実の如く自心を知るこれを仏と名ずく。実の如く自心を知らざるこれを凡夫と名ずく。凡夫は自心の本不生を知らざるがゆえに生死の無明の家に生まれて貪瞋癡の煩悩を起こして五逆十悪業等を造りて生死の苦果を招くなり。迷悟は一切衆生の面々の上にあれば無始以来の無明の迷執、自然にきえうせて、無始以来自然の本覚の智の悟り現れるようにと、常に吾が自心の常住の三宝にたいして諸々の福智の善根を随喜し、無始以来の罪業を懺悔し . . . 本文を読む
神道は祭天の古俗(明治24年)・・4
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
新嘗祭神嘗祭大嘗祭
日本の上古は。彼禹貢の冀州に島夷皮服と。楊州に島夷卉服と見ゆ。冀州の島夷は。韓人の皮を以て交通したるにて。楊州の島夷は。倭人の麻穀の木棉を以て交通したるなり。此く四千年前より。三土互に交通したれば。風俗も交互に輸入したらん。然れども倭韓は尚神祇を分つことはなく。純に天を祭れり。又一千年 . . . 本文を読む
今朝修法していて四無量心の「心もとより不生なり」という観想で、「そうだDNAが無始以来の先祖の遺伝子の集積であるように、心も無始以来の先祖の心の集積であるから、先祖供養をするということは自分の心と体を供養するということでもある」と思いつきました。本来「心もとより不生なり」というのはもっと大変なことを示唆しているのですがとりあえず俗物たる自分にはこういうレベルの気付が実感を持つのでした。 . . . 本文を読む