今月11日の「アサヒ・コム」の記事から。
《東京都葛飾区のマンションに04年12月、政党のビラを配布するために立ち入ったとして住居侵入罪に問われた住職荒川庸生被告(60)の控訴審で、東京高裁(池田修裁判長)は11日、被告を無罪とした一審・東京地裁判決を破棄し、改めて罰金5万円とする逆転有罪判決を言い渡した。検察側は一審で罰金10万円を求刑していた。
荒川被告は04年12月23日午後2時20分ごろ、支援する共産党の「都議会報告」などを配るためにマンションに入った。各戸のドアポストに投函していたところ、住民に通報されて逮捕、起訴された。》
この判決に対して、今月13日、朝日、毎日の両紙が、社説でそろって批判している。
朝日社説「ビラ配り有罪-常識を欠いた逆転判決」(ウェブ魚拓)から。
《東京高裁の理屈はこうだ。憲法は表現の自由を無制限に保障しておらず、公共の福祉のために制限することがある。たとえ、思想を発表するための手段であっても、他人の財産権を不当に侵害することは許されない。住民に無断で入ってビラを配ることは、罰するに値する。
一方、無罪とした東京地裁はどう考えたか。マンションに入ったのはせいぜい7~8分間。40年以上政治ビラを配っている住職はそれまで立ち入りをとがめられたことがなかった。ピザのチラシなども投げ込まれていたが、業者が逮捕されたという報道はない。ビラ配りに住居侵入罪を適用することは、まだ社会的な合意になっていない。
市民の常識からすると、一審判決の方がうなずけるのではないか。住職の行動が刑罰を科さなければならないほど悪質なものとはとても思えないからだ。
もちろん、住民の不安は軽視できない。マンションの廊下に不審者が入り込んで犯罪に及ぶこともある。ビラを配る側は、腕章を着けて身分を明らかにしたり、場合によっては1階の集合ポストに入れたりすることを考えるべきだ。
しかし、そうした配り方の問題と、逮捕、起訴して刑罰を科すかどうかというのはまったく別の話だ。》
どうして「まったく別の話だ」となるのか理解できない。
「場合によっては1階の集合ポストに入れたりする」ではなく、常に集合ポストに配ればいいではないか。
そうしていれば、この被告も、罪に問われることはなかっただろう。
私はマンションに居住しているが、居住者として、各階の廊下にまでビラやチラシ配布の目的で立ち入ってもらいたくない。それが(一般)市民の常識だと思うが、どうだろう。
朝日は、配る側、つまり運動家、いわゆるプロ「市民」の常識にとらわれすぎているのではないか。
《今回、住職は住民の通報で逮捕された。検察官が勾留(こうりゅう)を求め、裁判官がそれを認めたため、住職は起訴されるまで23日間も身柄を拘束された。》
住民が通報している、つまり住民が立ち入りを拒絶していることが、刑罰を科せられる最大の理由だろう。
住民が、立ち入りによって住居の平穏が侵されたと感じるならば、その感情は尊重されなければならない。
表現の自由もまた尊重されるべきだが、住居の平穏が優先する。何故なら、住居の平穏を侵さなくとも、「表現」することは他の手段によって可能だからだ。
毎日新聞の社説は、さらに面妖なことを述べている。
社説「ビラ配布 表現の自由を守る工夫も要る」(ウェブ魚拓)から。
《政治ビラに限らない。商品広告なども、人々の生活の利便も踏まえて、節度ある方法による限りは、配布の自由が認められねばならない。自分の意見と異なるビラや不要な広告を配られるのは迷惑だとしても、社会全体の利益を優先し、表現の自由を守るために受忍する姿勢が求められる。》
日々、集合ポストに入っている不要な広告のチラシやピンクビラで私は大変迷惑しているのだが、毎日の論説委員にはそのような経験はないのだろうか。
「節度ある方法による限りは、配布の自由が認められねばならない。」――そのとおりだ。しかし、黙ってポストに入れていくという手法は、節度ある方法と言えるだろうか。
ビラを配布する自由は認められるべきだが、そのビラの受け取りを拒絶する自由もまた認められるべきではないだろうか。
街頭のビラ配りなら、それは可能だ。受け取らなければよい。しかし、ポストに投函されたビラは、必ず受け取らざるを得ない。
配る側はそれでいいだろう。しかし、受け取る側には拒絶する自由が認められないのは一方的ではないか。
不要なビラであればごみになるだけだ。その始末も受け取った側がしなければならない。
しかし、中にはデリバリーのチラシなど、私にとって必要なものもある。
また、人によっては、政治的ビラも読みたいという人もいるだろう。
