだ続いていたのだな。もうとっくに決着のついた問題だと思ってた。
 中国が抗議したことは当時も大きく報道されたが、それを受けてその後訴訟は棚上げされていたのだな。

 上でリンクしたネット上の記事には載っていないが、新聞紙上の記事には長文の「解説」が付いている。その見出しは
《「中国が代表」進む通説化》
というもので、文中には
《高裁判決当時は、国際政治学でも、領土の実効支配が残り新政府が完全に承継したわけではなく、「二つの中国」だとする学説が有力だった。
 (中略)
 しかし、中国の経済成長などを背景に、中国国民を代表するのは中華人民共和国だとする見方が一般化。今回の審理入りは、こうした現状を踏まえたものとみられる。》
とある。
 ほんとかなあ。
 私は高裁判決当時のことは一応覚えている。そのころ既に、「中国国民を代表するのは中華人民共和国だ」という見方が一般的だったと思うがなあ。日中平和友好条約がその立場をとっているのだし。国連も中華民国を追い出して中華人民共和国を迎え入れたわけだし。

 この裁判は、「一つの中国」か「二つの中国」かとか、どちらが正統かといった問題ではなく、日本が承認していない国家が、日本において財産権を主張しうるかどうかという点が争点となっていたように思っていたのだが、私の勘違いだったのだろうか。時間がなくて今調べられないが。
 もし、この記事が言うように、最高裁が「一つの中国」の立場に立って原告を中華民国(台湾)から中華人民共和国に変えるのなら、司法の場で「政治決着」を試みるようなもので、一国の最高裁にふさわしくないふるまいだと思う。

 上記の「解説」には、
《一方で、最高裁第二小法廷は戦時中の中国人強制連行をめぐる訴訟で(中略)中国人原告側を敗訴させる見通しだ。》
とあるので、なおさら取り引きめいたものを思わせる。

 なお、ネット上での記事のタイトルは上記のとおりだが、紙上では、まず
《「光華寮」最高裁判断へ》
とあり、その左上に横書きで
《台湾が原告、日中の火種》
とある。
 何やら台湾が原因で日中双方が迷惑をこうむっているかのような言い方だなあ。 
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「証言」者・横井邦彦の奇怪な拉致問題認識(2)

2007-01-21 18:34:00 | 事件・犯罪・裁判・司法
前回からの続き)
 横井邦彦は、自分のブログ「労働者のこだま(国内版)」の「拉致救出運動か拉致報復運動か」(一応Web魚拓)という記事で、拉致問題への対応は被害者の救出こそが目的でなければならないのに、家族会や安倍政権の対応は北朝鮮への報復を目的とするもので誤りだと述べている。
 この記事によって、横井が拉致問題の本質を何ら理解していない(あるいは、敢えてそのようにふるまっている?)ばかりか、拉致問題における横井の立場をどのように考えるべきかという点で大変参考になると思われるので、以下引用しながら検討する。

《われわれを含め、多くの日本の労働者は拉致問題を銀行強盗が人質を取って銀行に立てこもっているようなものであると考えていた。》

 この冒頭のたとえからして既におかしい。拉致問題は銀行強盗の人質立てこもりとは全く違う。
 銀行強盗が人質を取るのは、金を得て逃亡するための交渉の道具として利用できるからで、人質となる人間そのものが必要なのではない。そして、銀行や警察と交渉することが前提となっている。
 北朝鮮による拉致は、拉致された人間自身を北朝鮮の任務に従事させることが目的なのであり、日本と交渉することが目的なのではない。拉致被害者は交渉のための道具ではなく、拉致被害者自身が北朝鮮にとって必要なだけだ。
 敢えてたとえるなら、カルト教団がその教団に従事させる目的で一般人を拉致するようなものだ(しかし、北朝鮮は強盗犯や教団などではなく日本の法が及ばない別の国であるから、いずれにせよ国内犯罪をもってたとえるのは不適切だろう)。

 したがって、これに続く、銀行強盗の人質のたとえを前提とした、

《当然、この場合最優先されるべきは人質の人命であろう。もちろん犯人を逃すわけにはいかないが、人質を救出するためには、犯人の要求をある程度飲んで、水や食料を差し入れることは許容の範囲である。

といった記述は何の意味も持たない。なぜなら、北朝鮮は拉致問題でそもそも交渉すらしていない。だから「犯人の要求」なるものも存在しない。
 北朝鮮の立場は、拉致を実行していたことは認めたが、生存していた5人とその家族は帰国させ、残り8人は死亡した、その他の人物については関知しない、これで解決済みというものだ。強いて「要求」を挙げるなら、この北朝鮮の主張を無条件で呑むことだろう。

