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「証言」者・横井邦彦の奇怪な拉致問題認識(2)

2007-01-21 18:34:00 | 事件・犯罪・裁判・司法
前回からの続き)
 横井邦彦は、自分のブログ「労働者のこだま(国内版)」の「拉致救出運動か拉致報復運動か」(一応Web魚拓)という記事で、拉致問題への対応は被害者の救出こそが目的でなければならないのに、家族会や安倍政権の対応は北朝鮮への報復を目的とするもので誤りだと述べている。
 この記事によって、横井が拉致問題の本質を何ら理解していない(あるいは、敢えてそのようにふるまっている?)ばかりか、拉致問題における横井の立場をどのように考えるべきかという点で大変参考になると思われるので、以下引用しながら検討する。

《われわれを含め、多くの日本の労働者は拉致問題を銀行強盗が人質を取って銀行に立てこもっているようなものであると考えていた。》

 この冒頭のたとえからして既におかしい。拉致問題は銀行強盗の人質立てこもりとは全く違う。
 銀行強盗が人質を取るのは、金を得て逃亡するための交渉の道具として利用できるからで、人質となる人間そのものが必要なのではない。そして、銀行や警察と交渉することが前提となっている。
 北朝鮮による拉致は、拉致された人間自身を北朝鮮の任務に従事させることが目的なのであり、日本と交渉することが目的なのではない。拉致被害者は交渉のための道具ではなく、拉致被害者自身が北朝鮮にとって必要なだけだ。
 敢えてたとえるなら、カルト教団がその教団に従事させる目的で一般人を拉致するようなものだ(しかし、北朝鮮は強盗犯や教団などではなく日本の法が及ばない別の国であるから、いずれにせよ国内犯罪をもってたとえるのは不適切だろう)。

 したがって、これに続く、銀行強盗の人質のたとえを前提とした、

《当然、この場合最優先されるべきは人質の人命であろう。もちろん犯人を逃すわけにはいかないが、人質を救出するためには、犯人の要求をある程度飲んで、水や食料を差し入れることは許容の範囲である。

といった記述は何の意味も持たない。なぜなら、北朝鮮は拉致問題でそもそも交渉すらしていない。だから「犯人の要求」なるものも存在しない。
 北朝鮮の立場は、拉致を実行していたことは認めたが、生存していた5人とその家族は帰国させ、残り8人は死亡した、その他の人物については関知しない、これで解決済みというものだ。強いて「要求」を挙げるなら、この北朝鮮の主張を無条件で呑むことだろう。

《ところが最近分かってきたことだが、どうも「拉致問題」というのはこのような運動ではないらしい。
 
 「拉致家族会」や「拉致被害者を救う会」と安倍晋三政権は、むしろ銀行に立てこもっている犯人に対して、何の罪もない人を誘拐する許しがたい連中だ、断固制裁すべきであると絶叫している。
 
 もちろん、制裁や報復によって人質が解放されることはありえない。強行突破と言うことになれば、人質の命は非常に危険に陥ることが予想されるが、そういうことを心配する「家族」はいない。》


 制裁は強行突破とは違う。強いて横井のたとえに従うなら、警官隊が銀行を包囲することが制裁に当たると言えるだろう。北朝鮮に軍事力を行使することが強行突破だろう。
 ところで、何故、「家族」とカギカッコが付いているのだろう。家族を名乗るが、本当は家族ではないとでも言うのか。それとも、家族ではあるが、家族がとるべき行動をとっていないと言うのか。何という不遜な表現だろうか。
 家族会が制裁を唱えるのは、拉致被害者が危険にさらされる可能性を考慮しても、それが最善の選択だと考えたからだろう。
 「そういうことを心配する「家族」はいない。」とは、何を根拠に述べているのだろう。心配は当然あるだろう。しかし、小泉訪朝までは拉致被害者の存在すら認めてこず、それを認めた後も「死亡者」については誠意ある対応がみられない北朝鮮に対し、日本国の問題解決への意志を示すには、制裁を実施すべきだと考えたのだろう。

《現に、北朝鮮政府は「安倍晋三政権を相手にせず」という態度を明確に打ち出しており、安倍晋三政権のもとでは「拉致問題」の解決どころか、話し合いの場すら設けられることがないことがはっきりとしてきた。
 
 「拉致家族会」や「拉致被害者を救う会」はそれでもいいというのだから、はっきりいってこれは驚きだ。ここには子どもを人質に取られている親の心情とはまったく違う感情が流れている。
 