今回の事件で、被告が配っていたビラとは、共産党の「葛飾区議団だより」や「都議会報告」などだったという。共産党支持者ならこうしたものも読むこともあるだろう。
だから、ポストに勝手に配布するという手法は,「節度ある」とは言い難いが、容認せざるを得ないと私は思う。
ただ、マンションの場合、それは集合ポストで十分だろう。さらに廊下に立ち入って各戸のドアポストにまで入れる必要はないだろう。
《最高裁の最終的な判断を仰ぐことになったが、双方の判決がビラ配りの目的自体に不当な点はない、としたことを注視したい。ビラは小さな声を多数に伝えるために手軽で有効な手段だ。民主主義社会では表現の自由の一環として、ビラ配りの自由が保障されるべきことを改めて共通認識としたいからだ。》
「ビラ配りで逮捕」「ビラ配りで有罪」と報じられることの多いこの事件だが、ビラ配り自体が罪に問われたのではなく、ビラ配り自体の自由など誰も問題にしていない。
問題は、ドアポストへのビラ配りを目的として、マンションの廊下や階段などに立ち入る行為が、処罰に値するかどうかということだ。
1審判決の時から、被告はどうして集合ポストを使わず、各戸のドアポストに入れていったのか、また判決はそれをどう評価しているのかということが気になっていた。
今回、この被告を支援するサイトを見つけた。そこに1審判決の要旨が掲載されている。それによると、
《被告人が本件マンションの共用部分に立ち入った目的は,各住戸の玄関ドアポストに本件ビラを投函することにあり,集合郵便受けにとどまらず,ドアポストへの投函を図ったのは,集合郵便受けでは各種のビラが投函され,商業ビラに紛れて一緒に見ずに捨てられるおそれがあるため,居住者にビラを閲覧してもらえる可能性を高めようとする点にあったものと認められる。》
とある。そんなところだろう。
判決はこの点について、
《マンションの設備としてドアポストが設置されていることから,集合郵便受けとドアポストが並列的,選択的に使用できるなどと解するのは相当ではなく,居住空間への接近の程度からみて両者に相違があるのは当然であり,ドアポストは居住者の個別の依頼のある物のみの投函が許すため,また,訪問者と会わずに書類の授受ができる等の便宜のために設置されているとも考え得るのである。また,現在では,一般に,各住戸の利用のため制限できない個々の住戸の関係者の立入りは受忍しなければならないとしても,防犯やプライバシー保護の観点から,その目的を問わず,全くの部外者が集合住宅の共用部分に立ち入ること自体に不安感,不快感を感じる居住者は相当数存在するものと考えられるところ,本件マンションにおいても当然そうした居住者が少なからず存在するものと推認されるのであって,そのような居住者の心情も尊重されなければならない。立入りによって居住者が抱く不安感,不快感への配慮という観点からは,立入りの目的が政治ビラの投函で,その態様も平穏なものにとどまるとしても,そうした立入りが一般に社会通念上容認されざる行為には当たらないものと断定してよいかとなると,若干躊躇を覚えざるを得ないところである。被告人は,居住者に本件ビラを読んでもらいたいがためにドアポストに配布したと供述するが,その点は集合郵便受けに投函する他の業者等であっても同様であり,被告人は,居住者と会った場合には目的を明らかにして不安感を払拭していたと供述するものの,被告人の考え方は,マンションの居住者の心情への配慮をやや欠いており,独りよがりな面がないとはいえない。》
と指摘しつつも、
《しかしながら,他方で,居住者の抱く不安感や不快感を根拠に,本件における被告人の立入行為が直ちに社会通念上容認されざる行為に当たるといい得るかとなると,集合住宅の共用部分に部外者が立ち入る行為はその目的を問わず差し控えるべきであるとの考え方が強くなってきたのはさほど古いことではなく,このような考え方が一般化,規範化しているか否かはなお慎重に検討する必要がある。》
《概ね3階建て以上の建築物に集合郵便受けの設置を義務付ける郵便法の昭和36年改正の趣旨は,プライバシーの保護ではなく,郵便配達人の配達の便宜を図るという点にあったのであり,集合郵便受けの設置は,法規上はドアポストまでの接近を禁ずる根拠とはいえない。また,本件以前にビラ投函目的で集合住宅の共用部分に立ち入る行為が刑事事件として立件されたなどという報道は,ピンクビラの事案を除外するとほとんどなく(いわゆる自衛隊の立川宿舎への侵入事件があるが本件とは相当に事案を異にする。),かつては,政治ビラや商業ビラの投函目的で集合住宅の共用部分に立ち入り,各居室の玄関ドアポストにまで至る行為は,特段問題のある行為とは考えられていなかったふしがある。本件マンションにおいても,ピザのデリバリー業者のメニュー等が住戸のドアポストに入れられていたことが認められ,ドアポストへの全戸配布を行うポスティング業者の存在さえ窺われるが,そのような業者が逮捕されたなどという報道も知られていない。》