《ところが最近分かってきたことだが、どうも「拉致問題」というのはこのような運動ではないらしい。
 
 「拉致家族会」や「拉致被害者を救う会」と安倍晋三政権は、むしろ銀行に立てこもっている犯人に対して、何の罪もない人を誘拐する許しがたい連中だ、断固制裁すべきであると絶叫している。
 
 もちろん、制裁や報復によって人質が解放されることはありえない。強行突破と言うことになれば、人質の命は非常に危険に陥ることが予想されるが、そういうことを心配する「家族」はいない。》


 制裁は強行突破とは違う。強いて横井のたとえに従うなら、警官隊が銀行を包囲することが制裁に当たると言えるだろう。北朝鮮に軍事力を行使することが強行突破だろう。
 ところで、何故、「家族」とカギカッコが付いているのだろう。家族を名乗るが、本当は家族ではないとでも言うのか。それとも、家族ではあるが、家族がとるべき行動をとっていないと言うのか。何という不遜な表現だろうか。
 家族会が制裁を唱えるのは、拉致被害者が危険にさらされる可能性を考慮しても、それが最善の選択だと考えたからだろう。
 「そういうことを心配する「家族」はいない。」とは、何を根拠に述べているのだろう。心配は当然あるだろう。しかし、小泉訪朝までは拉致被害者の存在すら認めてこず、それを認めた後も「死亡者」については誠意ある対応がみられない北朝鮮に対し、日本国の問題解決への意志を示すには、制裁を実施すべきだと考えたのだろう。

《現に、北朝鮮政府は「安倍晋三政権を相手にせず」という態度を明確に打ち出しており、安倍晋三政権のもとでは「拉致問題」の解決どころか、話し合いの場すら設けられることがないことがはっきりとしてきた。
 
 「拉致家族会」や「拉致被害者を救う会」はそれでもいいというのだから、はっきりいってこれは驚きだ。ここには子どもを人質に取られている親の心情とはまったく違う感情が流れている。
 
 むしろこの人たちを支配し、つき動かしているのは拉致した者への復讐、もしくは報復の感情であり、人質を救いたいという感情ではない。 》 


 何をどう考えればここまで曲解できるのだろうか、驚きだ。
 「話し合いの場」を設けるための制裁ではないか。
 「話し合いの場」など設けなくてもいいなどと、家族会や救う会がいつどこで言ったというのか。
 この人物こそ、人の心がわからない。だから平気でこのように被害者をおとしめることができる。さすが共産主義者だ。

《だとするならば労働者はこのような運動を支持することはもうできないだろう。なぜならは北朝鮮は犯罪者国家であるとはいえ、国家である以上、「国際紛争は平和的手段によって解決すべき」であるという日本の“国是”が適用されるべきであり、「拉致家族会」や「拉致被害者を救う会」がすでに拉致被害者の救出をあきらめている現状では、事態の緊急性も重大性もすでに喪失しているからである。 》

 趣旨がよくわからない文章だが、家族会や救う会が「救出をあきらめている」とは何とも失礼な表現だろう。横井が制裁は逆効果だと考えるのは横井の自由だ。しかし家族会や救う会は制裁が救出に有効だと考えているのであって、救出をあきらめているわけでは決してない。

《むしろ逆に、北朝鮮への復讐、もしくは報復が主目的であるという運動は世界の平和を脅かすという点で、労働者にとって許しがたい運動になりつつある。
 
 つまり「拉致家族会」や「拉致被害者を救う会」は、拉致問題を口実にして、民族主義、排外主義を煽って、日本を軍国主義化しようとする安倍晋三政権の道具へとますます純化しつつあり、運動の大衆的な基盤を失いつつある。》


 仮に復讐が目的であるとして、それが何故「世界の平和を脅かす」ことになるのか、何故「労働者にとって許しがたい」のか、さっぱりわからない。ターゲットは横井の言う「犯罪者国家」北朝鮮だけなのだから。
 
《こういうことは本当の拉致家族にとってもあまりいいことではない。なぜならば、拉致被害者が全員死んでしまっているという前提に立てば、拉致をした北朝鮮を政治的、経済的、軍事的に制裁しようという報復運動もありうる(それが全国民的な支持をうるかは別にして)だろうが、かならずしもそうとばかりは言い切れない場合、すなわち、拉致被害者の何人かはまだ生きているかも知れないという観点に立てば、むしろこういった運動は拉致問題の解決を妨げるからである。》