 むしろこの人たちを支配し、つき動かしているのは拉致した者への復讐、もしくは報復の感情であり、人質を救いたいという感情ではない。 》 


 何をどう考えればここまで曲解できるのだろうか、驚きだ。
 「話し合いの場」を設けるための制裁ではないか。
 「話し合いの場」など設けなくてもいいなどと、家族会や救う会がいつどこで言ったというのか。
 この人物こそ、人の心がわからない。だから平気でこのように被害者をおとしめることができる。さすが共産主義者だ。

《だとするならば労働者はこのような運動を支持することはもうできないだろう。なぜならは北朝鮮は犯罪者国家であるとはいえ、国家である以上、「国際紛争は平和的手段によって解決すべき」であるという日本の“国是”が適用されるべきであり、「拉致家族会」や「拉致被害者を救う会」がすでに拉致被害者の救出をあきらめている現状では、事態の緊急性も重大性もすでに喪失しているからである。 》

 趣旨がよくわからない文章だが、家族会や救う会が「救出をあきらめている」とは何とも失礼な表現だろう。横井が制裁は逆効果だと考えるのは横井の自由だ。しかし家族会や救う会は制裁が救出に有効だと考えているのであって、救出をあきらめているわけでは決してない。

《むしろ逆に、北朝鮮への復讐、もしくは報復が主目的であるという運動は世界の平和を脅かすという点で、労働者にとって許しがたい運動になりつつある。
 
 つまり「拉致家族会」や「拉致被害者を救う会」は、拉致問題を口実にして、民族主義、排外主義を煽って、日本を軍国主義化しようとする安倍晋三政権の道具へとますます純化しつつあり、運動の大衆的な基盤を失いつつある。》


 仮に復讐が目的であるとして、それが何故「世界の平和を脅かす」ことになるのか、何故「労働者にとって許しがたい」のか、さっぱりわからない。ターゲットは横井の言う「犯罪者国家」北朝鮮だけなのだから。
 
《こういうことは本当の拉致家族にとってもあまりいいことではない。なぜならば、拉致被害者が全員死んでしまっているという前提に立てば、拉致をした北朝鮮を政治的、経済的、軍事的に制裁しようという報復運動もありうる(それが全国民的な支持をうるかは別にして)だろうが、かならずしもそうとばかりは言い切れない場合、すなわち、拉致被害者の何人かはまだ生きているかも知れないという観点に立てば、むしろこういった運動は拉致問題の解決を妨げるからである。》

 「本当の拉致家族」という言葉がまた意味不明だ。家族会のメンバーは本当の家族ではないとでもいうのか。
 そして横井は、ではどのように、拉致問題の解決を図るべきだというのか。
 上記の文章から推察するに、結局、北朝鮮の要求をある程度呑んで、交渉せよということだろう。身代金を払ってでも、感謝の言葉を捧げてでも、被害者を取り戻せということかもしれない。
 しかし、日本はこれまで北朝鮮にコメ支援やKEDOなどさまざまな協力的アプローチをとってきたのではないか。そして国交正常化交渉の席で拉致問題に触れても、北朝鮮が頑としてその存在すら認めてこなかったのではなかったか。小泉訪朝で存在を認めてからも、「死亡者」について誠意ある対応はしてこなかったではないか。
 そもそも北朝鮮は交渉の席にすらついてはいない。北朝鮮を交渉に応じさせるために制裁が必要なのであって、復讐が目的なのではない。そんな簡単なことを横井は理解していないか、理解していないふりをしている。

 共産主義者にとっては、全ての事象は共産主義運動に利用できるかどうかという観点からしか見ることができないのだろう。だから、荒唐無稽な証言まで創作して、このように被害者や家族をおとしめることができるのだろう。要は、自分の「運動」への注目と、安倍政権叩きが目的なのではないか。

 特定失踪者問題調査会の荒木和博会長は、この横井について、同調査会ニュースで、

《ご本人のブログなどを見る限り、横井氏の証言に妄想と思われるようなところはありません。左翼は左翼ですので、私自身は思想的に相容れないところがありますが、北朝鮮に対しては非常に厳しい見方をしており、見解の違いは別にして冷静な分析であるように思います。》

と肯定的に評し、その後もたびたび蓮池薫氏に対する疑問を表明しており、私はその動きを危惧していたが、今回の「拉致救出運動か拉致報復運動か」を読めば、少なくとも横井に対する評価は変わるのではないだろうか。これは、北朝鮮に対する「非常に厳しい見方」ではないだろう。
 拉致被害者、家族会、救う会、特定失踪者問題調査会の分裂や内紛は北朝鮮や日本の親北派にとって望むところだろう。横井自身が何を目的にしているかはともかく、荒木の立場で横井を肯定し蓮池薫氏に疑念を表明することが、客観的に見て拉致問題の進展にどのような影響を及ぼすか、十分考慮した上で発言してもらいたいと願う。


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