《被告人はこれまで40年以上にわたって政治ビラの投函に従事してきたものの,特段マンションの居住者から立入りをとがめられたりすることはなかったと供述しており,前記のようなポスティング業者の存在や共同住宅への立入りの実情,報道の有無等をも勘案すると,近時のプライバシー意識,防犯意識の高まりを考慮しても,現時点では,各住戸のドアポストに配布する目的で,昼間に居住用マンションの通路や階段等に短時間立ち入ることが明らかに許容されない行為であるとすることについての社会的な合意が未だ確立しているとは言い難く,これが社会の規範の一部となっているとは認められない。
したがって,現時点でのプライバシーの意識や防犯意識の高揚を前提とすれば,本件のようにビラ配布の目的だけであれば集合郵便受けへの投函にとどめておくのが望ましいとはいえても,それ以上の共用部分への立入行為が刑事上の処罰の対象とすることについての社会通念は未だ確立しているとはいえず,結局、被告人の立入りについては正当な理由がないとはいえない。》
と、住居侵入罪の要件である「正当な理由がないのに」を否定している。
さらに、だとしても共用部分(廊下、階段など)への立入禁止がマンションで明示されていれば住居侵入罪が成立するが、マンション管理組合の内部では立入を禁ずる意思形成はあったが、それが外部に明示されていなかったので、やはり住居侵入罪は成立しないとしている。
高裁判決の詳細は現時点ではわからないが、上記の「共用部分への立入行為が(引用者注:「が」は「を」の誤りか)刑事上の処罰の対象とすることについての社会通念」は現時点でも確立していると認めたか、立入禁止の意思表示があったと認めた、あるいはその双方の理由により、有罪を認定したということなのだろうか。
私は、集合住宅におけるビラ配りは集合ポストで済ませるべきものだと思うし、今回の高裁判決は市民の常識に沿った妥当なものだと考える。
《東京都葛飾区のマンションに04年12月、政党のビラを配布するために立ち入ったとして住居侵入罪に問われた住職荒川庸生被告(60)の控訴審で、東京高裁(池田修裁判長)は11日、被告を無罪とした一審・東京地裁判決を破棄し、改めて罰金5万円とする逆転有罪判決を言い渡した。検察側は一審で罰金10万円を求刑していた。
荒川被告は04年12月23日午後2時20分ごろ、支援する共産党の「都議会報告」などを配るためにマンションに入った。各戸のドアポストに投函していたところ、住民に通報されて逮捕、起訴された。》
この判決に対して、今月13日、朝日、毎日の両紙が、社説でそろって批判している。
朝日社説「ビラ配り有罪-常識を欠いた逆転判決」(ウェブ魚拓)から。
《東京高裁の理屈はこうだ。憲法は表現の自由を無制限に保障しておらず、公共の福祉のために制限することがある。たとえ、思想を発表するための手段であっても、他人の財産権を不当に侵害することは許されない。住民に無断で入ってビラを配ることは、罰するに値する。
一方、無罪とした東京地裁はどう考えたか。マンションに入ったのはせいぜい7~8分間。40年以上政治ビラを配っている住職はそれまで立ち入りをとがめられたことがなかった。ピザのチラシなども投げ込まれていたが、業者が逮捕されたという報道はない。ビラ配りに住居侵入罪を適用することは、まだ社会的な合意になっていない。
市民の常識からすると、一審判決の方がうなずけるのではないか。住職の行動が刑罰を科さなければならないほど悪質なものとはとても思えないからだ。
もちろん、住民の不安は軽視できない。マンションの廊下に不審者が入り込んで犯罪に及ぶこともある。ビラを配る側は、腕章を着けて身分を明らかにしたり、場合によっては1階の集合ポストに入れたりすることを考えるべきだ。
しかし、そうした配り方の問題と、逮捕、起訴して刑罰を科すかどうかというのはまったく別の話だ。》
どうして「まったく別の話だ」となるのか理解できない。
「場合によっては1階の集合ポストに入れたりする」ではなく、常に集合ポストに配ればいいではないか。
そうしていれば、この被告も、罪に問われることはなかっただろう。