 「本当の拉致家族」という言葉がまた意味不明だ。家族会のメンバーは本当の家族ではないとでもいうのか。
 そして横井は、ではどのように、拉致問題の解決を図るべきだというのか。
 上記の文章から推察するに、結局、北朝鮮の要求をある程度呑んで、交渉せよということだろう。身代金を払ってでも、感謝の言葉を捧げてでも、被害者を取り戻せということかもしれない。
 しかし、日本はこれまで北朝鮮にコメ支援やKEDOなどさまざまな協力的アプローチをとってきたのではないか。そして国交正常化交渉の席で拉致問題に触れても、北朝鮮が頑としてその存在すら認めてこなかったのではなかったか。小泉訪朝で存在を認めてからも、「死亡者」について誠意ある対応はしてこなかったではないか。
 そもそも北朝鮮は交渉の席にすらついてはいない。北朝鮮を交渉に応じさせるために制裁が必要なのであって、復讐が目的なのではない。そんな簡単なことを横井は理解していないか、理解していないふりをしている。

 共産主義者にとっては、全ての事象は共産主義運動に利用できるかどうかという観点からしか見ることができないのだろう。だから、荒唐無稽な証言まで創作して、このように被害者や家族をおとしめることができるのだろう。要は、自分の「運動」への注目と、安倍政権叩きが目的なのではないか。

 特定失踪者問題調査会の荒木和博会長は、この横井について、同調査会ニュースで、

《ご本人のブログなどを見る限り、横井氏の証言に妄想と思われるようなところはありません。左翼は左翼ですので、私自身は思想的に相容れないところがありますが、北朝鮮に対しては非常に厳しい見方をしており、見解の違いは別にして冷静な分析であるように思います。》

と肯定的に評し、その後もたびたび蓮池薫氏に対する疑問を表明しており、私はその動きを危惧していたが、今回の「拉致救出運動か拉致報復運動か」を読めば、少なくとも横井に対する評価は変わるのではないだろうか。これは、北朝鮮に対する「非常に厳しい見方」ではないだろう。
 拉致被害者、家族会、救う会、特定失踪者問題調査会の分裂や内紛は北朝鮮や日本の親北派にとって望むところだろう。横井自身が何を目的にしているかはともかく、荒木の立場で横井を肯定し蓮池薫氏に疑念を表明することが、客観的に見て拉致問題の進展にどのような影響を及ぼすか、十分考慮した上で発言してもらいたいと願う。
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「証言」者・横井邦彦の奇怪な拉致問題認識(1)

2007-01-21 13:04:39 | 事件・犯罪・裁判・司法
 『週刊現代』の蓮池薫氏=拉致未遂犯報道の「証言」者である横井邦彦は、昨年末の同誌の報道から間もなく、「証言」を掲載していた自分のブログ「労働者のこだま(国内版)」の更新を停止し(「再開は、1月15日の予定です」としていた)、かつ「証言」関係の記事を読めなくしていた。
 私はこの行動を見て、以前「コトが大きくなってきたから逃げ出したのではないか。」と書いたが、そうでもなかったようで、横井は早くも本年1月4日に「労働者のこだま(国内版)」を再開するとともに、この問題専用のブログ「横井邦彦の雑記帳」を新設し、発言を続けている。
 この「横井邦彦の雑記帳」の1月4日の「反省すべき点と改善すべき点」という記事に、次のような記述がある。


《年末にいろいろなマスコミ関係者とお会いしまして、証言内容を基本的に書き換える必要があると思いました。

 この事件は、単純に言えば、ある日突然、正体不明の男が私のところにやってきて意味不明のことを話して去っていった「事件」であり、私はこれまでその意味不明な会話を自分なりに解釈して「証言」していましたが、こういうやり方には二つの大きな問題点があることが分かりました。
 
 一つ目は、私の解釈は必ずしも正しいものではなかったということです。私は北朝鮮の研究家でもないし、拉致事件の専門家でもありません。私が正体不明の男の話した会話を解釈する場合、そういう点で大きな誤解を生む余地があることが分かりました。
 
 それで、私の記憶の中にある会話とそれに対する私の解釈は、分けて記述される必要があると考えました。
 
 二つ目は、私はこれまで「正体不明の男」が語っていることはすべて真実であるという前提で考えていましたが、それも必ずしも正しいことではないということに気がつきました。
 (中略)
彼の卒業した大学名をめぐる問題で、実際には、金・ナントカ・政治軍事大学としか覚えていないのに、「ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる」とばかりに「金日成政治軍事大学」、「金正日政治軍事大学」とつぎつぎに思いつくままに言っていた。
 
 そこで、もう少し、頭の中を整理してから言うべきであったと反省し、証言全体を書き換えるべきだという結論に達しました。》



 そして、同日投稿の他の記事で「書き換え」た「証言」なるものが開陳されている。
 例えば、既に指摘されている、蓮池薫氏が北朝鮮で所属していた大学名をめぐる矛盾などが、つじつまが合うように修正されているようだ。
 なお、「労働者のこだま(国内版)」に掲載されていた「正直に言います」をはじめとする元々の「証言」は、未だ復活していない。復活させる気がないのだろう。

