福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は釈道璿の遷化された日

2024-04-18 | 法話

 

本朝高僧傳

唐福先寺沙門道璿傳

釈道璿は唐許州衛氏、即ち霊公の後なり。少歳にして道を慕て出家。定賓律師に従ひ東都大副寺に於いて戒・學・律を稟く。師を尋ねて三蔵に習串す。嵩山普寂和尚に参じ、禅要を探り華厳を質す。福先寺に回り四衆に散戒す。日本の普照・栄叡、風に聞き寺に至り東征を申請す。天平八年を以て(釈書により七年と作る)、菩提仙那を伴ひ来る。是の時本朝、律學未だ備らず、詔して大安寺西唐院に居し、傳戒師となる。學海深長、人に教て倦まず、嘗って曰ふ、聖と成る所以は必ず禁戒に依るべし、と。梵網経行事鈔を講じ梵網経を註し、広く遐邇に勧む。譜誦清亮、調べは金石の如く聞く者感悟す。四威儀中、浄行品を修す。復、學賓を勧めて曰く、「汝等如説に修せ、経に云ふ、若し人、此に依って行ぜば一切諸天魔・梵龍神・八部・声聞・独覚、動ずる能ず」と。

晩に和の比蘇寺に退居し、發願文を著る。四序季月修禮懺悔供。一優婆塞、璿が六牙白象に乗り白衣を著し東を向いて去るを夢む。明日遷化す。天平宝字四年閏四月八日也(要文抄南都傳には俱に十八日に作る)。春秋享ること五十有九。亡ずるに臨んで曰く「如玄三摩提に依り、下は六地従り、般若波羅蜜多に依り、上は八地を盡す」と。浄行品と理相扶會す。璿、僕射吉備真備と善し。滅後、僕射は行實を纂じて云ふ、

賛に曰く

「天平已前の諸師は戒法を教ず。乎璿公専ら戒波羅蜜を勧むに曁およぶ。而して輦下僧侶始めて持戒開遮を知る矣。啻だ外相氷雪に匪ず。且つ亦内心牆壁、平日の示趣、臨終の言を観じ而して知るべし焉。

曽氏曰く、「江漢以て之を濯へ、秋陽以て之を暴せ」(注1)と。傷中に亦斯の人有り。

 

(注1)出来上がっていて付け加える物がない意。「孟子・滕文公章句」に「他日、子夏・子張・子游、有若の聖人に似たるを以て、孔子に事うる所を以てこれに事えんと欲し、曾子に強いる。曾子曰く、不可なり。江漢以てこれを濯い、秋陽以てこれを暴す(さらす)も、皜皜乎として尚う(くわう)べからざるのみと」

 

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