私はマンションに居住しているが、居住者として、各階の廊下にまでビラやチラシ配布の目的で立ち入ってもらいたくない。それが(一般)市民の常識だと思うが、どうだろう。
朝日は、配る側、つまり運動家、いわゆるプロ「市民」の常識にとらわれすぎているのではないか。
《今回、住職は住民の通報で逮捕された。検察官が勾留(こうりゅう)を求め、裁判官がそれを認めたため、住職は起訴されるまで23日間も身柄を拘束された。》
住民が通報している、つまり住民が立ち入りを拒絶していることが、刑罰を科せられる最大の理由だろう。
住民が、立ち入りによって住居の平穏が侵されたと感じるならば、その感情は尊重されなければならない。
表現の自由もまた尊重されるべきだが、住居の平穏が優先する。何故なら、住居の平穏を侵さなくとも、「表現」することは他の手段によって可能だからだ。
毎日新聞の社説は、さらに面妖なことを述べている。
社説「ビラ配布 表現の自由を守る工夫も要る」(ウェブ魚拓)から。
《政治ビラに限らない。商品広告なども、人々の生活の利便も踏まえて、節度ある方法による限りは、配布の自由が認められねばならない。自分の意見と異なるビラや不要な広告を配られるのは迷惑だとしても、社会全体の利益を優先し、表現の自由を守るために受忍する姿勢が求められる。》
日々、集合ポストに入っている不要な広告のチラシやピンクビラで私は大変迷惑しているのだが、毎日の論説委員にはそのような経験はないのだろうか。
「節度ある方法による限りは、配布の自由が認められねばならない。」――そのとおりだ。しかし、黙ってポストに入れていくという手法は、節度ある方法と言えるだろうか。
ビラを配布する自由は認められるべきだが、そのビラの受け取りを拒絶する自由もまた認められるべきではないだろうか。
街頭のビラ配りなら、それは可能だ。受け取らなければよい。しかし、ポストに投函されたビラは、必ず受け取らざるを得ない。
配る側はそれでいいだろう。しかし、受け取る側には拒絶する自由が認められないのは一方的ではないか。
不要なビラであればごみになるだけだ。その始末も受け取った側がしなければならない。
しかし、中にはデリバリーのチラシなど、私にとって必要なものもある。
また、人によっては、政治的ビラも読みたいという人もいるだろう。
今回の事件で、被告が配っていたビラとは、共産党の「葛飾区議団だより」や「都議会報告」などだったという。共産党支持者ならこうしたものも読むこともあるだろう。
だから、ポストに勝手に配布するという手法は,「節度ある」とは言い難いが、容認せざるを得ないと私は思う。
ただ、マンションの場合、それは集合ポストで十分だろう。さらに廊下に立ち入って各戸のドアポストにまで入れる必要はないだろう。
《最高裁の最終的な判断を仰ぐことになったが、双方の判決がビラ配りの目的自体に不当な点はない、としたことを注視したい。ビラは小さな声を多数に伝えるために手軽で有効な手段だ。民主主義社会では表現の自由の一環として、ビラ配りの自由が保障されるべきことを改めて共通認識としたいからだ。》
「ビラ配りで逮捕」「ビラ配りで有罪」と報じられることの多いこの事件だが、ビラ配り自体が罪に問われたのではなく、ビラ配り自体の自由など誰も問題にしていない。
問題は、ドアポストへのビラ配りを目的として、マンションの廊下や階段などに立ち入る行為が、処罰に値するかどうかということだ。
1審判決の時から、被告はどうして集合ポストを使わず、各戸のドアポストに入れていったのか、また判決はそれをどう評価しているのかということが気になっていた。
今回、この被告を支援するサイトを見つけた。そこに1審判決の要旨が掲載されている。それによると、
《被告人が本件マンションの共用部分に立ち入った目的は,各住戸の玄関ドアポストに本件ビラを投函することにあり,集合郵便受けにとどまらず,ドアポストへの投函を図ったのは,集合郵便受けでは各種のビラが投函され,商業ビラに紛れて一緒に見ずに捨てられるおそれがあるため,居住者にビラを閲覧してもらえる可能性を高めようとする点にあったものと認められる。》
とある。そんなところだろう。
判決はこの点について、