 私はもともとこの人物の「証言」を全く信用していないので、この新「証言」を真面目に読んで検証する気になれない。
 ただ、こんな「書き換え」た「証言」に何の意味もないことは常識ある人間なら明白だろうし、横井のこうした行動自体が、ますます彼が信頼できない人物であることを示していると思う。

 その後もこの人物のブログは見続けてきたが、この人物の発言を(批判的にであれ)取り上げること自体が、結果的にこの人物を利するような気がして、今年に入ってからは取り上げずにいた。
 しかし、今月19日の「労働者のこだま(国内版)」の「拉致救出運動か拉致報復運動か」と題する記事は、彼のスタンスというか正体がよくわかるものなので、これについて述べてみたい。
続く
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『週刊現代』の蓮池薫氏=拉致未遂犯報道について(2)

2007-01-13 23:27:13 | 事件・犯罪・裁判・司法
 本日発売の『週刊現代』の広告に、昨年末に同誌が報じた蓮池薫氏=拉致未遂犯報道の続報が載っているとあった。
 蓮池薫氏から抗議も受けたし、前号には何も載っていなかったようなので、てっきりこの件からは手を引いたものと思っていたが、まだ続けるつもりなのか。

 しかし、同誌の現物を買って読んでみると、末尾近くに2ページにわたって、

・本誌の報道をめぐって日本列島が騒然となった
・本誌の記事発表後、あるいはそれ以前に、関係者そしてマスメディアが、どのような情報をつかみ、何を報道したのか、いっさい検証されていない
・そこで、先の本誌の記事を「モバイル現代」に掲載するとともに、蓮池薫氏の抗議文、拉致問題対策本部からの書面、この記事についてのマスメディアから本誌への取材、それに対する本誌編集長の談話など、「いまだに全容が発表されていない関連文書すべてをネット上に公開」したので、読者のご意見を募る

と述べているほか、

・特定失踪者問題調査会の荒木和博代表が同会のホームページで本誌記事を取り上げ、蓮池薫氏が対日工作に従事していた可能性について肯定的な見解を述べていること
・元旦の『東京新聞』に、雑誌『創』編集長の篠田博之による、本誌記事に対する肯定的な評価の記事が掲載されたこと

を取り上げ、

・「本誌は小泉・安倍政権が拉致問題の情報を国民に隠蔽してきたことが拉致問題の解決を遅らせていると見ており、今後とも続報を掲載していく所存である」

と述べているのみ。

 こんなの、「続報」じゃない。
 騙された?
 この記事目当ての方は、同誌を買わなくていいと思います。少なくとも、立ち読みで十分です。

 なお、この2ページは、携帯で読める「モバイル現代」の紹介ページも兼ねている。というか、前の記事を「モバイル現代」やPC用の「週刊現代オンライン」に載せたから、読みたい方は会員登録してね、ということのようだ。商魂たくましいな。

 荒木和博や『東京新聞』が肯定的に取り上げているというが、それ以外の有識者やメディアではどうだったのか? 大多数は無視するか否定的にしか取り上げなかったのではないか?
 少なくとも昨年12月26日放送の朝日放送『ムーブ!』で、重村智計、勝谷誠彦、須田慎一郎が前の同誌の記事を全面的に否定している(その内容をsokさんという方がご自分のブログでテキスト化している)。
 『週刊現代』は、こんな無内容の記事を掲載しているヒマがあるのなら、例えばこの番組で示された数々の疑問点に答えるべきだろう。

 上記の荒木和博の見解に対する私の考えは、以前述べたとおり。 
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荒木和博が蓮池薫氏らに対しさらに・・・

2006-12-29 13:37:42 | 事件・犯罪・裁判・司法

 荒木和博が特定失踪者問題調査会のニュースでさらに、蓮池薫氏ら帰国した拉致被害者に対する疑問を述べているという。

 《■蓮池さんのこと
                       荒木和博

  調査会の岡田常務理事から言われて気づいたのですが、蓮池透さんの著書『奪還 第二章』126ページに警察の事情聴取に関する話が出てきます。その中にこんな一節があります。

  「弟夫婦への警察の事情聴取は結局、2004年秋に弟の希望通り実家で行われました。その時、驚くような質問を受けたそうです。

 『北朝鮮のパスポートを所有していますね。日本国内へ工作活動に来たのはいつですか?誰にも言いませんから』

 『北朝鮮で日本語教育というある意味でスパイ養成に加担したわけですが、どういうお気持ちで?』

 弟は、『日本国内になんて、入れるわけがないだろう。日本語教育は、われわれが生き残るためにやったまでなのに…あなた方は助けに来てくれたのか?』と激怒したそうです。状況を聞いた私は開いた口が塞がりませんでした」

