”みやびコース”の最後の訪問は、大徳寺の聚光院です。
聚光院は、大徳寺の塔頭のひとつで、茶道三千家の菩提寺となっています。
もともと大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、室町時代の応仁の乱で荒廃しましたが、一休和尚が復興したもので、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営んだ寺として有名です。
大徳寺 山門 聚光院の山門
聚光院は1566年、三好義継が父長慶の菩提を弔うために建立したものです。
ここの方丈は重文ですが、その中にある襖絵は国宝で桃山時代の狩野永徳やその父の松栄によって描かれたものです。
花鳥図
教科書などで見たことのある「花鳥図」や「竹虎遊猿図」などを直に見ることが出来ました。この襖絵は、かなり傷んでいるようで表面も薄くなっているようです。
そこで、この襖絵が、この場所であるべき姿を見ることが出来るのは、18日までで、その後は博物館に収められそうです。 その後はスキャンしたものが飾られるそうです。
ここの方丈の庭園は、枯山水の平庭で百積庭と称し、千利休居士が整えたと伝えられています。
そこにある茶席(重文)は、2室あり、その一つは閑隠席と呼ばれるわずか三畳の間で、ここで千利休が自刃したところと伝えられています。
もう一つが4畳半の枡床席(重文)もあります。
この大徳寺にある多くの塔頭は、普通非公開です。
この京都観光特別コースは、平素公開されていないものを一日で見学出来ることが出来、今後も機会があれば参加したいと思います。
が、唯一つ残念なことは、ほとんどが撮影禁止となっていることです。
国宝級になれば、まず光(ストロボ)に弱いでしょうが、庭園まで撮影禁止は、ちと理解しにくいですが・・・・