《マンションの設備としてドアポストが設置されていることから,集合郵便受けとドアポストが並列的,選択的に使用できるなどと解するのは相当ではなく,居住空間への接近の程度からみて両者に相違があるのは当然であり,ドアポストは居住者の個別の依頼のある物のみの投函が許すため,また,訪問者と会わずに書類の授受ができる等の便宜のために設置されているとも考え得るのである。また,現在では,一般に,各住戸の利用のため制限できない個々の住戸の関係者の立入りは受忍しなければならないとしても,防犯やプライバシー保護の観点から,その目的を問わず,全くの部外者が集合住宅の共用部分に立ち入ること自体に不安感,不快感を感じる居住者は相当数存在するものと考えられるところ,本件マンションにおいても当然そうした居住者が少なからず存在するものと推認されるのであって,そのような居住者の心情も尊重されなければならない。立入りによって居住者が抱く不安感,不快感への配慮という観点からは,立入りの目的が政治ビラの投函で,その態様も平穏なものにとどまるとしても,そうした立入りが一般に社会通念上容認されざる行為には当たらないものと断定してよいかとなると,若干躊躇を覚えざるを得ないところである。被告人は,居住者に本件ビラを読んでもらいたいがためにドアポストに配布したと供述するが,その点は集合郵便受けに投函する他の業者等であっても同様であり,被告人は,居住者と会った場合には目的を明らかにして不安感を払拭していたと供述するものの,被告人の考え方は,マンションの居住者の心情への配慮をやや欠いており,独りよがりな面がないとはいえない。》
と指摘しつつも、
《しかしながら,他方で,居住者の抱く不安感や不快感を根拠に,本件における被告人の立入行為が直ちに社会通念上容認されざる行為に当たるといい得るかとなると,集合住宅の共用部分に部外者が立ち入る行為はその目的を問わず差し控えるべきであるとの考え方が強くなってきたのはさほど古いことではなく,このような考え方が一般化,規範化しているか否かはなお慎重に検討する必要がある。》
《概ね3階建て以上の建築物に集合郵便受けの設置を義務付ける郵便法の昭和36年改正の趣旨は,プライバシーの保護ではなく,郵便配達人の配達の便宜を図るという点にあったのであり,集合郵便受けの設置は,法規上はドアポストまでの接近を禁ずる根拠とはいえない。また,本件以前にビラ投函目的で集合住宅の共用部分に立ち入る行為が刑事事件として立件されたなどという報道は,ピンクビラの事案を除外するとほとんどなく(いわゆる自衛隊の立川宿舎への侵入事件があるが本件とは相当に事案を異にする。),かつては,政治ビラや商業ビラの投函目的で集合住宅の共用部分に立ち入り,各居室の玄関ドアポストにまで至る行為は,特段問題のある行為とは考えられていなかったふしがある。本件マンションにおいても,ピザのデリバリー業者のメニュー等が住戸のドアポストに入れられていたことが認められ,ドアポストへの全戸配布を行うポスティング業者の存在さえ窺われるが,そのような業者が逮捕されたなどという報道も知られていない。》
《被告人はこれまで40年以上にわたって政治ビラの投函に従事してきたものの,特段マンションの居住者から立入りをとがめられたりすることはなかったと供述しており,前記のようなポスティング業者の存在や共同住宅への立入りの実情,報道の有無等をも勘案すると,近時のプライバシー意識,防犯意識の高まりを考慮しても,現時点では,各住戸のドアポストに配布する目的で,昼間に居住用マンションの通路や階段等に短時間立ち入ることが明らかに許容されない行為であるとすることについての社会的な合意が未だ確立しているとは言い難く,これが社会の規範の一部となっているとは認められない。
したがって,現時点でのプライバシーの意識や防犯意識の高揚を前提とすれば,本件のようにビラ配布の目的だけであれば集合郵便受けへの投函にとどめておくのが望ましいとはいえても,それ以上の共用部分への立入行為が刑事上の処罰の対象とすることについての社会通念は未だ確立しているとはいえず,結局、被告人の立入りについては正当な理由がないとはいえない。》
と、住居侵入罪の要件である「正当な理由がないのに」を否定している。
さらに、だとしても共用部分(廊下、階段など)への立入禁止がマンションで明示されていれば住居侵入罪が成立するが、マンション管理組合の内部では立入を禁ずる意思形成はあったが、それが外部に明示されていなかったので、やはり住居侵入罪は成立しないとしている。
高裁判決の詳細は現時点ではわからないが、上記の「共用部分への立入行為が(引用者注:「が」は「を」の誤りか)刑事上の処罰の対象とすることについての社会通念」は現時点でも確立していると認めたか、立入禁止の意思表示があったと認めた、あるいはその双方の理由により、有罪を認定したということなのだろうか。
私は、集合住宅におけるビラ配りは集合ポストで済ませるべきものだと思うし、今回の高裁判決は市民の常識に沿った妥当なものだと考える。