 確かに、こう聞かれれば、薫さんが怒るのももっともでしょう。誰も助けに来なかったのに何を言うか、というのは今北朝鮮に残っている拉致被害者からも、私たちはやがて同じ言葉を聞かされることになると思います。

 しかし、それはそれとして、この記述が事実なら、なぜ警察はあえてこういう質問をしたのでしょうか。何も根拠がなくて、皆が腫れ物にでも触るように扱っている帰国した拉致被害者にこういうことを聞くでしょうか。やはり警察は何か極めて重要な情報、捜査上の秘密などという言葉で隠してはならない重要なことを知っていて、そして隠しているのではないかと思わざるを得ません。あるいはそれは警察レベルのことではないのかも知れません。そして隠しているという意味ではもちろん帰国した5人もです(私は少なくとも5人を非難するつもりはありませんし、その資格があるとも思いませんが)。》



 この蓮池透氏の『奪還 第二章』の記述については、ほかにもどこかで指摘されているのを見た記憶がある。どこだったろうか・・・。
 検索してわかった。問題の源である当の横井邦彦氏のブログ「労働者のこだま」ではないか。『週刊現代』の報道後、このブログの蓮池薫氏関係の記事は何故かほとんど読めなくなっているが、この「おもしろい指摘」という記事は何故かまだ残っている。以下全文を引用する。


 《2006-12-06 02:23:00

 おもしろい指摘

  私のブログに興味深いコメントをよせてくれた人がいるので紹介します。 「兄の透氏の『奪還』によると帰国後の警察の事情聴取に『日本に帰ってきたのはこれが初めてではないでしょ?』の問いかけに『帰れるはずがないじゃないか!』と激怒したそうです。また『俺は有名人だったから』とも言っていたそうです。」

  最初に浮かぶ疑問は、「日本に帰ってきたのはこれが初めてではないでしょ?」という警察の問いかけは拉致被害者全員になされたものでしょうか?

  つまり、警察は地村さん夫妻や曽我ひとみさんにも同じ問いかけをしたのか?ということです。

  私はそのような質問はしなかったと思います。

  それに激怒というのもおかしな反応です。「なぜそういう質問をするのですか」と問い返すのが普通でしょう。本当に日本に帰ってきたのが初めてならば。

  取り調べ室で容疑者が激怒でもすれば、取調官は「なんか当たったな」ということで、もっとするどく突っ込んでくるはずですが、そうでないのは新潟県警に人権に対する配慮が行き届いているからでしょう。

  さらに、警察はなぜ蓮池薫氏にだけそのような意地の悪い質問をしたのでしょうか?

  警察がそのような問いかけをしてみたくなるような根拠を何か知っていたのではないですか?  

 「俺は有名人だったから」「帰れるはずがないじゃないか!」という答えも奇妙なものです。  

  彼を日本の官憲にとって「有名人」としたものは、果たして「拉致被害者」であるということでしょうか?

  また「有名人」だから「帰れない」というのは、「有名人」でなければ「帰ること」もできたんだ、という意味を含んではいませんか?  

  だから、この文章は「あることがあって自分は日本の官憲にとって有名人となってしまったので、帰れなくなった」という風に解釈できませんか?  

 もちろんこれは単なる憶測というものですが・・・ 》 



 なんだか荒木と同じようなことを述べている。荒木が言う、「調査会の岡田常務理事」は、この横井氏の記事を見て荒木に指摘したのかもしれない。

  北朝鮮がさまざまな対日工作を行っているのは事実だろう。そして蓮池氏ら5人がそのような活動に何らかの形で関与していた可能性はあるだろう。警察もそのようなことを考えた上でいろいろな質問をするだろう。その中には拉致被害者にとって不愉快なものも当然あるだろう。
 警察に限らず、インタビュアーというものは、当人が聞かれたくない点についても突っ込んで質問するし、カマをかけて反応をうかがったりもするものだ。 『奪還 第二章』の上記の記述をもって、荒木や横井氏が言うように、警察が蓮池薫氏について重要な情報を握っていた根拠と見るのは、どうにも弱すぎるように思う。
(なお、この問題を取り上げている「sokの日記」というブログの「横井邦彦氏の言う「おもしろい指摘」って?」という記事によると、『奪還 第二章』には、「俺は有名人だったから」というくだりはないそうだ。ならば、上記の横井氏の「有名人」云々の記述は、ガセネタに基づいて憶測をたくましくしているだけということになる)

 続いて荒木が述べている、拉致被害者の死亡情報の扱われ方を見て国家権力不信になったという話や、ミッドウェー海戦の大敗を隠蔽したのと同様のことが拉致問題で今も進行しているのではないかという指摘は、わからないでもない。
 おそらく、特定失踪者問題調査会としては、帰国者5人が協力に消極的だと感じているのだろう。
 しかし、


