民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

大貫恵美子著『日本人の病気観』(岩波書店 1985年刊)を読む1

2020-05-18 10:29:00 | 読書

感染症とこれからどうやってお付き合いしていくのかを考えるうえで、これまでこの国では病気をどのようにとらえてきたのかが参考になるでしょう。その際に知っておかなければならないのは、歴史上で病気は客観的に存在するかと思われがちですが、ある症状に病名をつけることで初めて病気は存在するということです。過去には憑き物が猛威をふるった時があります。その時、憑き物という病は確かに存在したのです。目に見えないものに形を与えるのは人間です。

書庫から探した40年も前の文化人類学者の著作から、何か学べる点があるのではないかと読んでみました。今でも共感できる部分が多いのですが、40年を経過して現代はちょっと違うなと思う部分もありました。

「日本の子どもにとって、外から帰宅したら靴を脱ぎ、手を洗い、場合によってはうがいをするということは、初期の社会化訓練の一環として非常に大事な事柄である。外に出たらばい菌がたくさんいるので、かえってきたらまず靴を脱いで、家の中によごれが入らないようにし、次に手や喉についてきたばい菌を水で洗い落すのだと、われわれは説明するわけである。この際に使われるばい菌という用語は比較的歴史の浅いもので、西洋から病原菌理論が輸入されて後、使われだしたのだが、われわれは既に、視覚的にも拡大されたバクテリアのイメージを学校の教材映画などから得て、心に植え付けている。だが、このような衛生習慣の背後にあるのは、「外」の空間と汚れ―ばい菌として表現されるようなーの等式化である。ばい菌とは偏在的な外部なのだ。そこで自ら(内部)を家の中で清く健康に保つため、汚れを落とすことが必要とされる。内部と清浄、外部と汚濁という象徴的図式が成り立っている。」

ここでは、われわれが象徴的に感じている「内」と「外」の意味付けについて、総論的に語っているのだが、今はこの象徴的意味に実態がともなって、なんだか記述が生々しい。日本人の衛生習慣が、外国に比べてコロナの蔓延を防いでいると言われているが、そうした面が確かにあるような気がします。さらに、こんな記述もあります。

「「外」は汚染されているという考えから、多くの日本人はかつて、また今日でも比較的少なくなったとはいえ、外出時に(特に冬には)マスクをかける習慣をもっている。「科学的」な理由としては、外気に含まれる病原菌を吸い込まないためとされている。あるいは、外の寒気から喉や鼻の粘膜を守るためといわれる。家を出るときマスクをかけ忘れた人のためには、ちゃんと駅の売店で備えている。戦後、マスクの効果について新聞紙上で議論が闘わされたことがあり、自分が吐き出したばい菌をまた吸い込むことになるので、かえって健康に悪いという記事も載ったが、そのためにマスクの使用がとだえたということはない。(略)私(アメリカ在住)の知る範囲では、普通はマスクは手術室の外科医等、および伝染病患者自身に限られている。日本人が他人のばい菌を吸い込むことを避けるためにマスクをかけるのに対し、アメリカ人は自らのばい菌を他人に向けて散らさないために使用する、という相違が見られる。なかんずく、日本人のマスクの使用は、「汚れ」は外にあるという文化的規範を前提にしているといえよう。」

今のマスク使用について、自分の菌を周囲にまき散らさないようにするという情報はしられているが、本当のところでは人々は外の汚れた空気を直接吸わないように、と思っているようにも思います。以前はマスクをつけると、自分ばかりを外部から防御する姿勢だとして評判が良くなかったのですが、今は逆に外でマスクしてないと、菌をまき散らしているかもしれないと、ヒンシュクをかいます。

もう少しこの本から考えてみましょう。

 


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