母の妹、私にとってオバが施設に入っていて、一ヵ月ほど前に亡くなりました。妹が先に亡くなったときけば、母のショックは大きいと考え、母には伝えてありません。葬儀は家族葬だということで、新聞にも掲載されなかったのは幸いでした。
オバの夫は木地師でした。明治になってから伊那谷から松本へ移り住んだのです。そして、川がお堀へ流れ落ちる場所を選んで水車を設け、水車の力で轆轤をひいたのです。のみを材にあてて加工していく姿を何度も見せてもらいました。その叔父は、もう何年も前に亡くなりました。
木地師の本拠地とする場所は滋賀県の永源寺町で、そこから出て材にする木を求めて全国を漂泊したしたといいます。そして、そこにある神社が氏子狩りと称し、全国の木地屋のもとを訪ねて居所を確認し、氏子料を集め戸籍のようなものを作っていました。その記録をみれば、先祖の地を探すこともできるのです。叔父の先祖は木曽を経て伊那に移り、松本に定住したようです。江戸時代までは居所と定めた山の周辺に使える木がなくなれば、別の場所へと移ったのでした。山での暮らしの伝承や、かつての仕事ぶりなどは叔父からまだ聞くことができました。その生活伝承や技術伝承は、極端にいえば奈良時代までも遡るものだったでしょう。叔父もそのことはわかっていて、年をとってからは木曽や伊那の山中に、先祖の暮らしの痕跡を求めて分け入ったこともありました。叔父には子どもは二人いますが(私にとっては従妹)、いずれも女子で、木地師の仕事を継ぐことはありませんでした。先に叔父が亡くなり、わずかの伝承を受け継いでいたオバもなくなり、おそらく千年以上も続いた技術伝承は、これで完全に消滅したのです。
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