 《私たちはほんの僅かな、不確かな情報でも渇望している失踪者のご家族の思いを背に負っているのですから、多少の無理はせざるを得ません。それが脅迫であるとして罪に問われるならそれも仕方ないと思います。》


 こういう、目的のために手段を正当化するような考え方は良くない。
 それに、帰国者もまた被害者である。被害者間に対立を生むおそれはないか。
 帰国者は、語るべき有益な情報を実際に持っていないのかもしれない。死亡したとされる他の拉致被害者や特定失踪者の問題が解決に向けて進展しないからといって、その不満を帰国者にぶつけるのは筋違いではないかと思う。

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『週刊現代』の蓮池薫氏=拉致未遂犯報道について

2006-12-26 23:57:51 | 事件・犯罪・裁判・司法
 昼食時に『産経新聞』を読んでいると、次のような記事に驚いた。

週刊現代に蓮池さんが抗議「荒唐無稽」(産経新聞) - goo ニュース

 これは、以前miracleさんのブログが取り上げていた、元社労党の?左翼活動家が自分のブログで開陳していたヨタ話ではないか。

 私がこれをヨタ話だと思ったのは、miracleさんのブログへのコメントでも書いたように、

・「お前を拉致するぞ!」と言って拉致しようとするのは不自然(相手がより抵抗する)。騙して入国させるか、何も説明せずに力ずくで連れて行くのでは。
・学校の体育館に蓮池薫氏らが突然訪れるというのも不自然。普通、学校で部外者は自由にうろつけないのでは。
・初対面で、しかも公共の場で、自分が拉致被害者だの何だのと語ること自体が不自然。
・よど号グループは入国後かなりの洗脳を受けている。八尾恵も、日本国内で洗脳されている。北朝鮮シンパでもなく予備知識もないこの人物が、何で田宮の後釜に座れようか。
・「私は北朝鮮を社会主義国家だと思ったことはない」と言ったというが、86年当時の新左翼にそこまでの認識があったかどうか疑問。
・「今回はあきらめるといって去ってい」ったと言うが、拉致とは指令であり、不実行は許されないはず。去っていった後、この人物がそれを公にした場合の危険性を考えてもそれは明らか。

といったことからだ。
  
 『週刊現代』でこの話が報じられていたとは知らなかった。
 今は亡き『噂の真相』や、今もあるその類似誌のようなスキャンダル雑誌ならともかく、『週刊現代』クラスの週刊誌が取り上げるほどのネタとは思えないのだが。

 いや、産経の記事には

《週刊現代編集部は「証言をさまざまな角度から精査し掲載に至った」とのコメントを発表している。》

とある。この人のブログの記事以上の何らかの根拠があるというのか?

 コンビニで買って先ほど読んでみた。
 何と、トップ記事ではないか。4ページもある。この雑誌は今号でリニューアルしたらしい。その目玉記事ということか。

 横井邦彦氏の告白なるものの内容は、多少、話が詳しくなっているが、基本的には彼のブログの記事を超えるものではない。北朝鮮についても拉致被害者についても、全て、これまでに報じられていることばかりである。彼だけしか知らない新事実といったものがなく、信憑性が感じられない。
 ただ、記者が書き直しているだけあって読みやすく、ブログの記事に比べ説得力が増している。疑うことを知らない読者ならうっかり信じ込んでしまいそうだ。
 そして、
1.「外務相の元北朝鮮担当者」による、横田めぐみさんの元夫とされる金英男が自ら日本に行ったことがあると話していたように、北朝鮮は拉致被害者を対日工作に利用していたという話
2.同じ人物による、内閣府には「蓮池ファイル」と呼ばれる厖大な証言録があるという話
3.「朝鮮総連元幹部」による、86年に金正日が対日工作に力を入れ始めたという話
4.「北朝鮮の対日担当幹部」に本件を確認したら、否定しなかったという話
5.「拉致被害者の支援に長年当たってきた人物」が「蓮池氏の幼なじみ」から聞いたという、「ある時、宴会で痛飲した蓮池氏が、拉致されていた時期に日本に来たことがあるような話しぶりだった」という話
を紹介している。
 「さまざまな角度から精査し」たというのはこれか。どうにも弱すぎる。4など、北朝鮮に利用されているのではないか。

 そして記事は、日本政府も蓮池氏が日本に来ていたことは知っているのではないかとして、

《日本人拉致事件の全貌を解明するためにも、一刻も早く、真実を国民に明かすべきである。》

としめくくっている。
 その後ろに蓮池氏の写真と、

《いまは翻訳家として活躍する蓮池氏が真実を語る日が待たれる》

というキャプションが添えられている。

 「真実」とは何か。『週刊現代』はたかがこれだけの証拠で、横井氏の告白が真実である、蓮池氏や政府はそれを認めよと迫るというのか。
 週刊誌の報道にこれほど憤りを覚えたのは久しぶりだ。

