民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

コロナ差別

2020-05-24 10:43:22 | 民俗学

ようやく緊急事態宣言の全国解除が見えてきて、重苦しい自粛要請も出口が見えてきた気がします。ウィルスという見えない物に、どうやって対処したらいいか、難しい問題ですね。見えないからこそ、恐怖も広がります。恐怖が広がると、いわれなき差別も広がります。誰かに、何かに原因を求め責任をとらせたい、と思うわけです。そんな気持ちから、感染者や医療従事者への投石、落書き、ネットでの誹謗中傷、子どもを登園拒否する、などの行為が問題になっています。これは、ハンセン病やHIVの患者への差別に通ずるわけですが、私は見えない物を見える化して差別するという点で、「憑き物」により類似しているように思います。

憑き物は、現在ではほとんど語られなくなりましたが、だから憑き物を生み出した心性が無くなったわけでも、憑き物を生み出した原因が突き止められたわけでもありませんから、形を変えて現代によみがえってきても不思議ではないわけです。子どもの頃耳にはさんだ大人の話のかすかな記憶ですが、○○さんに狐がついて、寝床には狐の毛がついていたとか、油揚げを食べたがっていっぱい食べた、などといった話だったと思います。調べてみますと、西日本ではキツネや犬神は家筋についていて、結婚を忌避されたそうです。長野県では、家筋につくという話はなかったです。何らかの利害関係にある人をあげて、○○さんが狐をつけたとかいって、つけた人を差別したり、ついた人を差別したりしたものです。当然ですが、狐や犬が人に憑くなどということはありませんから、そうした話が事実として認定されるには、民間宗教者の関与があったことでしょう。

人間はいつの世でもスケープゴートを仕立て上げることで、その他の人々が結束してきたといえるのでしょうか。人間は弱く、生き延びてくるためには、集団化し弱い力を合わせる必要があったといいますが、人が集団化するために生贄を必要としたのでしょうか。だから仕方ないというのではなく、もぐらたたきのようであっても、知性で差別をつぶしていかなければならないと思うのです。


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