 蓮池氏が対日工作に従事していた可能性はあるだろう。その過程で日本に入国していたということも、あり得ないことではない。
 だが、横井氏が示しているようなストーリーでの入国、そして拉致未遂といったことはあり得ないと、私は思う。
 そもそも横井氏のブログの他の記事やホームページ(「赤星マルクス研究会」)を少しでも読んでみれば、彼がまともに相手にすべき人間かどうかわかりそうなものだが。

 と書きながら、横井氏のブログ「労働者のこだま」を見てみると、12月25日付けで「おことわり」と題して、この件で身辺が騒がしくなってきたから更新を中断するとある。
 まあそれはいいのだが、この件を初めて明らかにした「正直に言います」という記事が見当たらない。
 さらに寄せられた意見に応えて、昔のことなので物証もなく、事実であることは証明できないとした「証明はできません」という記事も見当たらない。
 削除したのか、見えなくしているのか。
 いずれにせよ、更新を中断するというのはわかる話だが、これらの記事を読めなくするというのは理解できない。
 コトが大きくなってきたから逃げ出したのではないか。
 『週刊現代』、どうするつもりだ。

付記
 「正直に言います」を転載しているブログが見つかったので、参考までにリンクを張っておきます。
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朝日社説「ウィニー有罪 開発者が萎縮する 」

2006-12-14 22:54:56 | 事件・犯罪・裁判・司法
 今日の『朝日新聞』の社説が、昨日のWinny裁判の有罪判決を取り上げている。

「ウィニー有罪 開発者が萎縮する 」

《運転手が速度違反をしたら、速く走れる車をつくった開発者も罰しなければならない。
 そんな理屈が通らないのは常識だと思っていたが、ソフトウエアの開発をめぐってはそうではなかった。ファイル交換ソフトのウィニーをつくって公開した元東大助手が、著作権法違反幇助(ほうじょ)の罪で京都地裁から有罪判決を受けた。 》

 冒頭のこのたとえからして、既におかしいと思う。
 車は、ユーザーが常に速度違反をすることを前提に作られているわけではない。
 Winnyは、ファイル交換という名目のもと、実際は、ユーザーが著作権を侵害した利用法をするであろうことを十分にわかった上で、作成し公開したのではないか。

《このソフトを使って男性2人が無許可で映画などをネット上に流した。それが著作権法違反に問われた。元助手の罪は違法行為を手助けしたというものだ。
 この2人の行為は違法であることに間違いない。だが、元助手は2人と面識がなく、連絡をとりあったこともない。ウィニーには、違法な情報のやりとりをしないように注意書きもつけていた。
 しかし、元助手はファイル交換ソフトが著作権を侵害する状態で広く使われているとわかっていた。それにもかかわらず、ウィニーを公開してだれでも使えるようにしたのは幇助にあたる。これが判決の論理だ。
 ソフトの開発では、まず無料で公開し、意見を寄せてもらって改良するのが一般的な手法だ。しかし、今回の判決では、公開した時点で、悪用されるという認識があれば有罪になるというのだ。
 新しい技術を生み出した者は、それを悪用した者の責任まで負わされる。こんな司法判断では、開発者が萎縮(いしゅく)してしまわないか。納得しがたい判決である。》

 そうだろうか。
 悪用されることがわかった上で公開したのなら、悪用された責任は当然公開者にも及ぶのではないか。少なくとも、Winnyを公開しなければ、Winnyによる著作権侵害は生じなかったのだから、幇助罪に問われてもおかしくはない。
 そんなことで開発者が萎縮するというのなら、どんどん萎縮してもらいたいものだ。
 社説の言うのは、例えば、ワープロの登場により、脅迫状を活字で作成することができるようになって筆跡鑑定ができなくなったとか、インターネットの普及により、名誉毀損や侮辱が容易にできるようになったとか、そうしたケースになら該当すると言えるだろう。今回のケースには不適切だと思う。

《ファイル交換ソフトの開発者が刑事責任を問われたのは韓国と台湾で計3件あり、それぞれで1件ずつ無罪判決が出ている。問題のソフトでは著作権を侵害しないよう警告しており、合法的な情報も流れている。それが無罪の理由だが、こうした事情はウィニーも同じだ。 》

 では残る1件はどうなっているのか。審理中なのか。
 この社説は新聞紙上では3面に掲載されているが、その隣に「開発責任 割れる評価」という記事が載っている。それによると残る1件は台湾の事件で、「ソフトを開発し、音楽配信サービスを運営した3人が著作権法違反罪で起訴」され、「05年に地裁で禁固2~3年の有罪判決」を受けているという。このケースの事情は、Winnyと比較してどうなのか。何故有罪の事例とは比較しないのか。

《高速通信ができるブロードバンド時代を迎え、ウィニーのような技術は新たなビジネスモデルとして各国が開発を競っている。IT立国をめざす日本にとっても欠かせない技術だ。
 ただし、そうした技術は使い方次第で著作権を侵害する危険がつきまとうのも事実だ。ソフト開発の芽をつまずに、著作権を守ることを考えねばならない。それには、認証をとった人だけが使える管理機能を設け、利用者に課金するようなシステムをつくる必要があるだろう。
 技術者が開発をためらわない環境をいかに整えていくか。その問題が今回の有罪判決で改めて浮かび上がった。》

 だったら、そのようなシステムが構築された時点で公開すべきではないのだろうか。

 上記の「開発責任 割れる評価」という記事には、

《判決に批判的な見方もある。立命館大法学部の宮脇正晴助教授(知的財産法)は「実際にどんな行為が罪になるか明確ではない。技術者が社会的な影響を考え、慎重に判断して公開しなければならなくなる」と話した。》

とある。
 しかし、それは当然のことではないのか。社会的影響を考えずに、開発できたら即公開せよ、それが技術の進歩を促進し、社会の利益にもなると、朝日は考えているのだろうか。
コメント (2)
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加害少年の実名報道 図書館協会が原則公開の方針

2006-11-01 22:33:38 | 事件・犯罪・裁判・司法
少年犯罪の実名報道紙・誌 図書館協会「原則公開」へ(朝日新聞) - goo ニュース
 ネットでの見出しはこんなだが、新聞での見出しは「加害少年の実名・写真掲載紙誌 図書館、原則公開へ 協会方針 知る権利優先」。「知る権利」というのはなんでもかんでも知りたいことを知る権利とは違うと思うのだが。見出しのみならず本文中にも出てくるが、記者は意味がわかっているのだろうか。

 協会の結論には異論はないが、本来、図書館は閲覧の是非に関する価値判断をすべきではなく、その権限もないと私は考える。予算やスペースの制限があるのはもちろんだが、基本的に、図書館は利用者にできるだけ多くの種類の資料を提供するのが社会的使命である。少年の実名報道の是非は出版側が考えるべき問題であり、図書館が考えるべき問題ではない。その点を理解していない図書館職員がいるのではないだろうか。
 有川浩という人の『図書館戦争』という本が評判になっていると聞く。私は古い人間なのでライトノベルというのが性に合わず、読んでいないが、出版物を検閲しようとする国側とそれに反対する図書館側との闘いを描いた小説だと聞く。しかし、現実には、むしろ図書館側からの検閲の動きが見られるのではないか。私はそちらの方に危機感を覚える。
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死刑執行は法務大臣の職務

2006-09-23 15:41:40 | 事件・犯罪・裁判・司法
小泉内閣の総辞職も間近となった。杉浦法相は、問題となっていた死刑執行命令に署名したのだろうか。
近年の法相の死刑執行命令は辞任間際に出されることが多いと、少し前に新聞で読んだ。
就任当初、杉浦法相は、死刑執行命令には署名しないと表明したが、すぐに撤回した。先日の記者会見では、「裁判所の判断を尊重する」とコメントしたそうだが、全くそのとおりで、そうあるべきものだ。本来、刑事訴訟法第475条第2項には、死刑執行の法務大臣命令は
「判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。」
と定められている。したがって、この項の但し書きに当たらない死刑囚については、法相は判決確定から6か月以内に死刑執行を命じなければならないはずである。もっとも、この6か月以内という期限については、法的拘束力のない訓示規定にすぎず、これに反しても違法ではないとする地裁判例があるそうだが(私は納得いかないが)、いずれにしろ裁判の執行は司法の行政に対する命令であり、行政はそれを厳格に実行しなければならない。しかし、実際には、上記の但し書きに当たらない死刑囚も、6か月はおろか何年も、人によってはもっと長期にわたり放置されていると聞く。
仮に懲役や罰金に処された者について、それを執行する検察庁や刑務所の人間が、その裁判に個人的に疑問を抱いたとしても、それでその刑を取りやめたり、刑期や金額を減らしたりすることなど、許されるはずがない。だとすれば、死刑にしても同様で、執行命令は法相の個人的心情(死刑廃止論者であるとか)で左右されるものであってはならないはずだ。
小泉首相の靖国参拝を、個人として行うのは自由だが首相としての立場上控えるべきだとする見解がある。全く同様のことが死刑執行命令についても言えると思うのだが、マスコミはそういった観点から報道することはなく、まるで法相に死刑執行の裁量権があるかのような報道を繰り返すばかりで、なげかわしい。
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